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第三章・1 side:神影

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 初めてあの子に出会ったのは、中等部の時。二年の春が終わる頃だった。
 俺はおじさんの店が大好きで、全寮制に入った後も度々遊びに来ていた。少しの注文や配膳程度ならできたし、客にもマスターの甥として認識されていた。
 その日も手伝いに行く予定だった。ただ、その日はちょっと気分が悪かった。友人に紹介された人間がとても失礼な奴だったから。






 俺は生徒会に入っていて、そのメンバーも含めた仲間内でチームを作り、度々集まっていた。
 時には他のチームとケンカもした。それはそれで楽しかった。学園内での「品行方正で優秀な生徒」という仮面を剥いで、好きなように過ごせたから。
 そこには知らない人間も来る事が多かった。普段なら、関わる事がないような人間も、仲間が連れて来たのならばと認めていた。
 だが、そいつだけは見た途端に嫌な予感がした。吐き気すらした。
 見た目は女のような顔に、華奢な身体。どう考えてもケンカには向かない体格だ。
 だが、友人の説明によると、うちのチームを脅かす他のチームを潰してくれたらしい。しかも「友達になってやる」などとふざけた事を言ってきた。その言い方に不快感を覚えたのは俺だけではない。
 そんなうまい話があるものか。
 きっと何か企んでいるに決まっている。
 俺ともう一人は疑ったが、トップである人間がまんまと信じてしまった。チームにおいてトップの言う事は絶対だ。大人しく従うしかなかった。
 そんな日にあの子……アオ君に出会ったのだ。 





***



 イライラしながらおじさんの店に向かうと、店の前に一人でぽつんと立っている一人の男の子がいた。
 近づいてみると、その子は華奢で背も低く、髪に隠れてはいるが、女のような可愛い顔をしていた。顔の系統は全く違うが、それは、先ほど紹介された奴を思い出させた。
 嫌な気持ちが蘇ったものの、もしかしたら客かもしれないと声を掛けた。
『もしかしてお客さんかな?』
『……』
『聞こえてる?』
『……』
 俯いたまま黙っているその子が不気味だった。顔にも表情が無い。あまり関わらない方がいいかもしれないと思った時、店の扉が開いた。
『あら、アオ君いらっしゃい! お母さんは後から来るのかな?』
『……』
 コクンと頷いたその子の事を、おばさんは知っているようだった。
『じゃあ、中で待ってようか?』
 おばさんに引き込まれるように店に入ったその子に、おじさんも「いらっしゃい」と声を掛けている。もしかして常連なのか?
『ほら瑛貴、これあの子に持って行って』
 おばさんにお冷やとバニラアイスを渡され、フロアに放り出された。
 一番奥の目立たない席に座ったその子は、静かに俯いていた。他の何かに興味を示す事なく、ずっとテーブルを見つめている。
『お冷やとバニラアイスお待たせしました』
『……』
 やはり何の反応もない。テーブルに置いてもそれは変わらなかった。
『ごゆっくり』
『……』
 俺がその場から去った後も、その子は動かなかった。まるで考える事をやめているような、どこか虚ろな目をしていた。
 アイスが溶け出した頃にようやく食べ始めたが、やはり動きは鈍い。ちょっと異常だとさえ思えた。
『なあ……あの子さ……』
 おばさんに聞こうと思ったら、店の扉が開いた。そこには女の人が立っていた。
『いらっしゃい。アオ君もう来てますよ。アイスはサービスね!』
『いつもすみません……お会計に時間がかかってしまって』
 息を切らして入ってきたその人は、一直線にあの子の所へ行った。もしかして母親だろうか。顔立ちがよく似ていた。
『ごめんねえ遅くなって……寂しくなかった?』
『……』
 あの子は首をゆっくり振ったが、やはり無表情だった。
『また来ますね。お世話になりました』
『……』
 そして、帰る時には会釈をしていたが、やはりあの子は無表情だった。どこかおかしいんじゃないか?
