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24 side:蒼

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side:蒼


***


 阿知波に連れられ部屋に入った途端に吐き気が酷くなった。慌てて口を押さえて我慢していると、阿知波もそれに気づいたのか支える腕の力を強くした。
「蒼ちゃんもうすぐだから頑張って」
「……」
 何とか吐き出す前に洗面所にたどり着き、着いた途端に胃の中の物が逆流した。そのまま全部吐き出していると、阿知波が背中をさすってくれた。
「大丈夫?」
「ぐ……」
 胃液まで吐き出した所で何とか気持ち悪さは治まってきた。口をゆすぎながらさっきの事を思い返す。
 自分ではもう終わった事だと思っていた。けど、ただ触られただけなのに、相手が日高というだけで、吐き気を催すなど思ってもみなかった。日高は蒼の中で最も嫌悪する、触られたくもない、関わりたくもない人間のままだったのだ。
『やっぱり望月だよな? 久しぶり』
 日高は何事もなかったかのように接してきた。蒼を嫌悪し、汚い物でも見るかのような目で散々罵り、死ねとまで言っていたのに普通に話しかけてきた。蒼はそのせいでさらに精神を病んだというのに、普通に。
 あり得なかった。結局、あのいじめは向こうにとっては大したことのない出来事だったのだ。蒼の心は深く傷つき、悔しくて悲しくて、立ち直るまでにかなりの時間を要したというのに。
 少しでも謝る素振りや、反省の色を見せてくれたらまだマシだった。でも、さっきの日高には罪悪感のような物は一切感じなかった。普通に同級生に会ったから声を掛けた。そんな様子だった。
 一時期でも、あんな最低な人間を自分は信頼していたのかと思うと、情けなくなる。あまりの悔しさに涙が溢れてくる。
「う……」
「蒼ちゃん…横になる?」
「大丈夫……座るだけでいい……」
 阿知波は相当具合が悪いと思ったのか、横になるように言ってくれたが、身体的な意味ならそこまで酷くはない。気分は最悪だけれど。
「……」
 ソファーに座ると、阿知波も隣に座った。心配そうに蒼の顔を覗き込んでいる。
 日高が接触してきた時にこの男がいて良かった。日高がBLACKのメンバーならこいつを恐れているだろうし、これ以上は下手に手出しはできないだろう。
「蒼ちゃん……ほら、涙拭いて」
 阿知波は部屋のどこかにあったタオルを持ってきて蒼の顔を拭った。それでも涙は止まらなかったけど、阿知波は何も言わずに背中をさすってくれた。落ち着くまで待っててくれるつもりのようだ。
 その、阿知波らしくない優しさに胸が熱くなった。いつもは最低な男だけれど、いざという時は蒼の事を第一に考えてくれる。自分は今弱っているから、ちょっとおかしいのかもしれない。背中をさする手が温かくて、とても安心できて、もっとこの男に触れたくなっている。
 そう思ったら、自然と男の膝の上に身体を乗せていた。
「そ、蒼ちゃん……?」
「……」
 男は蒼の行動が読めなかったのか固まっている。膝の上に後ろ向きに座った蒼の表情を探ろうと顔を覗き込まれたが、自分でもよく分からない。分からないけど、こいつに甘えたくなったのだから仕方がない。
 しばらくそのまま黙っていたが、男はちょっと笑いながら話し掛けてきた。
「……甘えたくなっちゃった?」
「……」
 こくんと言葉を発せずに頷いてみれば、男は蒼の腰に腕を回してきた。そのまま腹の辺りで手を組んだと思ったら、顔を蒼の右肩に乗せた。
「そっか。じゃあ……好きな事話していいよ」
「……」
「ね。蒼ちゃんが落ち着くまで好きにして」
 男は蒼の気持ちを理解してくれたらしい。好きなようにしていいと言ってくれた。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
 素直にお礼を言うと普通に返された。
たぶん心の中ではびっくりしているんだろう。でも、それを表に出さずにいてくれるのがありがたかった。
 とにかく、自分の思いを伝えよう。そう思いながら口を開いた。
「さっきの日高って奴……中学ん時に親友だったんだけど……」
