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39話 理解者

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 君は本当に馬鹿だね……。
 前の、カッターの時もそう。自分を傷つけないでって、僕、言ったのに。
 一生懸命で、まっすぐな君。
 どうか泣かないで。僕を叱りながら、そんなに泣かないで。

 
 もう少し、頑張ってみるよ。
 だから泣かないで。


 令一の手首の傷を唇で覆う。いつもとは勝手が違う。傷から血があふれ出るのを、こぼさないように気をつけて飲む。
 傷の範囲が横に広くて治しづらい。令一の血は甘くて、あたたかくて、僕の中に吸い込まれていった。
 これ以上は吸っちゃいけない、令一に負担になる。傷を治すほうに専念しないと。
 この傷は時間がかかりそうだ。にじみ出る血だけでも、十分な量が摂取できる。
 

「ん…、……はぁ、………」


 息継ぎをいれながら、十秒ほど令一を味わった。
 普段の吸血はひとくち。こんなに長く血を吸ったのは生まれて初めてだった。
 肉体が活性化するのを感じる。
 僕は意識的に、回復を首の傷に集中させた。

 
「け、ほっ」


 出血は緩やかになっていたし、体もちょっと楽に感じたのに。
 僕は、急に息がつまって咳き込んだ。
 口に、甘くない鉄錆の味がした。
 僕は吐血していた。


「……桐生」

「なんか、……ごめん、令一、……
 けほ、ゲホッ!!」


 ヴァンパイア体質は、所詮は人間だ。
 不死身じゃない。万能じゃない。
 怪我をすれば、普通の人間と同じように死ぬ。
 損傷が深すぎたんだ。気管か食道に傷がついているみたい。
 ごめん、令一。頑張ってくれたのに。
 悔しいな。……生きたいと、生まれて初めて、こんなに強く願ったのに。


「失礼します」


 ごんごんごん、と激しめのノック。僕は薄目を開き、令一は飛び上がった。
 開けっぱなしの映写室のドアの前に、誰かが立っていた。 
 教頭の西村先生だ。


 ここで救急車を呼ばれてもアウト、か。
 
 
 西村先生はなぜか、僕たちの様子にあまり狼狽していなかった。
 僕に駆け寄って側にしゃがみこみ、僕の様子を観察している。


「小宮山先生が吸血された側なんですか。
 この状態は……。
 病院へ行きましょう。すぐに処置が必要です。
 安心してください、小宮山先生、朝霧先生。
 私は『理解者』です」


 『理解者』。
 短い言葉がすべてを物語っていて。
 令一が、気が抜けたのかぺたんと床にへたりこんだ。
 僕はまだ思考が追い付かなくて、西村先生に話しかけようとしたら、西村先生はいつもの優しい笑顔で「今は、おしゃべり禁止です」と唇に指を当てた。



「小宮山先生、気をしっかりもってくださいね。手当てをすれば助かりますよ。
 まだ意識はありますね?
 『小さく』なれますか。動かず、まばたきで返事して。
 人間の状態で動かせる傷ではありませんし、人目につきます。
 朝霧先生は、とりあえず私のジャケットを羽織ってください、半裸では、ちょっと……。
 小宮山先生の服で、小さくなった小宮山先生をくるんで運びましょう。
 道中の運転は私がします」
 

 西村先生の表情には緊張があったが、指示は的確だった。
 『理解者』でなければできない指示だった。
 僕は二回、ゆっくりまばたきしてから、コウモリの姿に変化した。
 すぐに西村先生が僕の首を押さえ、ハンカチを巻いてくれる。
 血に濡れた僕の服は、濡れた部分を中にくるんで乾いた部分を外側にし、コウモリ用の簡易ベッドが作られた。
 令一が、壊れもののようにベッドごと僕を抱いている。


「急ぎましょう。
 朝霧先生、誰にも見られないよう、特別棟の裏口を抜けてください」


 西村先生は普段から頼れる人だった。
 僕がヴァンパイア体質だと、ずっと前から気づいていたに違いない。
 何も言わずに、静かに僕を、僕と令一を見守ってくれていたんだ。
 沈黙というやさしさを保ちながら、緊急事態にはこうして駆けつけてくれて。


 映写室を出がけに、西村先生はガムテープで大きくドアにバツ印を作り、ドアの入り口を目張りした。
 この状態なら、よほどでなければ誰も立ち入らない。見事なアイデア。
 ガムテープを持ってきている用意周到さにもびっくりした。
 さすが西村先生、アヤザワの陰の支配者だ。



 裏口の通用門に西村先生が車をつけてくれて、令一に抱き締められた僕は車に乗り込んだ。
 僕は移動中、少し眠っていたみたいだった。令一の膝で安心したのだろうか。
 安全運転ながらも出せる限界のスピードで走った西村先生の車は、周囲が木々やツタでもっさり覆われた、廃墟と間違えそうな個人病院にたどり着いた。
 病院の看板はなかった。ここが病院だと、一般人は気づかないだろう。
 僕と令一も、西村先生が促してくれてなければ怪しくて近寄らない建物だったと思う。


「ん、西村。久しぶりじゃな、どうかしたか」


 狭くて古い診察室に顔を出したのは、老人といえる年齢の医師だった。
 白衣を着ているが、アイロンがかかっておらず、しわくちゃだ。
 サンダルをつっかけ、がに股で歩く白髪の医師は、ちょっと、かなり、すごく怪しかった。
 

「溝口先生。挨拶はあとで。
 首の左側から深く嚙まれています。同種の仕業らしく、かなり出血しています」

「おお、そりゃ危ないこった。応急処置は?」

「できる限りの圧迫止血と、オレが、手首から血を飲ませて」

 
 溝口と呼ばれた医師に令一が説明する。溝口医師はうんうんと頷き、僕の状態を確認しながら令一に声だけで告げた。


「トイレは奥の廊下の右、突き当たりじゃ」


 それを聞くや否や、令一がダッシュで走っていった。
 僕はぼんやりしていて気づいてあげられなかった。
 手首からあんなに長く吸血したんだから、唾液の効果が強く出ていただろう。
 令一は体の疼きを我慢して、僕を最優先に、ずっと抱きしめてくれていたんだ。



   つづく
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