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「フィドラーと戦争が始まるって聞いた?」
「ああ、客がよく話してるよな」
控え室でもその話題で持ちきりだった。みんな興味があるらしい。
「ルディはどう思う?」
「負けるんじゃない?」
「だよねー…そしたらここも無くなっちゃうのかなあ……」
負けたらここもフィドラーの物になる。そしたら俺達は解雇されて、ここを出るしかない。それだけが億劫だった。
戦争が近づいていても、仕事はいつもと変わらない。
いつもと同じように接客をしていると、同僚のコルトが話しかけてきた。
「ルディ、また来てるよあの人」
「えー……」
あの人というのは、二ヶ月ほど前から来るようになった客の事だ。肩くらいの黒髪を後ろで無造作に結んでいて、前髪は長くて顔がよく分からず、無精ヒゲまで生やしているので怪しい事この上ない。歳もよく知らないので、俺達は「怪しい人」とこっそり呼んでいた。
そして、一番困っているのが、どうやら彼の目当てが俺だという事。彼は俺が出勤している日に必ず現れ、俺の事をずっと見ている。最初に気づいた時は信じられなくて、他の同僚にもあの人に見られてないか聞いてみたが、みんなは口を揃えて言った。「見られた事はない」と。
それからはなるべく、俺以外が彼の頼んだ物を持っていくようにしているが、それでも彼の視線は俺を追っていて、やりにくくなっていた。
「ルディ、これを一番テーブルに」
「はい…げ、」
カウンターに出された酒を盆に乗せ、テーブルに向かおうとした時気づいてしまった。一番テーブルはあの怪しい客だと。
代わりの人を…と思ったが、今日は繁盛していてみんなの余裕がない。空いているのは俺だけだった。
「チッ……」
仕方なく客の元へ向かうと、彼は俺に気づき、視線はそのままだが微動だにしなくなった。
「おまたせいたしました」
「……」
彼は酒を置いても何も言わなかった。それをいい事にその場を去ろうとすると、急に彼がぼそりと言った。
「君は…戦争はどうなると思いますか?」
「戦争? フィドラーとの事でしょうか?」
「はい」
話す時は敬語なのか。結構低くて良い声なんだな。と、どうでもいい事を思ったが、さっき話していた事をそのまま話す事にした。
「フィドラーには強い騎士団がありますし、この国は負けると思います」
「騎士団の事を知っているんですか?」
「まあ…うちの店にもファンはよく来ますから。俺はあんまり詳しくないですけど、話は聞いた事があります」
「では、もしこの国が負けたら、君はどうしますか?」
「負けたら…うーん、この店も潰れるでしょうし、また仕事を探さなくてはいけなくなりますね」
なんでこんな事を聞くんだろう。何かの調査か?
不思議に思って質問に答えていたが、それは店に響いた大きな音で中断された。
ガシャーーン……!
「おい! 何してんだよ!」
「申し訳ございません……!」
どうやら、新人の従業員がグラスを落としてしまったらしい。これはたまに起こる事なのだが、酔った客の中にはそういうミスを許さない者もいる。今も客が従業員に掴みかかっていた。
しかも、こういう日に限って、店長が不在だった。
「やべっ……」
このままではやばい気がする。ルディはそのテーブルに向かって走っていた。他の従業員も同じだった。
「おい! 服にかかったじゃねえか! どうしてくれんだよ!」
ルディがその場に着いた時、客はさらに怒っていた。声もかなり荒くなり、すぐにでも目の前の従業員を殴りそうだ。
「申し訳ございません。すぐにお着替えと新しいお酒をご用意いたしますので、その手をお離しになってはくださいませんか?」
従業員を掴んでいた手に自分の手を重ね、やんわりと言ってみる。すると、客は手を離してくれた代わりに、違う提案をしてきた。
「いや、着替えはいい。殴らせろ」
「え?」
「ムカついたから殴らせろ。お前みたいな綺麗な顔を殴ってみたい」
「それは……」
「客のいう事が聞けないってのか?」
客はなぜか殴らせろと言ってきた。完全なる八つ当たりだが、この場を収めるためには我慢するしかない。
「…分かりました」
客が拳を握ったのを確認して、ルディは目をつぶった。すぐに拳が頬をかすめたが、思っていたような痛みはなかった。
「……?」
口元にピリリとした痛みはあるが、全力で殴られたわけではないらしい。さっきの勢いだとそんな感じではなかったのに、どうしたんだろう。不思議に思って目を開けてみると、客の後ろにあの怪しい男がいて、その腕を捻っていた。
「暴力に訴えるとは感心できないな」
「なんだてめえは……」
「今すぐこの店から出て行け。迷惑をかけるのなら、お前の上官に報告する」
「な、なんだと?」
「お前は軍人だろう?」
怪しい男は客の事を軍人だと決めつけている。どこかで見たんだろうか。でも、客は認めなかった。そればかりか、怪しい男が手を離したと同時に掴みかかっていく。
「ふざけんな! って、え?」
男の胸ぐらを掴み、身体を揺すった瞬間、わずかにその目元が現れた。客はそれを見るなり、戸惑いの声を上げた。
「え? なんでこんな所に……」
ゴッ……!
