上 下
11 / 63

番外編 桐生という男の過去

しおりを挟む
 僕は、気がつくといつもひとりだった。
 それは仕方がないことで、それは当然のことで。
 僕は笑顔ですべてを受け入れることにした。


 せめて笑っていよう。
 まわりの人を穏やかにできるように笑おう。
 笑顔で、それ以外の感情を封じてしまおう。


 そんな風に思ったのは、まだヴァンパイア体質だと気づいていない、とても幼い頃だったと思う。
 幼稚園のスモックに身を包んだ僕は既に、穏やかに笑うことを身につけていたから。


「なあ、桐生。
 お前、自分の母親を……榊さんを恨んでいるか?」


 理事長の大山 萬太郎(おおやま まんたろう)さんは、僕の後見人だ。
 大山さんが会社の社長として現役だったころから、ちょくちょく僕の様子を見に来てくれた。
 僕は大山さんの養子ではない。恩人ではあっても、家族ではない。
 小さな僕はそれをきちんと理解していて、大山さんに甘えることはほとんどなかったと思う。大山さんも忙しい人で、なかなか施設に足を運べなかったし。


「母さんを恨んでなんかいませんよ。
 僕が望まれた子どもだって教えてくれたのは、大山さんじゃないですか」


 僕は穏やかに微笑んだ。


 名前くらいしか知らない母親、小宮山 榊(こみやま さかき)。
 彼女がシングルマザーになった経緯はわからない。だから父親も不明のまま。
 凛とした美人で、頑固で、芯の強い人だったと大山さんから聞いた。
 なんでも、大山さんは僕の母さんに片思いしていたらしい。
 いくら大山さんがバツ3で独身だとしても、僕の母さんは、けっこう年下になるのでは?
 そこは、大山さんが沈黙を守り紳士的に接したことで許そうと思う。


「まったくお前は。
 金銭的支援は惜しまんと言っているのに奨学金を選ぶし。
 儂からの援助は、どうしようもない時しか受けてくれんし。
 その頑固さ、間違いなく榊さん似だ」

「だったら光栄です。
 僕の中に、母さんの血が流れている証拠みたいで。
 大山さんこそ、僕の存在を許せなくなったことはありませんか?
 僕を産まなければ、母さんは助かったんでしょう」

「まさか、馬鹿を言うな」


 大山さんは、わざとらしく頬を膨らませて拗ね顔をした。
 おじいちゃんといっていい年なのに、この人は。 
 こういう仕草は子供みたいだ。


「確かに……うん、何度か説得した。それも話したな?
 絶対に産むと言い切ったのは榊さんだ。
 病院でも手を尽くして、榊さんが助かるように頑張ってくれたんだ」


 母さんは、子どもを産むには体が弱かったらしい。
 出産のリスクが高すぎた。
 お医者さんも大山さんも反対したのに、母さんは、おなかの子ども……僕の性別がわかってすぐ、桐生と名付けてくれたそうだ。
 身寄りのない子どもを残して逝くのは無責任だと思わなくもない。
 けれど僕は、命をくれた母さんに感謝している。
 生きていなければ、できないこと、知らなかったことがたくさんある。
 母さんが中絶を選んでいたら、僕はこの空が青いことも、緑が美しいことも、季節も、世界そのものを知ることがなかった。


 病院のお医者さんの頑張りで、母さんは一度意識を取り戻し、僕を抱いて幸せそうに母乳をふくませたのだという。
 その数分間が最初で最後。
 一週間も経たないうちに、母さんは眠るようにこの世を去ったと聞いている。


「榊さんがあんなに愛した子を、恨むようなことがあるか。
 桐生は孫だな、孫。
 女に生まれていたら嫁にしたんだが!」

「孫と例えた年齢の相手を嫁にするのは、ちょっとどうかと」


 僕は親の愛というものを知らない。
 知りたくて、本をたくさん読んだ。絵本の中には、母親や父親が出てくるものもあった。
 僕はそれを知識として理解し、こういう存在が世の中にいて、自分にはいないと受け入れた。


