上 下
15 / 75

番外編 桐生の初恋 その1

しおりを挟む
 教師になりたい。
 子どもたちに、よりよい知識を教えたい。
 幸せに生きる方法をたくさん伝えたい。


 現実を直視しない理想だけでストレート教員になった僕は、数か月で心が病んだように思う。


 激務に次ぐ激務。
 先輩教員からの、指導という名の罵声。
 大量の書類仕事。複数割り当てられた範囲外の授業、部活顧問。ひっきりなしにかかってくる保護者からの電話対応。それから、それから。


 僕は一体、何をしているんだったっけ……。


 何度も再提出を食らっている行事計画書を書き直しながら、時計を見ると21時だった。
 ああ、帰らなければ。仕事は持ち帰らなければ。
 学校に、夜遅くに明かりがついていてはいけないから。


 生徒たちと関わるのは好きだった。
 高校生という、人生でとても大切な時期。生意気だけど無邪気でかわいくて、元気いっぱいで、きらきらしている時間。
 もちろん、そうでない子もいたし、暗闇を抱えている子もいた。
 そのすべてが愛おしいと思ったし、僕にできることがあれば手を差し伸べたいと思った。


 現実には、そんな時間はありはしなかった。
 放課後、部活顧問として生徒に接するのが安らぎだった。顧問が一か所、副顧問が四か所だったので、あちこち走り回らなければならなかったけれど、幸せだった。
 授業は、教えたいことが教えられない。進学校でもあったので、授業内容は厳しく設定されており、僕にできることは、どう伝わりやすく教えるか知恵を絞るくらいだった。


 それでも僕はヴァンパイア体質だったから。
 次々と教員が入れ替わる中、肉体がタフな僕は体を壊さなかった。
 心は微妙だけれど、孤独だった僕にとって、生徒がいるだけで学校はあたたかい場所だった。
 生徒の明るい声で、僕の心に灯りがついた。


 時間の流れさえ麻痺していた、赴任5年目。
 いつものように朝6時に職員室に入ると、常軌を逸した騒ぎが起きていた。
 どうしたんですか、とぼんやり尋ねると。
 運動部の部室で、喫煙と飲酒が見つかったのだという。


 僕は運動部の顧問ではなかったから、その子たちとは面識がなかったけれど。
 悔しかった。
 ちょっと悪さがしたい年頃だ。そういう行為を格好いいと勘違いする年頃だ。
 正しく教えられていなかった。伝えきれていなかった。
 これくらいは遊びだと考える彼らは、想像をはるかに超えた処罰を食らうだろう。
 こんな些細なことで、人生は狂ってしまう。
 法を守るとはどういうことか。法に反するとはどういうことか。
 意味を、責任を、そのあとに起こる後悔を、僕は子どもたちに教えることができていなかった。



 対象の運動部は廃部になった。
 対象の生徒は退学処分になった。
 少しでも関わったとみなされた生徒は停学処分になった。


 それから。


 僕は、校長から「辞任しろ」と命じられた。


 進学校の醜聞に、PTAは大騒ぎしたらしい。
 責任をどこに転化させるかを誰もが声高に叫び、なぜか、僕のせいということになったらしい。
 僕が養護施設出身だからだそうだ。
 PTAでは情報が錯綜し、僕がいたのは、犯罪をおかした少年が入る更生施設だということになっていて、飲酒や喫煙をそそのかしたのも、僕に犯罪歴があるからだと。


 そんな事実はありません、と僕は校長に告げて、退職届を提出した。


 夏休みもろくに休めなかった五年間。
 厳しくてつらかったけど、教師でいられてよかったと、辞めた後も思った。
 僕にとって唯一の夢であり、生きる価値であったもの。理不尽でも過重労働でも耐えてこれた。


 なんにも、なくなっちゃったなあ……。


 ぼうっと自宅で転がっていた僕のスマホに、懐かしい人から着信が来た。
 僕の後見人である大山さんだった。


『元気にしてるか、桐生!
 退職したと聞いたが、本当か?』

「本当ですよ。今は無職です」

『じゃあ、ウチにこい!』

「えっ、大山さんの会社に!? 僕が!?」

『会社はとうに引退した。
 今は私立高校の理事長をしていてな。
 福利厚生も環境もお墨付きだ、来い来い桐生!』

「そんな、縁故採用で入るなんて。
 まわりの反感を買いませんか?」

『5年前にひとり、新卒を縁故で入れた! 反感は特になかった!
 ひとりもふたりも変わらんよ。
 むしろ、ふたりのほうが風当たりがやわらぐだろ?』

「相変わらずですね、大山さんは」


 僕は翌年の四月から、私立アヤザワ高等学校に赴任することになった。
 私立は退職まで長いとのことで、教師の年齢層は全体的に高め。
 そんな中で、若い教師がひとり。大山さんに聞くと、僕と同い年だという。


 仲良くなれたらいいな、と思っていると、彼は突然、


「桐生先生」


 僕を下の名前で呼んだ。
 え、えっと?
 すごくフレンドリーな人なのかな?


「あなたの机、オレの隣で合ってますか。
 片づけが済んでないので、少し不便かけます。
 空き机にものをおいていてすみません」

「いえ、かまいませんよ」


 いきなりの名前呼びからの、無表情&事務的口調。
 いったいどういう人なんだろう?
 職員朝礼で僕が挨拶すると、彼はひどく驚いていた。
 もしかして、桐生を苗字と思ったのかな。
 勘違いされることは多いから、別に気にしないのに。


 むっつり顔がデフォルトである隣の先生は、朝霧令一。生物教師。
 化学や物理も担当している理系の先生だ。
 なぜか、初顔合わせのあの日から、彼は僕を「桐生先生」と呼び続けている。
 他の先生は、もちろん僕を「小宮山先生」と苗字で呼ぶ。
 最初に間違えたこと、むきになっているのかな。
 そう思うとなんだか可愛くて、意固地な彼が面白かった。


つづく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の義兄弟が凄いんだが

kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・ 初投稿です。感想などお待ちしています。

変態村♂〜俺、やられます!〜

ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。 そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。 暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。 必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。 その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。 果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?

不良高校に転校したら溺愛されて思ってたのと違う

らる
BL
幸せな家庭ですくすくと育ち普通の高校に通い楽しく毎日を過ごしている七瀬透。 唯一普通じゃない所は人たらしなふわふわ天然男子である。 そんな透は本で見た不良に憧れ、勢いで日本一と言われる不良学園に転校。 いったいどうなる!? [強くて怖い生徒会長]×[天然ふわふわボーイ]固定です。 ※更新頻度遅め。一日一話を目標にしてます。 ※誤字脱字は見つけ次第時間のある時修正します。それまではご了承ください。

とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~

無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。 自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。

モルモットの生活

麒麟
BL
ある施設でモルモットとして飼われている僕。 日々あらゆる実験が行われている僕の生活の話です。 痛い実験から気持ち良くなる実験、いろんな実験をしています。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

なんで俺の周りはイケメン高身長が多いんだ!!!!

柑橘
BL
王道詰め合わせ。 ジャンルをお確かめの上お進み下さい。 7/7以降、サブストーリー(土谷虹の隣は決まってる!!!!)を公開しました!!読んでいただけると嬉しいです! ※目線が度々変わります。 ※登場人物の紹介が途中から増えるかもです。 ※火曜日20:00  金曜日19:00  日曜日17:00更新

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

処理中です...