「蒼ちゃんを裏切っていじめた奴だよね?」
「うん……」
「……」
「あいつ……何事もなかったみたいに話し掛けてきた……」
「そうだね」
「死ねとか、散々俺を罵ってたのに……反省してるようには見えなかった……」
「そうだね」
「俺がいっぱい悩んで、辛くて、死にたいとか思ってたのに、あいつは何とも思ってなかったみたいだ……信じられない」
「……」
「俺が悩んでたの、何だったんだろ……なんであんな奴を信頼してたんだろ……バカみたいだ……」
 悔しくて、虚しくて、涙が止まらない。あんな奴に悩まされていたなんて、本当に馬鹿げている。
 しばらく黙って聞いていた男だが、何かを思い出したのか口を開いた。
「ねえ蒼ちゃん」
「ん?」
「さっきさ、蒼ちゃんに貰った指輪の事聞いてきたのが日高だって言ったよね?」
「そういえば……」
「あの時のあいつ、カツアゲしたのかとか聞いてきてさ、ちょっと焦ってたっぽいんだよな」
「……」
「さっき蒼ちゃんに話し掛けてたの見て思ったけど、もしかしてあいつ、蒼ちゃんが好きだったって事はない?」
「好き……?」
「愛情の裏返しってヤツ。まあだからってあいつのした事は許される事じゃねえけどな」
 男はあり得ない事を言ってきた。日高が蒼を好き? もしそれが本当でも、やっていい事と悪い事がある。今までされた事を忘れる筈がないし、許すつもりもない。
「あり得ない……もしそうでも、許せない」
「だよな。あいつバカだねー。あいつの事なんか忘れていいよ。バカだって気づいて良かったんじゃね?」
「……」
「あいつの前でイチャイチャしちゃおっか?」
「……」
 ふるふると首を振れば、男はちょっと寂しそうに「そっか」と言った。こいつの事だから人前で見せつけたいのかもしれない。受け入れるつもりはないけれど。
「日高に復讐したくなったら言ってね?立ち直れないくらいに痛めつけてあげる」
「……物騒な事言うな」
「だって蒼ちゃんも辛い思いしたんでしょ? 許せないじゃん」
「……」
「まだ蒼ちゃん狙われてたら嫌だしさー、牽制にもなるじゃん」
「頼むから、大人しくしてて……」
「本当にいいの?」
「うん……関わりたくない……」
「そっか……でもBLACKの奴だから監視はしとくね。何するか分かんねえし」
「……」
 男は渋々ながらも受け入れてくれたようだ。その声は寂しそうだったけれど、今はこれでいい。日高の事は忘れたいし、二度と関わりたくもなかった。
「まあ、指輪が蒼ちゃんのだって気づいてんなら俺達の事も気づきそうだしな。さっきも俺達は仲が良いって言っといたし、下手に手出しはしねえだろ」
「うん……」
「あいつの事は忘れる事。何かあったらすぐ言って。俺が盾になって対応するから。まあそばにいたなら上原でも速水でもいいし……とにかく一人で抱え込まない事。分かった?」
「うん……」
 男は念を押すように蒼に言い聞かせた。蒼に負担をかけないようにしてくれるらしい。その気持ちは素直に受け取ろうと思う。もう日高の事で悩むなんてしたくないから。
 蒼が納得していると、続けて男が話し掛けてきた。
「じゃあとりあえずは日高の事はそれでいいか……今度は俺が聞いていい?」
「何を?」
「SHINEの総長の事」
「あ……」
 そういえばそうだった。最初はその事を話そうとしていたのに、日高の事で頭がいっぱいで忘れていた。
「何かあったの?」
「……」
 男は不思議そうに聞いてくる。そのまま伝えたい気持ちもあるが、阿知波と神影はタイプが違う。違うチームという事を考えなくても仲良くできるとは思えない。言葉を選ばないと、日高の時よりややこしくなるような気がした。
「本当に、怒らないって約束してくれる……?」
「説明次第かなあ」
 男はのんびりとした口調で返事をした。今の所、蒼と神影の関係には気づいてないようだ。それでも、言わなければ何も始まらない。後でバレて阿知波に嫌な思いをさせたくないし、自分が疑われるのも嫌だった。
 蒼は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた後、思いきって話し出した。
「俺もさっき知って、びっくりしてるんだけど……」
「うん」
「SHINEの総長と知り合いだった」
「……」
