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40話 緊急手術
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「すぐ手術するかのう。
裂傷が深部組織まで達しとる。コウモリ姿じゃちんまくて縫えん。
手術台に上がってすぐ、ヒトガタになれ。合図したらじゃぞ。
出血性ショックで死にたくなければな」
「溝口先生、相変わらずおひとりですか。
私が補助をしましょうか」
西村先生は、この病院とは縁が深そうだ。
溝口医師はにひひ、と笑って、「教師を犯罪者にはできんから、できる程度で手伝いをしてくれるか」とはっきり告げた。
素人に人間の治療はさせない、老医師のプライドを感じた。
「そっちの兄ちゃんもだ。
手伝ってもらうことは山ほどあるからなあ」
トイレから駆け戻ってきた令一に、タイミングよく溝口医師が声をかける。
患者一名、医師一名、素人補佐二名での手術が始まった。
僕は意識を保つ必要があり、手術は部分麻酔。
気絶してしまうと、僕は自力で傷の出血を止めることができなくなる。
手術着とマスクで全身を覆った三人を見ていると、自分が医療ドラマにいるような現実感のなさを感じた。
溝口医師の指示で、輸血パックが令一に渡される。
「こいつは輸血ができない」と慌てて説明する令一に、溝口医師は「そりゃわかっとるよ」と返した。
溝口医師は、輸血パックのチューブ連結部分にプラスチックストローを突き刺し、人に戻った僕の口元に持っていった。
「口から飲めば、なーんの問題もない。
この傷を縫い終わるまで三時間か、四時間か。
どんどん飲んでもらうから覚悟せいよ」
輸血パックから血を飲むことになるなんて。人生何があるかわからない。
部分麻酔でよくわからないけれど、もう手術は始まっているようだった。
僕は、ストローから輸血パックの中身を吸い上げた。
……って、うわ。
「……うぇっ」
「桐生!?」
吐きそうにえづく僕に、令一が飛びついて顔を覗いてきた。
溝口医師が、手は止めずに笑った。
「ふっはははは、マズイじゃろ。
今までとれたての刺身しか食ってなかった奴が、初めてスーパーの刺身を食った気分じゃなあ。
生臭くて、しかも薬臭い。全血製剤にゃ保存液が入っとるからな。
それ高いんじゃから吐くんじゃないぞい」
茶化したような言い方と、明るさの中の優しさ。
遠い昔に死別したおじいさんを思い起こさせる。
懐かしさで、こんな状態でも少しリラックスできた。
一年程度しか一緒にいられなかった、おじいさん。
姿は全然違うけど、溝口医師は、雰囲気が似ている。
僕はごくり、と輸血パックの血を嚥下した。これは軽く拷問だ。すさまじい不味さだった。
カプセル薬の中身を剥き出した苦味を、安物のシロップであえたような?
昔、スーパーの生魚から吸血できないか試して、しこたま吐いたのを思い出した。
今は思い出しちゃだめだ、本当に吐いてしまう。
僕はこれを飲み続け、止血を試みて手術を手伝わないといけないんだから。
……地味にきつい。
僕は、手術開始から一時間もたたずに意識を失ってしまった。
そこからは、溝口医師、西村先生、令一が頑張ってくれて、首の裂傷縫合は四時間強で終わったと、あとから聞いた。
次の日の昼に目覚めた僕は、すさまじい首の痛みに耐えきれず、点滴だけでは足りないと鎮痛剤を要求した。
令一は僕の隣の簡易ベッドで泥のように眠っていて、西村先生は帰宅したとのこと。
「よう生き残ったもんじゃ、えらいえらい。
たちの悪いのに目をつけられたな。生かす気のない噛み方じゃった」
鎮痛剤を注射しながら、溝口医師は淡々と言う。
ヴァンパイアの治療に手慣れたお医者様。
ヴァンパイアが来やすいようになのか、看護師一人置かず、自分だけで看板のない病院に勤めるお医者様。
「どうじゃ、痛みは」
「なんとか耐えられます」
「ふっはははは、兄ちゃん相当我慢強いようじゃが、医者の前でそれはいかん。
痛いなら痛いと言わんとな。
自分に起きたことは口で言わんと、なーんも伝わらんよ。
儂が気づくまで待たれると、処置が面倒じゃからな」
「すみません……。
本当に大丈夫です。危険な痛みはしませんから。
……。
殺されるかと、思いました」
あの時の恐怖を思い出す。
容赦なく噛まれ、血を啜られた激痛、肉が裂かれる感触。
不思議と、あの男性に対してはさほど怖くなかった。
ここで死ぬかもしれないことが怖くて、令一に会えなくなるのが怖かった。
「頸動脈が無事だったのは、相手が手練れの証じゃよ。
アレ噛むと、返り血でえらいことになるからの。
手練れっちゅうことは……。
たぶん、何人かやられとるな」
「はい、たぶん」
名刺にあった名前。下坂昂司。
彼は殺人者で間違いない。被害は、ひとりやふたりじゃない。
彼は上条さんを狙っていた。伝えないと。保護しないと。
「僕、いつ退院できますか。
できれば今すぐ出たいです。やることがあって」
ぱこん、とファイルらしきもので、優しく頭を叩かれた。
