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孫悟空は前科何犯? 後編

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 ──孫悟空は前科何犯か?

「今のところ、四つの海の龍王から如意棒を初めとした武器や防具を恐喝きょうかつして、冥府にあるデスノートみたいな生死簿から自分の名前を削って……2つですよね」

 資料整理の手を休めた源田げんだ信乃しのは指折り数えた。

 すっかり休憩モードに移行した彼女は、来客用のソファに腰掛けると緑茶を片手にお茶請けの煎餅せんべいを小さな口でパリポリ囓っていた。

 身体の線が細い割にバストやヒップの発育が良すぎるのか、黒のスーツを着込んでいてもキツいらしく、ワイシャツのボタンはいつも外れているので無防備だ。谷間が覗けそうになることもあるが、逆神は注意もしないし目もくれない。

 性欲を発散したければ、家に帰ってカミさん・・・・を抱けば済む。

「余罪微罪は数あれど、西遊記の世界観として重要な罪は2つだな」

 四大龍王から武器や防具を巻き上げた恐喝罪──これが1つ目。
 冥府十王の生死簿を書き換えた公文書偽造──これが2つ目。

「しかし、招安の聖旨によってこれらは黙認された」

 逆神はデスクから来客用ソファへ移ると、自分の一休みを決め込もうとヤクザ顔負けの横暴な座り方で腰掛け、煎餅を五枚重ねでバリボリと頬張った。

「これから巻き起こす大罪と比べたら、ちゃっちいものだしな」
「……一体何をやらかすんですか」

 信乃は恐いような呆れるような、それでいて期待するような声を漏らす。

 期待以上のものになると予感しながら、逆神は話を進める。

「天界に召された孫悟空はあまりに不作法ぶさほうだったため、天帝の前でも道理を弁えない行動をして神将たちに怒られたりするも、『所詮下界のサルだから物を知らぬのも無理はない』と大目に見られ、天帝より役職を与えられることになった」

 しかし──天界の宮殿にはどこにも欠員がなかった。

 あるのは御馬監おうまや(馬屋のこと)の執事くらいのものだという。

『では孫悟空を弻馬温ひっぱおん(馬屋の番人、馬飼のこと)に任じてつかわす』

 こうして悟空は天界の馬、天馬を管理する馬番となった。

 弻馬温となった悟空は真面目に働き、おかげで天馬たちはすくすくと肥えて、その評判は上々だった。同僚の馬番たちも悟空の働きに感謝した。

「あれ? 『猿が馬屋にいると安全だ』って伝承がありますよね?」

 言わずとも気付いた信乃に花丸をあげたい。

「ユーラシア大陸の遊牧民から伝わったとされる信仰だな。馬屋で猿が番をしていると厄除けになる。馬屋を火事から守ったり、馬が病気にならないそうだ」

 孫悟空が弻馬温に任じられたのは、この信仰の表れである。

「……というのはもはや定説だな」

 この「馬屋で番をする猿」の信仰は日本にも伝わっていた。

 日光東照宮には“見ざる、聞かざる、言わざる”で有名な三猿の彫り物がある。

 これは東照宮に捧げられた神馬の暮らす神厩舎しんきゅうしゃに彫られているものだが、三猿を含めて16匹もの猿が彫られている。これらの猿は神厩舎のお守りでもあるのだ。

「悟空のおかげで天馬は健やかに育つ。だが、やがて彼は気付いてしまう」

 馬番の仕事は天界でも最下層──未入流みにゅうりゅう(官位なし、等級外とうきゅうがい)だと。

 これを知った悟空は怒り狂った。

『花果山では妖獣妖怪妖王たちの大王と尊ばれ、眷族たる猿たちからは太祖たいそと敬われた、この孫悟空が……ただの馬飼だと!? ふざけんなこんちきしょうがあぁ!!』

 怒髪天を衝く勢いの悟空は、天界を後にして下界の花果山へ帰ってしまう。

 天帝が任命した仕事を放棄してしまったのだ。

「つまり……第三の罪は職務放棄ってことになるんですか?」

「それは勿論だが天帝の任命、つまり天命てんめいに背いたんだ。職務放棄どころか造反……謀反むほんと捉えられても文句は言えない。まあ、反逆罪だな」



 孫悟空第3の罪は──天命により授けられた職務の放棄から来る反逆罪。

   ~~~~~~~~~~~~

「花果山に帰ってきた悟空を、家臣の猿たちや妖怪が大喜びで出迎えた」

 話を聞いてみれば、悟空が天界に召されてから十数年も経っているという。ここで初めて天界と下界では時間の流れがまったく違うということが明かされる。

「浦島太郎みたいなものなんですかね?」
「西遊記では『天界の1日は下界の1年』になっているそうだ」

 便りがなかったことを心配していた猿たちに悟空は詫びるも、猿たちは悟空が天界で立身出世したと信じて『喜ばしいことだ』と励まし合っていたという。

 それを聞いた悟空は悪びれた。

 自分が馬番にしかなれなかったことを素直に打ち明け、みんなの期待に答えられなかったことを『面目ない……』と恥ずかしげに謝ったのだ。

 これを聞いた猿たちは天界の所業に憤慨ふんがいし、悟空の辛さを我が身の辛さのように怒った。そして、悟空の憂さ晴らしのために大宴会を催すことになる。

「この宴会に──思わぬ来客が現れるんだ」

 彼らは西遊記における重要なファクターを持ち込む。

 大宴会の最中、孫悟空にお目通りを願ったのは2人の独角どっかく鬼王きおうという鬼。

 以前から悟空は有能な妖怪たちを集めて手下に加えていたので、自分たちもそこに加わりたいと願っていたのだが、なかなか思うように行かず、ついには悟空が天界に召されてしまったのでタイミングを失してしまっていたらしい。

『ですがこの度、天界の籍を授かり晴れてお帰りとの由、こうして馳せ参じた次第にございます。大王様に相応しい赭黄袍しゃこうほうを持参いたしました。どうぞお納めくださいませ』

「赭黄袍ってあまり聞き慣れないお土産ですね」
「要するに天子さまのお召し物、最高に偉い人が着るべき代物だな」

 独角鬼王はお祝いの印とお近づきの印を兼ねてこれを進呈。
 できれば自分たちを家臣に加えてほしいと願い出る。

 その赭黄袍の見事な出来映えに悟空は一目惚れ。天界での顛末てんまつも吹っ飛ぶくらいに喜ぶと独角鬼王を部下として迎え入れ、さっそく赭黄袍を羽織った。

 天界での件を聞いた独角鬼王もまた、天帝の処遇に異を唱えた。

『大王様ほど知徳に優れて広大無辺な神通力を備えた御方に馬番などとは見る目がない……大王様は“斉天せいてん大聖たいせい”と名乗られてもおかしくありませんのに』

 斉天大聖──天に斉しい大聖人!

 この響きをいたく気に入った孫悟空は全ての山々にお触れを出す。

『今日から俺のことは斉天大聖と呼ぶこと! 大王と呼ぶのは罷り成らぬ! さっそく我が旗を立てよ! 七十二洞の妖王たちにも伝えておくように!』

「斉天大聖って肩書、ここで初めて出てくるんですね」
「孫悟空の名前のが通りがいいから、意外と知らない人もいるけどな」

 名前に関して──ちょっとした蘊蓄うんちくがある。

「実は孫悟空、猪八戒、沙悟浄には、それぞれ2つの名前が用意されているんだ」

 そして、孫悟空の斉天大聖のように、猪八戒と沙悟浄にも肩書がある。

 沙悟浄の天界における役職名は捲簾けんれん大将たいしょう

 天帝の身辺警護を司る護衛隊のトップであり、捲簾とは天帝の尊い姿を隠すための御簾を巻き上げる役目も仰せつかっているという意味合いだった。

「沙悟浄という名は法名──観音菩薩が名付けたものだ」

 天界で罪を犯して(貴重な瑠璃るりの杯を誤って壊した)下界に流され、流砂河に棲み着いて人食いのバケモノとなっていた彼を説得して三蔵法師の弟子になるよう促した際、仏弟子として名付けられた名前だ。
 
「その後、改めて三蔵法師の弟子になった際、沙和尚さおしょうという名も与えられている」

 弟子入りの際、剃髪した沙悟浄を見て『そうしていると和尚のようだぞ』と三蔵が褒めた際、あだ名のような通り名として名付けたものだ。

 猪八戒の天界における役職名は天蓬てんぽう元帥げんすい

 天蓬とは天ノ川のことで、元帥とは海軍の総大将のこと。つまり、天界を流れる天ノ川の水軍のトップという意味合いになる。