「さっき神影って言ってただろ……それで気づいて……」
「……今まで知らなかったの?」
「うん……」
 本当に知らなかったのだから仕方がない。知っていたらSHINEの事が出た時点で話していただろうし、神影との会話でチームの話など出たこともないのだ。分かる筈がない。
 男はさらに聞いてくる。
「じゃあ教えて。どんな知り合いなの?」
「……病院行った時に喫茶店も行っただろ? あの店のマスターの甥っ子さん……」
「え……」
「中学ん時から世話になってる……」
「蒼ちゃんそれってまさか……」
 男は神影の正体に気づいたようだ。心なしか声が強ばっている。それでも言わなければならない。避けては通れないのだ。
「うん……俺に告白してきた人……」
「……」
 男は盛大なため息を吐き、蒼の肩に顔を埋めてきた。抱き締める力も強くなっている。
「……マジかよ」
「うん……俺も、まだ頭が追いついてない……」
「本当に知らなかったんだよね?」
「神影さんとはチームの話はしなかった。夕禅学園の生徒だって事ぐらいしか聞いた事ない……俺がチームに入ってるって事も知らないと思う。俺も心配かけたくないから言わなかったし」
「そう……」
「BLACKの総長に気をつけろって言った時も、知り合いにチームの奴がいるって言ってたし……今思えば自分の事だったんだよな……」
「何か嫌な事言われたりしなかった?」
「それはない。凄く優しくて、静かに話を聞いてくれてたし……嫌だと思った事もない。だから、さっき言ってた平気で罠に嵌める奴ってのが信じられなくて……」
「……」
「俺も言ってなかったし、たぶん俺がチームとか怖がると思って黙っててくれたんだろうけど……」
 神影はどんな時も親身になって蒼の話を聞いてくれた。時には励ましてくれたし、嫌な思いをした事は一度もない。
あの姿が嘘だとは思えないし、未だに頭が混乱していた。
「今までが嘘だとは思えないし、もし次に会ったらどんな顔して会えばいいか分からない……」
「ふーん……ちょっと妬けちゃうな」
「え?」
「だって蒼ちゃん神影の事思いっきり信頼してるし、総長だって分かっても騙された! とか思ってないんでしょ?」
「それは……うん、だって騙されて何かされた訳じゃないし…不良には見えなかったし、総長ってのはびっくりしたけど……」
 こいつは何を言ってるんだろう。自分は騙されて何かをされた訳でもないし、この前会った時も告白以外はいつも通りの神影だった。嫌な気持ちはひとつもない。
「彼氏としてはー、蒼ちゃんが流されて神影の気持ちを受け入れないか心配ですー」
「何言って……俺は神影さんの事はそんな風に思った事ない……」
「だって、俺の時だって嫌がってたのに受け入れてくれたでしょ? 順番違ってたら……俺より昔から世話になってる神影が先に告白してたら危なかったなって」
「……」
「本当にあの時言って良かった~…」
 男は蒼を抱き締めながら呟いている。本当に心から思っているようだ。そして、さらに蒼の知らなかった事を教えてくれた。
「神影はね、敵なら平気で罠に嵌めるし卑怯な手も使う。相手の弱味を握ってそれを武器にしたりもするんだ。頭のいい奴だからね」
「……そんな風には見えない」
「でしょ? でも、あの笑顔にみんな騙される。俺だってあいつの卑怯な手で危なかった事あるし」
「お前が?」
「うん。一人だと思ったら後から大勢出てきてさー、囲まれちゃって……さすがに一人じゃ無理かと思ったよ。まあ何とかなったけど」
「……」
「他にも敵の一人を懐柔して裏切らせたり、スパイみたいなの送り込んで情報仕入れたりさ、まあ俺も最低だけど神影も似たようなもんだよ。だから蒼ちゃんがあいつに騙されないか心配だな」
「そんな……騙されるなんて……」
「あいつは口も達者だろ? 蒼ちゃん素直だから何でも信じちゃいそうだしさー」
「俺をバカにしてるよな?」
「してないよ? 心配してるだけ」
「……」
 男は飄々と言ってのけたがやっぱりバカにされている気がする。素直と言うが、そのまま何も考えずに信じるバカと言われているよな絶対。
 思わずむすっと顔をしかめてしまうと、男は唸りつつも自分の考えを口にした。
