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第2章 荒廃した異世界

第36話:次元の裂け目に居座る触手の王

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 食事と後片付けを終えたツバサたちは、ケット・シーの隠れ里がある岩山の頂上へ向かう。来たのはツバサ、マリナ、ダインの3人。

 ミロとフミカには隠れ里に残ってもらった。

 神様がみんな消えたら、ケット・シーたちが不安になるからだ。

 ツバサとマリナは魔法で飛ぶが、ダインは一風変わっていた。

 身体のあちこちにロケット噴射装置があり、それを操作して飛んでいる。アメコミに似た方法で飛ぶヒーローがいたはずだ。

「そういえばダイン君、君は神族みたいだが何という神なんだ?」

 気になったので尋ねると、快く教えてくれた。

「わしゃ機械神っちゅうやつがじゃ。デウス・エクス・マキナよ」

 なるほど──機械仕掛けの神で、本当に機械仕掛けなわけだ。

 本来の意味は違ったと思う。

 正しくは古代ギリシアの頃に命名された演劇の手法だ。

 物語の流れが複雑に入り乱れて収集がつかなくなった際、絶対的な存在(=神)が現れて物語を良いようにまとめてくれる。こうした演出を差す言葉である。

 こうした絶対神を務める役者は、クレーンや昇降機などのカラクリ仕掛けで劇的に登場するため、「機械仕掛けから現れる神」と呼ばれたのが語源とされている。それが略して訳されて「機械仕掛けの神」となっていた。

 日本ではいつの頃からか、字面そのままの意味で使われることが増えた。

 機械仕掛けの神=メカニカルでロボットな神。

 神に等しい力を発揮する巨大ロボが活躍するアニメが隆盛を極めた時代もあるため、そういう風に捉えられる文化的な土壌ができていたのだろう。

 ダインによると、サイボーグやアンドロイドもしくは自動人形オートマトンなどのSFチックな種族は、最終的にこの系統になるそうだ。

「人形神ってのもあるちゅうが……なんかおっかないぜよ」

「ハハハ、確かに君は人形っておもむきではないな」
「じゃろ? そっちのマリナ嬢ちゃんのがよっぽどお似合いじゃ」

 しかし、マリナは嬉しそうじゃない。

 むしろ嫌そうに首を横へプルプル振っていた。

「人形の神様って……ワタシもイヤです! なんか怖そう……」
「じゃろ? どーも人形ってのは好かんぜよ」

 幼女と少年は妙なところで意気投合をしていた。

「2人が怖がってるのは、もしかして日本人形じゃないか?」

「ああ無理じゃ! 実家のばーちゃん家にあったのトラウマもんぜよ!」
「ワタシもです! あの無表情が苦手なんです!」

 そんなに嫌われたら日本人形も悲しむぞ。

 人形神は別物だと思うが──どういう神だろうか?

 少しだけアルマゲドンを振り返り、他愛ない話題で盛り上がる。

 昨日までなら普通の会話だったのに、今では懐かしく思えてしまう。

 まだこの異世界に来て1日しか経っていないのに──。

 帰りたくても帰れない──ログアウトもGMコールもできない。

 帰る方法を探すどころか、この荒廃した世界でわけのわからない触手の群れに襲われて、戦って戦って、生き抜くだけで精いっぱい。

 然もなくば死あるのみだ。

 そして、この世界での死は現実リアルよりも生々しい。

 異世界への夢も希望も打ち消すほどだ。

 ゲームでなら死に戻りやデスルーラという単語があったように、死ねばログアウトできるかも知れないという淡い期待を木っ端微塵にされるほど、凄惨な死に様もこの眼で目の当たりにしてしまった。

 そもそも帰る術があるのかさえ怪しい。

 普通の感性なら発狂していてもいい頃だ。なのに、ツバサたちはまだ精神に異常をきたしていない。多少は狼狽うろたえたが、すぐ平常運転に戻れていた。

 もしや神族になったことで、精神面でも強くなりつつあるのではないか?