『ねえおばさん。あの子ちょっとおかしくない?』
 二人が帰った後におばさんに聞いてみると、涙を浮かべて殴られた。
『バカ! 何て事言うの!』
『おばさん?』
『あの子はねえ……心の病気なの』
『心の……?』
 驚いて口に出すと、叔母さんは頷いた。
『辛い事があって、心を閉ざしてしまってね……家族と病院の先生以外の人と話せないらしいの。そこに柊病院があるでしょ? そこの心療内科に通っているのよ』
『辛い事……?』
『詳しくは話せないわ。だからアオ君には優しくしなさい』
『あの子アオ君て言うの?』
『そうよ。分かった? 優しくね』
 おじさんもおばさんも、あの子をずいぶん気に入っているんだな。その時は単純にそう思っていた。
 まさかあの子が、自分にとっても特別な存在になるなんて、この時の俺は夢にも思わなかったのだ。 
 それから何度かアオ君は母親と一緒に店に来たが、相変わらず話さないし無表情のままだった。母親が一方的に喋り、アオ君は頷いている状態だ。
 それでも二人はどこか楽しそうで、これも親子の成せる技かと感心してしまった。





 さらに月日は流れ、アオ君のいる風景が当たり前になってきた頃、おばさんが「アオ君が少しずつだけど話すようになったの」と言った。
 それでも俺はまだ彼の声を聞いた事が無かった。でも、彼の好きな物は分かるようになってきた。いつも同じ物を食べているからだ。
 どうやら甘い物が好きらしい。たまにはパスタなども食べているが、大抵俺がいる時はケーキやアイスなどのスイーツを食べていた。
 そんなある日。久しぶりにアオ君が一人で訪れた。
『いらっしゃい』
 声を掛けると、ぺこりと頭を下げるアオ君。最初は挨拶しても怯えられるだけだったが、最近は顔を見れば反応してくれるようになった。無表情だけど。
 お決まりの定位置になった奥の席に座るアオ君。いつものようにお冷やを持っていくと、今日はなんだか嬉しそうだった。ちょっとそわそわしている。
 何か良い事があったのかなと思いながらカウンターに戻ると、おばさんが笑顔で言った。
『なんかね、病状が回復してきたからそろそろ学校に行けるかもしれないって先生に言われたらしいの』
 先週来た時にアオ君の母親が言っていたらしい。今は学校を休んでいるのだそうだ。
『へえ……じゃあ俺の奢りでパフェあげてもいい?』
『あら、珍しいわね。いつの間にアオ君を気に入ったの?』
 おばさんは笑ったが、自分でも分からない。なぜかアオ君の喜ぶ事をしてあげたくなった。
 おじさんに頼んでチョコレートパフェを作ってもらい、早速アオ君の元へ届けに行くと、アオ君は俺の顔を見た後パフェをじーっと見つめてきた。無表情で。
『……』
 とりあえずテーブルにパフェを置いて向かいの席に座る。やはりアオ君はパフェをずっと見つめている。それがちょっと面白かった。
『食べていいよ』
 そう声を掛けると、今度は俺を見つめてきた。まるでご主人様にでもなった気分だ。
『これは僕の奢り。学校行けるかもしれないんだって? お祝いだよ』
 俺が言うなりアオ君は目を見開いた。無表情から少し進歩したかな。
『早く食べないとアイス溶けるよ?』
 アオ君はゴクリと息を飲み込み、少し会釈をした後ゆっくりとスプーンを手にした。
『……』
 パフェに手を掛ける前にもう一度俺を見てきたが、食べていいよと頷くと少しずつ食べ始めた。
『美味しい?』
『……』
 やはり無言だったが、アオ君は小さく頷いた。たぶん気に入ったんだろう。アオ君の頬が赤く染まり、今まで無かった表情が見えた。
 テンション上がったのかななんて思っていると、アオ君が手を止めた。
『どうした?』
 嫌いな物が入ってたかな。そう思って聞いてみると、アオ君はまた俺を見てきた。そして。
『ありがとう……ございます……』
 と、今まで俺の前では発した事のなかった声を聞かせてくれた。それはまだ、変声期前の少し高めの声だった。
 満面の笑みを浮かべたアオ君は、さらにこう言った。
『本当に……美味しいです……』
『……っ、』
 それを聞いた瞬間、俺の心臓がドクンと跳ね上がった。
 ……何だこれ……どういう事だ?