「最短で見積もって二週間」
「ええっ!?」
つづく
裂傷が深部組織まで達しとる。コウモリ姿じゃちんまくて縫えん。
手術台に上がってすぐ、ヒトガタになれ。合図したらじゃぞ。
出血性ショックで死にたくなければな」
「溝口先生、相変わらずおひとりですか。
私が補助をしましょうか」
西村先生は、この病院とは縁が深そうだ。
溝口医師はにひひ、と笑って、「教師を犯罪者にはできんから、できる程度で手伝いをしてくれるか」とはっきり告げた。
素人に人間の治療はさせない、老医師のプライドを感じた。
「そっちの兄ちゃんもだ。
手伝ってもらうことは山ほどあるからなあ」
トイレから駆け戻ってきた令一に、タイミングよく溝口医師が声をかける。
患者一名、医師一名、素人補佐二名での手術が始まった。
僕は意識を保つ必要があり、手術は部分麻酔。
気絶してしまうと、僕は自力で傷の出血を止めることができなくなる。
手術着とマスクで全身を覆った三人を見ていると、自分が医療ドラマにいるような現実感のなさを感じた。
溝口医師の指示で、輸血パックが令一に渡される。
「こいつは輸血ができない」と慌てて説明する令一に、溝口医師は「そりゃわかっとるよ」と返した。
溝口医師は、輸血パックのチューブ連結部分にプラスチックストローを突き刺し、人に戻った僕の口元に持っていった。
「口から飲めば、なーんの問題もない。
この傷を縫い終わるまで三時間か、四時間か。
どんどん飲んでもらうから覚悟せいよ」
輸血パックから血を飲むことになるなんて。人生何があるかわからない。
部分麻酔でよくわからないけれど、もう手術は始まっているようだった。
僕は、ストローから輸血パックの中身を吸い上げた。
……って、うわ。
「……うぇっ」
「桐生!?」
吐きそうにえづく僕に、令一が飛びついて顔を覗いてきた。
溝口医師が、手は止めずに笑った。
「ふっはははは、マズイじゃろ。
今までとれたての刺身しか食ってなかった奴が、初めてスーパーの刺身を食った気分じゃなあ。
生臭くて、しかも薬臭い。全血製剤にゃ保存液が入っとるからな。
それ高いんじゃから吐くんじゃないぞい」
茶化したような言い方と、明るさの中の優しさ。
遠い昔に死別したおじいさんを思い起こさせる。
懐かしさで、こんな状態でも少しリラックスできた。
一年程度しか一緒にいられなかった、おじいさん。
姿は全然違うけど、溝口医師は、雰囲気が似ている。
僕はごくり、と輸血パックの血を嚥下した。これは軽く拷問だ。すさまじい不味さだった。
カプセル薬の中身を剥き出した苦味を、安物のシロップであえたような?
昔、スーパーの生魚から吸血できないか試して、しこたま吐いたのを思い出した。
今は思い出しちゃだめだ、本当に吐いてしまう。
僕はこれを飲み続け、止血を試みて手術を手伝わないといけないんだから。
……地味にきつい。
僕は、手術開始から一時間もたたずに意識を失ってしまった。
そこからは、溝口医師、西村先生、令一が頑張ってくれて、首の裂傷縫合は四時間強で終わったと、あとから聞いた。
次の日の昼に目覚めた僕は、すさまじい首の痛みに耐えきれず、点滴だけでは足りないと鎮痛剤を要求した。
令一は僕の隣の簡易ベッドで泥のように眠っていて、西村先生は帰宅したとのこと。
「よう生き残ったもんじゃ、えらいえらい。
たちの悪いのに目をつけられたな。生かす気のない噛み方じゃった」
鎮痛剤を注射しながら、溝口医師は淡々と言う。
ヴァンパイアの治療に手慣れたお医者様。
ヴァンパイアが来やすいようになのか、看護師一人置かず、自分だけで看板のない病院に勤めるお医者様。
「どうじゃ、痛みは」
「なんとか耐えられます」
「ふっはははは、兄ちゃん相当我慢強いようじゃが、医者の前でそれはいかん。
痛いなら痛いと言わんとな。
自分に起きたことは口で言わんと、なーんも伝わらんよ。
儂が気づくまで待たれると、処置が面倒じゃからな」
「すみません……。
本当に大丈夫です。危険な痛みはしませんから。
……。
殺されるかと、思いました」
あの時の恐怖を思い出す。
容赦なく噛まれ、血を啜られた激痛、肉が裂かれる感触。
不思議と、あの男性に対してはさほど怖くなかった。
ここで死ぬかもしれないことが怖くて、令一に会えなくなるのが怖かった。
「頸動脈が無事だったのは、相手が手練れの証じゃよ。
アレ噛むと、返り血でえらいことになるからの。
手練れっちゅうことは……。
たぶん、何人かやられとるな」
「はい、たぶん」
名刺にあった名前。下坂昂司。
彼は殺人者で間違いない。被害は、ひとりやふたりじゃない。
彼は上条さんを狙っていた。伝えないと。保護しないと。
「僕、いつ退院できますか。
できれば今すぐ出たいです。やることがあって」
ぱこん、とファイルらしきもので、優しく頭を叩かれた。
「最短で見積もって二週間」
「ええっ!?」
つづく
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