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第2章 荒廃した異世界
第29話:未知だからこその異形~本当の死 ☆
しおりを挟むツバサは高速で飛行を続けた。
小脇に抱えていたミロとマリナは背中に乗せて、疲れないように体力を温存させてある。彼女たちは飛行系技能を使うとまだ消耗が激しいのだ。
「……ッ! 捉えた、誰かいるぞ」
ようやくツバサの索敵範囲である5㎞圏内に動く存在を感知した。
「それってジャジャさん!?」
「まだわからないが……数は人間っぽいのが7つ、そいつらが取り巻いている大きくて得体の知れない気配が1つ……むっ、減った?」
ツバサが索敵感覚を研ぎ澄ませると、人間らしき気配の1つ途絶えた。
その後を追うように2つ、3つ……どんどん減っていく。
気配が消えたのは、その存在から生命力が尽きかけている証。まだ距離があるので確かではないが、死に瀕しているか絶命してしまったかだ。
「大きな気配が何かしているのか? 気配が消えて……」
「ツバサさん急いで! 早く早く早くっ!」
──言われずとも!
ツバサは風魔法も重ね掛けして、飛行速度を更に引き上げていく。振り落とされそうな2人はツバサの髪にしがみついた。
~~~~~~~~~~~~
「み、見えました……って、何ですかあれっ!?」
アイテムの遠眼鏡を取り出して、向かう先を調べていたマリナが信じられないと言いたげな声を上げた。ツバサとミロも目を凝らす。
鷹の眼などの常時発動型技能なら、この距離でも確認できた。
視界に捕らえたのは──異形である。
てっきりアルマゲドンのモンスターかと思いきや違った。あんなデザインを放棄されたような造形のモンスターなど見たことがない。
「なにあれ……油まみれのぶっといゴムチューブのカタマリ?」
「ただのゴムチューブがあんな暴れるか?」
ミロの感想がほぼ正確に表現していた。
端的に言えば──ゴムチューブみたいな触手の集まり。
油を浴びたかのようにヌルヌルとした光沢を放つ野太いゴムチューブが何重にも絡まった塊だ。その頂点から生える太いチューブの先端には、眼球らしき器官が1個だけあり、その異形を取り巻く人々を睨めつけていた。
虹彩や眼孔があまりにも異形だが、それは明らかに生物の目だった。
「あれ……プレイヤーの人たちみたいです!」
異形を取り巻く人々は、ツバサたちと同じプレイヤーだ。
もう3人しか残っていないが──。
異形の足下には、多くの死体が散らばっている。
先ほど、ツバサが確認した時にいたはずの4人は、異形が伸ばしたゴムチューブに絡め取られて全身をあらぬ方向へ折り曲げられ、肉体を力任せに引き千切られ、先端を尖らせたゴムチューブに刺し貫かれていた。
あの異形は殺戮の限りを尽くしていた。
「やっとお仲間に会えたってのに……!」
この異世界に飛ばされたプレイヤーにようやく会えたかと思えば、このトラブルは頂けない。ツバサは舌打ちしながら急いだ。
ツバサたちが高速で現場に向かっている間にも、2人のプレイヤーが応戦虚しく錐のように尖った触手に全身を刺し貫かれてしまった。
生き残っているのはただ一人、そんな彼をミロは指差す。
「いたっ! あれジャジャさんだ!!」
たった一人生き残っていたのは、右腕を失ったジャジャだった。残された左腕で苦無を逆手に構えている。もう武装がそれしか残ってないらしい。
間に合った──1人だけでも助けられる。
安堵したのも束の間──。
ジャジャの苦無はあっさり折られ、避けようにも間に合わず、何本もの触手がジャジャの腹部を穿った。そして、触手は左右に引っ張られ──。
「ジャ……ジャジャさぁぁぁーんッ!?」
ミロの絶叫とともにジャジャの上半身と下半身は引き裂かれた。
「ミロ、待て──!」
これから何が起きるかを予感してツバサは制止をかけたが、ミロの耳には届いていない。ミロはツバサの背中で立ち上がって神剣を抜いた。
「……やりやがったなてめええええーーーっ!?」
女の子とは思えぬ怒号を上げ、ミロはツバサの背を蹴って飛び出す。
神でも悪魔でも構わずに噛み殺す形相でミロは吠える。高速で飛ぶツバサの速度を超え、一気に異形へと間合いを詰めていく。
異形が触手を繰り出すが、すべて神剣で薙ぎ払う。
まな板の上のタコやイカの足を包丁でスパスパ切り落とすようにだ。
怒りに駆られようとも身体は戦い方を忘れていない。ミロは成長の証を示し、友達を殺された恨みを晴らすために詰め寄っていく。
「おおおぉぉぉあああああああああーっ!」
触手がいくら来ようと、ミロの神剣はそれを断つ。
もう少しで塊に届こうというところで──変化が起きた。
「ああああああ……ぐぬっ!?」
急に触手の硬度が増したのだ。ミロの神剣で斬れぬことはないが、今までのようにザクザクと軽快に斬り払うことができなくなっていた。
触手の硬度を変えた──学習して肉体を適応させている?
