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しおりを挟む怪しい男は店からかなり離れた場所を歩いていた。短時間でこの距離を移動できるってどうなってんだ。そんなに足が速いということなのか。
「ちょっと! 待ってくれ!」
息を切らしながら男に向かって叫ぶと、それに気づいた男が足を止めた。
「君は……」
「すみません…、お礼を、お礼を言わせてください……!」
「いや、私はたいした事はしてませんので」
「いえ、みんながあなたに助けられました。俺も、殴られそうだったのに…ありがとうございました」
「……」
「警察の方もお礼が言いたいそうです。一緒に来ていただけませんか?」
「……」
男は黙ってしまった。何か事情があるのだろうか。
「あの、もしかして…警察に会いたくない事情が?」
「……ええ」
ああ、やっぱり。実は犯罪者か何かなのか? でも、さっき自分を助けてくれたのはこの人で、それは間違いない。自分だけでもお礼ができないだろうか。
「…じゃあ、俺だけでもお礼をするのはダメですか?」
「どういう事ですか?」
「あなたには何か事情があるようだ。警察にはあなたを見失ったと言います。その代わり、何かお礼をさせてください」
「お礼?」
「はい、何でもあなたの望む事をします。犯罪になるような事以外なら、なんでもします。それが俺の気持ちです」
怪しいと思っていたけど、男にはどこか上品な雰囲気がある。なら、大丈夫だろう。
男の返事を待っていると、男が急に目の前に立ってきた。こうして近くで見て気づいたが、男の身長は思っていたより高く、ルディは完全に見下ろされている。そして、体格もいい。その威圧に飲まれそうになっていると、男がいきなりルディの腕を掴み、ぼそりと呟いた。
「あなたは…私の気持ちをご存知だったのですか?」
「へ?」
「私は…現世に生まれてからずっと、あなたを探していました。そして、多くの街を訪ね歩いて、この街でようやく見つけました。そのあなたが…私の望む事をしてもいいなど……! これは夢ですか?」
「ゆ、夢じゃないと思います……」
「おお……神よ……!」
男はいきなり涙を流し、神に祈り始めた。
なんかヤバい。生まれてからずっとってなんだろう。この人とは会った事ないよな?
「あのー、俺達、どこかでお会いしてたんですか?」
「いいえ、現世では会っていません。こうしてまた触れられるのが夢のようです…この、美しい銀の髪も、透き通るような紫の瞳もそのままで……」
男は俺の髪に触れながらそう言った。意味が分からない。
「意味が分からないんですけど……」
「お、覚えていないのですか?」
「はあ、そうみたいです」
「おお、神よ…また私に試練を与えるのか……!」
今度は男がうなだれてしまった。どうすればいいんだろう。怪しいからやっぱ断るか?
「あのー、すみません。さっきの話はなかった事に……」
「あなたはさっき、私の望む事をしてくださると仰いましたよね?」
「うっ……」
なんで覚えてるんだろう。ショックのあまり忘れてくれないかなと思ったが無駄だった。ここは覚悟を決めるしかないのか?
まあ、自分から言ってしまったんだし、ここは諦めるか……。
「ち、ちなみに、何をすればよろしいでしょうか?」
「あなたを抱きたい」
「……」
光の速さで男は言った。マジかよ。
びっくりしすぎて男を眺めるだけになってしまうと、男は今気づいたように聞いてきた。
「あっ…! 男に抱かれるのは初めてですよね? 申し訳ございません……! 初めての話をこんな道端で話してしまうなど…ですが、私は前世で叶わなかった夢を…あなたをこの腕に抱き、一緒になって幸せになるという夢を叶えるために生きてきました。準備は万端ですし、テクニックも磨いております。職業も誰もが認める物に就いておりますし、その地位も安定しております。ご安心ください」
いや、そういう問題じゃないだろ……。
男の勢いに引きずられそうになるが、ちょっと確認しておこう。前世って言ったよな?
「あのー、その、前世? では、俺は女だったんですか?」
「いえ、男の方です。私はあなたにお仕えしていた従者でした。あなたは私を庇ってお亡くなりになったのです」
「その時、俺達は付き合っていたんですか?」
「いいえ…! 従者が主人に好意を伝えるなどできる事ではありませんでした。ですが、あなたは息絶える前に、私に言ったのです。お前の事を好いていたと。ですから、前世では後悔ばかりが残りました。目の前で息絶えるあなたを、ただ見つめるだけしかできなかった自分を、私は許す事ができなかった。だから、現世ではそれなりに強くなったつもりです。何かご不満でしょうか?」
「不満というよりなにより、話についていけません」
「…もしや、あなたには記憶がないのですか?」
「ありません」
「…そ、そんな…私は何のために……」
男は呆然と俺を見つめているが、話についていけないのだから仕方がない。俺には前世の記憶もないし、男を覚えていないのだから。ってか、何で死ぬ前にそんな事言うんだよ前世の俺。
でもまあ、男が嘘を言っているようには見えない。妄想にしては設定がリアルすぎるし、ここまで一人を追って生きていけるだろうか。
「カテル様…私はまた、あなたと離れなければいけないのですか……?」
「え? 今、何て言いました?」
「カテル様と、前世のあなたの名を呼びました」
カテルというのは俺の名字だ。こんな偶然あるのか?
店ではずっと「ルディ」と呼ばれていたし、この男の前でカテルと呼ばれた事もない。男が誰かに聞いていなければありえない話だ。
「ちょっとお尋ねしますが、俺の名字はご存知ですか?」
「さあ…聞いた事はございません」
男ははっきりとそう言った。その目は嘘を言っているようには見えない。信じるしかないのか?
「実は、俺の現在の名字はカテルと言います。ルディ・カテル。それが俺の名前です」
「え……! 本当ですか……?」
「はい」
「ああ…やはり神はお見捨てにはならなかったのだ……」
男は感激しながら涙を流し始めた。大の男がこんなに号泣するの初めて見たぞ。
うーん、まあ、俺も初めてってわけじゃないし、しばらくセックスもしてないし、たまにはいいか。戦争が始まったらこの街を出るだろうし、最後の思い出みたいな。
男を見ていたら、なぜかそんな気持ちになってしまった。
「あのー、じゃあ、一回だけ」
「はい?」
「一回だけなら抱かせます。その後はまあ、気分次第っていうか、そんな感じでいいですか?」
「もちろんです」
男の返事は早かった。どうしよう、さっきまでのが演技だったら。ふと、そんな事が頭をよぎったが、考えない事にした。
その後は大変だった。店の仲間や警察に「男が見つからなかった」と説明して、客にも謝ったり片付けをしたり、さらに色々聞かれたりと、なんだか疲れてしまった。疲れてしまったが、男に「このホテルまで来てください」と地図を渡されたから行くしかなかった。男は店を知っているし、俺は無断欠勤なんかできる状況じゃないから。
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