『……』
 アオ君は俺の様子に気づかず、パフェに意識を戻している。表情もまた消えてしまった。
 一体何が起きたんだ?
 ただ分かるのは、もっとアオ君を見ていたいという気持ちが生まれた事だ。そんなバカな。
 俺の通う夕禅学園は全寮制の男子校は、閉鎖された空間のせいか、同性愛者になる奴も多くいた。
 容姿の優れた人間や活躍している者には親衛隊も存在し、俺にもそれが作られていた。俺はそれを見ながら、正直理解出来ずにいた。「周りに女がいないからと男に走るなんて馬鹿げてる」と軽蔑すら感じていた。告白された時には吐き気すらしたものだ。見ていたいなんて思った事もない。
 それなのに、目の前のこの子は俺の視線を引きつける。
『アオ君』
『……?』
 ドクン。
『……っ、』
 顔を上げたアオ君と目が合った瞬間、またしても心臓の鼓動が跳ね上がった。
『『……』』
 二人で見つめ合ったままになっていると、入り口の扉が開く音がした。アオ君の母親が来たのだ。
『あら、このパフェは……?』 
 母親はパフェを見るなり不思議そうな顔をした。説明した方がいいよな。
『僕からのプレゼントです。もうすぐ学校に行けるかもって聞いたので……』
『本当にいいの? ありがとう……良かったね』
 母親は美味しそうに頬張るアオ君を見ながら微笑み、アオ君もコクリと頷いた。
 それから二人はいつものように過ごした後、また来ますと言って帰って行った。
 いつもと少しだけ違ったのは、帰り際にアオ君が手を振ってくれた事。小さな動きだったが、それだけで心が締めつけられた。嬉しかったのだ。
 それがきっかけでアオ君は心を開いてくれたのか、少しずつ話してくれるようになった。あまり表情は変わらず、ほとんど俺が質問しているような状態だったが、以前と違って反応してくれるだけでも嬉しかった。
 詳しく聞けば、なんと俺と同い年だった。年下だと思っていたのに嬉しい誤算だ。さらに親近感が湧いた。
 そんな事がしばらく続き、アオ君が来るのが楽しみになってきた。おばさん達にからかわれる事も多くなった。
 最近は学校にも行くようになったらしい。今度アオ君が来たら学校の事も聞いてみようか。そう待ちわびていた日にそれは起こった。
 アオ君がいつも訪れる曜日と時間。その日はなぜかアオ君は姿を表さなかった。
 おばさんは「何か用事があったのかもね」と言っていたが、今まで欠かさず来ていたのにそんな事ありえるだろうか。薬を貰わなければならないし、病院をすっぽかすのは考えられない。
 結局、最後に来てから二ヶ月ほどアオ君は来なかった。






『今日も来ないかなあ』
 おばさんが入口を見ながら寂しそうに呟いている。やはり気になるらしい。
 みんなでため息をついていると、外で誰かの声がした。
『ちょっと見てくる』
『何かあったら叫ぶのよ?』
『ああ』
 俺の身長はこの時すでに百七十五センチはあり、チームに入っているせいで腕にも自信があった。だから心配はしていなかったが、ドアを開けた途端目に入った光景に固まった。
 なぜなら、そこにはアオ君がいたから。しかも、うちの学園の生徒に囲まれて。
 なぜうちの生徒だと分かったのかというと、何度も俺に告白をしてきた奴らだったから。
 なぜこいつらがここにいる? この店の存在は親しい人間にしか教えていないはずなのに。
 その考えが俺の行動を遅らせた。
