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第3章 彼方に消えしは幽冥街
第60話:万能薬ハトホルミルク
しおりを挟む「あぁ~~~……つ、疲れたぁ……もうダメぇ……」
「おまえ、本当に燃費が悪いんだな……」
あれから──小一時間ほど陽動役に徹しただろうか。
ツバサはまだまだスタミナが残っていたが、いきなりミロが「ガス欠~」と言いながらツバサの背中にへたれ込んでしまったのだ。
やはり【大君】の力で神剣を振るうと、急激に疲れるらしい。
無理をさせていざという時に使い物にならないと困る。ミロの身体のことも考えて、アトラクアの追跡を逃れたツバサは一時的に隠れることにした。
幽冥街のどこかにある──体育館らしき場所。
かつての面影はなく、屋根も壁もボロボロに朽ち果てている。
マリナほどではないがツバサも隠密系技能を習得しているので、それと防御結界を二重に張り巡らして、一時的にこの体育館へと避難した。
ミロは体育館の真ん中で仰向けになり、大の字になって寝転んでいる。
ツバサは彼女を守るように傍らに佇んでいた。無論、周囲への警戒を忘れない。
ふと、にやけた笑い声が漏れてくる。
「ぜーはーぜーはーぜーはー……あ、これ絶景♪」
仰向けで荒い息をつくミロは、いやらしい笑みを浮かべた。
「絶景? こんな廃墟の体育館のどこがだよ」
「いやいや、体育館なんかどうでもいいの。ツバサさんがね……」
少し頭を反らして位置を調整する。
「なんて素晴らしいアングルッ! ツバサさんの愛されフェイスを見上げると、その豊満なダブル南半球がこう見えるとは……ッ!!」
「はあ? 南半球…………あッ!?」
ツバサは反射的に両手で胸の下半分を覆い隠す。
こいつ──ツバサの下乳を見てニヤニヤしていたのだ。
この真っ赤なロングジャケットはとある天才服飾師のお手製なのだが、着心地の良さや縫製の巧みさは勿論のこと、鎧に勝る物理耐性や魔法防御力を備えている超一流の防具でもあった。
難点があるとすれば、やや露出度が高い。
ツバサの爆乳が大きくなりすぎたのもあるだろうが、服の合わせ目などから胸の谷間や乳房の肉が覗けることがあるのだ。
視線が集まっているところは肌感覚でなんとなくわかる。
ツバサは頬を赤く染めながら、女性らしい手付きでそこを隠していた。
「おまえ、だんだん中身が男の子になってないか……?」
発言もセクハラなものが多くなっている。
「そういうツバサさんはどんどん女らしくなってるよねー?」
それともお母さんかなー? とミロはほくそ笑む。
いやらしい笑みに一昨日の夜を思い出す。
思い出しただけでツバサの芯は甘い疼きを覚えてしまう。
爆乳の覗ける箇所を隠していたはずの両手が、無意識にミロの愛撫にも似た動きを再現してしまいそうになり、それに気付いてビクリと両肩を震わせてしまう。
疼く乳房まで跳ねて揺れ、敏感な先端が感じてしまいそうになる。
あの夜──ツバサは夜明けまでミロに愛された。
やめて、助けて、許して、お願い、もう駄目……そんな女々しいセリフを何度も吐かされた。そのことを思い出そうとするだけで息苦しい。
そして、また──ミロに愛されたくなる。
男としての矜恃が、兄としての自尊心が、それに拒絶反応を起こす。
なのに、女になった肉体が愛欲を求めて已まない。
男と女の狭間から──今にも女性の側へと堕ちそうになる。
嫌だ! 俺は男だ、まだ……男でいたいんだ!