「猪八戒もまた観音菩薩に法名を与えられている──名は猪悟能ちょごのう

 彼もまた天界で罪を犯して(月の女神をナンパした) 下界に流されたのはいいが、間違って雌豚の腹に宿ってしまい、豚の妖怪に転生してしまった。グレて暴れているところを観音菩薩に諭され、三蔵法師の弟子になるよう勧められた経緯がある。

「グレていた頃、とある女性にその腕前を見込まれて、用心棒がてら結婚してるし、三蔵法師が来るまでとある庄屋の娘に婿入りしたりもしてるけどな」

 三蔵法師に弟子入りした時点で離婚させられているが──。

「何気に×2バツニなんですか猪八戒!? 豚なのに!?」
「豚のがモテることもある。ポルコ・ロッソとかモテモテじゃないか」
「紅の豚はカッコいいじゃないですか!?」

 まあ、猪八戒が妻帯者ということはあんまり重要ではない。

「そんな猪悟能が三蔵法師の弟子になった時のことだ」

 猪八戒は三蔵法師にこんなお願いをした。

『お師匠様に出会う今日という日まで、アッシはひたすら我慢に我慢を重ねてきました! なので、精進落としでお肉食べたい酒を呑みたいドンチャン騒ぎしたい!』

『……おまえ、仏門なめてんの?』

 ワガママぶっこく猪悟能に、三蔵法師はお説教を噛ました。

『仏門に入るにしては、そなたは欲が多すぎる……よって仏門における8つの戒めを守るという意味を込めて、猪八戒という名前を授けましょう』

「そして、どういうわけか猪八戒こちらの名前が定着してしまったんだ」 

 最後に──斉天大聖・孫悟空。

 悟空の名前は先述の通り、須菩提祖師より授けられたものだが、三蔵法師の弟子になるよう孫悟空を諭す際に初めてこの名を知ることとなった。

 悟空の名前を知った観音菩薩は驚いたという。

『孫悟空……おお、なんと奇遇なこともありましょう』

「この時点で観音菩薩は、沙悟浄→猪悟能の順で説得済みだった。どちらにも“悟”の一字を与えて、3人目の悟空には最初から“悟”の文字が入っていることに運命的なものを感じたみたいだな」

 このようにして──三蔵法師のお供は選ばれた。

「その孫悟空もまた三蔵法師に弟子入りすると、衣服をまとって三蔵の乗る馬を引く姿がお寺に仕える小坊主さんみたいに見えるので、孫行者そんぎょうじゃという名を貰っている」

「あ、西遊記のプロトタイプに登場するっていう玄奘さんのお供ですね」

 信乃はちゃんと話を聞いていた。感心感心。

「こうしたところにも西遊記が完成するまでの変遷が窺えるな」

 役職『斉天大聖』 法名『孫悟空』 通称『孫行者』
 役職『天蓬元帥』 法名『猪悟能』 通称『猪八戒』
 役職『捲簾大将』 法名『沙悟浄』 通称『沙和尚』

「そして、中の人は堺正章、岸部シロー、西田敏行(もしくは左とん平)……」
「おまえ古いこと知ってんなぁ!?」

 今度は逆神がツッコんでしまった。

 信乃が挙げたのは、実写ドラマの西遊記で三蔵法師のお供を演じた俳優たちだ。

「この間、神○川TVで再放送やってたから見ました」
「ああ、そうか……人気作だから何度も再放送されているもんな」

 かくいう逆神も何度目かの再放送でお目に掛かった口だ。

「……三蔵法師のお供にして弟子となる三匹の妖怪は、かつて名を馳せた天界の神将であるとともに、大罪を犯した犯罪者でもある。そんな彼らが罪を悔いて仏門に入り、仏教のために尽力することで罪を許される……という仏教教化のお話でもあるわけだ」

「観音菩薩と三蔵法師、それぞれに法名を授けていたわけですね」
「三蔵法師のはどっちかつぅとあだ名だけどな」

 親しみを込めたニックネームと言い換えてもいい。

「少々話は逸れたが、こうして孫悟空は斉天大聖と名乗るようになった」

 ところ変わって天界──。

 悟空の職務放棄はとっくの昔にバレており、生家でもある花果山の水廉洞へ帰ったことも把握済み。天界の軍勢を差し向けて引っ捕らえるように話が進んでいた。

『そのお役目、どうぞ我ら臣にご下命ください』
『我ら親子、その不届き猿めを引っ捕らえて御覧に入れましょう』

「名乗り出たのは托塔たくとう李天王りてんのう(毘沙門天)とその三男、哪吒なた三太子さんたいし

「哪吒三太子って哪吒なたくのことですか? 封神演義に登場する……」

「その神怪小説も今ではかなり知名度が上がってるからな。だが、ナタクと読むのは翻訳家の安能あのうつとむ氏が訳した……まあ、その訳し方に賛否両論あるが……封神演義でのみ使われている読み方だ。そこからの派生作品でもナタクと呼ばれているな」

 正しくは哪吒なたである。

「哪吒は孫悟空に肩を並べるほどの人気者でな。封神演義に限らず西遊記にも登場しているし、他の神怪小説でもちょくちょく顔を出している」

 それは悟空にも言えることで、多くの作品にゲスト出演していた。

 名乗り出た哪吒親子を見て天帝は安堵する。

 どちらも天界の神将ではトップクラスの実力の持ち主だからだ。

『そなたたち親子が行ってくれるか……これは心強い』

 さっそく天帝は2人に軍役の肩書を授けると、兵を率いて下界に出兵することを命じ、悟空の討伐してくるように言い渡す。

「花果山に攻め込んできた天界の兵たちを、悟空は真っ向から迎え撃った」
「悟空らしいといえばらしいですね」

 戦いが始まる前、悟空は先鋒の神将に声高らかに告げた。

『天界の者はどいつもこいつも見る目がねぇ! 俺を昇進させるなら今度は斉天大聖の地位につけやがれ! そうすれば俺は暴れねぇからいくさも回避できる! 天地四海も静かになるから万々歳だろ! さもなくば……』

「天帝の宮殿に押し入って天帝が玉座にいられないようにしてやる、と」
「取引材料も酷いですが、また脅迫してますよね!?」

 天に唾を吐いて弓を吐いてるのだから、これも大罪といえば大罪である。

「もっとも、これから天兵相手に戦争するんだから立派な反逆罪なんだけどな」



 孫悟空第4の罪は──天界との戦争を引き起こした戦争犯罪。



「第一次孫悟空討伐戦争の始まりだ」
「今、第一次って言いました!? 第二次第三次があるんですか?」

 それは──物語を辿ってのお楽しみだ。

   ~~~~~~~~~~~~  