 あるいは精神的にも神族化する過程にあるのかも知れない。

 しかし、帰る方法が判明したとしても──気に掛かることがひとつ。

『間もなく現実世界は終焉を迎えます』

 最後のアナウンスがじわじわ心に突き刺さる。

 あの言葉を真に受ければ──帰るべき現実がもうすぐなくなるのだ。

 ならば、この世界で生きていくしかなく、運営のアナウンスは『その身体も技能も過大能力オーバードゥーイングも、そのために用意されたもの』と言っていた。

 ……考えを巡らせるほど気が滅入ってくる。

 自分が一番の年長者だという気負いがあるため、ツバサは簡単に弱音を吐くわけにもいかなった。逆境に追い込まれることも馴れている。

 あのインチキ仙人のデタラメ修行に比べたら──楽勝だ。

 神族の肉体、数多の技能スキル、過大能力というチート。

 これだけ手札カードが揃っているのだから、へこたれるわけにはいかない。

 切れる手札はまだいくらでもある。

 ガンガン戦う──戦って、戦い抜いて、生き残るのだ。

女神の身体だけはどうにかしたいが……」

 そこだけは弱音を吐きたい。すぐにでも男に戻りたかった。

 しかも、ただの女神でもお断りなのに、母の中の母オカン・オブ・オカンたる地母神なのだ。



 オカン系男子がオカン系女神になりました──笑えない。



 あれこれ考えている間に、ツバサたちは岩山の頂上についた。

 山頂には降りず、宙に浮いたまま遠くを見遣みやる。

 ここまで登ってきた理由は“あれ”を見るためだった。

「あの空が暗いところがあるじゃろ?」

 ダインが機械の指で指し示す方角、ここよりも西方の空に暗雲が凝り固まる一角があった。しかし、その暗雲には気圧による変化が感じられない。

 ツバサは過大能力【偉大なるグランド・大自然ネイチャの太母ー・マザー】により、その暗雲が天候によるものではないことを感知していた。

 あれは──もっと別物だ。

瘴気しょうき……とでも言えばいいのか?」

 禍々まがまがしくも濁った空気により、あの一帯が汚染されつつあるらしい。

 ここから見るとそれが黒雲に見えるのだ。

アニキ・・・の読みは当たらずも遠からずってところじゃろうな」

 ダインは腕を組んで鼻から息を漏らす。

 ツバサのことを『中身は年上の青年』と知り、わざわざ『アニキ』と呼んでくれるのは彼なりの気遣いらしい。感謝しよう。

「わしもな、やられっぱなしってのは性に合わん。あのグネグネどもがどこから来よるんか? そんぐらいは突き止めちゃろ思ったんじゃ」

「それが……あそこなんですか?」

 マリナが指差す黒雲を、ダインはめつけたまま頷いた。

「そうじゃ。奴らはあっこから来ちょったんぜよ」

 あの暗雲の下は海になっているそうだ。

「その海の上にでっけぇ裂け目があるんじゃ。ただの裂け目じゃないきに、空間をぶち破ったみたいなでっかいでっかい裂け目ぜよ」

「空間の裂け目か……」

 心当たりがある──老騎士との一件で目撃した“あれ”だ。

 あの裂け目からも触手が湧き出していた。あそこの裂け目は目測だが縦5mほどに裂けており、幅は2m弱くらいだったと記憶している。

 それでも触手たちはところてん・・・・・みたいにニュルニュル際限なく湧き出してきて、あっという間に数十体の群れを成すほどに増えていた。

 この隠れ里を襲う1000規模の触手を湧かせるとしたら──。

「その裂け目、どれくらいの規模かわかるか?」

「何度か偵察ドローンを飛ばしたんじゃが、途中で瘴気にやられるんかまともに近付けん……超望遠で撮影した画像で良ければあるぜよ」

 見せてくれ、とツバサが頼む前に話の腰を折られた。

「偵察ドローンって何ですか?」

 マリナはあまり縁がないらしく、どんなものか知らないようだ。

 するとダインが道具箱インベントリからサンプルを出した。

「こんなんじゃ。これを飛ばして遠くを撮影させてくるきに」

「わーっ! 可愛いですこれ!」

 ダインのドローンに、マリナは瞳をキラキラさせていた。

 その偵察ドローンはマリナの両手に納まるサイズで、まん丸のペンギンみたいな形をしていた。空飛ぶペンギンとは乙である。

「なかなか可愛いのを作るじゃないか」