自分の男心に「負けるな!」と叱咤して、あの夜の出来事に屈しないよう歯を食い縛る。表面上は平静を装い、いつものクールな兄貴分を演じた。
そして、寝そべるミロにツバサはお説教っぽく諭す。
「……おまえはもう少し力加減ってのを覚えた方がいいな」
ミロは右手を持ち上げて拳を握る。
「いつだって全力投球……それがアタシのモットーです……ッ!」
「そういう後先考えないのをアホっていうんだぞ」
正論をぶつけてもアホは堪えた様子がない。
「アホは死んでも治らない。つまり、不治の病……これ、美少女の特権!」
アタシ美少女! とキメ顔のミロはサムズアップで自分を指した。
「……それだけ元気なら休憩はもういらんな」
休憩終わり、とばかりにツバサはこの場を立ち去ろうとする。
着いてこなければ置いていくつもりの態度でだ。
「待って待って! もうちょい休ませて!? それかすぐに体力全快になる回復アイテムちょうだい! エリクサーとか仙豆とか!」
「あるかそんなもん」
ないことはないが、神族には大して意味がない。
神の肉体には超回復が備わっているので、ちょっとした疲労ならば10分もせずに回復できる。そして、今のミロはちょっとした疲労だ。
以前のように【大君】だけで急激に消耗することはなくなった。
軽い疲労だけで済むようになったのは成長だろう。
「全快アイテムなんて持ってないし勿体ない。自力で治せ」
内心その成長を認めた上で、ちょっと冷たくあしらう。
一昨日のことを根に持っている自分がいた。
「じゃ、じゃあ……活力付与を……んちゅーっ!」
タコチュー顔で活力付与という名目のキスを求めてきた。
そんなことをしたら──あの夜のことを思い出してしまう。
「……必要ない、もうすぐ回復するだろ」
にべもなく言いつけると、ミロは鼻で笑った。
「やれやれ……これはあんまり使いたくなったんだけどなぁ」
ミロは怠そうに上半身を起こすと、自分の道具箱に手を差し入れた。
取り出したのは──乳白色な液体を詰めた瓶。
「ちゃらららっちゃちゃ~ん♪ ハトホルミルク~♪」
「おまっ……!? そ、それ!?」
これにはツバサも動揺せざるを得ない。
先日、ついにミロに知られてしまったのだ。
いつか何かの拍子でバレるだろうという諦念はあったが、まさか一晩中もてあそばれた弾みでバレるなんて予想外も甚だしい。
その時、正式にハトホルミルクと名付けられた。
こちらが涙目で赤面するのも構わず、ミロは喜々として命名した。
みんなが「美味しい」と毎日飲んでいるミルクの正体。
それはツバサが地母神になった際、習得したことを内緒にしてきた“乳母神”という神の技能により得られたものだと──バレてしまったのだ。
「そ、ツバサさんのおっぱいから搾ったお乳でーす♪」
「遠回しに表現してるところをダイレクトにバラすなよ!?」
「しかもアタシが直搾りしたやつでーす♪」
「よりにもよってあの夜の……ッ!?」
ここまでされれば、否応にも思い出さざるを得なくなる。
あの夜、女の子みたいに泣いて許しを請うたのに、巨大になりすぎた乳房からそれこそ乳牛のようにあのミルクを搾り出されたことを……。
恥ずかしくて情けなくて、目頭が熱くなってきた。
同時に――乳腺が張り詰める疼痛まで湧き上がってきた。
心臓の拍動と呼応するも、似て非なる「ズクン!」という脈動を感じた乳房は一気に重く張り詰め、ブラジャーが張り裂けそうなくらいキツくなった。
母性本能が刺激され、子供のために母乳を増産しようとしているようだ。
――愛しい我が子へ飲ませたくて堪らない。
ツバサの内なるハトホルという地母神が荒ぶっていた。
羞恥心を煽るように、ミロはミルク瓶をツバサの胸へと掲げる。
「ツバサさんのおっぱいにカンパーイ!」
