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第3章 彼方に消えしは幽冥街
第58話:幽冥街に巣食う蜘蛛の女王
しおりを挟む「──アブホスとアトラクア?」
2つの名前にツバサは疑問符を浮かべた。
そうッス、とフミカは艦橋のスクリーンにウィンドウを開く。
スクリーンには触手と多脚蜘蛛が映し出された。
多面的に捉えた画像と、細部に至るまでの情報が記されている。
見聞きした情報を自動的に【魔導書】へ記録する過大能力で体内まで詳細に分析済みだ。しっかり使いこなしているらしい。
データを提示したフミカは、先に挙げた2つの名称について説明する。
「いくら襲いかかってくる敵だからって、いつまでも触手だの蜘蛛だのって呼ぶのも味気ないじゃないスか。だから、名前つけちゃいましょうよ」
「新種を発見した動物に命名するみたいだな」
フミカの言い分もわからなくもない。
連中への対策を講じる際、「触手」とか「多脚蜘蛛」と外見的特徴だけで呼称しているといずれ混乱を招く恐れがある。また「別次元からの侵略者」などと総体的な大枠で括るのも些か問題だろう。
それぞれ脅威の特性が異なるので分類しておきたいところだ。
適当に名付けた方が対処を話し合う時もスムーズになるかも知れない。
ミロも「それいいかも」と彼女なりの理論で賛成する。
「だって文章にするとさ、触手触手触手とか蜘蛛蜘蛛蜘蛛とか……字面的にも画数が多くて眼が疲れそうだもんね。カタカナにしちゃった方がいいよ」
「メタなこと言うなよ……」
艦長席に頬杖をついてツバサはぼやいた。
ハトホルフリート──艦橋内。
クロコ人形の意識を辿って北東に向かっている途中、なんとはなしに会話をしていたら、フミカがそんな話題を振ってきたのだ。
「触手がアブホスで、多脚蜘蛛がアトラクア……」
クトゥルフ神話か? とツバサは問う。
本格的には知らないが、詳しい友人から聞きかじったことがある。
「オフコースッス。だってあいつら、どっからどう見てもあそこらへんの神話生物をモデルにしたようなフォルムじゃないスか」
「それなら名前も引用……か」
アブホスの元ネタは──アブホース。
無数の触手を生やして、落とし子を生み続けては自分で食らい続けるという巨大な灰色の肉汁ような姿をした不定形の神性だという。
アトラクアの元ネタは──アトラク=ナクア。
深淵の谷で延々と巣を張り続けているという蜘蛛の姿をした神性だ。その巣が完成したとき、世界は終焉を迎えるとされている。
「ダイちゃんやバサ兄、それにミロちゃんから聞いた話じゃ触手の大王様は大きな目玉があって“シアエガ”に近いフォルムだったらしいッスけど、触手多めってことからアブホースをモデルにさせて貰ったッス」
「シアエガ……? アトラクナクアは聞いたことあるな」
ツバサもゲームで育った世代、いくつかの神性には聞き覚えがある。
たとえクトゥルフ神話に造詣が深くなくとも、そこから題材を取った作品はいくらでもあった。ゲームに登場する敵キャラに採用されることも少なくない。
だが不勉強なので“シアエガ”までは知らなかった。
その詳細についてはいつかの機会に尋ねよう。
「似てると言えば似てるな……じゃあ、今後はそう呼ぼうか」
「ヒャッホウッ! 採用されたッスーッ!」
んじゃ登録♪ とそれぞれのデータに名前を登録していく。
本当にフミカは博物学的なことが大好きらしい。襲いかかってくる敵であろうとも、未知の生物なら名付けたくてウズウズしていたのだろう。
「アブホスはもう用なしだけどねー」
アタシとツバサさんが親玉ごとやっつけちゃったし、とミロはマリナを膝に乗せたまま一緒にマンガを読んでいた。
そのマリナはウトウト舟を漕いでいる。
ドライブに飽きた子供みたいに眠りかけていた。
特等席はソファ仕立てなので、座り心地もいいから尚更だろう。
