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それは、去年の夏の事だった。
『ごめんなさい。好きな人が出来たの。蒼君……チームに構ってばかりで私を見てくれないんだもの』
蒼は二年間付き合っていた彼女に突然振られた。彼女の言い分としては、蒼が自分よりも友人を優先するのが寂しかったのだと言う。チームの幹部に昇格し、忙しくなってきた時期の出来事だった。
確かに会う回数も減っていたのは認めるが、彼女に告白された時、蒼がチームに入っているのは承知だと言っていた。だから分かってくれていると思っていた。
蒼としては、卒業した後もずっと交際を続け、いつかは結婚もしたいと思っていた。だから気にしてはいなかった。それだけにショックが大きく、すべてがどうでもよくなるくらい落ち込んだ。
そういう日に限って、なぜかトラブルは起こるものだ。彼女と別れた後、街を歩いているとガラの悪い不良四人に絡まれてしまった。すれ違う時に肩がぶつかったという理由だった。
彼らは典型的な不良と言った感じで、無視すれば余計絡んでくるのは分かっていたが、自暴自棄になっていた蒼は面倒くさいが為に無視をした。その行為がやはり不良共をイラつかせてしまったらしい。
「おい兄ちゃん、ちょっと来いや」
そのまま路地裏に連れ込まれ、四人に囲まれた。そして一人が蒼の胸倉を掴み、殴りかかってきた。普段ならば、すぐに躱して殴り返す所だが、すべてがどうでもよくなっていた蒼は抵抗もせずに殴られた。
そこまでで終わらせておけば、この不良達も幸せだっただろう。だが、調子に乗った彼らは蒼に金を欲求してきた。
「おい兄ちゃん、治療費くれない?」
「あ?」
「だから、治療費。兄ちゃんとぶつかって肩が痛いんだよね」
本当に典型的な不良のようだ。お約束通りの台詞でバカらしくなった。
構っている時間がもったいない。そんな事を思っているとは思いもしないのだろう。さらにまくし立ててきた。
「兄ちゃん聞いてる?」
「怖くてビビってんじゃねーの?」
好き勝手な事を言う奴らにイライラが募ってくる。誰一人、白けた目で見ている蒼に気づいてはいないらしい。しばらく黙っていようとしたが。
「兄ちゃん、そんなに弱くちゃ彼女に振られちゃうよ?」
そのセリフを聞いた瞬間、蒼の頭の中で何かが切れる音がした。
「……」
「兄ちゃん? おーい聞いてる?」
「……死ね」
蒼の顔を覗き込んでいた男の顔に拳がヒットした。めり込んだかと思われるほどの威力に、男がその場で崩れ落ちる。
「てめえ、何しやがる!」
「調子に乗ってんじゃねーぞ!」
「後悔させてやる!」
残りの男達が、またしてもお約束通りの言葉を吐き、次々と向かって来たが、あっさりと攻撃は避ける事が出来た。口の割には隙だらけでなっていない。この程度で喧嘩を売ろうなどとは呆れてしまった。
いちいち相手にするのは面倒だ。早く決着をつける事にした。
一人は蹴りを躱して腹に拳を打ち込んだ後、衝撃でフラフラな所を頭突きでトドメを刺した。もう一人は頭に蹴りを入れたら一瞬で落ちてしまった。正直弱すぎて話にならない。
「なんだこいつ、強い……!?」
蒼の強さを目の当たりにした男達は、驚愕の目でこちらを見ている。そのうちダメージの無い一人が思い出したように呟いた。
「おい……やべえかも。こいつ、もしかしたらBLUEの幹部……」
蒼の名前は知らずとも、顔は見たことがあるらしい。ガクガクと震えながら口にする男に他の男達は動揺を隠せないらしかった。
「な……」
「まさか……」
「……その“まさか”だと言ったらどうする?」
「ひ……!」
ニヤリと笑みを浮かべてやると、男達は戦意を喪失したらしい。すぐにその場に座り込んでしまった。
「……くだらねえ」
男達を置いて路地裏を出ると、雨がポツポツと降り出してきた。
「……最悪」
足早に繁華街を抜け、家路を急ぐ。これ以上何かあってはたまらない。早く家に帰りたかった。
だが、やはり神様は蒼を放っておいてはくれないらしい。信号待ちをしていると、横に立っていた男が突然もたれかかってきた。自分よりも背が高く、体格も良いが、制服姿という事は高校生だろうか。
「……!?」
「クソっ、男だなんて最悪……」
ぼそりと聞こえた言葉に眉をひそめる。それはこっちのセリフだった。勝手に倒れかかってきてそれは無いのではないか。
「おい、それはこっちのセリフ……」
思いきり振り払おうと思ったが、男の顔を見て動きが止まる。端正な美貌を乗せたその顔は、血の気が引き、今にも倒れそうなほど真っ青だった。