「そ、そういうこと言うなッ!!」
ツバサが屈辱に嘖まれるのもお構いなし、ミロはミルク瓶をゴクゴクと喉を鳴らして美味しそうに飲んでいる。
見たくもない光景なのだが、ツバサは眼を逸らせなかった。
男心は恥辱にまみれた針の筵なのは言うまでもない。
しかし、女心──いや、母心は飲まれるごとに至福を感じているのだ。
これもまた両価感情なのかも知れない。
おかげでツバサの精神は引き裂かれそうだが──。
「んくんく……プハーッ、美味しーッ! ハトホルミルク最高ーッ!」
1瓶を飲んだだけで、ミロの疲労は吹き飛んでいた。
分析の結果──ハトホルミルクは万能薬その物だった。
牛乳瓶1本分、つまり200ml程度で効果が現れる。
疲労回復は勿論のこと、大抵の怪我は跡形もなく治る。瀕死の重傷者でも命を取り留め、飲む量を増やせば直ちに全快するのだ。
呪いや病気に状態異常、これら弱体化もすぐさま打ち消してくれる。
この時点で──万能薬とほぼ同等の効果を誇っていた。
おまけに飲んでから24時間限定だがランダムでパラメーターの上昇効果があり、定期的に飲用すればその上昇効果が定着される。
その他にも未検証だが、いくつかの強化があるらしい。
ある意味、「毎日ミルクを飲んで健康!」みたいな効能もあるのだ。
「そりゃあツバサさんが毎日アタシらに飲ませたがるわけだよね」
「……す、捨てたら勿体ないだろ!」
ツバサは顔を真っ赤にして吐き捨てる。
いくら万能薬とはいえ、男であるはずのツバサが神々の乳母として自分の乳房から搾り出した液体をみんなに飲ませるなんて……。
それが恥ずかしいのに嬉しいだなんて──!
あまつさえ、もっと飲んでほしいという母性本能まで騒ぎ出すのだ。
男であるはずの自分の内なる母心にツバサは困惑する。
「こ、これが……バブみ、というやつか!?」
わななきながら紅潮した顔を両手で覆い、ツバサは膝を床に落とした。
「うん、多分それ用法間違ってる」
またミロにツッコまれた。今日だけで何度目だ?
そんなことよりさー、とミロは赤ん坊みたいに這い寄ってくる。
「おかわり、ほしいな~♪」
「お、おかわり? 直搾りしたのならまだ持って…………ッ!?」
ハイハイで近付いてくるミロ、その真意を察した。
「ちょ、直接飲みたい……っていうのか?」
うん♪ とミロは本当の赤ちゃんみたいな無邪気な笑顔。
「ふたりっきりん時だけだからさ。ちょっとだけ甘えさせて……ね?」
そもそもツバサはミロに甘い。
表向きは厳しくしているつもりだが、実際には駄々甘だ。
だからこそ一年間もニートを許していたわけで、そんなミロに甘えられたらツバサも甘やかしたくなるわけで……。
ここが敵地だということも忘れて、ツバサはその場に正座した。
そして、自分の膝をポンポンと軽く叩く。
ここにおいで、と──。
こうなるとツバサには止められない。肉体の求めるままだ。
女として、母として──愛娘に愛されたい。
うっすら微笑みを湛えたまま、ツバサはミロを膝へと招いた。
そこにミロが飛び込もうとした──まさにその時。
「……………………──ぁぁぁぁぁぁあああああああああんにゃあッっ!?」
何者かが珍妙な悲鳴を上げつつ降ってきた。
体育館の天井を突き破っても速度を落とさず、ツバサとミロの間を遮るように横切っていくと、朽ちかけた床板をベキバキと壊していく。
ようやくスピードが落ちて、体育館の壁にめり込んで止まった。
突然のことだったので、ツバサとミロもしばらく呆然とする。
やがて我を取り戻したミロが迫真の演技で一言。
「親方、空から女の子が!」
「誰が親方だ」
降ってきたのは──1人の女の子だった。
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