「油断は禁物だぞ、ミロ。どこかに他の空間の裂け目があれば、またアイツらが湧き出してくるかも知れないんだからな」
ツバサの太陽拳とミロのエネルギーブレイド。
あの特大2連発を食らって、まだ生きているとは思えないが──。
それを言うたら、とダインも話に参加してくる。
「多脚蜘……アトラクアなんかまさにそれじゃろ? 余所に開いた裂け目から、こん世界に乗り込んでくる侵略者じゃ。猫たちの天井画にもあったぜよ」
「触手だけじゃない、ってことだな」
検証するまでもなく、この世界は多くの魔物たちに狙われているのはほぼ確定のようだ。ネコ族が伝えてきた天井画などの証拠もある。
今後もそういった痕跡を見付けることもあるだろう。
アブホスやアトラクアなんて序の口かも知れない。
あの天井画には──数え切れないくらい異形が描かれていた。
思い返すだけでゾッとする。
「じゃあさじゃあさ、また触手大魔王みたいのがいんのかね?」
ミロの声で目が覚めたのか、眠そうにマリナも言う。
「うぅ~ん……もうウニョウニョは嫌ですぅ……」
寝ぼけているのか、ミロの胸に甘えようとする。
だが、ツバサほどではないためか「……物足りない」と寝言で呟き、それにミロがショックを受けて、マリナの頬を引っ張った。
「そりゃツバサさんにおっぱいで勝てるわけないじゃん!」
「うにぃぃぃ~……痛い痛い!? ひ、ひほはん!?」
「やめなさいミロ、それと誰がお母さんだ」
マリナは本当にマザコンだった。女の子にしては珍しい。
「いるとしたら……今度はアトラクアの王様じゃないッスかね?」
フミカの予想は決して笑えなかった。
「有り得るかもな。あいつらは見掛けこそ蜘蛛だが、どことなく蟻っぽくもある。蟻なら兵隊蟻を産みまくる女王がどこかにいるはずだ」
あの触手の王も似たようなところがあった。
アブホスとアトラクアに関係があるのかは今のところ不明だが、あのような怪物がまだまだ控えていると思うと気が滅入る。
その対策にも頭を悩まさなければならないのだから──。
「まだまだ出てくるんじゃないか、ああいう怪物がな……」
「なら……調べ放題ッスね!」
フミカは変なベクトルで歓迎していた。
この娘の未来がちょっと心配になるツバサはため息をついた。
「まったく、この博覧強記ムスメは……ダイン、もうどれくらい来た?」
話題を変えようと、ダインに現在位置を尋ねた。
スクリーンに周辺地域が映し出される。
ハトホルフリートの下にはサバンナにも似た地帯が広がっていた。以前ダインローラーで偵察に来た地点に似ている。あの時くらいの距離は稼げたようだ。
あるいはそれ以上か?
「猫族の村からざっと1000㎞くらいぜよ」
「東京から鹿児島くらいまで来たのか……速いな」
さすがは飛行船、面目躍如といったところか。
「そんでな──目的地らしきもんも見っかったみたいじゃ」
新たにスクリーンへ映されたのは──廃墟の街。
超望遠で捉えられた画像も複数のウィンドウで開かれる。そこに映るのは崩れかけてはいるものの、確かに地球の日本にありそうな町並みだった。
店の名前や道路標識には『由明』の2文字も見える。
「東京第24区、由明区……本当にあったんスね」
幽冥街の都市伝説を知るフミカは驚きを隠せないようだ。
なにせ都市伝説の実物が現れたのだから──。
「アニキ、当然じゃけどまだ攻撃するんは無しじゃよな?」
操舵席からダインが確認してきた。
ハトホルフリートが本気を出せば、あの程度の街など瞬時に壊滅できる。
なにせダインローラーまで乗せてあるのだ。
いざとなれば巨神王ダイダラスの全力砲撃さえ可能だった。
だが、その前にやるべきことがある。
クロコたちを救助した後、この異世界と現実世界との接点があの街にどれだけあるかを調べたいのだ(ツバサ&フミカの発案)。
ただ、ツバサには別の懸念もあった。
あの幽冥街には──良からぬものが巣食っている。
それに囚われたからこそ、クロコたちは助けを求めたのではないか?
