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第1章 VRMMORPG アルマゲドン
第19話:A『だから両方ぶっこみました』
しおりを挟むカポーン、と風呂桶の鳴る音が響く。
男女それぞれの脱衣所から中に入ると、そこには秘湯アスクレペイ湯が誇る浴場が広がっていた。源泉掛け流しの湯船はプールどころの大きさではなく、ちょっとした池みたいなサイズはある。水泳もできそうだ。
イメージは巨大な屋内温水プールだが、身体を洗うためのシャワーなども完備されているところは温泉や公衆浴場っぽい。浴場に男女の別はない。
即ち──混浴である。
「水着を着てたらあんまり関係ないよな……海外もそうだけど」
暖簾の『男』『女』は単に脱衣所が別々だということを表していただけ、浴場内は別に『男湯』『女湯』に別れてはいない。
ホッとしたようなガッカリしたような……ツバサは複雑だった。
どのみち女性の脱衣所は刺激的だったが──。
「どうしてアルマゲドンは装備を換える時、現実とほとんど同じ着替えをしなけりゃいけないんだろうな……理解に苦しむシステムだ」
おかげでミロやマリナの着替えを目の当たりにしてしまったし、数こそ少ないが他の女性プレイヤーの裸まで目撃してしまった。
そして、自分の変わり果てた身体も──見ざるを得ないのだ。
「だけどまあ、もうなんか馴れてきたわ……」
人は順応する生き物だ、とはよく言ったものである。
日本人離れしたサイズの爆乳も、確実に安産型をオーバーしている巨尻も、本当のカモシカみたいに張りのある太股にさえ動じなくなってきた。
アバターに着せる女性下着にドギマギしたのも今は昔だ。
「しかし……ッ! 女物の水着、しかもビキニとは……ッッッ!?」
こんなものを着せられて冷静でいられる男はいない!
構造的に下着と大差ないのに、どうしてこうも羞恥心を刺激されるのか? 気持ちの問題なのか? 下着で人前に出るのと変わらないからか?
いくら自問自答しても答えは出ない。
いつも着ているジャケットを意識した真紅のビキニ。
せめてもの抵抗として被覆率のある布地が多めのものを選んだが、それでも油断するとツバサの胸は大きく揺れ動き、すぐにズレてはみ出しそうになる。
「諦めなよツバサさん。そのスタイルじゃワンピースタイプは着られないって番台のアキちゃんも言ってたじゃん。あの人、ツバサさんと同類よ?」
しきりに水着の位置調整をするツバサにミロが声を掛けてきた。
ミロも衣装のドレスを意識した青い水着。一応、ワンピースタイプだが脇腹部分の生地がないので、パッと見はビキニに近いセクシーなデザインだ。
最初ミロは──無茶ばかり言っていた。
『これがいい! ブラジル水着、1回着てみたかったんだー♪』
『却下! 絶対にNO! 動画が削除されるわ!』
それはもう水着というよりヒモだった。
別名スリングショットとも呼ばれる、代表的な危ない水着だ。
『むーっ……あ、じゃあこれこれ、ホタテ貝で大事なとこ隠すやつ!」
『昔のグラビアモデルか!? それもいけませんッ!』
『もーっ、ツバサさんはいちいち細かい……やっぱりオカンじゃない』
『誰がオカンだ!?』
監修と規制を経て、ようやくこのワンピースに落ち着いたのだ。
ツバサとしてはこの際どさもやめてほしいのだが……。
当の本人は保護者の気持ちなど露知らずだ。
「アキさんもJカップ、ツバサさんもJカップ。そこまで乳がデカすぎると普通の水着じゃまともに入らないから、ヒモで調整の効くビキニのがいいって」
「あー、言われたよ、言われました! とっくり説明されました!」
もう聞きたくない! とツバサは両耳を塞いだ。
Jカップってなんだよ、Gカップですら爆乳だろ。これもう奇乳とか超乳とかって笑われるレベルじゃないのか? とツバサは泣きたくなった。
「あの、センセイ、元気出してください……その、似合ってますよ?」
マリナは控え目に慰めてくれた。
ツバサやミロと違い、マリナのはお子さまらしい可愛い水着だ。
ファッションピンクのワンピースタイプ。胸元に大きなリボン、腰回りにはフリルをあしらっている。年相応、よく似合っている。
