竜国の王子 邂逅克服編

優戸

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第一章

「名をあげよう。」

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第二話 「名をあげよう。」






 夜はすっかり明け、あちこちから小鳥のさえずりやら人の話し声やらが、穏やかに聞こえてくる。
 窓から入ってくる明るく暖かな陽射し。風で揺れる木々のざわめき。抜けてしまいそうなくらい青い、雲もまばらな広い空。この国は朝も気持ちがいい。
 そんな爽やかなちょっとした一時を堪能しながら、吟遊詩人ことジェントゥルは、自分のベットを占領した幼き少年をちらと見やると、大仰にため息を吐いた。彼がとっていたのはひとり部屋で、寝床であるベットは一つしかない。しかもそれは、大人一人が横たわるだけで精一杯の大きさしかないものだった。
 そこに今、ひとりの見目麗しい十歳程度の少年が、気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。女の子にも見紛うほど顔立ちの整った美童なのだが、如何せん、掛けたシーツを遠くへ蹴飛ばしてぐちゃぐちゃにしてしまうほど寝相が悪かった。
(本当に、やんごとない身分の人間なのか? こいつは……)
 少年のせいで昨晩──あるいは今朝か──結局床で寝る羽目になったジェントゥルは、体の節々が痛みを訴える中、よだれを垂らして幸せそうにこんこんと眠る少年を胡乱気に見やった。だがそれも仕方ないかとひとつ息を吐き、苦笑する。
 すっかり泣き疲れてしまったのだろう。涙の跡の残る頬を親指で拭ってやれば、少年はくすぐったそうに笑いを浮かべて身じろきをする。
 あの後、男はなんとか「かれ」を宿の自室に連れ帰ると、一先ず温かいスープをカップに入れて手渡した。





