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第一夜の弍
しおりを挟むつまらない、くだらない。
何だってこんなにも喧しく騒ぐのかね、人間て奴は。
小高い崖の草場で寝そべりながら、眼下に延々と広がるネオンの光を眺め、そう思った。
地平線の彼方まで続いていそうな、雑然とした街の煌々たる人工の星。本来なら眠りに落ちているはずの生き物が、自分達の作り出した昼に身を沈め、享楽にふけっている。
摂理に反したその世界に、純真なものなど何も無い。ただただ汚らわしい欲だけだ。
ほらみろ、本物の星が失われている。
首をもたげて空を見遣れば、在るのは灰色に浮かんだ、淀んだ雲。
そんな光景を見せ付けられては、溜息を吐いてぼやくを繰り返していた。
「はぁ……。何だってこんなモノ作ったんだろうなぁ、神は」
本人にそう問いかけても、返って来るのはいつも、一物を含んだ笑みだけなのだが。
「…………。厭きたな。どっか行くか」
上半身を軽く振って起き上がる。地面に着いた足を踏ん張って膝を伸ばせば、更に遠くまでを見渡すことが出来た。
それでも、望めるのはひたすらにゴチャゴチャとした景色だけ。男は頭を掻いた。
「場所が悪かったよなぁ。歓楽街だし。流石に全部が全部、こんなんじゃないとは思うが」
なんにせよ、一際目立つあの風俗店のピンク色の看板は、すこぶる趣味が悪いと思う。けれど、それをすんなりと受け入れてしまっているところが、自分自身相当汚れている証拠なのだろう。あれはあれで、アリなのではないかと思ってしまう。
別に、自然を愛しているわけではない。汚いものは認めないだとか、不正なことは許せないだとか、そんな善人であるわけでもない。
そもそも、人でない。
そう、自分はただ、無駄に足掻いて騒いで欲に走る人間という生き物が、どうにも理解出来ないだけなのだ。それなのに、その欲を抑え込もうと、これまた足掻く人間も大勢いる。難儀な話だ。
何故そのまま侵されて、滅びる道を歩まない。
何故、わざわざ逆らって生きようとする。
環境破壊だ、食料危機だ、自らが招いた破滅への道を、今更足掻いて改善しようとして、一体何になるというのだ。
今更自分達の生活の質を、落とす勇気も無いだろうに。危機による、豊かさという恩恵を、しっかり受け取っているのだろうに。
少々の不具合が何だと言うのだ。
ならば初めから、貧しく生きればよかったのだ。
「ホント。理解に苦しむわ」
呆れ半分に呟いて、背中にくっと力を入れた。
バサリッ。
空気を割く重みのある音とともに、澄んだ夜の翼が大きく羽根を広げた。こんなハリボテの羽根でも、空を飛ぶのには便利だ。
そのまま地を蹴って崖から舞い降りる。高くひとつに纏められている、翼よりも少し明るみのある紺色の髪が尾を引いた。崖下に広がる林にぶつかる寸前に羽根をバタつかせて水平に風を切り、夜空に紛れながら街の方へと飛んでいく。
眼下は相変わらずの、騒がしい人の群れ。皆ネオンに紛れるのに夢中だった。
そんな光景に呆れつつ飛翔すれば、やがて歓楽街からは遠ざかっていく。歓楽街を少し離れれば、次に広がるのは小さなビルやアパート、薄汚れた一軒家の乱立する住宅街だ。空にまで漂ってくる、ゴミ溜めの臭い。あまり治安の良い地域ではないらしい。
顔の歪む悪臭に鼻を押さえていると、ふと、瞳がある光景を捉えた。
そこそこの広さのある市営公園の横に、人だかりとパトカーが群れている。サイレンがグルグル回り、夜闇に不気味な赤を差し込んでいた。
その光に照らされて、何かが見えた。アスファルトに、黒光りした大きな水溜りをこしらえ、そこかしこに尾を引き飛び散っている液体。
あれは、血だ。
下卑た好奇心をくすぐられ、人知れずそこへ降り立った。誰もが黄色いテープの向こう側に夢中で、空から人が降りてきたことなど気付いてもいない。羽根を素早くしまうと、近くの若い男に尋ねてみた。