「似合っていると言われてもなぁ……」
正直、恥ずかしくて逃げ出したい。許されるならタオル5枚ぐらい使って全身を隠したい。しかし、湯船にタオルをつけるわけにはいかない。
温泉や銭湯に置いて、それはルール違反だ。
「……で、ミロ。おまえは何をしてるんだ?」
ミロは少し屈んでツバサの前に正面を向いたまま立つと、ツバサのボリューム満載な乳房を自分の肩に乗せていた。そして、意味不明のドヤ顔。
「うん、重そうだから支えてあげようと思って!」
「……余計なお世話だ」
アルマゲドンには重力や慣性が本格的に実装されておらず、アバターは物理演算で「そんな感じがする」というだけに留まっている。
実装された日には、この乳房は本当に邪魔となろう。
「そうだ! ワタシ、今日からツバサさんのオッパイを支える仕事に就職するよ! 時給500円くらいでいいから、ね?」
「そんな仕事は求めてないし、時給500円で食っていけるか!」
せめて最低900円は欲しいところだ。
「ミロさんミロさん! ワタシも……ワタシもそれをやってみたい!」
「おっ、マリナちゃんもやってみる? おっぱい保持職?」
仕事名まで名付けたミロは、マリナに場所を譲った。
ミロの身長だとちょうど肩でツバサの両胸を支えられるが、マリナの小ささだと頭までしか届かない。そのマリナの頭に胸がのしかかり……。
「お、重っ!? 首の耐久力がメリメリ減ってます!?」
「攻撃判定アリって判断されてるの!?」
重力や慣性はないけど、ウェイト差によるダメージ発生などの計算は自動的に行われるので、ツバサの乳房の重みがマリナの首にダメージを与えたらしい。
慌ててマリナを避難させ、抱き締めるミロ。
「ツバサさんのおっぱい、本当に凶器だったとは……」
「セ、センセイ、ごめんなさい……ワタシが未熟なばっかりに……」
このガキども──完全にツバサのおっぱいで遊んでいた。
「おまえら……あんまり俺で遊ぶと泣くぞ」
本当に哀愁を漂わせた男泣きで涙を流してしまう。
さすがにやり過ぎたと思ったのか、ミロたちはコクコクと頷いた。
「それじゃあ、今度はこのプールみたいな温泉で遊ぶぞー!」
「あ、ミロさん待ってー!?」
ミロが走り出すと、マリナも一緒になって走り出した。
「こら待て、風呂場で走ると……」
呼び止めても時既に遅し。
「はがべっ!?」
「ぴぎゃん!?」
案の定、スッ転んだ。ミロは仰向けになって後頭部を強打、マリナは強かに尻餅をついた。相当痛かったのか、どちらも悶絶している。
「あ、頭が痛い! 割れるように痛い! いや、これは割れてるかも!?」
「安心しろ、おまえのLVなら床が割れる」
事実、床に亀裂が走っていた。
「センセイ、お尻が……わ、割れちゃったかも知れないです……ッ!」
「尻は最初から割れてるものだ」
マリナの尻は小さいから、多少腫れても目立たないだろう。
さっきいじめられたお返しだ。冷たくあしらう。
風呂桶にお湯を汲むと、2人におもいっきりぶっかけてやった。
しかも源泉近くから汲んだ熱いものを──。
「ほら、湯船に入る前によーく流しておけよ」
「「ギャアアアーッス!! 熱い熱い熱い熱い熱いあつぅーいっ!?」」
「ハハハハハ、賑やかじゃのう」
一足先に入っていたドンカイは、もう湯船に浸かってのんびりしていた。頭に畳んだタオルを乗せて鼻唄まで歌っている。完全にオヤジだ。
中で待っとるぞ──その言葉に偽りはない。
「……最初から教えといてくださいよ」
ツバサはムスッとしたまま、唇を尖らせて文句を言った。
中に入るまで、こういうタイプの浴場とは思いも寄らなかったのだ。
「ちょっとした遊び心じゃて。ドキドキしたじゃろ?」
ドンカイはイタズラ小僧みたいに微笑む。
「ドキドキしたどころじゃないですよ……それに、どっちみち脱衣所でえらい目に遭いました……男だってバレたらどうしようかと……」
「せっかくの女性アバターじゃ。役得と思っておけばええではないか」
そういってドンカイは豪快に笑い飛ばす。
「そこまで大らかな気持ちにはなれませんって……」
そもそもツバサは動画の視聴者たちにも『偽物の女で申し訳ない』と心の中で謝りながら、この女性アバターでプレイしているのだ。