 俺の見ている目の前で、彼らはアオ君を罵倒し始めた。アオ君は俯いたまま何も話さない。
『なあ、何とか言えよ。お前も神影さんが目当てなんだろ?』
『そうだよ。こんな所まで追いかけてきて』
『あの人はみんなの物って分からない? 学園の人間なら分かるよね? 馴れ馴れしいんだよ!』
『……』
 肩を押されてよろけたアオ君は、それでも話さない。まだ最初の頃に戻ってしまったかのようだった。
 それにイラついたのか、一人がアオ君の胸倉を掴んだ。
『何とか言えよ! 気持ち悪い!』
『!』
 アオ君はいきなり顔を上げたかと思うと、顔面蒼白になりガタガタと震えだした。それをからかうのは他の奴らだ。
『何? 今頃怖くなったわけ? ちょっと反応鈍いんじゃないの~?』
 彼らはニヤニヤと笑っている。学園で俺に媚びていた姿は微塵も感じられない。
 そうか、これがこいつらの本性か。
 俺は彼らに近づき、アオ君を掴んでいる手をひねり上げた。
『何をしている』
『痛っ……誰だよ離せ……』
『きゃ……』
『み、神影様……!?』
 ああ、本当に気持ちが悪い。俺を認識した途端、声色を変えてしまった彼らに吐き気がした。
『何をしていると聞いている』
 彼らは俺が怒っているとは気づかず、上目遣いで媚びてくる。
『あ、あの……』
『こいつが神影様に近づいたから……注意を』
『悪気はなかったんです……あなたが心配で』
 自分の魅せ方をよく知っているらしい。顔の角度や言い方がよく計算されていた。
『彼がそう言ったのか?』
『『『……はい?』』』
『さっさと言え。俺が目当てだと、彼がそう言ったのか?』
『み、神影様?』
『俺って……?』
 いつもとは違う厳しい口調と話し方に、彼らは驚いているらしい。俺は学園の中で一人称を「僕」で統一し、話し方も柔らかい言い回しに変えていた。告白されても、こうして優しく諭せば大抵の奴は諦めていったから。
 これは全て計算だった。俺は優しい人間なんかじゃない。嫌いな奴に好かれても気持ち悪いだけだ。
 それでも諦めない奴には制裁を加えたが、そんな俺の本性を知るのはごく親しい者だけだった。 
 俺の態度に混乱している彼らは、どうしていいか分からないようだった。俺とアオ君を交互に見ながら首を傾げている。
『神影様……? あの、』
『この子は店の常連だ。学園の生徒でもない』
 その言葉に彼らの視線が揺れた。
『え……』
『でも……隊長が……』
『隊長? どういう事だ』
 隊長というのは、親衛隊長の事だろう。まさか、あいつが指示したというのか?
『あの……』
『言え』
 感情を込めず、少し強い口調で命令すると彼らはあっさりと白状した。
『親衛隊の中で最近、神影様が楽しそうだって話してたんです。それを隊長に聞かれて……』
『しばらくしたら、その子が店に入る時の写真を見せてきました。この子は学園の生徒だ。他の学校の生徒のフリをしている。この店に入り浸って神影様を惑わす害虫だって』
『……それで?』
 この時点で頭の中が怒りでいっぱいになったが、ここでキレたら何も聞き出せなくなる。全てを聞き出すまでは耐える事にした。
『店に来てみたら、本当に神影様とこの子が楽しそうにしていて……悔しくて』
『次にこの子が来たら注意しようって……みんなで……』
 そう言って彼らは目を伏せた。みんな…という事は、もしかして今回だけじゃないのか?