「ほら、これ飲みな。いくら地元の人間でも、夜に出歩けば体もずいぶん冷えただろ」
 少年が力の限りつねった二の腕をさすりながら、男はベットの上に膝を抱えて座り込んでいる少年へ、ほれと木製のカップを差し出した。その中では、宿の女将さんに無理に頼んで温めてもらった白濁したスープが、美味しそうな湯気を立てている。
 だが少年はまだ不貞腐れているのか、男の言葉にまったく反応せず、ベットの上でひたすらそっぽを向いていた。男は困り顔で再度言う。
「あのなぁ……あのままじゃお前絶対に捕まってたぞ? 向こうだってここいらの地理を熟知してるんだろうに。明るくなったら雑踏に紛れて抜け出せるから、それまでここで大人しくしてろよ」
 だが、少年は相も変わらず無視を決め込む。これには男も辟易した。にわかに明るくなってきている部屋のなか、その空気だけは薄暗いままだ。かといってカップを引っ込めるわけにもいかず、男は首筋を指で掻きながら、少々投げやりに言った。
「あぁもう悪かったよ、謝るよ。女と勘違いして悪かったっ」
 それでようやく少年が男の方を向いた。なんだかんだでやはり腹が空いていたのだろう、男が差し出していたカップを素早く受け取り口をつけたが、熱かったのか、ビクリと体を震わせるとすぐさま顔を離した。舌を出したまま、難しそうな顔をしてカップを睨み付けている。
 男はそんな様子を穏やかに笑い飛ばすと、カップを受け取り、部屋に付け置いてある水を別の容器に注いで渡してやる。少年が口に含むと、それはかすかに甘い味がした。
(……おいしい)
 水というものは、体の欲する最も不可欠なものだ。それを飲んだことで体が歓喜するのが分かる。舌を冷やすためという理由も忘れて、少年は夢中でその水を飲み干した。と同時に、男がまたカップを差し出す。絶妙なタイミングで出されたそれを少年がふたたび受け取ると、水で冷やされた内膜は先ほどに比べてさほど熱さを感じない。なかば勢いで、喉を鳴らしながらごくごくと飲み干した。
 体が芯から温まってくる。どこか胸に来て、少年は眼に涙をためた。
 中身が無くなったことを確認して、男が少年の手からカップを受け取り、ベット脇の机へと置く。そのまま背凭れのある椅子を持ってくると、よいせ、と言いながら腰かけた。木製の脚のきしむ音が響く。
「……どうして、なんて、急に話してもらおうとは思ってない。詳しい素性も、まぁいいよ。けど名前くらいは教えてもらわないと、呼ぶときに非常に困る。都合が悪けりゃ上の名前だけでいい、どうせ家柄なんて、俺には分からないんだから。な?」
 首を僅かに傾げて、男は微笑んだ。そんな男の言葉に、再び少年が押し黙る。だがそれは先ほどまでのような、「不機嫌だから」というのとは、少しばかり様子が違っているようだった。少年の眼が泳ぐ。
「……あなたは、旅人、なんでしょう? だったら、この国に来る前に、しっかりと下調べをしてきている。違う?」
 脈絡のない質問のように、男には思われた。
「下調べは、確かにしてきてるよ。だけどそんな、貴族の家柄や名前まですべて覚えるわけじゃない。調べることといったら入管のことや法律のことや、土地柄のことくらいだ。そんなに気を張り詰めなくても俺には、」
「分かるよ」
 言葉を遮ってまで、ハッキリと少年は断言した。だが男が驚いたのは、なによりその声色だった。強い語調で、吐き捨てるように、憎くて憎くて仕方ないのだと言わんばかりの声だったのだ。
(なにを……それほどまでに……)
 男のほうが戸惑ってしまったが、すぐに少年は顔を上げて男を見た。かち合った琥珀色の瞳は、その奥に並々ならぬ怒りをたぎらせていた。それは、男に対してのものではなく──
「けどいいよ、知りたいなら教えてあげる。僕の名を聞けば、外から来たあなたにだって、分からないはずがないんだから」
 どういうことなのか、思わず喉を鳴らして少年を凝視する男の視線から眼を逸らさずに、少年はまた、同じ調子で吐き捨てた。
「僕の名は、ルオカス・フィエラ・エラメドル。この国を治める『竜族』の血を引く者にして、第一王位継承者。ノーデンス・ファル・エラメドル竜王の、たった一人の後継者だ」
 瞬間、男は驚愕のあまり眼を剥いたまま、呼吸すら忘れて固まってしまった。嫌な汗が額から滲み出る。
(……まさか……そんな)
 少年の言ったとおり、男はそのどちらの名も知っていた。
 現エラメドル竜王陛下には王子がひとりだけ存在している。だが、どうしてだか王子が人前に姿を現したことはないらしい。身近な側近だけを置いて、部屋から出てこようとしないような臆病な気質なのだと聞き及んだことがある。だから国民の誰一人、王子の顔を知らないのだそうだ。
(臆病? この凛とした眼で、ハッキリと物を言うこの少年が?)
 もし本当にかれがルオカス王子ならば、あまりに世論と食い違っているではないか。それに、ならば今夜のことは、かれが城を勝手に抜け出したからということになる。だから軍隊まで駆り出されて捜索されているのではないか。だとしたらやはり、自ら部屋に引き篭もってしまっているような王子の印象とはかけ離れている。
 そんな男の態度を見て、少年は口端だけを無理やりもたげると、淀んだ眼を嫌味に細めた。
「ほら、やっぱり分かったろ? 『竜族』とは、人間と竜の血を分けた、この国の王族だけに受け継がれる種族。姿形は人であるが、擁す力は人ではない。エルフ、人狼、それとも違う。竜の血を扱い切れずに、血に呪われ、血に狂う……化物なんだよ」
 くつくつと喉を鳴らして笑うと、そのまま力尽きたように、少年はうな垂れ表情を隠した。
 男は、正直恐ろしかった。だがそれは、少年本人が恐ろしいのではない。
 ルオカス王子ならば、今年齢十を数えたばかりだという。
 僅か十歳だ。
 蝶よ花よと大切に育てられているはずの十歳の子どもが、このような饐すえた笑いを発し、絶望のただ中にいる眼をして、憎しみの限りに己の血を罵倒する。
 そう簡単にこのようになってしまうはずがなく、少年をここまでに至らしめたものが想像を絶する闇のようで、男にはそれが恐ろしかったのだ。
 気付けば、男は少年を抱き寄せていた。驚く少年に安心感を与えようと背中を優しく叩いて、その存在を確かめるように、しっかりと胸に押し付ける。
(……悔しいな……)
 少年を受け止めながら、心の中で、そうごちた。
 いつだって、子どもは被害者なのだ。純粋で無垢で、誰よりも敏感で洞察力に長けているからこそ、最ももろく傷付きやすい存在だ。それに気付かぬ人間のなんと多いことだろう。
 誰がこの少年をこのようにしてしまったのか、無粋に問い詰めるつもりはない。だが、匿って逃がすだけではもう、済まさない。
 呆然と固まってしまったままの少年の後頭部を撫でると、男は優しくに言った。
「その名が嫌なら、俺が新しく名をやるよ……『ルゥ』」
 本当の名は捨てられなくとも、今ここでだけは、その呪縛から解き放たれてくれればと、願いを込めて。
「俺の名は、ジェントゥル・クノア。どうやらこの国の人には『センテル』としか聞こえないようだから、セルと呼んでくれて構わない。……よろしくな。これからは俺が、お前を守るよ」
 そう彼が呟くと、少年は戸惑いながらも、体を震わせながらひとつ頷いた。それからあとはもう、嗚咽を上げて、ただただ泣きじゃくるばかりだった。
 ジェントゥルは、ただひたすらに、少年が泣き疲れて寝入ってしまうまで、その細くて小さな背中を撫で続けた。





 ほんの数時間前のことを、ジェントゥルは鮮明に思い出していた。ルゥは、随分と長いこと泣いていたように思う。あのような温かみのない表情を浮かべていても、やはり子どもは子どもだということだ。それがとても、彼の胸を締め付けた。
(……いつかは、聞いてみたいものだけどな)
 じっと、少年の寝顔を見詰める。
 一度決めたことだ。かれのことは、自分が責任を持つと。
 「竜族」であろうがなんであろうが、この子の魂は必死に、「助けてくれ。」と叫んでいるのだから。
 朝になって気温が上がってきている。そろそろ朝餉も出来るころだろう。服は変えの物を用意するとして、目下の問題はひとつだった。
 これが今一番の難題で、ジェントゥルは深い溜め息とともに眉根を寄せた。
「……宿の主人になんて言おう」

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