26 / 27
第25話 わたしのいのちは、捨てましょう
しおりを挟むエルレアは、死のうと考えていた。
ひとりで逝く手段をしらないから、神式でみずからを燒くのがよいのか、喉を手刀でつけばよいのか、あるいは舌を、あるいは……。さまざま思料し、その思料をもって、かろうじて意識をつないでいた。
目の前の地獄は、みずからの所業が、自分のおこないが呼んだことだと理解したからである。
ときを超えた論理だった。あのとき、母をとめたこと、そこから生じた母ののろい、怨念の成就が、アルティエールとレクスの死、ジェクリルの誕生を必要としたこと。それを直感で理解できたため、と言い換えることもできた。
がくがくと震える手を、みずからの喉にむける。
その手をおさえてジェクリルはしずかに告げた。
「……やめておけ」
エルレアの手に実体化しかけた刃が消失する。その手をみつめて、彼女は凍りついていた。半開きになったくちから声にならない音をずっと漏らしている。
「わたしの目をみろ……エルレア。みろ。みろ!」
反応が薄いエルレアの両肩を掴み、強引にみずからの顔に振り向かせる。焦点を得ない瞳が彼に向けられた。頬の涙が、炎を映してひかっている。
「終わらせるんだ。終わらせなければならない。なにもかも。わたしとアルティの苦しみも、君の、苦しみも」
「……」
そういいながら、左のてのひらを、かざす。
親指の付け根のあたりから小指にかけて、切り裂かれた傷のように、爛れた穴がくちをあけている。くろい、いや、昏い穴。その中心に、血よりも赫く、ほむらよりも強い熱をおびた、呪いの瞳がひかっていた。
ジェクリルは<ウィズスの瞳>をエルレアにしめし、近づけた。
エルレアは反応を示さない。みずからの呪いも想起せず、母、冥界の現神ウィズスの影を見出すこともせず、ただただ、強いられるままに、それをみつめていた。
「終わらせることができるのは、いま、君だけだ」
「……」
「わたしは……そしてアルティは、ウィズスさまによってかりそめの生命を請けた。逆らうことはできない。わたしは、君がもつ<ゼディアの瞳>を破壊しなければならない」
「……」
ゼディアの瞳、ときいたときに、エルレアはわずかに動いた。
「それができるのは、精霊ウィズス……冥界の現神ウィズス、その眷属である君だけだ。君がその破壊を望んで、別の瞳を用いれば、他方は破壊される」
「……」
「だが、わたしの願いは、それではない。それだけ、ではない。わたしは……」
左の手、ウィズスの瞳をぐっと握りしめる。
「すべてを壊したい。いずれの瞳も、いずれのちからも、無にかえしたい」
「……」
「アルティは、最期にわたしに、ちからを残した。そのちからは、冥界にも、神式にも由来しない。自由なちからだ。ひとの、本来の生きるちからだ。そしてアルティは、冥界に踏み入った刹那に、わたしにひとつの伝言をのこした」
「……」
「いずれ、栗色の髪の女術師が現れる。その者がすべてを終わらせる。アルティ自身と、わたしと……これから苦しむであろう、おなじちからの持ち主すべての苦しみを、彼女が終わらせる、と」
「……」
「エルレア。終わらせてくれ」
言いながら、ふたたびウィズスの瞳を、エルレアの目の前に突きつける。
「わたしがアルティのちからで、自分の意思を保てるうちに、ウィズスさまにすべての自由を奪われる前に、この、呪いの瞳と……」
ジェクリルはエルレアの胸元、術師団の制服の合わせ目に手を入れる。エルレアは抵抗も、反応もしない。その手をふしぎそうに見るだけだった。
制服のその位置には、重要なものを隠す場所があった。守護石、祝福の石をつねに携帯する術師ならではの隠し場所だったが、レクスとして術師団に所属したジェクリルにはそのことがわかっていた。
エルレアの胸のあたりから、なにかを引き出す。黒い帛紗に包まれた、ちいさななにか。しばらくなにかを思うようにそれを見つめ、額にあて、エルレアに差し出した。
「……ウィズスの瞳と、この、ゼディアの瞳。どちらも、いま、君の手で、壊してくれ。そうすれば、アルティとわたしは、自由になる」
エルレアの目が、ジェクリルの左の手と、ゼディアの瞳……<証>とを、交互に見る。そのまま、しばらく、動きを止める。
どれほど時間がたったか。やがてエルレアは、ちいさく、小さく声をだした。
「……ほんとうに、これで、あるてぃは、あなたは」
「ああ。救われる。永劫の場所で、またふたりで、いつまでも、暮らせる」
「……ほんとうに、ほんとうに……」
「君もだ。救われるのは、君も、そして、君の大事なひとたちもだ。争いも諍いも、この世の苦しみはすべて、終わる」
きいん。
ジェクリルの右の手のひらで、ゼディアの瞳にあわい藍色の光が宿った。金属を擦るような音、そのまま、ごくわずかに振動を続ける。その光は、いま、エルレアの瞳にともったものとおなじ色をしていた。
