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 突然言われた言葉が理解できなかった。
 だから、何も反応できなくて、とりあえず男の方を向いてみた。
 男は蒼をじっと見つめていた。そして、もう一度口にした。
「蒼ちゃん、セックスしよ? 俺を安心させて欲しいんだ」
「何、言って……」
「だから、セックスしよって」
「何で、こんな時に……バカじゃねえの……」
 今はそんな事してる場合じゃない。そんな事はこいつも分かっている筈だ。なのに、男は真面目な顔で訴えてきた。
「うん、自分でもバカな事言ってんなって思ってるよ」
「……」
「俺だってさ、蒼ちゃんとするのは……蒼ちゃんが、ちゃんと俺の事を好きになって、心から俺とやりたいって思ってからって決めてたんだ。でもさ、状況が変わっちまったから……焦ってる」
「……焦ってる?」
 焦ってるというのはどういう事だろう。自分はちゃんと阿知波と付き合ってるし、浮気なんてする筈がないのに。
 すると、男は困ったように笑った。
「神影の事もそうだけど、日高とか、蒼ちゃんを狙ってる奴が増えてきて焦ってる」
「……」
「蒼ちゃんとセックスして、蒼ちゃんは俺しか受け入れないって確認しないと不安なんだ」
「不安……?」
「うん。蒼ちゃん自分の意思じゃなくても巻き込まれやすいし、何かのはずみで流されちゃったらって思うと不安というか心配というか……頼りないとか信用できないって事じゃなくて、蒼ちゃん弱ってる時は可愛いからさ、すぐ狙われそうで……」
「……」
「だから、蒼ちゃんとセックスしたい。心も身体も繋げて、蒼ちゃんは俺のもんだって確かめたい」
「……」
「ダメ?」
 男は蒼の顔を覗き込みながら聞いてきた。
 自分はそんなに危なっかしいのだろうか。ちょっと失礼な事を言われている気もするが、確かにこいつと付き合うと決めたのも弱っている時だったし否定はできない。
 男からすれば、同じように他の奴も受け入れてしまうと思ったんだろう。今までそれを責められた事はなかったが、ずっと不安にさせていたのかもしれない。きっと、その気持ちを神影や日高の存在が増幅させてしまったのだ。
 そこまで不安にさせていたのに気づき、本当に申し訳なくなった。
 自分は男が好きな訳じゃない。阿知波以外の男と関係を持つつもりはないし、今までもそんな気持ちを抱いた事もない。
 なのに、なぜかこの男だけは受け入れてしまった。この男といると、さっきのように不安も無くしてくれるし、安心できる。信頼もしていると思う。
 それに、普通の男は男に告白されたとしても、どんなに好きだと訴えられても付き合ったりはしないだろう。普通は気持ちが悪いだけだ。しかもこいつは嫌いな奴だった。
 じゃあ、自分は普通じゃないのか?
