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番外編 桐生の初恋 その1
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教師になりたい。
子どもたちに、よりよい知識を教えたい。
幸せに生きる方法をたくさん伝えたい。
現実を直視しない理想だけでストレート教員になった僕は、数か月で心が病んだように思う。
激務に次ぐ激務。
先輩教員からの、指導という名の罵声。
大量の書類仕事。複数割り当てられた範囲外の授業、部活顧問。ひっきりなしにかかってくる保護者からの電話対応。それから、それから。
僕は一体、何をしているんだったっけ……。
何度も再提出を食らっている行事計画書を書き直しながら、時計を見ると21時だった。
ああ、帰らなければ。仕事は持ち帰らなければ。
学校に、夜遅くに明かりがついていてはいけないから。
生徒たちと関わるのは好きだった。
高校生という、人生でとても大切な時期。生意気だけど無邪気でかわいくて、元気いっぱいで、きらきらしている時間。
もちろん、そうでない子もいたし、暗闇を抱えている子もいた。
そのすべてが愛おしいと思ったし、僕にできることがあれば手を差し伸べたいと思った。
現実には、そんな時間はありはしなかった。
放課後、部活顧問として生徒に接するのが安らぎだった。顧問が一か所、副顧問が四か所だったので、あちこち走り回らなければならなかったけれど、幸せだった。
授業は、教えたいことが教えられない。進学校でもあったので、授業内容は厳しく設定されており、僕にできることは、どう伝わりやすく教えるか知恵を絞るくらいだった。
それでも僕はヴァンパイア体質だったから。
次々と教員が入れ替わる中、肉体がタフな僕は体を壊さなかった。
心は微妙だけれど、孤独だった僕にとって、生徒がいるだけで学校はあたたかい場所だった。
生徒の明るい声で、僕の心に灯りがついた。
時間の流れさえ麻痺していた、赴任5年目。
いつものように朝6時に職員室に入ると、常軌を逸した騒ぎが起きていた。
どうしたんですか、とぼんやり尋ねると。
運動部の部室で、喫煙と飲酒が見つかったのだという。
僕は運動部の顧問ではなかったから、その子たちとは面識がなかったけれど。
悔しかった。
ちょっと悪さがしたい年頃だ。そういう行為を格好いいと勘違いする年頃だ。
正しく教えられていなかった。伝えきれていなかった。
これくらいは遊びだと考える彼らは、想像をはるかに超えた処罰を食らうだろう。
こんな些細なことで、人生は狂ってしまう。
法を守るとはどういうことか。法に反するとはどういうことか。
意味を、責任を、そのあとに起こる後悔を、僕は子どもたちに教えることができていなかった。
対象の運動部は廃部になった。
対象の生徒は退学処分になった。
少しでも関わったとみなされた生徒は停学処分になった。
それから。
僕は、校長から「辞任しろ」と命じられた。
進学校の醜聞に、PTAは大騒ぎしたらしい。
責任をどこに転化させるかを誰もが声高に叫び、なぜか、僕のせいということになったらしい。
僕が養護施設出身だからだそうだ。
PTAでは情報が錯綜し、僕がいたのは、犯罪をおかした少年が入る更生施設だということになっていて、飲酒や喫煙をそそのかしたのも、僕に犯罪歴があるからだと。
そんな事実はありません、と僕は校長に告げて、退職届を提出した。
夏休みもろくに休めなかった五年間。
厳しくてつらかったけど、教師でいられてよかったと、辞めた後も思った。
僕にとって唯一の夢であり、生きる価値であったもの。理不尽でも過重労働でも耐えてこれた。
なんにも、なくなっちゃったなあ……。
ぼうっと自宅で転がっていた僕のスマホに、懐かしい人から着信が来た。
僕の後見人である大山さんだった。
『元気にしてるか、桐生!
退職したと聞いたが、本当か?』
「本当ですよ。今は無職です」
『じゃあ、ウチにこい!』
「えっ、大山さんの会社に!? 僕が!?」
『会社はとうに引退した。
今は私立高校の理事長をしていてな。
福利厚生も環境もお墨付きだ、来い来い桐生!』
「そんな、縁故採用で入るなんて。
まわりの反感を買いませんか?」
『5年前にひとり、新卒を縁故で入れた! 反感は特になかった!
ひとりもふたりも変わらんよ。
むしろ、ふたりのほうが風当たりがやわらぐだろ?』
「相変わらずですね、大山さんは」
僕は翌年の四月から、私立アヤザワ高等学校に赴任することになった。
私立は退職まで長いとのことで、教師の年齢層は全体的に高め。
そんな中で、若い教師がひとり。大山さんに聞くと、僕と同い年だという。
仲良くなれたらいいな、と思っていると、彼は突然、
「桐生先生」
僕を下の名前で呼んだ。
え、えっと?
すごくフレンドリーな人なのかな?
「あなたの机、オレの隣で合ってますか。
片づけが済んでないので、少し不便かけます。
空き机にものをおいていてすみません」
「いえ、かまいませんよ」
いきなりの名前呼びからの、無表情&事務的口調。
いったいどういう人なんだろう?