「……大丈夫か?」
あまりに酷い顔色に、思わずそう問いかけてしまった。
「……触んじゃねえ」
下を向いたまま、ふらついた身体を支えようと手を伸ばせば、不機嫌そうな声が耳に入った。再び手を貸そうとしても振り払われてしまう。
「……あっそ。じゃあ、ご勝手に」
本人が助けはいらないと言っているなら、自分の出る幕ではない。男を突き放してそのまま帰ろうとしたが、いきなり腕を掴まれ、嫌な声が聞こえてきた。
「……吐く」
「……はあ!?」
周りに助けを求めて視線を送るが、二人を知り合いだと思っているのか、チラチラと窺うだけで助けようとはしてくれなかった。男の体格に加え、金髪という「いかにも不良です」と言った容姿も関係しているのだろう。
「離せ……」
「……」
男の腕を外そうとしたが、ものすごい力で外れる様子はなかった。
「……チッ」
仕方がない。とりあえず近くの店に入ってトイレを借りよう。その後は放って帰ればいい。
そう決めた蒼の行動は早かった。
「ほら、嫌かもしれないけど我慢しろよ」
「……」
男の背中に腕を回して支えると、男は自分から蒼の肩に腕を乗せてきた。あんなに触れられるのを嫌がっていたというのに驚いた。よほど辛いのかもしれない。
「……あんたさ」
「あ?」
「……何でもない」
「なんだ?」
男は何かを言いかけたが、すぐに口をつぐんでしまった。
よく分からないがとにかく急ごう。幸い、近くにゲームセンターを見つけ、すぐに用を済ます事ができた。
しかし、男は思いのほか重症だったらしい。吐いた後もぐったりとしていて、支えてやらねば歩けそうになかった。
「救急車呼ぶか?」
「……それだけはごめんだ」
「でも……」
「お兄さん、一緒にいろよ。どっかで横になれば大丈……う、」
「おいおい……」
背中をゆっくりとさすってやりながら、これからの事を考えた。こんな具合のまま一人にしては危険な気がする。
「……お兄さん、頼む」
更に悪くなった顔色で「一緒にいろ」と訴えてくる男を見ていたら、このまま残して帰ろうとしていた自分に罪悪感を感じてしまった。
(……仕方ないか)
「……掴まれ」
「お兄さん?」
「この近くにカラオケとかあんだろ。具合が良くなるまで寝てればいい。付き合ってやるから」
そう言いながら笑いかけると、男は動きを止めて目を見開き、その後、はにかむように笑った。
*
正直、自分よりも体格の良い男を抱えて歩くのはきつかった。しかも、さっきよりも密着されて歩きにくい。
ゲームセンターからカラオケ店までの距離は思いのほか長く、蒼の息は上がっていた。
「はあ、はあ……」
「……」
男は黙って蒼に引きずられるように歩いている。震えているのは気のせいだろうか。
雨はどんどん強くなり、二人の身体を濡らしていった。
「ちょっと待ってろ」
カラオケ店に着き、男を待たせて受付をすると、アルバイトらしき若い女が対応した。後ろで待っている男が気になるらしく、チラチラと様子を窺っている。
「二人。フリータイムで」
「は、はい。ワンオーダー制ですので、必ずご注文をお願いします」
「あ、タオル貸してもらえますか? 二枚」
「はい。飲み物と一緒にご用意いたします」
「ありがとう」
「いえ……」
にっこりと笑って礼を言うと、女はみるみるうちに頬を染めた。
「お兄さん、終わった?」
すると、後ろで待っていたはずの男がいきなり横からもたれかかってきた。
「ちょ、重い」
「早く行こうぜ。休みたい」
さらに具合が悪くなったのだろうか。どこか不機嫌そうに呟く男の顔色は相変わらずで、早く休ませないとまた戻しかねないと思った。
「あ、ああ……」
男を抱えて部屋に入ると、蒼に引っ付いたままの男をとりあえずソファーに座らせた。自分はテーブルを挟んだ男の向かいに座る。
「注文、何飲む?」
「んー、何かスッキリしたもん」
「レモンスカッシュでいいか?」
スッキリすると言えばレモンだろう。蒼の頭は単純だった。
「……ああ」
『はい、こちらフロントです』
「すみません注文を……はい、コーラとレモンスカッシュ」
注文を終えてソファーに座ると、男が話しかけてきた。
「お兄さん、コーラ好きなのか?」
「ん? そうだな。好きだ」
「ふーん……」
そのまま男は黙ってしまった。大した用ではなかったらしい。
しばらくすると、店員が注文した飲み物とタオルを持ってきた。何も話さず沈黙している二人を訝しみながらも「ごゆっくりどうぞ」とだけ言って去っていった。
「ほら、タオル」
「ん」
