碌の塔

ゆか太郎

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終わりの星と巡る四季

第一章:春

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 花の盛りも過ぎ、初夏の気配が漂う季節となりました。その後いかがお過ごしでしょうか。そんなテンプレ的なメッセージをひたすらコピペし続ける日々を過ごしていた頃、会社が燃えた。残業代の未払いや労働基準法違反が発覚してネットで炎上だとかそういうことではなく。いや、むしろそちらの方がありがたかったのだけれども。毎日のように出勤していた建物が燃えた。それはもう物理的に大々的に。幸い火事が起きたのは偶然従業員が全員退社した頃で怪我人はいなかった。周りも他に大きな建物のない地域だったから被害が拡大することはなく、綺麗さっぱり弊社だけが跡形もなく燃えた。家に帰る途中に火事が起こったことを知り、戻って見れば既に建物全体がごうごうと炎に包まれていた。火の粉をあげながら崩れゆく建物を彼女は遠目に眺めていた。やがて火は消されたが建物はほとんど燃え切ってしまい、かろうじて骨組みだけが残っている状態だった。会社に戻って来ていたのは最後まで残っていた人たちだけのようで、社長のように定時で上がっている人たちの姿は周りに見えない。野次馬たちも消火活動が終わるとまばらに帰っていった。
 自分も帰ろうと思ってスマホをつけて、そこで既に終電を逃していることに気がついた。元々終電スレスレで帰る予定だったのでよく考えれば当たり前なのだが。こういう時に田舎の電車の少なさを痛感してしまう。仕方がないので出費的には痛手だがタクシーを呼ぼうとして調べていたら、突然スマホの画面が暗くなった。不具合かと思って電源ボタンを連打したら、充電しろと怒られてしまった。どうやら気づかないうちにバッテリーが切れてしまっていたらしい。
 積み重なる不幸にため息をつきながら、どうしようもないのでとりあえず家の方向に歩き始める。しばらく歩いていると、見覚えのない大通りまで出てきてしまった。ぼうっとしていたあまり、自分が方向音痴なことも忘れていたらしい。家の方ではなくせめて駅に向かって歩くべきだったかもしれない。そんなことを考えながらとぼとぼと歩く。大通りならタクシーも走っているのではと思ったが、そんな考えとは裏腹に普通の車すら走っていない。諦めて手当たり次第に見つけた地図とにらめっこしながら歩けば、ようやく周りの景色が見慣れた街並みになっていった。余分に歩いたせいで足はもう棒のようになっていた。自宅のマンションが見えた時は、砂漠でオアシスを見つけたくらいの喜びだった。
 腕時計をしていないので時間がわからないが、深夜なのでできるだけ物音を立てないようにマンションの階段をのぼる。自分の部屋の鍵をそっと開けて入ると、ようやく日常に戻ってきた感覚がした。特段自分の身に何かが起こったわけでもないのに、どっと疲れた感じがする。いや、会社が燃えたのは十分事件かもしれないけれど。廊下の電気をつけるのも面倒で、暗闇の中玄関先に倒れ込んだ。かろうじて靴だけは脱ぎ捨てたが、服もメイクもそのままだ。冷たい廊下を肌に感じると先ほどまで押さえ込んでいた眠気に襲われて、そこで意識は途絶えた。

 うすら灯りで目が覚める。目をこすりながら重い体をむくりと起こせば、そこは自宅の玄関先だった。どうして自分がこんなところで寝ているのだろうかと寝起きの働かない頭でぐるぐると考える。しばらくして、彼女は昨日の夜中のことを思い出した。残業をして帰ったら会社が燃えて、見に行ったら終電を逃し、スマホの充電は切れ、帰宅しようと思ったら道を間違え、なんとか歩いて帰ってきたのだった。思い返しても訳のわからない一日であったのは間違いない。そこまで考えて、今日の仕事はどうなるのだろうかという疑問に思い当たった。とりあえずスマホを見ないことには始まらない。リビングに入ってスマホを充電器に繋げば、昨日はうんともすんとも言わなかった画面がすんなり光った。会社からの連絡を見れば、今日はとりあえず休業だという連絡だけが入っていた。まあ、燃え跡に行っても何もできないので当たり前なのかもしれないけれど。それ以外にもなんだんかいろいろ書いてあるが、今は読む気にならなかった。今日一日休みなら、確認するのは後からでもいいだろうとスマホを放り投げた。まず何からするべきかと考えて、服もメイクもそのままだということに気付いた。一度気付いてしまった不快感はなかなか拭えない。まずはシャワーを浴びようと、くくっていた長い髪を解いた。