「第一次孫悟空討伐戦争は──あっさり終結する」

 先鋒の神将が大口を叩きながら惨敗。その彼を庇うように悟空と戦った哪吒三太子も、善戦こそしたものの敵わず、悟空の神通力が自分を上回ることを痛感させられた。

 哪吒の実力には、父親である托塔李天王も敵わないことがある。

 そんな息子に『悟空は私より強いです』と認められてしまえば、いくら天兵をけしかけようとも、毘沙門天たる自分が出陣しようとも敵わないのは眼に見える。

 哪吒は悔しいながらも父親に提言する。

『あの猿は自らを斉天大聖と称しており、この官職に任ずるのならば兵を退くと申しておりました。ここは玉帝陛下に申し上げて、あの猿の要望通りにするしか……』

『何を馬鹿げたことを申すか我が息子よ!?』

『……でなければ、いつか彼奴あいつは本当に天宮まで攻めてくることでしょう』

 哪吒の言葉に托塔李天王は青ざめる。

「これ以上は現場の判断ではどうにもならない、ということで天界の兵は一時撤退を余儀なくされる。一方、天界を打ち負かした悟空には賞賛の雨あられだ」

「そりゃあ妖怪たちの支持率は爆上げでしょうね」

 義兄弟の六魔王も招いて、呑めや唄えやの祝勝会となった。

『そうだ義兄弟たちよ。俺が大聖を名乗ってるんだ、諸君も大聖を名乗るがいい』

 悟空は牛魔王たちにも大聖の肩書を勧める。

 牛魔王改め──平天大聖。
 蛟魔王改め──覆海大聖。
 鵬魔王改め──混天大聖。
 獅駝王改め──移山大聖。
 獼猴王改め──通風大聖。
 𤟹狨王改め──駆神大聖。

「ここに斉天大聖を初めとした7人の大聖が揃ったわけだな」
「残念ながら、牛魔王以外は影が薄いですけどね」

 しっかり取り上げられている割には、西遊記の旅の道中で活躍(悪役としてだが)するのは牛魔王くらいのものである。

「その頃──天界では悟空対策に天帝が頭を悩ましていた」

『たかが妖怪猿一匹……どうしてこんなに手間取るのか?』
『たかが猿、されど猿、といったところでしょうか……一筋縄ではいきますまい』

 悩む天帝の相談役として、太白金星は新たな策を講じた。

『ここは哪吒の申していたように、彼奴あやつを望み通りの斉天大聖に任ずるべきかと』
『そんなことをすればあの馬鹿ザルが調子に乗る一方ではないか?』

「正論ですよね」
「ああ、正論だな。しかし、太白金星はそれを込みで言ってるんだ」

 亀の甲より年の功だ。

 老人の姿をした太白金星は玉帝の心配を考慮した上で、『孫悟空を斉天大聖という役職に任ずる理由』を蕩々と並べ立てた。

『なぁに、あの妖怪ザルに物事の善し悪しや大小なぞわかりますいまい。名目上の官職を与えて、職も録も権限さえも与えず、天界に飼い殺しにしておけば良いのです』

 天界の神将でも名うての哪吒をも上回る神通力の持ち主。

 その好戦的な性格から、いざという時は矢面に立たせて戦わせることもできる。戦力の隠し球としても非常に優秀であろう。

『さすれば天地安泰にして、四海の波も静まることでしょう』

「お……大人って汚い! 太白金星さんズルい!」
「君だってもう立派な大人だろう」

 信乃の必要以上に育った乳尻太股を眺めながら言ってやった。

「天帝はこれまでの経緯があるので不承不承だが、下手に軍を動かして被害を被るよりはマシかと判断したらしく、太白金星の案を承認した」

 かくして──悟空は再び天界に招かれる。

 官位は最高の斉天大聖(ただし、仕事もなければ権限もない。ただ偉いだけ)。

 これを悟空は大喜びで承る。

蟠桃園ばんとうえんという仙人の桃がなる桃林。そこに悟空のための斉天大聖府が建てられ、悟空はそこで毎日酒を飲んで飯を食ってのんべんだらりと過ごすようになった」

「ある意味、究極のニートですよね……」
「ニートっつうか……権威だけは最上級の窓際族って感じかな」

 天界という社会の中で天帝や太上老君(最高位の仙人)に次ぐ、官位的には一番偉くはあるけれども、仕事もなければ給料も払われず権限も一切ない。
(※斉天大聖府を初めとした天界での衣食住は経費で落ちる……らしい?)