どうしても、そんな危惧を抱いてしまうのだ。
本能だけで生きているミロの直観も騒ぐのか、「あの街には嫌なものがいる」という意見にも影響を受けていた。
もしそうなら──後腐れなく滅ぼすべきだろう。
そのためにハトホルフリートへ大量の兵器を積み込ませたのだ。
しかし、助けを求めてきたクロコたちの救出が最優先。その前に空爆を仕掛けて街を消し飛ばすなど言語道断である。
「当たり前だ。街にクロコたちがいるかも知れないんだぞ。無闇に攻撃して直撃でもしたらどうす…………クロコだけならまあいいか」
不意に──殺意にも似た悪戯心が湧いた。
思い出すのはクロコにセクハラされた日々──。
男なのに女体化したことをわざわざ「ムチムチ爆乳ケツデカドスケベボディなメスになられましたね」とかねっとり耳元で囁かれたり、その巨大化した胸やお尻をアバターとはいえ隙あらば撫で回されたり揉みほぐされたり、際どいラインを越してドスケベしような下着や衣装をプレゼントされたり……。
アカン、思い出した怒りだけでブチ切れそうだ。
「――全砲門、開け」
ツバサは冷徹な声で命令を下す。
これにはダイン、フミカ、そしてミロが目を丸くした。
「ちょ……本気かいアニキ!?」
「バ、バサ兄タンマ! 早まっちゃいけないッスよ!?」
「なに言ってんのツバサさん!?」
ダインやフミカはともかく、ミロにまでツッコまれた。
「いや、あいつはミロやマリナの情操教育に良くないからさ。いっそこの場で亡き者にしてもいいかなーと……」
「思ってても口にしちゃダメだよツバサさん!?」
とうとうミロはマリナを特等席に放り投げ、艦長席にまで飛んで来るとツバサの両肩を掴んでガクガクと揺さぶりながら説得した。
途中から、おっぱいを揺らすのに専念したのは気のせいじゃない。
「冗談だ冗談──ダイン、今のなし」
「りょ、了解じゃ……フゥ、焦ったわ」
ダインが額の冷や汗を拭う横、フミカがジト目で睨んでくる。
「バサ兄みたいに普段から冗談を言わない人が、ここぞとばかりにジョークをぶっ込んでくると破壊力絶大だったからやめてほしいッス……」
「……すまん、軽率だった」
だが、クロコに対しては両価感情な気持ちがある。
知人として色々と世話になったから助けてやりたい。反面、ミロやマリナに悪影響大なので葬り去りたい。ちなみに心の天秤はやや後者に傾いていた。
どちらを取るべきか──ツバサは苦悩する。
「世話になったのは事実だし……助けてやるか」
そういえばGMであるクロコには、この異世界に関する情報を締め上げて吐かせるという目的もあった。亡き者にしてはいけない。
「では、当初の予定通り、街に潜入して……」
その時──艦橋内に警告アラームが鳴り響いた。
フミカがキーボード型のスクリーンを投影させると、それをカタカタと操作して複数のウィンドウを展開させる。
彼女の索敵能力が、何らかの危険を感じたらしい。
「未確認物体の接近を感知! これは……上空から来るッス!」
それはハトホルフリートに覆い被さってきた。
「こりゃあ……網か?」
ダインの疑問にフミカが鋭く答える。
「網というか投網ッス! それも蜘蛛の糸でできた特大の!」
フミカの言う通り、それは蜘蛛の糸で編まれた巨大な網だった。
「こ、この蜘蛛の巣……船のバリアごと包んでますよ!?」
ハトホルフリートを球状に覆う防護フィールド。
マリナの過大能力を基礎にしてるだけあって防御は完璧だが、それごと包むように巨大な蜘蛛の網がこちらを覆っていた。
イメージは──スイカを包む網だ。
巨大な網に捕らえられた船は、防護フィールドごと引き寄せられる。
「街に……幽冥街に船ごと引き寄せられちょる!」
操舵輪を操るダインが懸命に抵抗する。