 シャワーを済ませてサッパリした途端、体が思い出したように空腹を訴える。そういえば昨日の夜も食べ損ねてしまっていることに今更ながら気づいた。食パンをトースターに入れ、お湯を沸かしてドリップコーヒーを入れる。いつ買った粉かも忘れたが、腐ったような匂いはしていないので大丈夫だろう。ついでに余っていたベーコンと卵もフライパンで焼いてトーストの上に載せれば、某有名映画に出てくるようなパンの出来上がりだ。久しぶりに朝食をゆっくり食べれるのでたまにはこんな贅沢もいいだろう。リビングにパンとコーヒーを持っていき、床に座る。がぶりとパンにかぶりつけば、端の焦げたベーコンの塩味と卵のコクが口に広がる。半熟の黄身がとろりと皿の上に落ちるのも気にせず、食べ進めていく。すぐに皿に落ちた黄身までパンの耳に付けて余すことなくペロリと平げた。口の端に着いたパンくずを取りながら、そういえば昨日の火事はどれくらいニュースになっているのだろうとふと思った。昨日の夜からスマホもテレビも見ていないので、結局どれくらいの被害だったのかはわかっていない。ただ田舎の建物が一件燃えただけなので、そこまで大事にはなっていないだろうと思いながら、彼女はテレビの電源を付けた。予想通り、火事の話はニュースにはなっていなかった。しかしそれは、火事の規模が小さかったからとか、被害者がいなかったからだとか、そういう理由ではなく。
「これ、マジ……?」
 ポツリと自然に口から言葉が漏れた。どのチャンネルを付けても同じような画面ばかり。いつもはテレビショッピングしかやっていないローカル局ですら、同じニュースを取り上げていた。どこかの会見場でお偉いさんが並んで喋っているのが映し出されている。真ん中に座っている人が記者の質問に答えるところだったのか、マイクを手にして口を開いた。
「推測では、一年後とされています。現段階では日にちまでは分かりませんが、大まかな時期としては来年の3月ごろかと予測されています。これに関しましては、世界各国の研究所とも連携をした結果であり、詳細に関して分かり次第後日また会見を開かせていただきたいと考えています」
 お偉いさんの答えに、画面外の記者たちが何かを言おうと喚いている。テレビを付けたまま、急いでスマホを手に取る。しかしSNSやニュースサイトを開いても、同じ話題で持ちきりだった。というより、その話しか見当たらない。壮大なドッキリや夢ではないということだけはわかった。同じ情報ばかり流れてくる画面に眩暈がして、スマホを置いた。冷めたコーヒーを啜るとえぐみが喉を突いた。そこでようやく、これは現実なのだと実感が湧いた。テレビではまだ会見が映し出されていて、その横には緊急速報と書かれたテロップが永遠と流れ続けていた。そりゃまあ、片田舎の火事どころの話ではないなぁとどこか他人事のように彼女は思った。一年後、衝突する隕石によって地球はどうやら滅ぶらしい。桜が散った、4月のある日のことだった。