男にタオルを渡すと、素直に受け取り、濡れた身体を拭いていた。まだ顔色は戻っていない。
「そうだ、これ飲むか?」
「何?」
「胃薬。これ飲んで寝てろ」
以前持ち歩いていた物がそのままカバンの中に入っていた。男に渡すと無言で薬をじっと見つめている。
「……あんた」
「ん?」
「いつもこうなのか?」
「こうって?」
「こんなに世話焼きなのかって」
「さあ……どうだろうな。よく分かんねえ」
「そう……」
男は黙って薬を飲むと、今度はじっと見つめてきた。
「……」
なんなんださっきから。寝るならさっさと寝て欲しい。
蒼は男の視線に気づかない振りをして、携帯に目を落とす事にした。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
スマホの着信とメールは数件。一つは上原からだった。
『BLACKの奴が蒼の帰る方向で派手にケンカしてたらしいから気をつけて。総長もいるらしい。あと、彼女とどうなった?』
そういえば、連絡しろと言われたまま忘れていた。もともと彼女は上原からの紹介だったので責任を感じているのだろう。気にしなくていいのに。
上原には「別れた。詳しくは後で話す」とだけ送った。
(BLACKの総長か……)
BLACKは規模が大きすぎる。肝心の総長は遠目でしか見た事が無かった。顔もよく知らない。
それに、普段から何があってもなかなか顔を出さないし、蒼も幹部ではなかったから全く接点がない。
(まあいいか)
他のメールをチェックしようとすると、急に気配がし、いつの間にか男が隣に座っていた。
「何?」
男は無言で座っている。やけに近いのは気のせいだろうか。
「お兄さん、肩貸してくれる?」
「あ?」
男を見ると、真剣な顔でこちらを見ていた。と思ったら、頭を蒼の肩に乗せてきた。
「おい……」
「こうした方が楽……」
目を閉じて深呼吸を繰り返す男を見ると、まだ体調が戻っていないのを感じた。不本意だが仕方がない。そのままにしてやる事にした。
「「……」」
スマホを操作する音と、男の呼吸音のみが静かに響いていた。不思議と気まずさは感じない。
しばらくすると男が口を開いた。
「……お兄さん、かっこいいからモテるでしょ。彼女いるの?」
「……」
それは、振られたばかりの蒼にとって、一番聞かれたくない事だった。初対面の奴に言えるほど割り切れていない。
だが相手は病人だ。どうせ言っても忘れるだろう。そう思ったら、自然と口に出してしまった。
「……さっき別れた。構って貰えなくて寂しいってな。二年付き合ってた」
男の身体が強張ったのが分かる。
「……ごめん。聞いちゃいけなかったね」
「構って貰えないか……俺はそんなつもり無かったんだけど、……っ、」
もしかしたら、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。口にした途端にいろんな想いがこみ上げてきて、目から涙が零れ落ちてしまった。
「……悪い。泣いた事は誰にも言うなよ?」
慌てて涙を拭い、ごまかすように無理やり笑顔を作ると、男は蒼を見つめたまま固まっていた。
引かれただろうか。この男はきっとモテるだろうから、失恋で泣くなんて事は無いに違いない。
「情けないだろ? 男が失恋ごときで泣くなんて」
「いや……」
傷を抉られたのはこっちの方なのに、傷ついた顔をしている男が面白かった。
「俺の話は終わり。お前こそ……その顔じゃモテるだろ?」
「え? ああ、まあ……不自由はしてないな。黙ってても女は寄ってくるし」
あっさりと認めた男にびっくりした。謙遜という言葉を知らないのだろうか。
「ずいぶん正直だな。特定の彼女はいないのか?」
「いない……ってか作らない。いても邪魔だし」
「へえ……」
そのくらい割り切れていたら自分も楽だっただろう。この時ばかりは自分の性格が嫌になった。
そのまま男は黙ってしまい、再び沈黙が続いた。入店してから一時間が経過していた。
―――。
「……いさん、お兄さん」
気づいたら肩を揺さぶられていた。
「……あれ?」
「やっと起きた」
目を覚ますと、金髪の男が顔を覗き込んでいた。
「すまん。俺、寝てた?」
「ああ」
スマホで時間を確認すると、あれから三時間が経過していた。
「げ、こんなに寝てたのか……」
びっくりした。薬なしで自然に眠れたのは久しぶりだったから。
「二人して寝てたみたいだな」
胃薬が効いたのか、男の顔色はさっきよりも良くなっていた。
「よし、顔色良くなったみたいだな。良かった」
そう笑いかけると、男がまた固まってしまった。なんなんだ?