「うーん……でもなあ……そんな長い間伏線張るとは思えねえし、俺と蒼ちゃんが知り合ったのは高校からだし……蒼ちゃんを好きなのは本当だろうな。認めたくねえけど」
「……」
「あいつは腹黒で、笑顔で相手をいたぶる事のできる奴だ。そんで、相手が泣いても喚いてもやめないし、自分の気が済むまで突き落とす。それを見て楽しめるような奴なの。分かる?」
「信じたくない……でも、こんな時にお前が嘘を言うとは思えない……」
「でしょ? だから、しばらくはあの喫茶店に行かないで。あいつに会ったらまずいからね。蒼ちゃんに俺の嫌な話吹き込まれたくないしさ」
「……」
 神影がそんな人間だなんて、人を貶めるような人間だなんて思いたくはないが、チームでの神影を知ってる阿知波の言う事が嘘だとも思えない。さっきも皆の前で同じ事を言ってたし、きっと本当なんだろう。でも、信じたくない気持ちの方が強かった。
「俺、どうすればいいんだろう……SHINEと会う機会もありそうだし、どんな顔して会えばいいか……」
「まあ互いに隠してたんなら堂々としてればいいんじゃない? 向こうだって自分を棚に上げて責めたりしねえだろうしさ」
「でも……」
「何か言われたら素直に言えばいいんだよ。強くなりたかったからチームに入りました。強くなったので総長になりましたって」
「そう、なのかな……」
「そうだよ。別に何をするにもあいつの許可が必要って訳じゃねえし、自分がそうしたいからそうしましたでいいんだよ。チームに入った事は後悔してないんでしょ?」
「うん……」
「ならそれでいいじゃん。ね?」
「うん……」
 神影は蒼がBLUEの総長だと知れば今の自分のように驚くだろう。でも、もし責められたとしても自分はチームに入った事は後悔していない。チームに入らなかったら弱いままだった筈だし、信頼できる皆にも会う事はなかった。男の言うように、自分は悪い事をしているつもりはない。だから、神影に自分の正体がバレたとしても、素直に言おうと決心した。
「なんか俺、ダメだな……どうしようって事ばかり考えてた……」
「そういう時に彼氏がいるんでしょ? もっと頼ってよ」
「うん……ありがとう……」
「……」
 お礼を言うと、男が黙ってしまった。何かを考えているらしいが顔が見えないのでよく分からない。
 しばらくそのまま背中を預けていると、突然男が動き、蒼の腰を持ち上げようとした。
「な、何……」
「ちょっとさ、蒼ちゃんこっち向いてくんない?」
「え?」
「身体ごとこっち向いてくれる? 跨がっちゃっていいから」
「何で?」
「いいから」
 男は蒼が戸惑うのも知らずに身体を回転させようと腰を掴んできた。いきなりの事にバランスを崩し、男に被さるように抱きついてしまう。
「うわっ」
「うん、これでいいや」
「何……?」
 跨がるように向かい合わせになった蒼の顔を両手で挟み、男がゆっくりと話し出す。
「神影の事、ショックだった?」
「……」
 静かに頷いて肯定すると、男は「だよな」と呟いた。そして、そのまま何かを考えるように語り出す。
「俺はさ、もう蒼ちゃんに傷ついて欲しくねえし、大切にしたいのね」
「うん……」
「でもさ、次から次へと蒼ちゃんが傷つくような事起こるしさ、これからもありそうじゃん? あって欲しくねえけど」
「うん……」
「蒼ちゃんに泣いて欲しくねえのに、また泣かせてるじゃん?」
「……」
 男は蒼の涙を指で拭い、じっと視線を逸らさずに見つめてきた。何を言われるんだろう。全然予測がつかなかった。
 男は再び語り出す。
「……それに、神影っていう強敵まで蒼ちゃんを好きだしさ、俺、ちょっと不安だし、心配なのね。蒼ちゃんが」
「……」
「蒼ちゃんが流されないかも心配だし、流されなくても俺と付き合ってるってあいつが知ったら……どんな手使って蒼ちゃんを手に入れようとするかも心配だし」
「……」
「指輪貰って安心してたけど、あいつはそれだけで納得するような人間じゃない。もっと……蒼ちゃんが俺のもんだって安心できるようになりたい」
「……」
「だからさ」
「え……」
 男は蒼の腕を引き、そのまま抱え込むように抱き締めた。
 そして、耳元ではっきりとこう言った。
「蒼ちゃん、セックスしよ?」
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