「うぁっ、」
男は客の腹に拳を叩きつけ、客はその場に崩れ落ちた。あまりの早業に目がついていかなかったが、本当にこの人がやったんだろうか。
呆然と見つめるだけになってしまったら、男が他の従業員に声をかけていた。
「早く警察を」
「は、はいっ!」
バタバタとあたりが騒がしくなり、警察はすぐにやってきた。警察は従業員達や他の客達に話を聞いているが、あの怪しい男はいつの間にかいなくなっていた。
「はい、ご協力ありがとうございます…で、君達を助けた男の方はどちらに?」
「それが、さっきから姿が見えないんです」
「あ、あの人ならさっき出て行ったよ」
すると、話を聞いていた客の一人が教えてくれた。
「本当ですか?」
「ああ。今から追いかければ間に合うんじゃないか?」
「…っ、くそ!」
気づけば俺は駆け出していた。怪しい男だろうがなんだろうが、助けられたままじゃ後味が悪い。
「ルディ!」
「悪い! ちょっと出てくる!」
コルトが俺を呼ぶ声が聞こえたが、俺は構わず追いかけていった。
「フィドラーと戦争が始まるって聞いた?」
「ああ、客がよく話してるよな」
控え室でもその話題で持ちきりだった。みんな興味があるらしい。
「ルディはどう思う?」
「負けるんじゃない?」
「だよねー…そしたらここも無くなっちゃうのかなあ……」
負けたらここもフィドラーの物になる。そしたら俺達は解雇されて、ここを出るしかない。それだけが億劫だった。
戦争が近づいていても、仕事はいつもと変わらない。
いつもと同じように接客をしていると、同僚のコルトが話しかけてきた。
「ルディ、また来てるよあの人」
「えー……」
あの人というのは、二ヶ月ほど前から来るようになった客の事だ。肩くらいの黒髪を後ろで無造作に結んでいて、前髪は長くて顔がよく分からず、無精ヒゲまで生やしているので怪しい事この上ない。歳もよく知らないので、俺達は「怪しい人」とこっそり呼んでいた。
そして、一番困っているのが、どうやら彼の目当てが俺だという事。彼は俺が出勤している日に必ず現れ、俺の事をずっと見ている。最初に気づいた時は信じられなくて、他の同僚にもあの人に見られてないか聞いてみたが、みんなは口を揃えて言った。「見られた事はない」と。
それからはなるべく、俺以外が彼の頼んだ物を持っていくようにしているが、それでも彼の視線は俺を追っていて、やりにくくなっていた。
「ルディ、これを一番テーブルに」
「はい…げ、」
カウンターに出された酒を盆に乗せ、テーブルに向かおうとした時気づいてしまった。一番テーブルはあの怪しい客だと。
代わりの人を…と思ったが、今日は繁盛していてみんなの余裕がない。空いているのは俺だけだった。
「チッ……」
仕方なく客の元へ向かうと、彼は俺に気づき、視線はそのままだが微動だにしなくなった。
「おまたせいたしました」
「……」
彼は酒を置いても何も言わなかった。それをいい事にその場を去ろうとすると、急に彼がぼそりと言った。
「君は…戦争はどうなると思いますか?」
「戦争? フィドラーとの事でしょうか?」
「はい」
話す時は敬語なのか。結構低くて良い声なんだな。と、どうでもいい事を思ったが、さっき話していた事をそのまま話す事にした。
「フィドラーには強い騎士団がありますし、この国は負けると思います」
「騎士団の事を知っているんですか?」
「まあ…うちの店にもファンはよく来ますから。俺はあんまり詳しくないですけど、話は聞いた事があります」
「では、もしこの国が負けたら、君はどうしますか?」
「負けたら…うーん、この店も潰れるでしょうし、また仕事を探さなくてはいけなくなりますね」
なんでこんな事を聞くんだろう。何かの調査か?