 突然のニュースに驚きながら、思い出したように彼女は社長からの連絡を見返した。そこには会社は一年ほど休職扱いになるということが書かれていた。メインの事業所が燃えてしまったことでこれまでのデータやら何やらがほとんど吹き飛んでしまったらしい。ペーパーレス化を後回しにしていたツケだろう。しかしまぁ案の定、休職手当は一年分はもらえないらしい。多少の手当はいただけるようだが。一年後、会社が復旧したところで地球は滅ぶのだけれど。
「一年、どうするかなぁ……」
 突然今日から仕事はなくなるし、一年後には地球が滅ぶなどと言われてしまっては頭の整理のしようもない。というより、突然隕石だのなんだの言われても実感がないというのが実のところだ。試しに窓から空を見上げてみても、特段いつもと変わらない青空だった。あの空の向こうから、大きな石(というより岩?)が降ってくるらしい。テレビの向こうで賢そうな人たちがそう言っていても、いまだに何かの作り話のようにしか感じられなかった。しばらくはニュース番組をみていたが、繰り返し流れ続ける同じ情報を見ているのも退屈でテレビの電源を落とした。
「まぁ、しばらくは好きなことするか~」
 降って湧いた休みだと思えばいい。というか実際そうだ。棚からぼた餅も休暇も降ってきたようなものなのだから。実際降ってくるのは隕石だけど。ありがたいことにこれまで使う時間も与えてくれなかった弊社のお陰で貯金だけはある。一年食い繋ぐとなると厳しいけれど、しばらくの生活のことは気にしなくて大丈夫だろう。最近は趣味の料理もできていないし、たまには好きなものを目一杯食べるのもいいかもしれない。財布とスマホだけを持って、彼女はマンションを後にした。
 久しぶりに平日にスーパーに行ったが、外は特段いつもと変わらない。道ゆく人の話題は隕石の話で持ちきりだったが、それ以外は特に変わったところはないように感じられた。世界が滅ぶと言われた途端人々が暴れ出すイメージがあったが、ああいうのは小説や映画の中だけなのかもしれないと思った。スーパーも普通に営業しているし、パートのおばちゃんも変わらず働いている。道路を走る車は少ないように感じるが、誰もいないというわけでもない。電車もバスも動いている。むしろ平日の昼間に出掛けて買い物をしている自分の方に違和感を感じてしまう。
 食材や切らしていた生活用品を買い込んでマンションに帰るともう夕方だった。春がもう終わるからか、時間の割に外が明るく感じられる。普段明るいうちに帰っていないせいかもしれないけれど。久しぶりにゆっくり夕食を食べれるのが嬉しくて、いい肉を買ってきた。少し早いかもしれないと感じたが、今日くらいは時間を気にせず過ごしていいだろうとコンロの火をつけた。牛肉のハラミやロースを焼肉のたれをかけて焼く。その間にカット野菜を皿に開ける。肉がいい感じに焼けたらフライパンのままテーブルに置いておく。ちょうど音が鳴った炊飯器の蓋を開けると、もわりと湯気が目の前に広がった。白い艶のある表面にしゃもじをいれると、炊き立てのご飯の香りが湧き上がる。ご飯を茶碗に盛り、箸やコップを準備してテーブルの前に座った。
「いただきます」
 手を合わせながらテーブルの上を眺める。瑞々しいサラダ、まだフライパンの上でじゅうじゅうと音を立てている肉、湯気が立っているほかほかのご飯。そして何より、冷やしたグラスに注がれたビール。空きっ腹に酒は悪いとは知っているが誘惑には勝てない。箸より先にグラスに手を伸ばし、一気に煽った。苦味と冷たさが喉を満たす。炭酸が舌を刺激する。久々のアルコールの感覚に浸りながら、彼女は窓の外に目を向けた。まだそこまで暗くない外を眺めながら流し込むビールの味は格別に感じられた。一旦グラスを机に置き、箸を持って食事に手をつけ始める。最近は野菜もしっかり食べれていなかったから新鮮な生野菜が沁みる。いい具合に焼けた肉は、柔らかく味もいい。金額から目を逸らして、高い肉と高いタレを買って正解だったなぁと思った。お肉を食べながら、炊きたてのご飯をかき込む。タレが少し染みて柔らかくなった米粒を噛めば、米の甘さとタレのピリ辛さが口の中で混じり合う。夢中で食べ続けていると、あっという間に茶碗もフライパンも空になってしまった。最後にグラスの底に残ったビールを流し込めば、ふぅと深い息が漏れた。
「久しぶりにしっかり食べたなぁ」
 普段は遅くまで仕事をしているせいで、手軽にできるものや作り置きしたものを寝る前に急いで食べるのがほとんどだった。以前は休日にゆっくり料理をすることもあったが、ここ数年は休日でも疲れが抜けず料理をする気にはならなかった。やはりしっかりした食事を取るのは大事なのだなとぼんやり考えながら、洗い物を早めに済ませる。やる気があるうちに取り掛からないとやり始めないというのは二十数年生きてきた中での学びだ。風呂も寝る準備も済ませてベッドに潜る。糖質もアルコールも入り、しっかりと温まった体は既に眠気を訴えていた。ふとベッド脇の充電ケーブルに挿しっぱなしのスマホが目に入った。出かけてからスマホを見ていないことにふと気づいたが、特に何もないだろうと思い彼女は目を瞑った。会社から何か追加の連絡が来ていたとしても今は返す気にならない。同じ情報を繰り返すニュースもどうだっていい。今はただ、この体を満たす実体のある幸福だけを感じていたかった。自分の体の温もりを抱きしめて、深い眠りに落ちていった。
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