 普通じゃないから、男を受け入れたんだろうか。それとも、心の奥底で、自分の知らない所で好きになっていたんだろうか。
 漠然とした答えしか出てこないけど、今の自分は、この男といると安心できる。だから、たぶん、この男を好きになっているんだと思う。
 今さら言うのは照れくさい。でも、言わなければ男も安心できないだろう。ちゃんと、受け入れていると伝えたい。身体を繋げる事は不安が伴うけれど、これからも不安にさせてしまうのなら、それで男が安心できるのなら、叶えてあげたいと思ってしまった。不安にさせたのは蒼なのだから。
 申し訳なさと不安で涙が溢れてくる。それを見た男は慌てて涙を拭ってくれた。
「ごめん……そんなに嫌だった?」
 男は蒼が拒絶したと思ったらしい。悲しそうな声で謝ってきた。早く誤解を解かないと傷つけてしまいそうだ。
「違う……」
「違う?」
「なんか……今までそんなに不安にさせてたんだなって思ったら申し訳なくて……」
「蒼ちゃん……」
「ごめん……俺、自分の事ばっかで……お前はいつも俺の事考えてくれてたのに、俺はお前の事、何も考えてなかったんだな……ごめん……」
「俺が好きでそうしてんだから気にしなくていいよ。蒼ちゃんは何も悪くない」
「何で、そんなに許してくれんの……」
「だって蒼ちゃんの事好きだし、蒼ちゃんが何しても可愛いし、なんか許せちゃうんだよね」
「……バカじゃねえの」
「うん、バカだよ。俺は蒼ちゃんバカ」
 ボタボタと溢れる涙を拭ってくれながら男が笑う。そこまで自分を受け入れてくれるのが嬉しかった。そして、心に温かい気持ちが溢れてきて、自然と口にしていた。
「俺さ……気づいたんだ」
「何を?」
「普通はさ……男にどんだけ好きだって言われても、自分が男好きじゃないと受け入れないよなって」
「……そうだね」
「だから、俺は……お前の事が好きなんだと思う」
「え……」
 男は蒼の顔を見ながら固まった。まさかここで言われるなんて思わなかったらしい。それがちょっと面白いなと思いながら、蒼は男の頬に触れた。
「今まで逃げててごめん。阿知波、俺は……お前が好きだ」
「え……」
「だから……セックス、しても、いい」
 そのまま顔を近づけ、チュッと音を立ててキスをした。
「……」
 顔を離しても男は反応しなかった。呆然と蒼を見ながら固まったままだ。一体どうしたというのだろう。
「阿知波?」
「……」
「あち……」

 バシッ……!

 男はいきなり自分で自分の右頬を思いきり叩いた。突然の行動が理解できない。
「阿知波……何して……」
「痛い……夢じゃない……」
「え?」
「蒼ちゃんが……俺の事好きって、セックスしていいって言ってくれた~……」
 男はいきなり涙を流し、蒼の肩に顔を埋めながら嗚咽を漏らし始めた。こんな男を見るのは初めてで狼狽えてしまう。
「ちょ、阿知波……」
「もう、ヤバい。信じられない。生きてて良かった……俺、明日死ぬかもしれない。死ぬ」
「……」
 ちょっと大袈裟すぎやしないだろうか。確かに今までの自分はほとんど好きだと言った事はなかった。だからと言って、まるで奇跡が起きたかのような反応をしなくてもいいと思う。
「お前、大袈裟すぎ……」
「だって、絶対言ってくんねえと思ってたから……ヤバい……」
「……」
「本当に、俺としてくれるの?」
「うん……」
 男はもう一度聞いてきた。本当に信じられないのだろう。自分はもう撤回するつもりはないし、こいつの望み通りにしようと思う。だから、そのまま頷いた。
 すると男は窺うように聞いてきた。
「じゃあ……俺んち来る……?」
「お前の?」
「うん。うちのマンション。いくらなんでもここじゃ嫌でしょ?」
「確かに……」
「よし、決まり! 早く帰ろう」
「え?」
「早く、蒼ちゃんの気持ちが変わらないうちに!」
 男は蒼を膝から降ろして隣に座らせた。そのまま立ち上がったかと思うと、いそいそと帰り支度を始めた。
 そして、テーブルに置いてあったバイクのキーを手に取り、呆気に取られている蒼の腕を掴んで立ち上がらせる。
「蒼ちゃん早く」
「え……今から?」
「当たり前でしょ? 何言ってんの? 早くしないと蒼ちゃんの気が変わっちゃうじゃん!」
「……」
