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第一章
深淵の出逢い2
しおりを挟む男は珍しいものが豊富にあるこの町を、あれやこれやと詮索しながら歩いていた。吟遊詩人という生業から、何か唄の材料は見当たらないかと探していたのだ。
男の風体はこの町の者ではなく、外からやってきたのだということを如実に表していた。それもこの町では、さして珍しいことではないのだが。
諸国を漫遊したからであろう。日に焼けてうっすらと茶色く変色した、長く白い布を目深に被り、その上から、丈夫な鯨のひげで出来た輪をかぶって留めている。
深緋が少しあせた色の印象的な、丈は長く袖の短い厚手の服。その下に、袖口の広がった服を着込んでいる。指先までをすっぽりと覆うほどに長いそれは、沙漠でも暑さを凌げるようにと仕立てた服だった。
歩く度に、金で出来た耳飾りが、両耳で小気味良い音を立てて踊る。
切ってそのまま伸ばしたような烏の濡れ羽色の髪は、毛先でゆるく波打つ癖毛。日除けから僅かに覗く瞳の色はまるで、光沢を放つ黒真珠のようだった。
吟遊詩人であることの証拠に、伸縮しない一本の黒い革紐を、男は幾重にも回して首に巻きつけている。華やかさを売りとする吟遊詩人にしては少々大人しいかもしれない。だが、その整った容貌には華があった。
男が沙漠に点在する諸国を巡るようになって、もう五年が過ぎていた。この国の国境に入り、今日で三日目。国の外に広がる沙漠から、東側のルーベック地方を二日間経由して、今日の早朝にようやくこのアルフトまで辿り着いたのだ。
午前中は、旅の疲れを癒すために一先ず睡眠をとって、昼日中から町を探索して歩いた。
沙漠の果てにある国とは思えないほど、緑豊かで活気があることに、まず驚かされた。人々もとても親切だ。
出先で出会った男性と意気投合して、夜がこんなに更けるまで飲み歩いてしまったために、いい塩梅に酔っている。少々危なげな足取りで、宿への帰り道を歩んでいた。
(すっかり遅くなってしまった。近頃は男の一人歩きでも物騒だから、早く戻ってこいって言われてたのになぁ)
滞在中世話になる宿屋の主人に、男はそう言い付けられていた。戻って顔を見せたらどやされそうだ。
とはいえ、酔った男の頭は嬉しい悲鳴を上げていた。今日一日だけで、非常に魅力的な町である事を痛感させられたのだ。詩の材料にも事欠かなくて済みそうだ。
「いいところだなぁ。なにより美酒が多い。いっそのこと此処に骨を埋めるかぁハハハ、なんてな──うわ?!」
ドンッ! と、男は勢いよく誰かにぶつかった。酒で頼りなかった足は、耐え切れずに反動で地面に尻を付く。相手も同時に転んだようだった。
男はただ歩いていただけで、ぶつかってきたのは相手のほうだ。尻餅を付いた鈍痛に顔を歪めて、腰をさすりながら男はその相手をみやった。
そして、見るなりぎょっとした。
濃い藍染めの、闇によく溶ける色の大布。それを、全身をすっぽりと覆い隠すように纏っている。そのため顔は見えないが、背の丈からして十歳程度の子どもには間違いなかった。
普通なら、こんな子どもは親に寝かしつけられて夢の中だろう。それだけでも変だというのに、その出で立ちは明らかに奇妙だった。
頭から布を被ることは、なにも珍しくはない。だが人目を盗むように、闇に紛れるように、こんな時間にこんな格好で逃げるように走ってきた子どもに、男はなにやら総毛立つものを感じた。
不意に、ざわざわと落ち着かない空気が遠くから流れてきた。小さな明かりが辛うじて見える。火を焚いて、何かを探しているようだ。
男の脳裏に予感が走った。
(もしかして、物盗りか?)
途端に頭が回転を始める。それはこの子どもを、役人に突き出さなければというものではなく、早くどこか安全な場所へ匿ってやらなくてはならない、という類のものだった。
男は、これでも世界を旅してきた。だから色々なものを見てきた。今日食う物にも困るような子ども達が、町に溢れかえっている、そんなところを巡ったこともある。
人から物を盗るのは、確かに犯罪には違いない。子どもとはいえ裁かれなくてはならない、そう考える人間は多い。泥棒は子どもであればあるほど酷い仕打ちを受け、ボロ雑巾のようになって道端で死んでいることもあった。
そんなものを、二度と見たくなかった。子どもが盗むのは、町や人の心が貧しいからだ。
彼らには親というものがいない。働き口もない。だが、生まれたからには生きようと懸命に足掻くのだ。これをどうして、一方的に責められる。
だから自分は、この子どもを助けたい。少しの間匿って、たっぷりの栄養と怪しまれないだけの金を渡して、騒ぎが過ぎたら逃がすつもりだ。
けれど、同時に湧き起こる疑問があった。
事前に調べてきた情報によれば、この国は親元をなくした子ども達を、手厚く保護しているのだという。食べ物などを少々盗んだからといって、町の人間もそこまで厳しく罰そうとするとも思えなかった。
(じゃあこの子どもは、一体なにから逃げてきたというんだ……?)
疑念に眉根を寄せていると、急に子どもが立ち上がった。
慌てて男から離れると、そのまま一気に駆け出そうとする。
反射的に、男はその布を掴んだ。
「ちょっと、待て!」
勢いで子どもは止まれない。結果、男が引っ張っている布が、その子どもから剥ぎ取られた。
現れた姿が、驚いて男を振り返る。その視線がかち合った瞬間に、男は思わず感嘆の声を漏らしていた。
目に飛び込んできたものは、大気に踊る、白い白い銀色の髪。
腰まで流れるそれは、月の光を反射して輝いていたが、あまりの美しさに月そのものであるかのようにも思われた。
白銀、と、呼んだほうがいいのかもしれない。微粒な光が踊るように髪の表面に散って、夜にも関わらず眩しいほどに輝いていた。
子どもの琥珀色の瞳が驚愕に見開かれている。そのあまりに整った容姿容貌に、男は、己はなにかとんでもない勘違いをしてしまったのではないかと、思った。
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