竜国の王子 邂逅克服編

優戸

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第一章

それぞれの物語1

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第三話 それぞれの物語





「ほぉお。拾った、ねえ」
 正午になるかならないかの暖かい、うららかな時間。陽が一番明るくて、世界の全てが最も美しく、輝いて見える時間。
 宿泊している宿屋の主人にルゥのことを話し、思い切り不審な目で見られたジェントゥルは、平静を装いながらも、背中にじっとりと冷汗をかいていた。
 ルゥが起きて来なかったために朝餉には間に合わなかったが、先ほど二人で食事は済ませたところだった。
「えぇ、最近多発しているらしい野盗で家族を亡くしたらしくて。可哀想だから、道端にうずくまっていたところをひっ捕まえて連れてきたんです。しばらくこの子も厄介になりますよ。あ、お代はちゃんと二人分払いますんで、ご心配なく」
 そう言って笑う吟遊詩人をまだ不審そうな目で見回しながら、宿屋の主人ことウェルド・ザグノーラは、恰幅の良いその体をゆっくりとまわして、後方を変わらぬ表情のまま見やると、呟いた。
「……そうは言ってもなぁ」
 ジェントゥルも、彼と同じ方向に目を向けた。
 この宿は、同時に一階で食堂も開いている。近くに住む町の人々には馴染みの店だ。
 二人が見つめるその先には、ここへ軽食を取りに来ていた若い女性数人に囲まれて、顔をりんごのように赤くしている少年の姿があった。恥ずかしさのあまり、小ぢんまりと俯いてしまっている。
 ルゥは今、城の普段着である上等な着物ではなく、ジェントゥルが午前中に町の古着屋で買ってきた、いかにも質素なものを身にまとっている。真新しいものだと怪しまれるかもしれないという、彼の配慮だ。
 日に焼けた、無地の白い木綿の服。少しばかり丈が短く、細い手首が見えている。なかには黒色の肌着を着込んでいて、白の合間からちらりと肩口で黒が覗く。下は浅い蒼の洋袴で、こちらは逆に丈が長いのか、足首のあたりで少々わだかまっていた。
 全体的にゆったりとした動きやすい服装だ。その少年の左手首には、黒い皮ひもが三重に巻かれて垂れ下がっている。
 体の一部に皮の紐を巻きつけるのは、吟遊詩人の特徴だ。仮にも追っている立場の人間に、かれのことを「身内」とうそぶいてしまったのだから、ということらしい。ジェントゥルなりに、わずかでも後ろめたさを軽減しようとした策だった。
 顔を赤くして硬直してしまっている少年に、取り巻きの女性の一人が弾んだ声で話しかけた。
「ねーねーキミっ、名前。名前なんてーの?」
「え、名前、ぁ、はいっ」
 勢いよく頭をもたげる。緊張のため少々言葉がつかえたが、しっかりとその問いには答えた。
「ルゥ、です」
 その名を口にした途端、少年は胸に、ぽっと燈がともったのを感じた。心寂しい帰り道、家の明かりを見つけたときに感じるような、じんわりとした安心と温かさが広がってゆく。
 少年は思う。
 これは、自分の名だ。
 なんのしがらみも束縛もない、人から恐れられることもない、自由に名乗れ、自由に呼んでもらえる、自分だけの名。お飾りなどではなく、生きた温度を持っている。
 こんな素晴らしいものを与えてくれた彼に、ルゥは深く感謝した。
「『ルゥ』だってぇ! かっわいいっ」
「顔は女の子みたいなのにねぇ」
「つけた親のセンスがいいね!」
 だよねー、と、声を合わせて楽しそうに笑う城下の女たちは、とても元気がいい。
 「女の子みたい」と、あからさまに言われて少しばかりショックを受けたが、なんだか自分まで楽しくなってきて、それとなく話していくうちに、自然と声を上げて笑っていた。
 会話が弾む。自分がいたところとは大違いだ。合間に、あらためて店の中を見渡してみる。
 明るくて、活気があって、人が人のまま生活できるところ。心を偽らなくても、誰もがそのままのその人を受け入れて、そして、親しくなってくれるところ。
 あのまま「あそこ」にいたら、こんな場所が在るだなんて知らなかっただろう。もしもずっとあのまま、「あいつ」の言いなりに部屋に閉じこもっていたならば、自分はもうとっくに、壊れていたかもしれない。
 顔も見せずにただ、傍らにたたずむだけの飾りだった。「あいつ」にとっては違ったのかもしれない。だが自分にとってそれは、「物」にも等しい扱いだったのだ。
 それはなんだ。美しいだけの人形だ。思考することを許さず、意志も認めず、他人の痛みや気持ちなどを思いやる余裕も剥ぎ取られ、ただ、時間だけが過ぎてゆく。
 今思うだけで、ぞっとする。
 だから、ここに来られてよかった。本当に、そう思う。
 ふと、ルゥの視線がジェントゥルとかち合った。さきほど彼女らに褒められたことで、かなり上機嫌と見える。にぃーっと意味あり気に口端を弓なりに反らして、冷やかすように手を振っていた。
 ルゥは即座に冷たくあしらうと、また楽しそうに話の輪に加わった。
 無視された当人は、少しばかり傷付いた。
(あいつ、素はわりとキツイ性格なのかな……)
 すると見計らったかのように、ウェルドがまた話を切り出してくる。
