泡沫の同盟

夏野菜

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2話

解散

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大野先生に連れられて来たのは
鉄筋コンクリートで建てられた校舎の
3階にある社会科準備室で、
ここに来て大野先生の担当教科が社会だったことを思い出した。
初めて入ったそこは壁面には資料棚があり、奥の窓側には書類が積まれた机があった。
教室の真ん中にはシンボルのように
2人掛け程はある茶色のソファが置いてある。
「涼しい!涼しすぎる!」
「そうだろ~。こっちが俺の本当のアジト。」
クーラーの冷気はまだ部屋全体に行き渡っていなかったが、
熱暑に晒せれていた体には十分で汗が引いていくのを感じた。
メインストリートからは隔離されたような静かさで、生徒たちの廊下を歩く騒がしい音すら聞こえて来ない。
正直とても落ち着けて、居心地が良さそうだ。
「まあ適当にゆっくりして行きなよ」と
ぐるりと部屋を見渡す私に、まるで自分の家かのように我が物顔でソファを指差した大野先生は冷房のリモコンを操作していた。

「ソファとかあったんですね、びっくりしました。」
「ね、俺も前任の先生に好きに使っていいって言われてびっくりした。ラッキーだよね。」
「大野先生はよくここに居るんですか?」
「たまにね。こっち扇風機あるけど。」

そう言って教室の奥に進む大野先生の
後ろを着いていくと、机の足元にある
家庭用扇風機が横振り運動をしていた。
窓側に立つとプールサイドと、中村先生、それからクラスメイト達がよく見えた。
ホースを持った女子が水しぶきを男子に向ける。
その水しぶきに、わいわいと楽しそうにはしゃいでる彼らは
クラスの中でも特に目立つ男女グループだった。
掃除から一転、水遊びをしているようにも見える彼らは、
本来であれば別々の掃除場所に割り当てられていたにも関わらず、
仲がいいので一緒に行動をしたい、プール掃除の方が楽しそう、という理由で合流してきたのである。
中村先生が数回、自分の持ち場に戻るように注意をしたが
「もう終わった」「代わってもらっただけ」と言い訳をして、言う事を聞こうとしなかった。
しかし中村先生はいつまでもプール組に
張り付いている訳にもいかず、更衣室組の様子も見に行きたがったが、
この自由人な生徒達がまともに掃除を
終わらせてくれると思えず、監視の目を
増やしたいと言う事で、どこかでサボっている大野先生を探してくるように、
私に白羽の矢が立ったのだった。
だけどごめんなさい、中村先生。
私も一緒にサボっています。
私も彼らと同じで自分の居心地が
いい方を選んだのだ。
扇風機の前にしゃがみ込むと、
風が髪の毛の細い隙間を縫っていき、
胸まである髪が立て髪のように膨らだ。
「あーあボサボサじゃん」
先生が座っていた回転椅子を軋ませながら背後に来たのが分かった。
それは先生の手が私の髪に触れたのと
ほぼ同時の事だった。
「三つ編みできそう。」と呑気な声色で
私の髪を優しく扱う。
「どうやってやるんだっけ?束って3つ作るんだったよな。」
知ってる?とこちらを伺ってくる。
しかし今はそれどころではなかった。
私よりも一回り大きな手から体温が
流れ込んでくるようで
暑くもないのに額に汗が滲み、
身体中を巡る血液を感じ取れるようだった。
「ごめん普通に三つ編み無理だった。できないわ。」
そう言って絡まってしまった髪を手櫛で
梳かすその手つきは、子猫でも撫でる
みたいに優しく、髪の毛の一本一本が
大野先生の指先掠める。
まるで自分が触っているかのように指先がじんわりと熱くなる。
しかし今すぐ手を振り解きたいほどの
嫌悪感はなく、不思議な感覚だった。
安心感があるというにはあまりに
大野先生の事を知らなさ過ぎる。
去年この学校に赴任してきて、今年から
クラスの副担任になるまで一度も話した事はなかった。
授業を受けたのも2年生になってからだ。
知っている事と言えば、硬くない授業
スタイルや、話しやすい人柄の雰囲気もあって生徒からの評判はいい。
それから中村先生とは同い年で気が合うのか教室以外でも良く2人で居るのを見かける。でもホームルームや、全校の集まりには殆ど顔を出さない。
大野先生のプライベートな一面は
何も知らない。
しかしもう少しこのままでも良いかも、と自分の気持ちに素直に従い
大人しくしていることにした。

「先生、良くないけど私サボれてよかったかも。掃除メンバー居心地悪かったから。」
「んー?そのメンバーと仲悪いとか?
まあ俺としても意外だったけどね。
立花さん真面目なイメージだからついて来ると思わなかった。
何かあったのかなとは思ったけど。」
「全然何もないし、良いも悪いもない関係って感じです。関わる事がないっていうか、クラスメイトなのに良くないですよね。でも私ちょっと苦手なんです。」

謎の安心感に身を委ねるかのように、
思わず澱んだ自分の気持ちを吐露したのは
誰かに聞いて欲しかっただけの自己満足なのかもしれない。
でも大野先生に聞いてほしいと思った。
そして、聞かなかった事のようにただ受け流して欲しかったのだ。
しかし大野先生から返ってきたのは、大人としての、教師としての言葉だった。

「無理に人に合わせる必要なんてないんじゃない。俺だって苦手な人のタイプいるし、きっとみんなそう。誰にでも合わせてたら板挟みになってしんどくなるのは
自分自身だから。自分だけは見失っちゃダメだよ。この先社会に出たらそんなの山ほどあるけど、こうやってちょっとサボって息抜きするのも大事だよ。」

大野先生からの思いがけないアドバイスは何にも引っかからず、純度の高いまま
案外簡単に私の胸に落ちた。
よし、と髪を整えていた手が子どもを
あやすように頭のてっぺんで2度弾む。
思わず見上げた大野先生は童顔のせいか
幼さの残る微笑みを浮かべていた。
今この瞬間の撫でられた髪と、自分の子供っぽい発言、向けられた微笑みの
何もかもに今さら恥ずかしくなってしまい、
顔中から湯気が吹き出したようで
いたたまれず、すぐに目を逸らした。
「さて、そろそろ戻るか。中村先生にバレないうちに。」
そう言って先生は椅子から立ち上がり、
また猫のように伸びをする。
しかし、「あ。」と呟くと突然ピタッと止まってしまった。
その顔は窓の外に向いている。
私も恐る恐る中腰になり、
窓の外を見ようと少しだけ顔を出した。
プールサイドからこちらを見ているのは
間違いなく中村先生で、ひくッと
引き攣った笑みを浮かべていた。
私も同じようにあ、というと大野先生は
驚くほど機敏な動きで隣にしゃがみ込んで、
手遅れか~と項垂れてしまった。
「一緒に怒られてくんない」と諦めた様に
笑う大野先生に、「私は大野先生を探しに来たんです。同盟は解散です!」と言い放って教室を飛び出した。「裏切り者~。」と
いう弱々しい声が誰もいない廊下に響き渡った。



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