 やっぱり──究極の窓際族である。

「ここで終わってれば『めでたしめでたし』になんでしょうけど……」

 どうせまた悪さするんですよね? と信乃はいぶかしげな眼で訴えてくる。

「わかってきたじゃないか」

 ボクらの孫悟空はまだまだやらかしてくれるのだった。

   ~~~~~~~~~~~~

「正式に斉天大聖と任ぜられた悟空だが、言った通り偉いだけ。仕事がないから毎日暇に任せて遊び暮らし、星々を神格化した天界の神々と出会い、上下の区別なく兄弟のような交際を重ねて、天界での交友関係に幅を広げていた」

「なんだかんだで社交性はあるんですよね。いや、世渡りが上手いのかな?」
「どっちも相通ずるものではあるな」

 世渡り下手な後輩に見習えと言っとけ、と逆神は信乃を焚きつけた。

 すると信乃は自分のことみたいに頬を膨らましてむくれる。

「わた……信一郎くんは別に世渡り下手ってわけじゃ……」

「引っ込み思案で人見知りなところはあるだろ。俺がもっとフィールドワークに行けと言っても聞かないし……そういう奥手なところは悟空を見習ってほしいものだ」

「…………はぁい、わかりました」

 信乃は自分が叱られたかのように逆神の説教を聞き入れた。

 遠縁の親戚というが、外見のみならず性格までよく似ているものだ。

「元より天界で飼い殺しにすると決定されていた悟空だが、あんまり暇を持て余させると、退屈しのぎに何をしでかすかわからない怖さもある」

 そのように進言された天帝は、悟空に簡単な仕事を命じることにした。

「それが斉天大聖府の置かれた蟠桃園ばんとうえんの管理だ」

 蟠桃とは仙人の桃──女仙人の最高位にある西王母せいおうぼの所有する桃のことだ。

「この蟠桃は仙人のための桃というだけあって、そんじゃそこらの桃じゃない」

 蟠桃園の桃の木は全部で3600株ある。

 この内、前側に1200株。

 これは3000年に一度熟す桃で、花も小さく実も小さい。
 人間がこれを食べれば仙人となり、体は健やかで身は軽くなるという。

 蟠桃園の中ほどに1200株。

 6000年に一度熟すこの桃は八重の花を咲かせ、その実はとても甘い。
 人間がこれを食べればかすみに乗って空を飛び、不老不死になるという。

 蟠桃園の後ろ側に1200株。

 9000年に一度熟すこの桃は大きく紫の紋様があり、その核は浅黄あさぎ色に染まる。
 人間がこれを食べれば天地に等しく、日月と同じだけの寿命を得るという。

「そんな貴重な桃を──悟空は盗み食いで食い荒らした」
「どうしてつまみ食いで満足できないんですか!?」



 孫悟空第5の罪は──蟠桃園の貴重な桃を食い荒らした窃盗罪。



「蟠桃園の管理を任されたのをいいことに、見廻りと称して蟠桃園に赴くと『東屋あずまやで一休みしてくる』と嘘をついて林に潜り込み、ちょくちょく盗み食いをしたんだ。それが回数も重なれば、蟠桃園の桃だって目減りしていくというものだ」

「熟すのに小さい実でも3000年かかるんですもんね……」

 そんな簡単にポンポン増えるものではない。

「この西王母の蟠桃は、仙人たちにとっても大事で果実でもあるんだ」

 仙人は不老不死とされるが、それは絶対ではない。

 首をねられたり重傷を負えばちゃんと死ぬので不死身でもなく、人間のように不摂生を重ねれば身体を損なって老いもするし死にもする。

「だからこそ仙人たちは胎息たいそくを初めとした身を養う仙術を怠らず、西王母の蟠桃を戴いて不老不死の力を更新したりもする」

 西王母は定期的に蟠桃ばんとう勝会しょうえという盛大な宴を開催する。

 日本風にいえば“桃の節句”みたいなものだが、ここで供される蟠桃を振る舞われることで、天帝を初めとした神仙たちは不老不死の力を刷新さっしんするわけだ。

「食べ物で不老不死を維持する……世界的に見られるテーマですね」

 信乃の記憶力と着眼点はなかなかものもだった。

 逆神が敢えて触れずとも、ちゃんと言及してきてくれた。

「確か……北欧神話ではイドゥンという女神の管理するリンゴがそうでした。それを奪われたため神々が老いてしまうというエピソードがあったはずです。他にもインド神話における霊薬アムリタの争奪戦や、ギリシャ神話のネクタルにアンブロシア……」

「特別な飲食による不老不死というのは、世界に幅広く伝播でんぱしていたようだな」

 それも研究材料として魅力的だが、ここでは西遊記の話を進める。

 蟠桃勝会のメインは蟠桃──その収穫の時期を迎えた。

 西王母は侍女を務める仙女たちに蟠桃を集めてくるように命じて、仙女たちは蟠桃園に出向いて桃狩りを始めるが、どうにも違和感を覚えてしまう。

 それもそのはず──大きな桃はほとんど悟空が食べてしまったのだ。

 それでも頑張って桃を集めていると、たらふく蟠桃を食って木の上で居眠りをしていた悟空を起こしてしまう。悟空は彼女たちを『桃泥棒か!?』と勘違いする。

「盛大にブーメランが刺さってません?」
「盗っ人猛々しいとはまさにこのことだな」

 しかし、仙女たちが事情を説明すればあっさり納得。

『蟠桃勝会かぁ……どんなお歴々が参加されるんだい?』

 悟空の質問に、仙女は前回の参加者をざっと読み上げる。

『おやおや、どなたか大切な方(自分のこと)を忘れてはないかい?』
『いいえ、これで全員です。間違いありません』
『俺の名前がないじゃないか、斉天大聖たる俺が除け者はおかしいだろう?』
『今挙げたのは前回の参加者様ですので、今回はどうなのか存じ上げませんわ』

 仙女を小言で責めてもらちが明かない。

 そう思った悟空は彼女たちを金縛りの術で拘束すると、蟠桃勝会がどんなもんかを覗きに行くことにする。さっそく雲に乗って会場へと向かった。

「その途中、赤脚せっきゃく大羅仙だいらせんという仙人に出会い、言葉巧みに騙くらかすと嘘の会場を教え込んだ。そして、彼の姿に化けて蟠桃勝会にまんまと潜り込んだ」

「これも罪の1つと数えるべきですよね?」
「まあ……うん、そうだな」

 蟠桃を食い荒らしたことやその他の罪が天帝に報告される際、赤脚大羅仙も『あの~、自分も悟空に騙されたみたいなんですが……』と訴えに来ている。



 孫悟空第6の罪は──赤脚大羅仙を騙してその姿を語った詐欺罪。



「乗り込んだはいいものの、蟠桃勝会はまだ準備中だった」

 豪勢な料理に極上の仙酒、これを見た悟空は辛抱堪らなくなってしまう。

「仙術で会場の準備に携わっていた者たちを全員眠らせると、酒も料理も手当たり次第に飲んで食って、ここでもまた徹底的に食い荒らしてしまったんだ」

「仙人になったっていうのに食欲旺盛すぎやしませんかね?」

 いわれてみれば──仙人らしからぬ振る舞いである。

 霞を食って生きるのが仙人、など揶揄されるものだ。本来、仙人は飲食に頼るものではないのだが、悟空は大食漢で大酒飲みだ(猪八戒もそうだけど)。

「だからこそ“猿”なのかも知れないな」

 我慢ができない、道徳を知らない、理性より欲望が勝る──畜生の浅ましさ。

「だからこそ悟空は蟠桃園の桃も、蟠桃勝会の料理も酒も、みんな食い荒らすのさ」



 孫悟空第7の罪は──蟠桃勝会の酒や料理を食い荒らした詐欺罪。



「無銭飲食は立件すると詐欺罪らしいからな」
「赤脚さんを騙したことに続いて、また詐欺罪ですか……」

   ~~~~~~~~~~~~