すると、男が口を開いた。
「お兄さん、あんたさ……チーム入る気ない?」
「チーム?」
「そ。BLACKって言うの……知らない?」
「BLACK……?」
この男はBLACKのメンバーだったのか。まさか誘われるとは思わなかった。
「知ってるけど入る気は無いかな。悪い」
BLUEとBLACKは対立しているし、総長に対する恩もある。乗り換える気なんてさらさらなかった。
「そうか……残念」
意外にも男はあっさりと引いた。もしかしたら、チームに入るような不良だと思っていないのかもしれない。その方が都合はいいのだが。
「そろそろ出るか」
受付で会計を済ませて外に出ると、すっかり暗くなっていた。辺りにはサラリーマンや飲み会帰りの大学生らが歩いている。
「じゃあな」
「あ、待ってお兄さん!」
別れを告げて帰ろうとすると、男に呼び止められた。
「何?」
「名前教えて。あと連絡先。お礼がしたい」
「いや、そういうのはいいから気にすんな。じゃあな」
「ちょっと待……!」
今回の事は、自分が勝手に付き合っただけだ。それに、BLACKの人間とあまり関わらない方がいいだろう。
呼び止める男の声を無視して、蒼は人混みに紛れて行った。
*
「……とまあ、こんな感じだったと思う。確か」
蒼の話をみんなは黙って聞いていた。なぜかポカンと口を開けたままだ。
「……どうした?」
蒼が話しかけると、速水ははっとしてこちらを向いた。
「総長……それは俺でも惚れます」
そ う口にした速水を皮切りに、次々とみんなが言葉を被せてくる。
「具合が悪い所を助けられて、なおかつ側に居てくれただなんて……」
「しかも涙混じりの笑顔まで……」
「総長、自分が何をしたか自覚無いんですか!」
訴えるような言葉の数々に、思わず身を引いてしまう。
「えっと……ただ助けただけだぞ?」
「いや、見ず知らずの奴にそこまで世話を焼く人間はなかなかいません」
「そりゃあ覚えてるよなあ……そこまでされたら」
「俺も惚れるかも」
みんなにまくし立てるように責められて、どうしていいか分からなくなる。おろおろしていたら速水が身を乗り出してきた。
「そういえば総長、俺がBLUEに入ったのも総長に助けられたからです。覚えてますか?」
「……確かケンカに巻き込まれてたんだよな? それは覚えてる」
速水は街でケンカに巻き込まれていた。それをたまたま通りかかった蒼と上原が助けたのが縁だ。助けた次の日に蒼の元へ来たのだから、さすがにそれは覚えていた。
「今のBLUEのメンバーは、総長や上原さんの強さに惹かれた奴が多いですが、それと同じくらい助けられた奴も多い」
「BLACKは初代から有名だから入る奴も多いけど……今も阿知波の強さはすげえし」
「その阿知波と互角ってのは本当に凄い事なんですよ?」
みんながいろいろと言っているが、つまり何を言いたいのだろうか。
「だから?」
「だから、強さ云々だけじゃなくて、総長自身に惹かれて入る奴も多いって事です。まあ、恋愛感情とは言いませんけど、自分が男にも人気があるって事を自覚してください!」
と、業を煮やした速水が一気に吐き出した。
「それに、BLACKに誘われただなんて初めて聞きました」
「BLACKには入らないぞ?」
「それは分かってます。問題はそこじゃないんです。そうだよな?」
速水はそこまで言うと、他のみんなに話を振った。
「はい。知っての通り、阿知波は何に関しても無頓着、無関心です。自分が総長を務めるBLACKでさえも」
「確かにそうだな」
それは頷ける。BLACKのメンバーを心配してしまうくらいの無関心ぶりだ。
「その阿知波が、自らBLACKに誘った。阿知波は自分から誰かを誘ってチームに入れた事は無いんです。それほど総長に関しては本気だったって事ですよ?」
「は……まさか」
「そのまさかを考えてください。さっきの様子といい、あんなに笑って誰かに触れる阿知波は初めて見ました」
「あれはびっくりしたよな……ちゃん付けもしない奴だし」
「総長すげえって思いました。出会いの話を聞いたら納得出来ましたが……」
「……」
みんながみんなして言うのだから嘘では無いのだろう。あの時、あの場所であいつを助けてしまった事を心から後悔した。
「そうか……今度からは気をつける。迂闊に何かに手は出さない」
それを聞いた速水が笑顔になった。
「お願いしますよ? あ、でも」
「何だ?」
「阿知波に関しては応援します。二人が仲良い方がうまく行きそうだし」
「それはやめてくれ……」
速水の言葉に、がっくりと肩を落とした蒼だった。
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