 顔に似合わず──という台詞は省いておこう。

 ダインは苦笑して鼻下をこする。

「わしの趣味じゃないぜよ。フミがな──」

『ダイちゃんが作るのはスーパー系とかリアル系のロボットばっかりで女の子受けしないッス。たまにはファンシーなのも作ってみせるッス』

 その無茶振りの成果がこのペンギンらしい。

 マリナは気に入ったのか、ペンギンドローンをオモチャにして遊んでいた。

 ぬいぐるみみたいに持ち上げて、羽を動かしたり──。

 制作者としても嬉しいのか、ダインは顔を綻ばせている。

「気に入ったんならあげるぜよ」

「本当ですか!? ありがとうございます! センセイ、もらっちゃいました!」

 ダインにお礼を言い、それをツバサにも報告する。

 本当によくできた子だ──ツバサはマリナの頭を撫でてやる。

「すまないな。せっかく作ったものなのに」

 ツバサも礼を述べると、ダインは機械の手をヒラヒラ振った。

「なぁに、こがいもん手慰みじゃ。数もいるから量産しとるし、道具箱インベントリにゃあダース単位でころがっとるぜよ。大したことないきに」

 さて、とダインは機械の腕をポチポチと操作する。

「アニキがご所望なのはでっけえ裂け目の映像じゃろ? こいつの兄弟機が撮ってきたのがあるんじゃが……よし、これが一等まともに映っちょる」

 見てくれ、とダインの腕から映像が浮かぶ。

 空中に映されたスクリーンには──巨大な裂け目があった。

 やはりツバサたちが目撃したものと同様、空間が天から地へと割れている。

 この裂け目は横幅もかなりあった。

 そこから糸くず状のものが無数に湧き出している。

 超望遠での撮影でもわかる──あれはすべて、触手人間だ。

「でかいな、これは……俺たちがターマやミーケを助けた時に見たものとは比較にならないぞ……全長はどれくらいかわかるか?」

「周囲に比較できるもんがないんで、おおよそでしか……少なく見積もっても縦に100mオーバー、横幅も30m近いぜよ」

 それだけ大きければ、湧き出す触手人間も一個大隊で揃えられるだろう。

 おまけに、この隠れ里からそこまで離れていない。

 今までケット・シーたちが発見されなかったのが不思議なくらいだ。

「それと……これは辛うじて撮れたもんなんじゃが……」

 驚かんでほしいがよ、とダインは前置きする。

 新たに映されたスクリーンは、やはり巨大な裂け目だった。しかし、そこには眼を見張るほどの異物が映り込んでいた。確かにこれは驚かされる。

「これ……ウニョウニョの王様ですか!?」

 マリナの感想が、そこに映る存在を的確に言い表していた。



 巨大な空間の裂け目──そこに居座いすわるのは触手の王。



 裂け目の奥からこちらを睨むのは、巨大なひとつの眼だった。

 その眼はあれだけの裂け目からでも全貌を把握できぬほど巨大で、裂け目その物を大きな単眼たんがんに見間違えるほどだった。

 その単眼のものと思われる触手──これは長さも太さも大きさも、普通の触手とは違いすぎるので、触腕しょくわんとでもいうべきだろうか?

 触腕の1本が列車以上のサイズを誇っている。

 それが何十本も裂け目から這い出して、ユラユラと舞っていた。

「どう見ても奴らのボスだな」

 ツバサがそれを認めると、ダインはげんなりした。

「やっぱりそうじゃよなぁ……そりゃあこがいに雑魚が群れとるんじゃ、すぐ近くに親玉がデンッ! と構えちょるんは自然じゃな」

 ふと触手の王の見てくれに既視感きしかんを覚えた。

「なんだったか……そう、クトゥルフ神話にああいうのがいた気がする」

「ああ、ラブクラフトちゅうアメリカのホラー作家のやつじゃろ?」

 名前は知っちょるわ、とダインは言った。

「くとるぅふ神話……どこの国の神話ですか?」

 神話と聞いてマリナが興味を示した。

 この娘は物語が好きなのだ。小説や伝記をよく読んでいる。

 ダインは知ってる限りをアバウトに説明する。

「神話っちゅうても、そんラブクラフトさんって作家の創作じゃ。フミが大ファンぜよ。門前小僧なんとやらで、聞きかじっちょるうちに覚えたわ。触手と悪臭とグッチョグッチョのヌッチョヌッチョな、名状しがたいバケモンのお話ぜよ」