 蟠桃勝会の料理をたらふく食って、極上の仙酒を浴びるように飲み干した。

「強かに酔っ払った悟空はフラフラ千鳥足でうろついていると、気付けば天界の一番上にある兜率宮とそつきゅうという太上老君の住まいに迷い込んでいた」

太上たいじょう老君ろうくんって……仙人で一番偉い老子ろうしのことですよね?」

 実在の人物とされているが、様々な伝承や残した著書が仙術にまつわるものだったため、時代を経るに連れて格上げをされていき、いつしか最高の仙人とされた御方だ。

『ちょうどいいや、老君にゃあ一度お目見えしたいと思ったんだ』

「酔った勢いもあって、悟空は臆することなくズカズカと乗り込んでいた」
「この猿、本当に怖い物知らずですねぇ……」

 こんな状況で太上老君に出会したら、各方面から大目玉を食らいそうなものだが、酔っ払った悟空はノリノリで兜率宮の奥まで踏み込んでしまう。

 しかし、幸か不幸は兜率宮には誰もいなかった。

「兜率宮の奥まで行くと、そこは太上老君が霊薬を練ったり仙人の力を宿した道具を作る工房でな。炉の周りには練り終わったばかりの丹が瓢箪ひょうたんに詰められていた」

 ひょうたんは5つ、その中にいくつもの丹が詰まっている。

 丹とは──仙人が作る不老不死の霊薬。

「それも仙人最高位である太上老君が手ずから練った丹だ。一粒食べれば刃が通じず炎で焼かれず、雷に打たれてもへっちゃらな金鋼きんこうの身体になれる逸品だ」

「チート級の無敵ボディになれるわけですね。あ、まさか……」

 その“まさか”である。

「悟空は5つの瓢箪に詰まっていた丹を──1粒残さず食った」

「まだ食い足りないですかこのお猿さんは!?」



 孫悟空第8の罪は──太上老君の金丹を盗み食いした窃盗罪。



「これはまあ薬品を盗んだようなものだからな」
「1粒で十分だというのに……どうして全部飲んじゃうかなぁ……?」

 信乃も後輩によく似て共感性が高いようだ。

 逆神が語る物語に、孫悟空のやらかし具合を我が事のように反省している。

「さすがに『やりすぎた』と悟空も感じたらしい」

 このまま天界にいたら重罪で裁かれると思った悟空は、事が露見する前にさっさと下界へ逃げた。しかし、悟空のやらかしたことはすぐにバレる。

 西王母、蟠桃勝会の準備係、太上老君、赤脚大羅仙……。

 悟空の被害者たちが次々と天宮に訴えてきたので、さすがの天帝もブチ切れた。

「天帝はかつてない規模で天兵を動員、十万もの兵を悟空討伐に派兵した」

 これが──第二次悟空征伐戦争の始まりである。



 そして孫悟空第9の罪──再び天界に牙を剥くという反逆罪である。

   ~~~~~~~~~~~~

 多くの神将が率いる十万の天兵VS悟空が率いる猿と妖怪と怪獣の軍勢。

「その戦いは熾烈を極めたが、個々の兵士の力は天界の方が優っており、悟空の軍勢は次々と負けて捕らえられてしまう。もっとも、悟空の眷族たる猿たちは上手いこと逃げ切ったが、他の妖怪や怪獣たちは為す術なく捕虜になったらしい」

 しかし、悟空は身外身しんがいしんの術(実体のある分身を作る術)で対抗。

 自分の分身を大量に作ることで、十万の天兵をも圧倒した。

 戦争は一進一退、天兵が退くこともなければ、悟空が捕らえられることもない。

 天界でもあたふたしていると、そこに西から訪ねてくる者がいた。

「蟠桃勝会には西方浄土の仏たちも招待されているんだ」

 釈迦しゃか牟尼むに尊者そんじゃを初めとした御仏みほとけたち。

 彼らも蟠桃勝会を楽しみにしていたのだが、今回はいつまで経っても連絡が来ないことを不思議に思い、観音菩薩が弟子の恵岸えがん行者ぎょうじゃ(哪吒の兄で木叉もくさともいう)を連れて様子見に訪ねてきたのだ。

 天界は『猿1匹にこの有り様……』と恥を忍んで、事の次第を説明する。

 事情を察した観音菩薩は、恵岸行者に花果山での戦争の偵察を頼む。

『成り行き次第では戦の手助けをしても良いし、件の猿と手合わせしても構いません……ただし、必ず報せを持って帰ること……よろしいですね?』

『畏まりました、お師匠様』

「戦場に赴いた恵岸行者は父親である托塔李天王に挨拶をして戦況を確認、自らも悟空と戦ってみるがまるで歯が立たない」