『まさか……今回だけじゃないのか?』
『はい。一度他の奴が来て注意しました。でもこの子は気にせず店に入って行ったって。だから舐められてると思って余計イラついて……』
『気にせず……?』
 それはたぶん、アオ君が気にしなかった訳じゃない。最初の頃のように心を開いていなかっただけか、勘違いなのに責められて混乱し、店に避難しただけだろう。自分達の事しか見えていない彼らに呆れてしまう。
『とにかく、この子は学園の生徒ではないし、うちの店の大事なお客様だ。これ以上この子に接触するのは営業妨害とみなす。いいな?』
『『『はい……』』』
『それから、俺の親衛隊のルールにはプライベートの詮索禁止というのがあったな。隊長に話しておけ。俺から大事な話があると』
『『『は、はい! 申し訳ありませんでした!』』』
 彼らは何度も頭を下げて逃げるように去って行った。少し言っただけですぐ逃げるのなら最初からやらなきゃいいのに。
『ったく……』
 親衛隊は解散させようと思いながらアオ君を見ると、俯いたまま、今にも泣きそうなくらいに顔を歪めていた。
『アオ君ごめん! 怖かったよね? 中に入って休もう?』
 そう声を掛けたが首を振るばかりで動こうとしない。さっきの事で恐怖を覚えてしまったのかもしれない。
『アオ君……』
『……』
 アオ君は俺を見る事なく、そのまま回れ右をして帰ろうとしていた。慌てて追いかけ腕を引っ張ると、びくりと震えたのが分かった。
 そのまま立ち止まってくれたはいいものの、アオ君の震えは止まらない。俺は慌てて頭を下げた。
『ご、ごめん!』
『……』
 沈黙が辺りを包む。
 アオ君は喋らない。
 もう一度謝ろうとした時、店の扉が開いておばさんが姿を現した。
『瑛貴? どうなったの? 大丈夫?』
『おばさん……』
『なかなか戻って来ないんだもの……何かあったのかって……あら? アオ君じゃない! 最近来ないから心配してたのよ?』
 おばさんは物凄い勢いでアオ君のそばまで来ると、にっこりと笑いかけた。
『……』
 それでもアオ君は俯いたまま何も話さない。まるで最初の頃に戻ってしまったかのようだった。
 そんなアオ君を気にする事なく、おばさんは優しく声を掛けている。
『お母さんは後から来るの?』
『……』
 アオ君は頷いた。
『じゃあ、中に入ろうか? ここにいたらお母さん心配するわよ?』
『……』
 アオ君はためらいがちに俺とおばさんを見た後、やっとの事で頷いた。






『ちょっと待っててね』
 いつもの席に座らせたおばさんはすぐに俺に聞いてきた。
『ちょっと瑛貴、何があったのよ。アオ君元気ないじゃない』
『それがさ……』
 うちの学園の生徒が関わっていた事を告げると、おばさんは鬼のような顔で怒りを露わにした。
『何それ……アオ君ただのとばっちりじゃない……その子達の親はどういう教育してたのかしら。夕禅学園はレベルが高いって言ったのは誰よ』
『ああ……』
『頭が良くても人格が破壊されてたんじゃ意味無いわね。ま、とりあえずこれ持って行きなさい』
 おばさんは散々奴らの愚痴を零した後、俺にチョコレートパフェを持って行くように促した。
『ちゃんと慰めてあげるのよ?』
『分かってる』
 アオ君の元に向かうと、彼はいつもよりもうなだれていた。顔色は生気を無くし、虚ろな目で空を見つめている。
『アオ君?』
 声を掛けると、ビクッとなって硬直してしまった。よほど怖かったんだろうか。
 それに気づかない振りをしながら向かいに座り、パフェをアオ君に差し出す。
『これ、さっきのお詫び。うちの学園の生徒だったからね』
『……』
 アオ君は首を振り、拒否する姿勢を見せた。
『遠慮しなくていいよ? あいつらを管理出来てなかった僕が悪いんだ』
『……』
『あいつらは僕を慕ってくれてる子達でね、僕とアオ君が仲が良いから嫉妬したっていうか……』
『……』
『怖かったよね。本当にごめんね……アオ君!?』
 アオ君はいきなりボタボタと大粒の涙を流し始めた。先ほどの恐怖を思い出したんだろうか。
『アオ君、大丈夫?』
 慌てて背中をさすってやると、小さな声が聞こえてきた。
『……め、んなさい』
『え?』
『迷……惑、かけて……ごめんなさい……』
 アオ君は泣きながら謝り始めた。
 どうしてだ? どう考えても悪いのはあいつらであり、止められなかった俺のせいだ。アオ君の過失は全くと言っていいほど見当たらなかった。 
『どうしてアオ君が謝るの? アオ君は悪くないよ』
『……』
 アオ君は唇をぎゅっと噛み締め、何かをこらえるように震えていた。
『アオ君は悪くない。俺が保証する』
 もう一度安心させるように囁くと、アオ君は震えながら衝撃的な事を口にした。
『俺、学校で……い、いじめられてたんです……今は、落ち着きましたけど……だから、ああやって……集団で何かを言われるのが、まだ怖くて……』
『な……』
『怒鳴る人とか、本当にダメで……興奮して、一気に何かを言われると……頭が真っ白になっちゃうんです……だから、さっきも怖くて……』
 アオ君はぼそぼそと、消え入りそうな声で教えてくれた。そこで俺は確信に近くなっていた疑問を口にする。
『もしかして、病院に通ってるのは……』
『……眠れなくて、精神安定剤と……睡眠薬を貰ってるんです。飲まないと思い出しちゃうから……』
 おばさんの言葉が頭をよぎる。
 ――ちょっと辛い事があってね……心療内科に通ってるのよ。
 辛い事……もしかしていじめの事だったのか?
