同僚がヴァンパイア体質だった件について

真衣 優夢

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35話 対峙

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 学校の廊下を走ってはいけない。
 きっと、どの学校にもあるだろう規則。
 教師がそれを破るのは緊急事態のみ。だからこそ人目のある場所では、僕は早足くらいで平静を装う必要があった。


 耳が痛い。音源に近づくほど、がんがんする。
 こんなに大音量なのに、周囲の生徒たちは何事もなく笑っている。安心すると同時に、知覚できないこの音がこの子たちを蝕んでいないか不安に苛まれる。


「きりゅたん、どうしたの? 顔色悪いよ」

 
 比較的仲のいい生徒に話しかけられて、僕はにっこり笑った。


「みんな赤点じゃなくてよかったなあって思ってね。
 数学、ギリギリだったでしょ。
 夏休みサボったらすぐばれるんだから、僕をヒヤヒヤさせないでね?」

「あー! きりゅたんひどーい、数学のことばらしたー!」

「点数までは言ってないよ」


 いつもの、じゃれあうような生徒との会話。
 憩いのはずの時間は今は拷問で、背中が冷たい汗で濡れるのを感じた。


「それじゃ、部活頑張ってね」

「はーい!」


 なんとか会話を終える。
 周囲に誰もいなくなって、僕は再び走った。
 音は途切れずにずっと鳴っている。息が詰まる。呼吸困難のような感覚だ。
 実際に呼吸を阻害されているわけではないけれど、メンタルは削られる。
 一度、壁にもたれかかって休む。音源に近づけば近づく程ダメージが濃くなる。
 上条さんはもう学校を出ただろうか。音源に近づかなければ、ここまでのダメージはないと思うけれど、どうか無事であってほしい。


 音が大きい方へ近づいていくと、いつの間にか特別教室棟、三階の階段を上っていた。
 実験や調理実習の教室、音楽室などがある棟は一階と二階が主に使用されていて、三階と四階の使用頻度は少ない。
 生徒も、もちろん教師も、短い休み時間で一般棟を降りてこちらの四階まで上がるのはきついから、自然とそういう配置になったんだと思われる。
 

 音源がわかった。
 ドアが大きく開いたままの映写室。クラス単位で映画などを視聴する場所。めったに人は訪れない。
 去年、鍵が中折れしたのにそのまま放置しているくらいだ。
 つまりは施錠できない部屋。誰でも入り込めて隠れられる部屋。


「誰か、いますか……?」


 入口から声をかける。自分の声がかすれていて驚いた。
 僕の声が届いたのか。大音量の超音波がぴたりと止んだ。


 映写室は窓が黒の遮光カーテンで覆われていて、日中でも視界が悪い。
 僕は手探りで電気をつけた。
 パイプ椅子が片づけられてだだっ広い部屋の真ん中に、隠れるそぶりもなく、男性が立っていた。


「おっかしーなぁ。女が釣れると思ったのによ」


 黒い服に、黒のキャップ。帽子からはみ出す髪は金色に染められている。
 9月初旬だというのに、上着は長袖で手にグローブをつけている。
 見覚えがあった。この帽子と、この笑み。
 四階から地上を見下ろしたあの時、目が合ったと感じた男性で間違いない。
 20代後半くらいだろうか?
 僕を見る目つきは、どことなく爬虫類を思わせた。感情を読み取れない。


「ここは学校です。
 部外者の立ち入りは許可されていません。
 状況によっては警察に通報します」


 まずは警告から。
 僕がはっきり言い放っても、男性は別段怯まない。
 それどころか馬鹿にするように軽く笑って、僕をじっくり観察している。


「目ェ合ったの、覚えてる?」

「……覚えています」


 お互いに隠す必要はない。今更だ。
 この男性は、間違いなくヴァンパイア体質。
 超音波を追いかけてここまで来た僕も、そうだと言っているのと同じ。
 

「今ならチェンジ許すけど。どーする?
 女いたろ。女子高生。髪が長いアレ。
 あっち連れて来いよ」


 ぞわりと鳥肌が立った。
 この男性が狙っていたのは、上条さんだった。


「あなたは何者ですか」


 男性の要求を無視して質問する。
 誰かがこの階に来ることを懸念し、僕は映写室に足を踏み入れた。
 これ以上の会話は、他の誰にも聞かせられない。ゆっくりドアを閉める。
 中は熱気がこもり、空気がむわっとしていた。
 鍵はかけられないのだから、いつでも逃げ出せる。だから大丈夫。


「さあ、俺は誰でしょー? ね? コミヤマキリュウ先生」


 一瞬だった。目が追い付かなかった。
 すさまじい速さで男性は間合いを詰めて、僕のネックストラップを掴み、名札を読み上げていた。
 そのまま、男性はネックストラップごと僕を持ち上げて宙づりにした。
 ネックストラップには安全パーツがある。ぱちんと音を立てて紐が外れ、僕は呻いて床にしゃがみこんだ。
 一瞬だけれど、僕の体重を軽々と持ち上げた!?
 僕の全力、いや、それ以上の膂力。


「あれ、切れちまった。つまんねーの。
 いい首輪になるかと思ったのに」

「誰かの犬になる趣味はありません」

「へえ、ニコニコしてるかと思ったら、イイ顔もするんじゃん?
 女だったら、そそられて押し倒してたね。もったいねえなあ。
 ごめんね~? 俺、男抱くシュミはねえんだわ。
 あんたと違って」


 この、男性、は。
 僕のことをどれだけ知っているのだろう。
 令一のことを知っている? 僕との関係を知っている?
 令一にも危害を加える可能性がある……?


「僕のことなんて、どうだっていいでしょう」


 僕は立ち上がりざま、男性の胸ぐらをつかもうと試みた。
 男性は軽快なステップで後ろに躱し、楽し気に口笛を鳴らした。


「うはははは! すっげえ殺気! いいねえ~。
 目、いい色してんぜ。真っ赤っか!
 普段は優しいセンセーで、JK食い荒らしてんの? あ~、あんたはDKか」

「あなたと一緒にしないでください。
 人を、まるで食品のように」



 つづく
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