このままだと神剣で断てない硬さになるのかも知れない。ツバサはマリナを途中で下ろし、速度を増して自身も特攻をかける。
「ミロ、退け!」
叱責に近いツバサの鋭い声に、ミロは振り返ることなく反応した。
触手を払って横へ飛び退き、入れ代わりでツバサが突撃する。
両手から雷魔法を放ち、触手の本体である塊に何条もの轟雷を叩き落とした。並のドラゴンなら消し炭になるほど威力がある神の雷霆だ。
これは効いたのか、触手の塊は黒こげになっていた。
ツバサは攻撃の手を休めずに稲妻を放ち続ける。
こいつは得体が知れない。正体もわからない。
用心深いツバサとしては、完全に灰になるまで焼かないと安心できなかった。雑草の根を断つ気持ちで、完膚無きまでに焼き殺すつもりだ。
ツバサの手からどれだけの稲妻が放たれたことか──。
「やった……か?」
動かなくなってきた触手の塊に、ツバサがフラグめいた一言を呟く。
すると──焼け焦げた表皮を破れた。
その奥から飛び出したのは、まだ稲妻を浴びてない新品の触手。それらは紙縒よろしく捻くれて、歪ながらも人型になっていく。
焼けた表皮を脱ぎ捨てて、本体の健在ぶりをアピールする。
「ちっ! やっぱりまだ……くぁっ!?」
触手人間は両腕の触手を解いて縦横無尽に伸ばすと、ツバサの両手両足を絡め取って拘束した。思ったよりも力が強くて振りほどけない。
「くっ、この……は、離せ!」
ツバサは手足をピンと伸ばされて、空中に大の字で固定される。
魔法を使おうとする手は触手で雁字搦めにされ、封じ込まれてしまった。電撃を出せないことはないが威力が弱まっている。
勝利を確信したのか、触手人間に余裕が垣間見えた。
肩らしき部分を上下に揺すっている。
まさか──笑っているのか?
頭らしき部分から触手を伸ばすと、ツバサの顔に近付いてくる。その先端には例の大きな眼球があり、瞼がいやらしく歪む。
やはり笑っているのだ。こいつには知性がある。
「ツバサさん!」
「センセイ! 今、魔法で……!?」
ツバサを助けようと娘たちが動き出すが、ツバサは口元だけ振り返って何も言わずに微笑んだ。これだけで彼女たちには通じるだろう。
大丈夫、任せろ──と。
「おまえ、一人前に喜怒哀楽があるみたいだな……」
それに学習能力も高い。
ミロの神剣の切れ味を体験し、すぐさま触手の硬度を上げたのだ。肉体の融通性もさることながら、人間並みの知能を有した生物らしい。
「だからこそ──騙される」
ツバサが言葉を終えた瞬間、その口が爆ぜた。
ジェット噴射を超強力にした勢いで噴き出す劫火、それが口から噴き出したのだ。触手人間は避けることも敵わずまともに浴びる。
ツバサは魔法を手から発していた。
その気になれば足でも頭でも、好きなところから稲妻を出せたのだが、わざと見せつけるように手から稲妻を放っていた。
それをコイツは見て取り、ツバサの手を真っ先に封じてきた。
思惑通り──こちらの罠にハマってくれた。
フラグめいた発言も、捕まって不利になったのもわざとである。
ツバサの口から轟々と迸る紅蓮の炎は、あの怪獣王の必殺技を模した熱線。炎魔法にいくつものアレンジを加えたものだ。
突破力と破壊力に優れた火炎の吐息。
おまけに石魔法で作った溶岩の弾を散弾のように混ぜ込んでおいたので、触手人間は黒こげの上に蜂の巣みたいになっていた。
その穴の1つ──腹の辺りに赤黒い発光体を見つける。
溶岩弾でそれが傷つくと、途端に触手人間の動きがおかしくなった。
拳銃で撃たれた人間のようによろめいたのだ。
拘束する触手も緩んだので、ツバサは力任せに引き千切る。
「──それがおまえの心臓か!」
眉間に意識を集中して、そこから一条の稲妻を発すると、触手人間の心臓と思しき発光体を過たずに破壊する。
発光体が砕けると同時に、触手人間は破裂した。
地面に散らばった触手の残骸はシュウシュウと蒸発するような音を立てて、白煙を上げながら跡形もなく消えていく。
後には、吐き気を催す悪臭だけを残して──。
~~~~~~~~~~~~
「ジャジャさん! しっかりして! 大丈夫だよ、絶対に助けるから!」
「回復魔法! センセイ、回復魔法が効きません!?」
ジャジャは右腕を失い、下半身まで千切られている。普通の人間なら即死だが、彼も神族になっていたので辛うじて息を繋いでいた。
しかし、ミロに膝枕をされたジャジャは息も絶え絶えである。
マリナが懸命に回復魔法を施しているが、効き目が現れる様子がない。
よく見ればおかしいことに気付いた。
ジャジャの上半身からこぼれる血が、あからさまに少ないのだ。
まるで何者かに奪われたかのように──。
「ミロ、代われ。そして、ジャジャに呼びかけろ。それがジャジャの意識を保たせるはずだ。マリナ、引き続き回復と修復の魔法を」