 アオ君は驚いている俺を見ながら、申し訳なさそうにしていた。
 申し訳ないのはこっちのほうだ。誰だって自分がいじめられた事を話したくはないだろう。
『本当に、すみません……』
『いや、謝るのはこっちの方だよ。辛い事を思い出させてごめんね……でも、今は落ち着いたって……解決したのかい?』
 落ち着いたという事は、もういじめられてはいないという事だ。どう解決したんだろう。
 アオ君は少し気まずそうにしながら呟いた。
『と、友達が……』
『友達? 助けてくれたのかい?』
『そんなの気にする事ないって、言ってくれたんです。そんな事をするのは器が小さい証拠だって。縁が無かったと思えばいいって……』
 それはずいぶん思い切った見解だ。確かにその通りだが、本当に中学生が言った言葉なんだろうか。そんな事を言えるまでにはそれなりの経験が無いと難しいような気がする。
『へえ……ずいぶんと大人びた子だねえ』
『はい……それに、ちゃんと見てる人は見てるから、今は信じてくれる人だけを信じなさいって……今まであんまり話した事ない奴だったんですけど、それから一緒にいる事が多くなって……』
『……』
 なんというか脱帽だ。まさに正論。正論以外の何者でもない。ここまで言えてしまう人間に興味が湧いた。 
 『俺、その言葉で凄く救われました……死にたいって思ってたから』
『!』
『……その後も、そいつは言ってくれました。死ぬくらいなら、強くなって、いじめた奴らを見返せって。それでも辛かったら死ねばいい、死ぬのはそれからでも遅くないって』
『……凄い子だね』
 普通、友達がいじめられていたらもっと慰めるだろう。その子の言葉は最終的には死を肯定しているし、場合によっては追い詰めてしまうかもしれない。
『一緒にいるようになって分かったけど、ちょっと変わった奴なんです』
 アオ君はそう言って苦笑いをした。
『変わった奴……?』
 いや、変わってるというより、人を納得させる術を心得ている……と言えばいいのか?
 自分で強くなれと突き放しているようにも聞こえるが、アオ君が自分で考え、アオ君が納得する言葉を選んでいる。その証拠に、アオ君は死を選ばなかった。
 いじめた奴らを「器が小さい」と称するあたり、彼はどこか達観的な人間なのかもしれない。
『……いい友達に出会えたね』
『はい……』
『……』
 アオ君ははにかむように笑った。それがなんだか頼りなくて、心の中にある気持ちが生まれてきた。
 この子を守ってあげたい。
 そばで支えてあげたい。
『……』
『あの……?』
『あ……いや、』
 俺は今、何を考えていた?
 アオ君はいい子だ。優しくて、人を気遣う事のできる、今の若い奴らには珍しいタイプ。学園内の爛れた人間関係を見ているから新鮮なんだろうか。
 それに、アオ君は男だ。俺は今まで男を好きになった事はない。むしろそういう輩を軽蔑していた。
 でも、今自分に芽生えた気持ちを拭う事は出来なかった。ずっとずっと、この子を守り、笑顔を見ていたいと思った。
『まずいな……』
 この感覚を知っている。恋だ。
 最初はただ、心配だから気にかけているだけなのかと思った。でも違う。
 俺は、アオ君に恋をしてしまったのだ。
『アオ君、君は凄いね』
『……何がですか?』
 きょとんとしながらパフェを食べ始めているアオ君。ただそれだけなのに、好きだと自覚した途端にひどく可愛く思えてくる。
『……内緒』
 そう言ってにっこり笑うと、アオ君はさらに困った顔をした。
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