「……うん、まあ大体あってるかな」

 一目見ただけで正気を失う異次元の魔物たちの物語だ。

 あの触手の王みたいな奴もいたと思う。

 空間の裂け目がある方角を見据えてツバサは思案する。

 この異世界転移という現実から逃げられない以上、あの押し寄せてくる触手の群れからも逃げられない。奴らを我々の敵と認めざるを得ない。

 そして──黙ってられるほど人類は軟弱やわじゃない。

 殺られたら殺り返す、倍返しどころではない。敵と関連する者が完全に絶えるまで殺し尽くす。根絶やしにしなければ気が済まない。

 少なくともツバサはそういう性質タチだ。

 ミロやマリナ、家族を害する者あらば──完膚無きまでに滅ぼす。

「触手の王、か……」

 あいつが親玉なら、仕留めれば触手たちも弱まるのではないか?

 MMORPGなどでも時折ある設定だ。

 女王蟻なボスを倒せば、兵隊蟻モンスターの湧きポップも途絶える。

「……よし、あいつを倒すぞ」

 はあっ? とダインとマリナが似たような顔で口をあんぐり開けた。

「ちょ、待つぜよアニキ! そりゃ正気の沙汰か!?」
「狂気の沙汰を楽しむ余裕なんぞ俺にはない」

「センセイ、滅ぼすってことはウニョウニョの王様と戦うってことですよ!? 勝ち目なんてあるんですか、あんなオバケ相手に!?」

「うーん……ま、五分五分かな」

『自分の力を信じるな──勘違いで勝てたら苦労はしない』

 ツバサが敬愛する格言のひとつだ。

 とある作家さんの言葉だったはずである。

 勝負とは常に徹底した力学に基づく。

 結果的に運否天賦うんぷてんぷに左右されることはあれど、戦う前からそれに期待するのは愚か者のすることだ。彼我ひがの戦力を十二分に見極めてから勝負に挑まなければ、雑魚にだって足下をすくわれかねない。
 勝算の算盤そろばんをツバサは脳内ではじしていた。

「勝つための当てはあるさ──過大能力オーバードゥーイングだ」

 運営が『神にも悪魔にもなれる』と豪語したのは、あながち嘘ではない。この力は技能スキルを複合したものを凌駕りょうがし、この世界の有り様さえ変えられる。

「攻撃に使える過大能力を持った神族が3人……いや、2人いれば何とかなりそうっていうのが俺の見積もりだ。俺とまだ不確かだがミロ、それに……」

「ワタシ、じゃ無理ですよね……」

 マリナはしゅん、と気落ちしてしまう。

 この子の過大能力は完全に防御特化。将来的にはわからないが、現時点では攻撃に転用する術はほとんどない。盾型防壁と合気道をミックスさせた例の技なら使えそうだが、あの触手の王には通用しそうにない。

「気にするな。おまえはみんなを守る役なんだからな」

 ツバサはそっとマリナを抱き寄せると、彼女もしがみついてくる。

 触手の王と戦うとなれば、まずはツバサとミロの2人。

 もう1人、攻撃向きの過大能力を持つ者がいれば盤石ばんじゃくなのだが──。

「なあダイン君、君とフミカちゃんの過大能力はどんなものなんだ? 神族になっているんだから、もう覚醒しているだろう?」

 この問い掛けに、ダインは顔色を曇らせた。

 そして、申し訳なさそうに詫びる気持ちを前面に出して答える。



「わしら…………過大能力オーバードゥーイングが使えんのじゃ……」


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