「……わたしは、ゆるされる、の、かな……?」
ジェクリルは、時間をおいて、ゆっくりと頷いた。
「わたしのことは、みんな、ちゃんと、わすれてくれる……のかな」
エルレアの頬に、あたらしい涙がおちた。
「わたしにかかわった、みんな、やさしいみんな、しあわせになって、くれるかな、のろわれた、わたしのことなんて、わすれて、しあわせになってくれるかな」
ジェクリルは瞬時、なにかを言おうとくちを開きかけ、逡巡し、エルレアの肩に手をかけた。
「……また、アルティのジャムを、いっしょにたべよう。三人で。きっと……すばらしい世界が待ってる」
エルレアがジェクリルの目を見上げた。金髪を無造作に伸ばし、おさない目をしたレクスが、笑って彼女をみていた。
エルレアはジェクリルの手からゼディアの瞳を受け取った。瞳の輝きはさらに強くなっている。ふたりの顔は、その藍の光に染められていた。
ジェクリルがひだりの手のひらをかざす。ウィズスの瞳が、大きく見開かれる。現実の炎とみまごうような、しかし無限のふかさまで誘う昏く赫いひかりが、ゼディアの瞳に呼応するかのように色濃く輝いた。
「……わたしは、望む」
エルレアはゼディアの瞳を目の高さにもちあげ、つぶやいた。
「ウィズスの娘、呪いの子エルレアは……」
ジェクリルは目を閉じ、そのことばを聴いている。
「すべてのわざわいを終わらせることを、すべての苦しみを終わらせることを」
エルレアは右手を、ジェクリルの左の手のひらに近づけていった。
ふたつの瞳の発する光は、いまや、この幻の世界、ジェクリルの思念の世界を埋め尽くすようなつよいものとなっていた。
光芒のなかで、エルレアは、宣言しようとしている。
「わたしは、望む。そのために、わたしはゼディアの瞳、ウィズスの瞳を……」
世界が、しろく、変わろうとした。
そのときだった。
轟音。巨大ななにかが裂けるような、鋼鉄どうしが激突するような音。それとともに、なにかが頭上からふってきた。
その影はエルレアのすぐ横に降り立ち、瞬時にうごいた。
影に蹴り飛ばされたジェクリルは、アルティエールの骸の映像を破りながら弾き飛ばされ、転がった。
影は立て続けに腕をうごかし、複雑な手印を組み上げた。空間が歪み、くらい雲が湧き出て、うまれた無数の雷がジェクリルを襲う。
エルレアのうつろな目が捉えた、影。影が、声を発した。
「……エルレアになにをした」
正面を見据えながら短く、低く、つよく。
レリアンのことばは、エルレアにとって久しぶりの、ほんものの生命の声だった。
◇
第二十五話。
どんなあまい夢も、いつかは終わります。
そのことは、いのちの意味と、矛盾しない。
今後ともエルレアを見守ってあげてください。
またすぐ、お会いしましょう。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。
アンチエイジャー「この世界、人材不足にて!元勇者様、禁忌を破って若返るご様子」
荒雲ニンザ
ファンタジー
ガチなハイファンタジーだよ!
トロピカルでのんびりとした時間が過ぎてゆく南の最果て、余生を過ごすのにピッタリなド田舎島。
丘の上の教会にある孤児院に、アメリアという女の子がおりました。
彼女は、100年前にこの世界を救った勇者4人のおとぎ話が大好き!
彼女には、育ててくれた優しい老神父様と、同じく身寄りのないきょうだいたちがおりました。
それと、教会に手伝いにくる、オシャレでキュートなおばあちゃん。
あと、やたらと自分に護身術を教えたがる、町に住む偏屈なおじいちゃん。
ある日、そののんびりとした島に、勇者4人に倒されたはずの魔王が復活してしまったかもしれない……なんて話が舞い込んで、お年寄り連中が大騒ぎ。
アメリア「どうしてみんなで大騒ぎしているの?」
100年前に魔物討伐が終わってしまった世界は平和な世界。
100年後の今、この平和な世界には、魔王と戦えるだけの人材がいなかったのです。
そんな話を長編でやってます。
陽気で楽しい話にしてあるので、明るいケルト音楽でも聞きながら読んでね!
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
「婚約破棄、ですね?」
だましだまし
恋愛
「君とは婚約破棄をする!」
「殿下、もう一度仰ってください」
「何度聞いても同じだ!婚約を破棄する!」
「婚約破棄、ですね?」
近頃流行りの物語にある婚約破棄騒動。
まさか私が受けるとは…。
でもしっかり聞きましたからね?
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる