黒い神様と死神さん

優戸

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第二夜の壱

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 憂鬱だ。
 お前は何故、わざわざそのようなつまらないことを尋ねたのか。
 
 こんなところで何をしているか、だって。
 そんなもの、ただの暇潰しに決まっているだろうに。



  暇潰しだよ、人間なんてものは。







黒い神様と死神さん 
  第二夜「と或る男の後悔」




 天井の無い白い部屋。四方も霧がかったようにぼやけているだけで、行き止まりはない。
 圧迫感もない代わりに、落ち着かない空間。そんな部屋に置かれているのは、豪勢な木彫りの施された、ニスの輝く木製の長机と椅子だけだ。
 昨夜から一夜明け、俺は机に山積みにされた資料の前で、上半身を投げ出して伸びていた。
「疲れたー……なんだって数時間留守にしただけでこんなに仕事が溜まってるんだ……」
 悠々と帰還した俺を、烈火の如く叱り付けた側近の顔を、嘆息しながら思い出す。
 あいつは絶対俺に嫌がらせをしている。でなければ、二メートル級の山が五つも六つも出来るわけがない。
 うんざりとして顰めっ面をこしらえていると、部屋の中央部に前触れもなく、黒い竪穴が出現した。扉のように見える長方形のそれは、正にこの部屋へと続く扉で、そこから更なる紙束を抱えた白装束の男が歩み寄ってくる。
 長い裾を引き摺って、胡散臭い薄笑みを眼鏡の奥から覗かせた男は、薄情にも言い放った。
「お仕事頑張ってますか? これは追加分です」
 つい、蛙の潰れたような声を漏らしてしまった。
 容赦なく机に置かれる、その新たな小山を横目で見遣る。頑張るもなにも、まだ増やされるのかと思うと、気力も根こそぎ奪われようというものだ。
「お前、いい加減にしろよ……どれだけ必死になっても終わらねーよこれじゃ……」
 既に虫の息の俺を、長い金髪を横脇で纏めた色男が叱り付ける。指で眼鏡を押し上げると、生真面目で勝気な翠の瞳が吊り上がった。
「神よ。いい加減、観念して仕事を片付けなさいませ。でないと永久にこの部屋からは出られませんよ。出しません。ええ出しませんとも」
 そこから関を切ったように、俺への説教が始まった。まったく、折角の色男なのに口煩いとは、勿体無い男だ。もう少し寡黙なら、宮中の女官達にさぞモテただろうに。
 耳喧しい側近の説教を聞き流しながら、俺はぼんやりと、昨夜のことを思い返していた。
 俺は、あの瞳から逃れるように天界へと舞い戻ってきた。
 闇よりも濃い死神。幼顔とは裏腹に、古風な言葉遣いをする奴だった。神と讃えられる俺を、下っ端の身でありながら、臆せず真正面から見据えてきた。
 ああいうのは、地位の高い職務を与えられて常に偉そうにしている、眼前の男とは違う。生真面目そうな眼差しは似ていたが、もっと、そう、掃き溜めに塗れても高潔さを失わない、そんな存在だ。

 俺とも、違うと思った。

 死神なんて、人間嫌いのやさぐれた連中のする仕事だ。唯一の愉しみが、自分の迎えに行く人間の死に様だという者も多いというのに、あの死神は、迎えた魂を後生大事に懐にしまっていた。人間なんていう、その他大勢で、あっという間に命散らすつまらない魂を。

 ──貴方は何故、こんな下界の片隅にいらっしゃるのか?

 思い出すと、徐々に胸がやきもきしてくる。馬鹿にした質問だと、言われた瞬間は頭に血が昇りかけた。
 だが、分かっている。その問い掛けは単に、仕事のことだけを尋ねたのだということくらい。
 なのに俺は、何故だかそれを、責められた気になったのだ。
 こんな下界の片隅で、人間観察でもしておられるのか、と。
(誰が、あんな下らない存在に興味を持つものか……)
 けれども、あの死神は持っているのだろうか。
 少なくとも人の魂に対して、業務以上の感情を。
 作り物のような無表情のなかに在って、異彩を放っていた、あの瞳の意味するものは何だろう。
 決意してからは、早かった。
「悪い、クラウス。俺もっかい下界に降りてくるわ」
「はい?」
 延々と説教を続けていた側近は、まったく関係のない俺の発表に面喰らい、固まってしまった。
 それに構わず、俺は机を跳び越すと、一目散に駆け出し跳躍する。
 なにも無い床に激突する直前、丸い穴がぽっかりと口を開き、それは俺を飲み込んで、あっという間に跡形もなく消え失せた。
 後に残されたのは、未処理のまま放置された書類の山と、呆けたままの色男。
「ちょ、ちょっと、まだお話は終わっては……。ああぁ、もう! マリス様──ああぁ!!」


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