職員朝礼で僕が挨拶すると、彼はひどく驚いていた。
もしかして、桐生を苗字と思ったのかな。
勘違いされることは多いから、別に気にしないのに。
むっつり顔がデフォルトである隣の先生は、朝霧令一。生物教師。
化学や物理も担当している理系の先生だ。
なぜか、初顔合わせのあの日から、彼は僕を「桐生先生」と呼び続けている。
他の先生は、もちろん僕を「小宮山先生」と苗字で呼ぶ。
最初に間違えたこと、むきになっているのかな。
そう思うとなんだか可愛くて、意固地な彼が面白かった。
つづく
子どもたちに、よりよい知識を教えたい。
幸せに生きる方法をたくさん伝えたい。
現実を直視しない理想だけでストレート教員になった僕は、数か月で心が病んだように思う。
激務に次ぐ激務。
先輩教員からの、指導という名の罵声。
大量の書類仕事。複数割り当てられた範囲外の授業、部活顧問。ひっきりなしにかかってくる保護者からの電話対応。それから、それから。
僕は一体、何をしているんだったっけ……。
何度も再提出を食らっている行事計画書を書き直しながら、時計を見ると21時だった。
ああ、帰らなければ。仕事は持ち帰らなければ。
学校に、夜遅くに明かりがついていてはいけないから。
生徒たちと関わるのは好きだった。
高校生という、人生でとても大切な時期。生意気だけど無邪気でかわいくて、元気いっぱいで、きらきらしている時間。
もちろん、そうでない子もいたし、暗闇を抱えている子もいた。
そのすべてが愛おしいと思ったし、僕にできることがあれば手を差し伸べたいと思った。
現実には、そんな時間はありはしなかった。
放課後、部活顧問として生徒に接するのが安らぎだった。顧問が一か所、副顧問が四か所だったので、あちこち走り回らなければならなかったけれど、幸せだった。
授業は、教えたいことが教えられない。進学校でもあったので、授業内容は厳しく設定されており、僕にできることは、どう伝わりやすく教えるか知恵を絞るくらいだった。
それでも僕はヴァンパイア体質だったから。
次々と教員が入れ替わる中、肉体がタフな僕は体を壊さなかった。
心は微妙だけれど、孤独だった僕にとって、生徒がいるだけで学校はあたたかい場所だった。
生徒の明るい声で、僕の心に灯りがついた。
時間の流れさえ麻痺していた、赴任5年目。
いつものように朝6時に職員室に入ると、常軌を逸した騒ぎが起きていた。
どうしたんですか、とぼんやり尋ねると。
運動部の部室で、喫煙と飲酒が見つかったのだという。
僕は運動部の顧問ではなかったから、その子たちとは面識がなかったけれど。
悔しかった。
ちょっと悪さがしたい年頃だ。そういう行為を格好いいと勘違いする年頃だ。
正しく教えられていなかった。伝えきれていなかった。
これくらいは遊びだと考える彼らは、想像をはるかに超えた処罰を食らうだろう。
こんな些細なことで、人生は狂ってしまう。
法を守るとはどういうことか。法に反するとはどういうことか。
意味を、責任を、そのあとに起こる後悔を、僕は子どもたちに教えることができていなかった。
対象の運動部は廃部になった。
対象の生徒は退学処分になった。
少しでも関わったとみなされた生徒は停学処分になった。
それから。
僕は、校長から「辞任しろ」と命じられた。
進学校の醜聞に、PTAは大騒ぎしたらしい。
責任をどこに転化させるかを誰もが声高に叫び、なぜか、僕のせいということになったらしい。
僕が養護施設出身だからだそうだ。
PTAでは情報が錯綜し、僕がいたのは、犯罪をおかした少年が入る更生施設だということになっていて、飲酒や喫煙をそそのかしたのも、僕に犯罪歴があるからだと。
そんな事実はありません、と僕は校長に告げて、退職届を提出した。
夏休みもろくに休めなかった五年間。
厳しくてつらかったけど、教師でいられてよかったと、辞めた後も思った。
僕にとって唯一の夢であり、生きる価値であったもの。理不尽でも過重労働でも耐えてこれた。
なんにも、なくなっちゃったなあ……。
ぼうっと自宅で転がっていた僕のスマホに、懐かしい人から着信が来た。
僕の後見人である大山さんだった。
『元気にしてるか、桐生!
退職したと聞いたが、本当か?』
「本当ですよ。今は無職です」
『じゃあ、ウチにこい!』
「えっ、大山さんの会社に!? 僕が!?」
『会社はとうに引退した。
今は私立高校の理事長をしていてな。
福利厚生も環境もお墨付きだ、来い来い桐生!』
「そんな、縁故採用で入るなんて。
まわりの反感を買いませんか?」
『5年前にひとり、新卒を縁故で入れた! 反感は特になかった!
ひとりもふたりも変わらんよ。
むしろ、ふたりのほうが風当たりがやわらぐだろ?』
「相変わらずですね、大山さんは」
僕は翌年の四月から、私立アヤザワ高等学校に赴任することになった。
私立は退職まで長いとのことで、教師の年齢層は全体的に高め。
そんな中で、若い教師がひとり。大山さんに聞くと、僕と同い年だという。
仲良くなれたらいいな、と思っていると、彼は突然、
「桐生先生」
僕を下の名前で呼んだ。
え、えっと?
すごくフレンドリーな人なのかな?
「あなたの机、オレの隣で合ってますか。
片づけが済んでないので、少し不便かけます。
空き机にものをおいていてすみません」
「いえ、かまいませんよ」
いきなりの名前呼びからの、無表情&事務的口調。
いったいどういう人なんだろう?
職員朝礼で僕が挨拶すると、彼はひどく驚いていた。
もしかして、桐生を苗字と思ったのかな。
勘違いされることは多いから、別に気にしないのに。
むっつり顔がデフォルトである隣の先生は、朝霧令一。生物教師。
化学や物理も担当している理系の先生だ。
なぜか、初顔合わせのあの日から、彼は僕を「桐生先生」と呼び続けている。
他の先生は、もちろん僕を「小宮山先生」と苗字で呼ぶ。
最初に間違えたこと、むきになっているのかな。
そう思うとなんだか可愛くて、意固地な彼が面白かった。
つづく
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