不思議に思って質問に答えていたが、それは店に響いた大きな音で中断された。
ガシャーーン……!
「おい! 何してんだよ!」
「申し訳ございません……!」
どうやら、新人の従業員がグラスを落としてしまったらしい。これはたまに起こる事なのだが、酔った客の中にはそういうミスを許さない者もいる。今も客が従業員に掴みかかっていた。
しかも、こういう日に限って、店長が不在だった。
「やべっ……」
このままではやばい気がする。ルディはそのテーブルに向かって走っていた。他の従業員も同じだった。
「おい! 服にかかったじゃねえか! どうしてくれんだよ!」
ルディがその場に着いた時、客はさらに怒っていた。声もかなり荒くなり、すぐにでも目の前の従業員を殴りそうだ。
「申し訳ございません。すぐにお着替えと新しいお酒をご用意いたしますので、その手をお離しになってはくださいませんか?」
従業員を掴んでいた手に自分の手を重ね、やんわりと言ってみる。すると、客は手を離してくれた代わりに、違う提案をしてきた。
「いや、着替えはいい。殴らせろ」
「え?」
「ムカついたから殴らせろ。お前みたいな綺麗な顔を殴ってみたい」
「それは……」
「客のいう事が聞けないってのか?」
客はなぜか殴らせろと言ってきた。完全なる八つ当たりだが、この場を収めるためには我慢するしかない。
「…分かりました」
客が拳を握ったのを確認して、ルディは目をつぶった。すぐに拳が頬をかすめたが、思っていたような痛みはなかった。
「……?」
口元にピリリとした痛みはあるが、全力で殴られたわけではないらしい。さっきの勢いだとそんな感じではなかったのに、どうしたんだろう。不思議に思って目を開けてみると、客の後ろにあの怪しい男がいて、その腕を捻っていた。
「暴力に訴えるとは感心できないな」
「なんだてめえは……」
「今すぐこの店から出て行け。迷惑をかけるのなら、お前の上官に報告する」
「な、なんだと?」
「お前は軍人だろう?」
怪しい男は客の事を軍人だと決めつけている。どこかで見たんだろうか。でも、客は認めなかった。そればかりか、怪しい男が手を離したと同時に掴みかかっていく。
「ふざけんな! って、え?」
男の胸ぐらを掴み、身体を揺すった瞬間、わずかにその目元が現れた。客はそれを見るなり、戸惑いの声を上げた。
「え? なんでこんな所に……」
ゴッ……!
「うぁっ、」
男は客の腹に拳を叩きつけ、客はその場に崩れ落ちた。あまりの早業に目がついていかなかったが、本当にこの人がやったんだろうか。
呆然と見つめるだけになってしまったら、男が他の従業員に声をかけていた。
「早く警察を」
「は、はいっ!」
バタバタとあたりが騒がしくなり、警察はすぐにやってきた。警察は従業員達や他の客達に話を聞いているが、あの怪しい男はいつの間にかいなくなっていた。
「はい、ご協力ありがとうございます…で、君達を助けた男の方はどちらに?」
「それが、さっきから姿が見えないんです」
「あ、あの人ならさっき出て行ったよ」
すると、話を聞いていた客の一人が教えてくれた。
「本当ですか?」
「ああ。今から追いかければ間に合うんじゃないか?」
「…っ、くそ!」
気づけば俺は駆け出していた。怪しい男だろうがなんだろうが、助けられたままじゃ後味が悪い。
「ルディ!」
「悪い! ちょっと出てくる!」
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