 施設の職員の皆さんは、皆、優しくてあたたかい人だった。
 親の愛は知らなくても、僕は人間愛を受けて育った。
 学校では、施設の子、といじめられたこともあったけれど、僕はそれを恥じなかったので、いじめはいつのまにか止んだ。
 僕は、僕を支えてくれる皆さんを、後見人の大山さんを、僕なりに愛していた。


 養子縁組の話は、何回か舞い込んだ。
 僕は奨学金を狙っていたから、成績は常にトップクラスで、性格も穏やかだったから。
 でも、僕はそっと職員さんにお願いした。
 僕より先に、別の子を紹介することはできませんか、と。


 養子縁組はとても難しいものだ。相性もある。簡単にはできない。
 養子になる側も、申し出が来るのは非常に稀なこと。大きくなってからは特に。
 たくさんの養子縁組の成立を見送った僕は、少しだけ知っていることがあった。


 最初に面談した子の顔を見ると、養親は、この子が自分の子になるかもという期待のまなざしを向ける。
 それは特別な感情で、運命と錯覚させるに等しいもので、二回目以降はあまり見られない。
 一度失敗を経験していると、養親は値踏みする目になる。


 だから僕は、最初の一回は、他の子に譲ると決めていた。
 僕は見送る側となり、親ができた子たちが幸せになるよう心から願った。


 僕は、親を知識で知ったから、そんなに必要ではないから、大丈夫。


 十三歳になった僕は、初めての吸血衝動を起こし、夕方の公園で動けなくなった。
 理解できない衝動に恐怖し、苦しさに震え、このまま死んでしまうのかと思った僕に、小さな合図が送られた。
 合図のほうを振り返ると、ホームレスらしきおじいさんが立っていた。


「まさかと思ったが、ボウズ。あれに気づいたか」

「うん……」

「苦しいだろ。その辺の動物を持ってくるからそれで凌げ」

「どう、ぶつ……?」


 初めての吸血相手はカラスだった。
 恐ろしかった。こんなもの投げ捨ててしまいたかった。
 おじいさんが羽を布で巻き、嘴と足を縛って暴れないようにしているカラス。
 おじいさんに教わるままに、僕は泣きながら吸血した。
 やっと飢餓の苦痛から解放され、僕はまた泣いた。自分が怖かった。


 おじいさんは、怖がることはない、と僕の頭を撫でた。
 それはボウズが人間である証だと。
 ヴァンパイア体質は、人間からしか生まれないのだと。


 ヴァンパイア体質は、血縁者の中の誰か、あるいは先祖に同じ体質持ちがいることが多く、文献などが伝わっていることもあると聞いた。
 それをもとに対応できるはずだから、勇気をもって家族に相談してみろと言われた。
 僕は、家族はいないと答えた。
 おじいさんは驚いて、それから、僕の頭をぐしゃぐしゃになるまで撫でて。
 たったひとりで生き抜く術を教え込んでくれた。


 僕は大丈夫。
 たくさんの人に愛されて、たくさんの人に支えられて生きている。
 だから、僕はこの幸せを誰かに返したい。


 そうだ、知識だ。


 僕は本を読み漁り、知らないこと、経験できないことを学んだ。
 僕が進学を諦めなかったのも、制度を知って、それに見合う学びを重ねたから。


 教える側になれたら、僕は恩を返せるかな?


 知識を求める子どもに、適した知識を。
 知識を知らない子どもに、やさしく知識を。
 学ぶことの面白さを。生きるための知恵を。
 幸せに過ごすための方法を。
 そういうものを教えられる人になりたい。


 僕は勉強に勉強を重ね、公立の大学に合格した。
 奨学金で入るのだから、公立しか狙えなかった。
 僕は大学でも勉強だけをするつもりだったが、驚くことに、僕の見目はいいほうだったらしい。
 いつのまにか伸びた身長は、189cmということにしてある。180の桁でいたかった。
 顔は、美人だった母さんに似たのだろうか? よくわからない。


