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第一章
それぞれの物語2
しおりを挟む部屋のベットに身を投げ出すなり、ジェントゥルは動かなくなった。食事を摂りにいっただけなのに、要らぬ疲労を溜め込んでしまっていた。
その隣にルゥが遠慮もなく座ると、木で出来たベットがギシリと鳴いた。弾む声でジェントゥルを呼ぶ。先ほど女将に怒られたことなど、すっかり空の彼方のようだった。
「ねぇセルっ、これどうかな? 似合うかな」
「んー……?」
ジェントゥルが億劫そうに顔を向けると、ルゥがウェルドから貰った結い紐で、髪を短く束ねていた。
腰まである長い髪は左肩に流され、胸にかかるぐらいのところで輪に巻かれ、首の辺りで紐によって固く縛られている。髪の先端が少し流れ出て、いいアクセントになっていた。
「これで少しはマシに見えるかな、どうかな」
その弾んだ問いかけに対し、ジェントゥルはやけに長いため息を吐くと、再び顔を枕に埋めた。
「女顔に変わりはない」
先ほどの仕返しとばかりに棘を吐くジェントゥルに、ルゥは苦笑を浮かべた。
「ごめんって、あんまり楽しかったから、つい。あんなの、城では絶対に出来なかったことだからさ」
だから許してくれと、大人びた顔で微笑むルゥを見たら、もうそれ以上、ジェントゥルにかれを責めることなど出来なかった。大仰にため息を吐いて、かれの頭を撫でてやる。
ジェントゥルの機嫌が直ったらしい様子に、ルゥはほっと、安心したように笑みを浮かべた。
「しかし、よくもあれだけの嘘が、詰まることなく出てきたよね。馴れてるの?」
「まぁ、ある意味な。だてに『吟遊詩人』なんてものを、生業にしてるわけじゃないよ。自作の物語を語って、いかにそれを矛盾させることなく相手に伝えるか、そこが腕の見せ所なわけだからな」
吟遊詩人としては、自分はまだ未熟だと思っているジェントゥルだったが、昨夜の青年やウェルドは、その「自作の物語」にまんまと引き込まれてしまったということになる。吟じることが特別苦手なのだろうかと、ジェントゥルは自分で自分を疑問に思っていた。
「へぇ……」と、素直に感心するルゥに、ジェントゥルは苦笑を浮かべる。
「旅には、ある程度の口八丁手八丁が必要になってくる。そういうのが得意じゃない人間を狙う、悪い輩もいるからな。俺はもともと口がそれほど苦手じゃないし、手先も器用だったから、まぁなんとか今までこうやって無事に旅をしてこれてる。帰る故郷もないから、必然的に身についたともいえるけどな」
「え、故郷、ないの?」
驚くルゥに微笑むと、ジェントゥルは眼を寂しげに細めた。
「ないよ。もうどの国にあったのかさえ、朧気で思い出せない。故郷を失くしたのが五つの時だったからな。それからなんとか一人で生きて、七つの時にとある人に助けられたんだ。それからはまぁ、色々あって、こうして旅をしてるってわけ。なんだよ、そんな顔するな。俺は別に、自分が不幸だなんて思ってないんだからさ」
自分以上に悲しそうな顔をする少年に、笑みを向けて頭を撫でる。自分だって大変だろうのに、本当に素直な子だと、ジェントゥルは幸せな心持ちになった。
「ま、それはさておき。気分転換に外にでも出かけるか、昨日見て周っただけでもまだまだ色んな食べ物があったからな。屋台かなんかで摘みながら、必要な物を買ってこようじゃないか」
「……さっき食べたのに、まだ食べるんだ」
薄暗い表情を消して、ルゥは可笑しそうに笑う。出会った夜に、かれが使っていた藍染の布をルゥに投げ渡すと、ジェントゥルもにやりと笑った。
ウェルドに宿の門限を訊ねてくると言い置いて、ジェントゥルが一足先に階段を下りていく。階下は相変わらず賑わっているようだ。
渡された布を見詰めながら、ルゥはしばし物思いにふけっていた。
すると、ふと、室内にきんとした緊張が広がった。
琴を張り詰めたかのような静寂が流れる。音が、なに一つとして聞こえない。漂ってくる異様な違和感だけが、場を支配し、電流でも流れているかのように、皮膚をピリピリと痺れさせた。
布を見詰めたまま、ルゥは言った。
放たれた声は、子供らしさを一切感じさせない、威圧的なものだった。
「どうして僕をつけ回すのか知らないけど、身を隠すならもっと注意して欲しいね。ずっと僕たちのことを見ていただろう。君みたいな存在がまた現れるようになったことは不思議でしかたないけど、とにかくその障気は不愉快だ」
そして、命令するような強い語調でもって、吐き捨てた。
「あの人に手を出したら、ただでは置かない。地の果てまでも追いかけて、かならず息の根を止めてやる」
そう釘を刺すと、しっかりとした足取りで、ルゥは部屋を出ていった。階段を踏みしめる音が次第に遠ざかって行く。
そうして、誰も居なくなった部屋で。
音も立てずに、室内がぶれた。
水の波紋のように、空間が歪んでいく。それが治まると、部屋の様子は、以前と少し違っていた。鼠色の短髪を後ろに流した線の細い、けれどもしっかりした体つきの男が、腕を組んでそこに泰然と佇んでいたのだ。
年の頃なら三十半ばそこそこといったところだろうか。精悍な顔つき、墨色のピシリとした正装、威厳とも呼ぶべき雰囲気を漂わせながら、男はなんとも愉しそうにクツクツと喉を鳴らした。
「怖い怖い、侮ってはいけませんね。幼子と言えども『竜族』ということか。完全に絶ったはずの、私の障気の残滓を嗅ぎつけるとは」
(さすがは、白竜の血を受け継ぎし、≪栄光≫の子。齢十にしてなかなかに頭も切れるようだ。我等が宿敵、竜と血を分けし眷族、子どもと甘く見ていてはこちらの身が危ないか)
男の唇が歪む。酷薄な笑みを張り付かせて。
「ふん。地の果てまでも追いかけて息の根を止める、ですか。それはね、こちらの台詞ですよルオカス王子」
忘れはしない、あの屈辱。その時代に生きてはいないが、与えられたものはしかと受け継がれ、憎しみとなってこの身に刻み込まれている。
「我等、『魔族』の誇りを汚した大罪は、貴方がた総てを葬ったとしても晴れはしない」
不意に、周囲に黒い霞がわだかまり、男をすっぽりと包み隠した。
それが晴れる頃には、男の姿はまるで、消滅したかのように消えていた。
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