「アレを、ただの遺児と信じろというのは、ちと難しいんじゃないのか? 髪の艶、色、小奇麗な顔、どう見ても俺らとは違うだろう。あんな子ども、ほいほい道端に転がってるもんなのか、ジェントゥル」
 ここの宿の主人は、苦も無く自分の名前を口にする。
 彼も元々、外からやってきた旅人だったらしい。滞在している間に女将さんと恋仲になり、ここに骨を埋めることを決めたのだという。自身の名前から推測しても、故郷では、この国では馴染みのない発音も使われていたらしかった。
 ちなみに彼の名前はなんとか発音できないこともないので、無理矢理知り合いたちに覚えさせたのだそうだ。
 疑心に満ちた眼差しで、真っ直ぐに見据えられる。目深に被った日除けによって、誰の眼にも触れないうなじに、ジェントゥルはまた嫌な汗をかいていた。
「さあ、俺はこの国の内情に疎いもので、よく分かりません。でも、あの子に身寄りがないことは間違いないですよ、本人がそう言ってました。それが嘘だとしても、帰りたくない余程の事情があるんでしょう。あの子が自分から言い出すまで、俺は責任持って面倒をみるつもりです。本当なら子どもの一人や二人、いてもおかしくない歳ですからね」
 そう言って、僅かばかり困ったように笑ってみせた。見た目には若く見えるが、その実ジェントゥルは、それなりに歳をとっているのだ。
 すると、それを無言で聞いていたウェルドが、不意に椅子を押して立ち上がった。
「あ、あれ、ウェルド小父?」
 戸惑うジェントゥルに構わず、彼はそのまま真っ直ぐに、ルゥの方へと歩いていく。全身の毛穴が引き締まる緊張に、ジェントゥルは見舞われた。
(しまった、バレたか……っ?)
 だが、焦ったところを見せてしまっては終わりだ。強張る面持ちで、じっとウェルドの行動を見守る。
 近づいてくる彼に気付いたルゥが、側に立つウェルドを見上げる。
 不思議そうにウェルドを見詰める少年にふっと笑いかけると、彼はおもむろにズボンから、髪を結うための紐を取り出した。
「お前さ、見ててややこしいから、コレで髪結んどけ」
「「――へ?」」
 ルゥとジェントゥルの、呆けた声が重なる。ウェルドは構わず続けた。
「見たところ、その顔気にしてるみたいだしな。女顔も、結っときゃそれなりには見えるだろう。うちの家内のもんだが、まぁ、受け取っとけ」
 そう言って、唖然と見上げているルゥにそれを手渡した。
 黒くて頑丈な結い紐だった。ルゥはしばし気の抜けた顔でそれを眺めていたが、やがて、その紐をぎゅっと手に握り締めると俯いてしまった。搾り出すように声を発する。
「ありがとう、ございます……」
 満足そうにウェルドが微笑んで、ルゥの頭を豪快にくしゃくしゃと掻き回す。それでも俯いたまま頭を上げない少年に、彼は不思議そうな顔をした。
「あの……ひとつ、訊いてもいいですか?」
 そうしていると、ルゥからそんな言葉が投げかけられた。ウェルドが戸惑いがちに頷くと、顔の表情を見せないまま、少年は言った。
「僕って、『女の子』に見えますか?」
 ウェルドと女性三人が、きょとんとした表情で互いに顔を見合わせる。
「いや……別に『女顔』ってだけで、仕草とか言葉遣いでなんとなく分かるだろうよ」
「そうだよ? ルゥくんはまだ子どもだから、私たち『可愛い』って言ってるだけで」
「もしかして気にしてた? ごめんね」
「大丈夫だよ、ルゥくんの顔は将来ぜったい美男子になる顔だから! そしたら私をお嫁さんにもらってねー」
 「やっだ、あんた相手いるでしょーっ」とからかって、また笑いが広がった。女性のひとりから頭を撫でられているルゥは、それを聞いてやっと顔を上げて破顔した。
「そっか!」
 その笑顔が女性のツボを付いたのか、頭を撫でていた女性がたまらずに少年を抱き締める。残りの二人も、黄色い声を上げてルゥの体を撫で繰り回し始めた。ウェルドは流石に付いていけなくなったのか、それを見て顔を引き攣らせている。
 ジェントゥルは思う。
(意外と根にもつなぁ! あいつ!)
 明らかに、昨夜の自分のことを蒸し返したルゥの性格というものを、ジェントゥルはこの合間に急速に理解していった。 
 だがそれも、素直になればこそだと、かえって嬉しくも感じていた。人知れず笑みを零して飲み物を煽っていると、ふと視線を感じて眼を遣った。
 あの四人が、呆れ果てたような眼で自分をみていた。
「え? な、何事ですか……」
「お前、いくらなんでも『それ』はないだろう」
 ウェルドのそんな言葉に疑問を感じていると、こちらをにや付いた笑みで眺めているルゥと、眼が合った。急速に理解し、慌てて椅子から立ち上がる。
「お、お前! それこそ『それ』はないだろう!」
「知らないよっ、セルの眼が節穴なんだろ。助平だから僕の性別だって間違えるんだよ」
 舌を出して怒るルゥに、怒るジェントゥル。
「だ、だれが助平だ! 変な言葉を口にするんじゃないっ」
 「男はみんな助平よ。」という女性の声が聞こえたが、それには綺麗に耳を塞ぐ。
 ルゥが煽るせいで、二人は人の多い食堂内で追走劇を開始した。
 周りは可笑しそうに歓声をあげ、食堂内は大いに盛り上がったが、食器をいくつか駄目にしてしまったため、二人して女将さんにこっ酷く叱られたのだった。



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