 確かにヤっていいとは言ったが、今すぐにという意味ではない。でもこいつはヤル気満々だ。どうしよう。
「ほら、行くよ!」
「ちょっ……待っ、」
 待ってという言葉も聞かず、男は蒼を抱えてあっさりと部屋を出てしまった。
 二人に気づいた上原や白坂達は、男の酷く真剣な顔に驚いたようだが、男が自分の家に帰ると口にした途端に何かを察したらしい。蒼に向かって「頑張れ」とだけ口にした。
 上原達のそばにはすでに日高はいなかった。追い出したんだろうか。
会わなくて済んだのは幸いだが、やはり不安は尽きない。
 だが、そんな不安が吹き飛ぶほどに男は急いでいて、そのまま蒼を無理矢理バイクに乗せたかと思うと手際よくエンジンをかけた。
「あの、阿知波……」
「しっかり掴まっててね」
「はい……」
 やはり男は真剣だ。いつもより殺気が漂っている。とてもじゃないけど話し掛けられる雰囲気ではない。
 蒼は男の勢いに押されたまま、そのままマンションへと連れて行かれてしまった。





 男はひたすら無言だった。
 運転中も、マンションに着いてエントランスに向かう時も、エレベーターで部屋に向かう時も無言だった。
 というか、連れてこられたマンションはどう見ても高校生が住めるような所ではなかった。エントランスには管理人が駐在していたし、入り口もオートロックだった。自分のアパートとは桁違いに豪華すぎて、ちょっと気後れしてしまう。家族と暮らしているんだろうか。
 エレベーターを降りて歩いて行ったのは、一番奥の扉の前だった。蒼は鍵を開けようとしている男に聞いてみた。
「阿知波」
「何? 帰りたいとかは無しだからね?」
 男は蒼がさっきの決意を撤回すると思ったらしい。すかさず淡々とした声でダメだと言ってきた。その顔は真剣だ。
「そうじゃなくて……ここ、家族と一緒に住んでるんだよな?」
「一人だよ。何で?」
「いや、なんか……豪華だなって。オートロックとか初めてでびっくりした」
「そう?」
「うん……高校生が一人で住むようなとこじゃないなって」
「あー……ここね、俺んちの持ち物なんだ。だからタダで住んでる」
「お前の家の?」
「そう。不動産とかやってんの。阿知波グループって知らない?」
「ちょっと分かんない。有名なのか?」
 そういう会社などに関しては疎かった。上原の家も皆の間では金持ちで有名だったらしいが、蒼は説明されるまで知らなかった。あまりそういう話に興味がないせいだろう。だから阿知波の家も知らない。そんなに有名なんだろうか。
 でも、こんなマンションを所有できるのだから絶対金持ちだよなあと考えていたら、男が笑った。
「そっか。まあ俺もまだ経営には関わってねえし、蒼ちゃんは気にしなくていいよ」
「上原の家と同じような感じか? あいつの家も使用人とかいるし……」
「そうなの? ……うん、まあ、そんな感じ」 
 男はちょっと苦笑している。そうか金持ちなのか。こいつが皆に対して偉そうなのはそんな家庭事情のせいなのかもしれない。
「ふーん……」
「ふーんて……それだけ?」
「え? 他に何かあるのか?」
「いや……無いけど……もっとびっくりされたり色々聞かれるかと思ったから」
「びっくりしたけど、金持ちは上原で慣れてるからなあ……会社の事は聞いても分かんねえだろうし、そんなに聞きたい事も無いかな。まあお前が偉そうなのは家のせいなんだなって分かったけどさ」
「何それ」
「昔から使用人とか普通にいる生活だったんだろ? 命令しなれてるんじゃねえかなって。だから偉そうなのかなって」
「……」
 男は黙ったまま固まった。何か変な事を言っただろうか。
「阿知波?」
「いや、当たってるけど……蒼ちゃんホント面白いよね~」
「どこが?」
「ううん、何でもない。ありがと」
「何が?」
 なんでお礼を言われたのか分からない。でも、男は嬉しそうに笑っている。意味が分からない。
「気にしなくていいよ。早く入ろ?」
 男は扉を開け、早く入れと言わんばかりに蒼の背中を押してきた。もうこの話題は終わりにするようだ。
 家の中も同じように豪華なのかな。ぼんやりとそんな事を考えながら、蒼は引きずられるように中へと入っていった。
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