「なあ、何かあったのか?」
すると男はさして気にする風でもなく、爪先立ちになって体を伸ばしたり揺らしたりしながら、こちらを見遣りもせずに無感情に言った。
「あー、なんか女の子が車に轢かれたらしいよ。ありゃ死んじゃったかもなー」
「……へぇー」
目を半眼にして、生返事をする。
案の定、さして面白くも無い内容だった。女が一人死んだところで、自分の業務は変わらない。せめて痴情のもつれという話でも絡めば、少しは面白味もあっただろうに。
この男もこの男で、この言い草は随分と薄情だ。仕方ないのだろう、所詮は他人事なのだから。誰かの不幸に対して、明日は我が身かもしれないなどと、この男は考えたこともないのかもしれない。
たまたま時間が空いたので、暇潰しに降りてきた下界だったのだが、結局大して興味をそそられるものも無かった。
帰ろう。
そう思って踵を返した、その時だった。
気配を感じて、思わず振り返る。
異種だが、同族の気配。
血溜りの傍らに、そいつは立っていた。
サイレンの赤い明滅に浮き彫りにされている、闇色の者。マントに頭から全身を包まれ、闇よりもなお深く沈んでいる。
誰もそれを見咎めていないということは、不可視状態になっているのだろう。すぐ側では、警察や鑑識が、変わらず慌しく動いていた。
闇色の者はその血溜りに、青白く線の細い手をかざすと、すっと軽く上へ引いた。
するとその動きに従属するかのように、広がる血溜まりから、白とも黄色とも取れぬ丸い発光体が、ふわりと浮き上がった。
そのままふわりふわりと漂い、それはかざしたままの手に収まる。闇色の者は、その球体をしばし見詰めると、丁寧にそっと懐にしまった。
もうこの場に用は無いと、いっそ冷たさを感じさせるように踵を返し、現場を立ち去ろうとする。それが突如足を止め、俯きがちだった顔を弾けるように上げた。
漆黒の瞳を驚きに見開いて、真っ直ぐに見遣るのは、自分。
不覚にも気圧された。
バツの悪い思いで頬を掻き、視線を逸らして軽く手招きをする。怪訝な視線を外さぬまま、そいつはフードを外しながら、こちらへとおずおず近寄ってきた。
人を真っ直ぐに見る奴だと思った。悪く言えば、生真面目そう。申し訳ないが、苦手なタイプかもしれない。
近くで顔を認めれば、どうやら男であるらしいと分かる。しかし輪郭が柔らかく、綺麗な顔立ちだ。見た目には、十七、八に見える。
少し距離を空けてそいつが立ち止まっても、その視線は外されない。何を言うでもなく、ただ懐疑的な沈黙が流れる。居心地が悪かったので、取りあえずこちらから話を切り出すことにした。
「あー、さっきの見てたよ。ご苦労さん。死神の仕事をちゃんと拝むのは初めてだ」
「……。それはどうも。労いの言葉、痛み入る」
見た目にそぐわない古風な言葉遣いに、少々面食らってしまった。
そう、彼は死神だ。下界で寿命を終えそうになっている人間の魂を迎えに行き、天界へと続く門まで送り届ける。 それ以外の仕事はない。ただひたすらに、永遠にそれをし続ける。死がこの世から失われるまで。
言ってしまえば、使いっ走りの下っ端だ。本来ならば自分とは住む世界が違う。こうやって出会うことも、天文学的な確率で有り得ないことだった。
俺達は地上とは違う時間軸に存在しているから、見た目も精神年齢も年を食わない。いくら長生きだろうと老齢していきはしないから、これは彼そのものの放つ雰囲気なのだろう。少年の面に、どこか大人の落ち着いた雰囲気を纏っていた。
その彼が、依然としてこちらを真っ直ぐに見詰めたまま、口を開いた。
「労いの言葉は痛み入る……が、貴方は何故こんな下界の片隅にいらっしゃるのか? ご自分の職務はどうされた」
続いて放たれた言葉は、頭の芯に鐘のような余韻を響かせて、俺を憂鬱にさせた。
「我等が長。全知全能を引き継がれた、『神』よ──」
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