 托塔李天王は部下に救援の上奏文を託して、恵岸行者とともに天界に帰らせた。

 実のところ──救援はこれが初めてではない。

 何度も何度も求められる増援に、天帝はもう呆れかえるしかなった。

『信じられん……なんなのだ、あの猿は』

 十万の天兵を以てしても捕らえられぬ悟空は、もはや天界の手に負えない災厄となりつつあったが、ここで観音菩薩が天帝にある神将を推薦した。

『玉帝陛下、甥御おいご二郎じろう神君しんくんに応援を頼んでみては如何いかがでしょう?』

 玉帝の妹が下界恋しさで天界を降りていき、そこで楊君という男性と恋仲に落ちて男の子を産んだ。これが長じて二郎神君と呼ばれる神将となる。

「神様としての出自を辿れば、蜀という国で治水のために働いた李冰りひょうという人物が死後に神格化されたのだが、時が移るにつれてその次男である李二郎に神格が移っていき、水害の元凶たる水の邪龍を討ったのはこの二郎ということになっている」

 彼と父親の李冰を奉るびょうは四川省の灌県の西北、灌口かんこうにある。

 そのため灌口二郎とか灌口神とも呼ばれているのだ。

 親子ともに治水の神とされているが、特に二郎神君は水害の原因となる悪龍を退治することで有名になっていき、彼の霊験を現す逸話は増えていった。

「この二郎神君も神怪小説によく登場する神なのだが……『封神演義』の楊戩ようせんと同一視されることがあるんだ。武器や能力が似ているし、同じ名前の哮天犬こうてんけんを飼っている。定説とされがちな説だが、否定する説も少なくない」

 中国神話に限らず、あらゆる神は長い歴史の中で様々な側面を見出されてきた多重像である。二郎神君と楊戩の神格は、どこかでニアミスしている可能性もある。

「西遊記と封神演義を綴った人たちが、それぞれ同一の神格からインスパイアしたキャラクターなのかも知れませんね」

「! ふむ、そういう着眼点もあるな」

 妙なところで鋭い指摘をしてくるのも、後輩そっくりでドキリとさせられる。

「観音菩薩はそんな二郎神君を推したんだ」

『あの方は天界の手に余る妖怪を何匹も倒しておりますし、お側には梅山の六兄弟という猛将を従え、1200の神兵を預かっております』

 その神通力は──悟空に匹敵するほど広大無辺。

 この推薦を天帝は受け入れ、二郎神君に出兵を要請した。

 二郎神君はすぐさま梅山の六兄弟と神兵を引き連れて参戦。

 しかし、悟空は二郎神君のことは知っていたが『大したことねぇだろ、さっさと帰って四大天王(毘沙門天たちのこと)を連れてこいや』と小馬鹿にする。

「これに二郎神君は──キレた」
「そりゃまあ怒るでしょうね。悟空の言い方もよっぽどだったのか……」

 2人の戦いは一騎打ちとなった。

「両者ともにウルトラマンみたいに巨大化して戦ったと思えば、悟空が自軍の不利を見て一次退却すると二郎神君がそれを追いかけ、様々な動物に変化しながら逃げる悟空を追い立てるように二郎神君も追いかけ……それでも決着はつかなかった」

 悟空と二郎神君の激闘が繰り広げられるところへ──彼らが降臨する。

「天帝、太上老君、観音菩薩が舞い降りてくるんだ」
「あ、トドメを刺しに来ましたね」

 信乃の予想通り、彼らはこの戦争に終止符を打つためにやってきた。

 観音菩薩は浄瓶じょうへい(僧侶が飲料水や手を清めるために水を入れて持ち運ぶ容器)を柳の枝を手に取る。彼は浄瓶の清められた水を柳の枝で打ち振るい、様々な奇跡を起こせる。

 それで二郎神君を助けようとしたのだが──。

『お待ちを菩薩殿──焼き物は割れる恐れがありますでな』

 太上老君が差し止め、自らの金鋼琢きんこうたく(太上老君が金丹を混ぜた鋼で作った霊験あらたかな腕輪。様々な神通力を発揮する)で手助けすると申し出る。

「金鋼琢は独りでに飛び交い、悟空の後頭部にクリーンヒットした」
「人間でも野球の硬球が当たったら即死ものですよ」

 さすがに悟空が死ぬことはなかったが、この一撃により身体の力が抜けてしまい、二郎神君の従える哮天犬に噛みつかれ、強かに打ち据えられてしまった。

「天地を巻き込んだ第二次悟空討伐戦争は、こうして終結を向かえた」

 孫悟空の捕縛によって──。

   ~~~~~~~~~~~~