 恋人としての誘いを何度か受けて、僕は基本的に断らなかった。
 もう相手がいる際には、丁重に断った。同時に二人を恋人にする気はなかった。


 穏やかな笑顔で恋人の話を聞くと、喜ばれた。
 デートプランは、勉強と同じ要領で下調べし、エスコートしたら喜ばれた。
 僕から誘うことはなかったけれど、自然とホテルへの流れになることも多かった。


 知識も行動も、うまくできたはずなのに。
 僕は、うまくできただけだった。
 肝心の愛情がわいてこない。友人と恋人の境目がわからない。
 大切にしたい身近な人、という以上に、情熱のようなものを感じない。


 『私のことなんて愛してないんでしょ』


 だいたいそんなセリフで恋人は去って行って、しばらくすると、また次が来た。
 僕は拒まなかった。
 求められているのは嬉しかった。
 たとえ、僕が愛せなかったとしても。
 知識も行動も、うまくできるのだから。


 ある日、ゼミの友人に強引に連れられた先は、変わったバーだった。
 新しい世界を教えてやるよ、なんて言った友人がカウンターに座る。僕もならって座る。
 ヴァンパイア体質は肉体が頑強だから、アルコールに酔うことはほとんどない。


 このバーは、マスターも店員も、全員の性嗜好が同性なのだという。
 驚いたか、という顔をする友人に僕は「素敵だね」と笑顔で返した。
 こんなふうに、性嗜好を自然と受け入れてもらえて、心地よい雰囲気でいられる場所はいいなと思った。
 友人は驚いて、「お前ってゲイなのか」と聞いてきたから、「そういうわけじゃなさそう」と正直に答えた。


 店のマスターは微笑んで、僕の話をうまく聞き出してくれた。


「お客様の性嗜好は、パンセクシャル寄りではないでしょうか?」

「パンセクシャル? バイセクシャルではなくて?」

「近い意味でとらえられ、混同されることもありますよ。
 耳馴染みのない言葉かもしれませんね。
 バイセクシャルは男女とも性対象として感じられる思考。
 パンセクシャルは、性別の垣根がそもそもなく、性別よりも個人を愛する思考です。
 パンセクシャルの方にとって、性別によって恋を分けることはないのですよ」

「へえ……」


 その後、バーに誘ってきた友人にホテルに誘われた。
 ああ、なるほどと思った。彼は、僕の性嗜好を見極めたかったんだ。
 断ることなく応えた。
 やはり、今までの恋人と変わらず、大切にしたい身近な人であるだけだった。
 性別が違ってもうまくやれた自分の器用さに感心したくらいで。
 その友人は、数か月もしないうちに別の恋人を作って離れていったが、僕はさして気に留めなかった。


 僕は、なにかおかしいのかな?
 世の中はこんなにも恋が欲しい、愛が欲しいと、流行りの歌でも叫んでいる。
 僕にはどうでもよくて、来たら応えるだけのもの。
 そのうち飽きてくれるから、それまでは誠実でいる関係性。
 友人の一件があってから、恋人を申し出てくる相手に男性も増えた。
 うん、どちらも差異を感じない。
 マスターが言っていた、性別の垣根がない『パンセクシャル』は、こういうことなのかな。


 誰とも恋ができなかった僕が初めて恋をするのは、まだずっと未来のこと。
 教師になって、転任して、私立アヤザワ高校に赴任し、二年の歳月を経るまで、訪れない。




番外編おわり
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ドSな義兄ちゃんは、ドMな僕を調教する

天災
BL
 ドSな義兄ちゃんは僕を調教する。

部室強制監獄

裕光
BL
 夜8時に毎日更新します!  高校2年生サッカー部所属の祐介。  先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。  ある日の夜。  剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう  気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた  現れたのは蓮ともう1人。  1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。  そして大野は裕介に向かって言った。  大野「お前も肉便器に改造してやる」  大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…  

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

3人の弟に逆らえない

ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。 主人公:高校2年生の瑠璃 長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。 次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。 三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい? 3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。 しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか? そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。 調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m

処理中です...