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第25話 わたしのいのちは、捨てましょう

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 エルレアは、死のうと考えていた。

 ひとりで逝く手段をしらないから、神式でみずからを燒くのがよいのか、喉を手刀でつけばよいのか、あるいは舌を、あるいは……。さまざま思料し、その思料をもって、かろうじて意識をつないでいた。

 目の前の地獄は、みずからの所業が、自分のおこないが呼んだことだと理解したからである。

 ときを超えた論理だった。あのとき、母をとめたこと、そこから生じた母ののろい、怨念の成就が、アルティエールとレクスの死、ジェクリルの誕生を必要としたこと。それを直感で理解できたため、と言い換えることもできた。

 がくがくと震える手を、みずからの喉にむける。

 その手をおさえてジェクリルはしずかに告げた。

 「……やめておけ」

 エルレアの手に実体化しかけた刃が消失する。その手をみつめて、彼女は凍りついていた。半開きになったくちから声にならない音をずっと漏らしている。

 「わたしの目をみろ……エルレア。みろ。みろ!」

 反応が薄いエルレアの両肩を掴み、強引にみずからの顔に振り向かせる。焦点を得ない瞳が彼に向けられた。頬の涙が、炎を映してひかっている。

 「終わらせるんだ。終わらせなければならない。なにもかも。わたしとアルティの苦しみも、君の、苦しみも」

 「……」

 そういいながら、左のてのひらを、かざす。

 親指の付け根のあたりから小指にかけて、切り裂かれた傷のように、爛れた穴がくちをあけている。くろい、いや、昏い穴。その中心に、血よりも赫く、ほむらよりも強い熱をおびた、呪いの瞳がひかっていた。

 ジェクリルは<ウィズスの瞳>をエルレアにしめし、近づけた。

 エルレアは反応を示さない。みずからの呪いも想起せず、母、冥界の現神ウィズスの影を見出すこともせず、ただただ、強いられるままに、それをみつめていた。

 「終わらせることができるのは、いま、君だけだ」

 「……」

 「わたしは……そしてアルティは、ウィズスさまによってかりそめの生命を請けた。逆らうことはできない。わたしは、君がもつ<ゼディアの瞳>を破壊しなければならない」

 「……」

 ゼディアの瞳、ときいたときに、エルレアはわずかに動いた。

 「それができるのは、精霊ウィズス……冥界の現神ウィズス、その眷属である君だけだ。君がその破壊を望んで、別の瞳を用いれば、他方は破壊される」

 「……」

 「だが、わたしの願いは、それではない。それだけ、ではない。わたしは……」

 左の手、ウィズスの瞳をぐっと握りしめる。

 「すべてを壊したい。いずれの瞳も、いずれのちからも、無にかえしたい」

 「……」

 「アルティは、最期にわたしに、ちからを残した。そのちからは、冥界にも、神式にも由来しない。自由なちからだ。ひとの、本来の生きるちからだ。そしてアルティは、冥界に踏み入った刹那に、わたしにひとつの伝言をのこした」

 「……」

 「いずれ、栗色の髪の女術師が現れる。その者がすべてを終わらせる。アルティ自身と、わたしと……これから苦しむであろう、おなじちからの持ち主すべての苦しみを、彼女が終わらせる、と」

 「……」

 「エルレア。終わらせてくれ」

 言いながら、ふたたびウィズスの瞳を、エルレアの目の前に突きつける。

 「わたしがアルティのちからで、自分の意思を保てるうちに、ウィズスさまにすべての自由を奪われる前に、この、呪いの瞳と……」

 ジェクリルはエルレアの胸元、術師団の制服の合わせ目に手を入れる。エルレアは抵抗も、反応もしない。その手をふしぎそうに見るだけだった。

 制服のその位置には、重要なものを隠す場所があった。守護石、祝福の石をつねに携帯する術師ならではの隠し場所だったが、レクスとして術師団に所属したジェクリルにはそのことがわかっていた。