「ここまで悪さをしたからには極刑は免れないでしょうね……あれ? でもそうなると、お釈迦様の出番がなくなるんじゃありませんか?」

「まあまあの読みだな。話の道筋を読んでいれば当然の疑問だが」

 信乃の疑問を解消するべく、逆神は孫悟空最後の罪を解き明かしていく。

「おまえの睨んだ通り、孫悟空は極刑だ。天界に罪人として引っ立てられた悟空は、あらゆる手段を持ってして処刑されたんだが……」

「あ、そういえば……とんでもないもの食べてましたっけ」

 太上老君の練った丹──これがあだとなった。

 丹を食い尽くした悟空は不老不死どころか不死身となっていた。

「その通り、首を落とそうにもまさかりの刃は通らず、炎で焼き殺そうにも火に焼かれず、雷を落として粉微塵にしようともケロリとしている……これが金鋼の肉体だ」

 そこで丹を作った太上老君は一計を案じる。

『丹は我が八卦炉はっけろを用いて練ったもの……この八卦炉は森羅万象のすべてを焼き尽くせる唯一無二の炉でございます。この炉にて悟空を49日間焼き続け、奴の心身を焼き滅ぼし、丹のみを取り出すのは如何いかがかと』

 この計画は採用され、孫悟空は八卦炉で焼かれることになった。

「孫悟空は焼却処分されるけど、丹は無事なんですね」
「元々、不滅の精髄せいずいとしての丹を作るための炉だからできることなんだろう」

 だがしかし──悟空はこれに耐えた。

「八卦炉の八卦というのは、易学えきがくでいうところの自然界の一切合切を象徴するものだ。陰陽から四象ししょうが生まれて八卦となる……この八卦には自然現象が割り当てられる」

 八卦の内、“巽”たつみは風を司り、火を消すものだとされている。

「悟空は八卦炉の巽に該当する部分に隠れて、すべてを焼き尽くす炎から免れたのさ」
「悪知恵が働くというか機転が利くというか……」

 ただし、八卦炉の中で滾る炎は伊達ではない。

 それに耐えきった悟空の不死身さも褒め称えるべきものだが、炎が燃え上がったあとに巻き起こる煙に悩まされ、結果的に火眼かがん金睛きんせいという真っ赤な目になってしまった。

「これは悟空の身体的特徴として後々語り継がれることとなる」

 そんなこんなで──49日が過ぎた。

「太上老君は『さすがの斉天大聖も灰になってることじゃろう』とホクホク顔で八卦炉を開けて、丹を取り出そうとすれば……生きてた孫悟空に吹っ飛ばされた」

「どっこい生きてた釜の中、ですね」
「どっかで聞いたようなフレーズだなそれ」

 若いくせに意外と古いことを知っている。誰に仕込まれたんだ?

 八卦炉を飛び出した悟空は大暴れ。



 孫悟空第10の罪──天界での乱闘騒ぎ。暴行や器物損壊など多数。



 唯一取り上げられてなかった如意棒を片手に天界中を暴れ回り、怒りのままに多くの宮殿を全壊させたり半壊させたりと、その勢いは留まるところを知らない。

 どれだけ天兵を送り出しても押さえつけられず、勢いは増すばかりだった。

『これはもう……私の手に負えんな』

 天帝は孫悟空が自分の手に余る存在だと認め、釈迦牟尼尊者に助けを求めた。

   ~~~~~~~~~~~~~

「……というわけで、天帝からの要請で駆けつけた釈迦如来が、暴れる悟空に持ち掛けた勝負がさっき話したものだ」

「ああ、だから『勝負に勝ったら天宮を譲り渡す』って約束になるんですね」

 信乃も得心がいったらしい。

「じゃあ、孫悟空の罪は──前科10犯ということになりますね」

第1の罪──龍王たちから武器や防具の恐喝罪。
第2の罪――生死簿の改竄という公文書偽造。
第3の罪──天命の職務を放棄したことによる反逆罪
第4の罪──天界との戦争を引き起こした戦争犯罪。
第5の罪──蟠桃園の貴重な桃を勝手に食べた窃盗罪
第6の罪──赤脚大羅仙を騙してその姿を騙った詐欺罪。
第7の罪──蟠桃勝会の酒や料理を盗み食いした詐欺罪。
第8の罪──太上老君の丹を盗んだ窃盗罪。
第9の罪──再び天界に牙を剥いた反逆罪からの戦争犯罪。
第10の罪──天界での乱闘騒ぎ。暴行、建造物損壊、放火、器物破損、他多数。

「こんだけやらかしたら、そりゃあ岩山の下に封じ込まれますよねぇ……」

「極刑にしたら西遊記はじまらんしな」

 律儀なことに信乃はちゃんとメモを取っていた。
 後輩もそうだが、こういう筆まめなところは昨今の学生に見習わせたい。

 逆神は満足げに頷いた。

「……さて、そろそろ次の講義の時間だな」

 逆神はお茶請けに残っていた煎餅を残さず頬張ると、ぬるくなったお茶で流し込みながら席を立った。講義用の資料をまとめながら信乃に仕事を言い付けておく。

「じゃあ、今の話を簡潔にまとめて資料にしておいてくれるか。さっき小テストをやらせた学生たちに、答案用紙とセットで叩きつけてやる」

 ついでに採点もしておいてくれると助かる、と逆神は任せてみた。

「はい、それぐらいなら何とか……資料は簡潔にと仰いますがどんな感じで?」

「簡潔といったらわかりやすくに決まっているだろ」



 サルでもわかるようにな──逆神は皮肉な笑みのまま部屋を出た。


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