ツバサはジャジャの下半身を回収してくると、泣き喚くミロから彼の上半身を預かって膝枕をしてやり、まず上半身と下半身をくっつけた。
ミロが持っていた右腕も、二の腕の切断面に押し当てる
これで五体が揃った。回復&修復魔法で治せるはずだ。
ツバサも回復魔法と修復魔法をかけていくが──。
「……足りない? 生命力が全然ないだと!?」
回復系魔法が効果を発揮できていない。
回復系魔法は生命体の“生きる!”という活力に反応する。
だがジャジャの肉体は生きるためのエネルギーが枯渇しており、まるでミイラ同然に成り果ててしまっていた。
装備を剥いで確かめると──その肌は干涸らびかけていた。
「あの触手野郎か……っ!?」
思い返せばあの触手、執拗なまでにプレイヤーたちを刺し貫こうとしていた。
あれに刺されると生命力を奪われるのかも知れない。
ジャジャも腹を貫かれた時、生命力を奪われていたのだ。
「み……ろ、さ……ん…………つば、さ……さ、ん……」
枯れ葉を踏むような渇いた声がする。
ジャジャは閉じていた眼を開くが、その焦点は定まらない。
「よか、った……さいごに、あなたたちとあえ、て……こ、んな……わけのわからな……いところ……で……死……ぬまえに……あえて……」
残された左腕が空を掴むように持ち上がる。
「死なないよ! 死んじゃダメだよ、ジャジャさん!」
「待ってろ! 今すぐ蘇生系魔法を使ってやるから……ッ!」
アルマゲドンにも死者を蘇生させる技能はあったが、技能習得に必要なSPが非常に多く、厳しい使用制限がいくつも課せられていた。
そのため習得している者が極端に少ない。
だが、ツバサの天文学的なSPなら今すぐに習得できる。
「よし! これで蘇生魔法を……な、どうして発動しない!?」
蘇生系魔法は確かに習得した。
だが、ジャジャに使っても発動しようとしないのだ。
「魂が──足りない!?」
蘇生系魔法を使うと、ツバサの意識にそんな警告文が浮かぶ。
魂とは恐らくSP……ソウル・ポイントのことか? 蘇生するには本人を形作るほどの、即ち自身を復元できるSPを当人が保有してないといけないのか!?
なんて使いづらい! 習得者が少ないのも道理だ。
「俺のSPを使え! だから、ジャジャを助けさせろ!」
好きなだけくれてやる! とツバサが吠えても受理されない。
そういえばSPを分ける技能は存在しなかった。どれだけSPを稼いでも、それを使えるのはSPを持つ本人だけなのだ。
自身の経験を他人に分け与えることはできない。
魂の経験値は、自らが積み重ねてきたものだから当然とも言えた。
「もう、いいで、す……つ、ばさ……ん……」
ツバサの胸の位置まで持ち上がるジャジャの腕。
今にも折れそうに干涸らびたその手を、ツバサは握ってやった。
「じぶん……は、もう……た、すから……ない……わかり、ます……それ、く、らい……でも、こんなさいご……な、ら……わ、る、く……な……い……」
憧れた女神たちに看取られて死ねるのなら──。
「かわ、いい……てんしもいる……じぶ、ん、しあわせも……の」
「ジャジャさん! ジャジャさぁん!!」
ミロがヒステリックに叫ぶが、もう彼の耳には届いていない。
ツバサは己の無力さに歯を食い縛る。
彼を助ける手立てはないのか? 必死で思考回路を巡らせるが、切り札とも言える蘇生系魔法が意味を成さないのでは……。
「あ、あ……ぼく、は……わる、いこ……だか、ら……か、あさんは……」
やがて、ジャジャの口調が子供のようになった。
今際の際、走馬灯で自分の半生を振り返っているのかも知れない。
「か、あ……さん、ごめ……ん……ぼ、くを………ゆる、して……」
おいていかないで、とジャジャは最後の涙を零した。
ツバサはジャジャの上半身を抱き上げ、しっかり抱擁する。加減を間違えただけで壊れそうなほど脆くなった身体を抱き締めた。
「許すよ──お母さんはあなたを置いてどこにも行かない」
もうツバサには、これぐらいしかできることがない。
この一瞬だけでも、母親になってやるぐらいのことしか……。
「だから、安心して……眠りなさい……」
やがて安らかな吐息が漏れ──ジャジャの身体は力を失った。
ミロの泣き叫ぶ声と、マリナの啜り泣く声が聞こえる。
せめて彼の魂だけでも癒せたのだろうか?
そのことを想いながら、ツバサもただただ涙を流していた。
~~~~~~~~~~~~
この世界での死は本物だ。現実と同様、逃れる術はない。
そして──永遠の別れもある。
ジャジャとの別れは、ツバサたちにそれらの事実を突きつけてきた。
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