 エルレアの胸のあたりから、なにかを引き出す。黒い帛紗に包まれた、ちいさななにか。しばらくなにかを思うようにそれを見つめ、額にあて、エルレアに差し出した。

 「……ウィズスの瞳と、この、ゼディアの瞳。どちらも、いま、君の手で、壊してくれ。そうすれば、アルティとわたしは、自由になる」

 エルレアの目が、ジェクリルの左の手と、ゼディアの瞳……<証>とを、交互に見る。そのまま、しばらく、動きを止める。

 どれほど時間がたったか。やがてエルレアは、ちいさく、小さく声をだした。

 「……ほんとうに、これで、あるてぃは、あなたは」

 「ああ。救われる。永劫の場所で、またふたりで、いつまでも、暮らせる」

 「……ほんとうに、ほんとうに……」

 「君もだ。救われるのは、君も、そして、君の大事なひとたちもだ。争いも諍いも、この世の苦しみはすべて、終わる」

 きいん。

 ジェクリルの右の手のひらで、ゼディアの瞳にあわい藍色の光が宿った。金属を擦るような音、そのまま、ごくわずかに振動を続ける。その光は、いま、エルレアの瞳にともったものとおなじ色をしていた。

 「……わたしは、ゆるされる、の、かな……?」

 ジェクリルは、時間をおいて、ゆっくりと頷いた。

 「わたしのことは、みんな、ちゃんと、わすれてくれる……のかな」

 エルレアの頬に、あたらしい涙がおちた。

 「わたしにかかわった、みんな、やさしいみんな、しあわせになって、くれるかな、のろわれた、わたしのことなんて、わすれて、しあわせになってくれるかな」

 ジェクリルは瞬時、なにかを言おうとくちを開きかけ、逡巡し、エルレアの肩に手をかけた。

 「……また、アルティのジャムを、いっしょにたべよう。三人で。きっと……すばらしい世界が待ってる」

 エルレアがジェクリルの目を見上げた。金髪を無造作に伸ばし、おさない目をしたレクスが、笑って彼女をみていた。

 エルレアはジェクリルの手からゼディアの瞳を受け取った。瞳の輝きはさらに強くなっている。ふたりの顔は、その藍の光に染められていた。

 ジェクリルがひだりの手のひらをかざす。ウィズスの瞳が、大きく見開かれる。現実の炎とみまごうような、しかし無限のふかさまで誘う昏く赫いひかりが、ゼディアの瞳に呼応するかのように色濃く輝いた。

 「……わたしは、望む」

 エルレアはゼディアの瞳を目の高さにもちあげ、つぶやいた。

 「ウィズスの娘、呪いの子エルレアは……」

 ジェクリルは目を閉じ、そのことばを聴いている。

 「すべてのわざわいを終わらせることを、すべての苦しみを終わらせることを」

 エルレアは右手を、ジェクリルの左の手のひらに近づけていった。

 ふたつの瞳の発する光は、いまや、この幻の世界、ジェクリルの思念の世界を埋め尽くすようなつよいものとなっていた。

 光芒のなかで、エルレアは、宣言しようとしている。

 「わたしは、望む。そのために、わたしはゼディアの瞳、ウィズスの瞳を……」

 世界が、しろく、変わろうとした。
 
 そのときだった。

 轟音。巨大ななにかが裂けるような、鋼鉄どうしが激突するような音。それとともに、なにかが頭上からふってきた。

 その影はエルレアのすぐ横に降り立ち、瞬時にうごいた。

 影に蹴り飛ばされたジェクリルは、アルティエールの骸の映像を破りながら弾き飛ばされ、転がった。

 影は立て続けに腕をうごかし、複雑な手印を組み上げた。空間が歪み、くらい雲が湧き出て、うまれた無数の雷がジェクリルを襲う。

 エルレアのうつろな目が捉えた、影。影が、声を発した。

 「……エルレアになにをした」

 正面を見据えながら短く、低く、つよく。

 レリアンのことばは、エルレアにとって久しぶりの、ほんものの生命の声だった。

 ◇

 第二十五話。

 どんなあまい夢も、いつかは終わります。
 そのことは、いのちの意味と、矛盾しない。

 今後ともエルレアを見守ってあげてください。

 またすぐ、お会いしましょう。

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