多くの人を騙しているので、申し訳ない気持ちいっぱいである。
「……動画が人気なのが余計に辛いです」
「生真面目な男じゃのぅ。今時の若者にしちゃ珍しいくらいじゃ」
「このアバターじゃ説得力ないですけどね……」
物憂げなツバサを見て、ドンカイは「ふむ」と眼を細める。
「しかし……本当に別嬪さんじゃのう」
「変な気を起こさないでくださいよ横綱? 俺はあなたを力士としても武道家としてもゲーマーとしても尊敬してるんですからね?」
ツバサが釘を刺すと、ドンカイは「わかっとる」と鷹揚に答えた。
「ところで……ワシは乳より尻派なんじゃが。ちょっとこう背を向けてしゃなりしゃなりと歩いてみてくれんか? 20歩でええから」
「……軽蔑していいですか?」
ツバサが放り投げた風呂桶を、ドンカイは避けずに頭で受けた。
「冗談じゃ、流してくれ──風呂だけに」
まあ入りなさい、とドンカイは手招く。
ツバサも身体に湯をかけると、ゆっくりと湯船に身を沈めた。
「おまえらもいつまでのたうち回ってるんだ。お風呂に入りなさい」
まだ転がっているミロたちにも声をかける。
「は、はぁい、お母さん……まだズキズキする」
「わ、わかりましたお母さん……ううっ、お尻が腫れちゃいました……」
「誰がお母さんだ」
肩までしっかりつかりながら、いつもの返しだけは忘れない。
ミロたちもはしゃぎすぎたと反省したのか、静かに温泉に入るとツバサを見習って肩まで浸かり、大人しく身体を温めていた。
やがて、パラメーターの値が改善されていく。
「あ、疲労値が目減りしてってる。ガンガン減ってる、ドンドン減ってる……おお、何これスゲェ……こんなに疲労値が減ったの初めて見た」
ミロはステータス欄を見て感嘆の声を上げる。
マリナも驚いているが、彼女は別のことにも気付いたらしい。
「それだけじゃないですよ、ミロさん……微妙にいくつかのパラメーターが上がってるみたいです。体力とか俊敏性とか……どうして?」
「疲労値が解消されたせいじゃろ」
ドンカイは大きな両手で湯を掬って顔を洗った。
「疲労値のせいで滞っていたパラメーターが本来のものに戻っただけじゃ。現実に照らし合わせれば、『温泉に入って疲れが取れて身体の凝りがほぐれた』というところじゃな……ったく、よくできとるわい、このゲームは」
「よくできてるって……」
いくらVRゲームとはいえ、そんな現実の人間に起こるような現象をプログラミングできるのか? 個人差があるとしたら膨大なデータが必要だぞ?
異世界の現実をゲームに落とし込もうと──。
そんなドンカイの戯言が、少しだけ現実味を帯びた気がした。
それから5分──それがミロたちの限界だった。
「できた……できましたよミロさん! 前人未踏の水上歩行!」
マリナはぺたぺたと水面を歩いていた。
この快挙にミロはガッツポーズで吠えている。
「よし、やっぱイケる! 水面スレスレに盾型防壁の魔術を一列に並べて、そこを歩いていけば水面を歩いてるようにしか見えない!」
「はい、これで盾型防壁の使い道に幅ができました!」
「OK! 次はビーチ板として使えるか検証をしよう!」
「その次はサーフボードですね!」
ミロとマリナは湯に浸かるのも飽きて、温水プールに来たノリではしゃいでいた。湯船が異様に大きいのと、他にお客が少ないのが幸いだ。
他の客に迷惑をかける様子もないし、説教するのも面倒になってきたので、ツバサは彼女らを放っておくことにした。
どうせ貸し切りみたいなもの。自分ものんびり羽根を伸ばすことにした。
「ところでなぁ、ツバサ君」
同じようにのんびりしていたドンカイが、不意に話し掛けてきた。
眼を閉じたまま天井を見上げ、こちらを向かずに言う。
「やはり、eスポーツプレイヤーとして活躍するつもりはないのか?」
「またその話ですか……」
アシュラ時代、よく勧誘されたのを思い出す。
この秘湯に誘われた際、その話を蒸し返すのではと予想していたが、ドンカイは最初からそのつもりだったらしい。
ツバサも瞳を閉じたまま、少しだけうなだれる。
「アシュラの頃にも言いましたよね。ゲームはやりますけど、表舞台に立つつもりはありませんよ……大会出場とか真っ平御免です」
「やれやれ、君もか……」
聞けばアシュラ時代、天魔ノ王や獅子翁にも断られたらしい。
彼らもオンライン界隈では名の売れたプレイヤーだが、決して表舞台には立とうとしない。匿名のままネット上にその存在だけが知れ渡っていた。
ツバサも似たようなものだが、彼らほどではない。
「そういうのは、獅子翁の弟子のミサキって子とか、焔☆炎が頑張ってるじゃないですか。あの子たち、高校生や中学生でも大会優勝の常連でしょう」
「うむ、我が委員会でも名前が挙がっとる」
ドンカイはeスポーツ振興委員会の理事を務めている。
彼は隠れたeスポーツプレイヤー、即ち凄腕ゲーマーを発掘してはプロデビューさせることに熱心だった。それに情熱を持って取り組んでいる。
「eスポーツは今でこそ立派にスポーツのひとつとして認知されたが、頭の固い連中は未だに『所詮ゲーム』と揶揄しよる……ワシはそれが腹立たしい!」
だからこそ、世に知らしめたいのだろう。
ツバサや獅子翁のような、想像を絶するプレイヤーがいることを──。
「ツバサ君、君の腕なら奴らを黙らすことも……ッ!?」
ドンカイは真剣な顔で説いてくるが、ツバサはそれを手で制した。
「俺はもう……できないんです……」
ツバサも中学生の頃までは、そういう大会の常連だった。
姫若子ミサキや焔☆炎のように、中学生ながら大会優勝を重ね、それこそ何連覇もしたので有名人でもあった。
だが、ある日を境にそれをふっつりとやめた。
誰も悪くない──何も悪くない。
ツバサも、ゲームも、大会も──。
だけど、それが──ツバサの家族を壊した。
大好きで、大事で、大切な、かけがえのない家族を壊したのだ。
一度は心を失ったツバサだが、御覧の通り自分を取り戻すことができた。一時は触れることさえ恐れたゲームもできるようにはなった。
幼い頃はeスポーツプレイヤーになるのが夢だった。あの頃の自分なら、喜んでドンカイの誘いに乗ったはずだ。きっと舞い上がったことだろう。
だが──もう無理だ。
強烈なトラウマが全身を苛み、息もできないほど居竦ませる。
恐ろしい記憶が鮮明に甦り、ツバサを発狂へ追い込もうとするのだ。
「eスポーツ選手になるとか、ゲーム大会に出るとか……考えただけでおかしくなるんです。俺はもう……その道で生きていくつもりはありません」
「しかし…………ッッッ!?」
食い下がろうとしたドンカイが言葉に詰まった。
その理由をツバサも察知し、うなだれていた顔を跳ね上げる。
ミロが──こちらを睨んでいた。
全てを射殺す殺意を込めた両眼で、ドンカイを見据えている。その小さな身から発せられる気迫は、世界を塗り替えるような威力があった。
ドンカイは──戦慄していた。
横綱として各界の頂点に立った男さえ脅かす迫力。
その眼は口ほどに物を言い、「おまえ、ツバサさんを困らせたな?」とドンカイを敵視している。放っておけば襲いかかりそうな殺気を発して──。
「──ミロっ!!」
「…………ん、あれ? ツバサさん、何?」
ツバサが声をかけると、いつもののんきなミロに戻った。
「……おいで、ミロ」
「んー? よくわかんないけど……は~い♪」
ツバサが両手を広げて招くと、ミロはお湯をザブザブとかき分けてツバサの胸に飛び込み、乳房の谷間に顔を埋めて猫のように喉を鳴らしていた。
あまりの豹変振りに、ドンカイは温泉に浸かりながら冷や汗をかいている。
「まさか、今の……無意識か!?」
小声で尋ねてくるドンカイに、ツバサは無言で頷いた。
ミロは時折──こうなる。
特にツバサが苦しんでいたりすると、その原因を消そうとして人間が変わる。それこそ世界さえ敵に回す勢いで圧倒的な気迫を振りまくのだ。
「肝が冷えたわい……末恐ろしいお嬢ちゃんじゃな」
その娘は何者なんじゃ? とドンカイはどこか怖々と訊いてくる。
甘えてくるミロを抱き締めて慰めるツバサは、ミロのことをどう説明するべきか悩んだ挙げ句、飾らない本当の気持ちを込めてこう答えた。
「俺の家族ですよ──たった1人のね……」
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