船体の前面にある噴出口を全部開いて逆噴射させているが、網を引く力の方が強いようだ。ジリジリと引き寄せられていく。
「網の出所を見つけたッス! 街の中央から……ッ!?」
幽冥街の中央──巨塔の如き高層ビルが建っている。
その周辺も高層ビルの関連施設なのか、いくつもの建築物が折り重なるように配置されており、高層ビルと合わさって巨大な古城に見えた。
その高層ビルの前面が崩れており、大きな穴が開いている。
まるで洞窟への入口のような大穴だ。
巨大な蜘蛛の網は、そこへ手繰り寄せられていた。
手繰り寄せているのは──大きすぎる人影。
「あれは……蜘蛛の女王様?」
一目見たミロの感想がしっくり来た。
ほとんど大穴の奥に隠れているが、網を手繰り寄せる際にチラチラと見える姿はどことなく女性的で、異様に細長い指や腕はアトラクアを連想させた。
仄暗い穴の奥で輝くのは──紫色に輝く大きな複眼。
大穴周辺に目を凝らせば、女王を守るように無数のアトラクアがワラワラと飛び出してくる。まさに蜘蛛の子を散らす、といった感じだ。
ミロの直観とツバサの危惧が的中した。
あの街には嫌なものが巣食っている──と。
恐らく、あれが幽冥街を統べる者。
アトラクアどもを率いる、新たな別次元の侵略者だ。
「親玉自らのお招きとは……幸先いいな!」
探す手間が省けたぜ、とツバサは艦長席に深く座る。
この席とラインで繋がっているハトホルフリートの出力機関を、過大能力で賦活させて最大出力まで跳ね上げる。
「アニキィ、どうすればいいんじゃ!?」
「よし──突っ込め」
はいぃ!? とダインから驚きの声が上がる。
「どうせ街に入るつもりだったんだ。招いてくれるというなら、そのお招きに応じてやろうじゃないか」
ツバサは艦長らしく余裕のある微笑みを浮かべた。
「仮にもハトホルの名を冠し、ダインが建造した飛行戦艦だ……あんな廃墟に突っ込んだところでビクともしないだろう? だったら、突っ込んでやればいい」
ついでに──ちょいと驚かせてやれ。
こちらの意図を察したダインは、侠気あふれた笑みを浮かべる。
そして、操舵輪を固く握り締めた。
「……了解ぜよ、アニキッ!」
みんなしっかり掴まちょれ! とダインは叫ぶ。
蜘蛛の網に抵抗していた逆噴射をやめ、全出力を前進へと戻す。
網に引き寄せられるまでもなく、ハトホルフリートは全速力で街の中心にある古城みたいな高層ビルへと突っ込んでいく。
この方針転換には──蜘蛛の女王も細長い腕をビクリと震わせた。
「「「ぶ、ぶぶぶ、ぶつかるぅぅぅーッ!?」」」」
艦橋でも、ミロとマリナとフミカが半狂乱で騒ぐ。
ミロとマリナは特等席から逃げ出すとツバサの胸に泣きつき、フミカは横にいたダインに縋りつく。ダインが顔を赤くしたのは見逃さない。
全速力のハトホルフリートは高層ビルに突っ込む。
神風特攻の玉砕! と見せかけて──。
「ダイン、取舵!」
「アイアイマム! あらよっと!」
高層ビルに直撃する寸前、ダインは取舵を切って船体を右斜めにずらす。
船体がビルの中腹を抉るように削りながら通り過ぎていく。
高層ビルがビリビリと震える中、その中に潜む蜘蛛の女王からの悲鳴らしきものが聞こえてきた。少しは効果があったらしい。
「どうじゃ! ちったあビビったか!」
すれ違い様、ダインは蜘蛛の女王に向けて中指を立てた。
それを見たミロとマリナまで真似をする。
子供たちが下品な仕草を覚えてしまった。マイナス100点。
「……ダイン、後でお説教な」
「なんでじゃ!? わし頑張ったじゃろ!?」
それとこれとは別件だ。あと──。
「誰がマムだ」
こうして──ハトホルフリートは幽冥街に不時着した。
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