禍ツ天使の進化論

空月 瞭明

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第107話 原初の天使

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  天空宮殿の神の寝室は、幾重もの薄布のカーテンで仕切られていた。
 神の寝室に入室したルシフェルは、そのカーテンを一枚づつかき分けながら、奥に進んだ。
 最後の薄布をめくりながら、ルシフェルは興奮気味に、弟に大事を伝えようとする。

「聞けサタン、ついに……」

 が、その言いかけた言葉は飲み込まれた。
 神の寝そべる寝台の傍らに座したサタンが、今まさに、神の果実ゼリアルを自らの口に含もうとしていたためだ。
 神は寝台の大きなクッションにしなだれかかり、夢見心地でそんなサタンを見つめていた。背中で六枚の羽を楽しげに震わせながら。

「サタン、何をしている!?」

「ルシフェル……」

 サタンは兄を見ると、ゼリアルを口から離した。
 ルシフェルはほっと一息つくが、すぐに怖い顔をする。

「死にたいのか!?その神の実の蜜は神だけが口にしていいものだ!それを神に捧げるのが我らの役目であろう!」

 サタンはふっと笑った。

「誤解するな。もちろん神に捧げているさ。……口移しでな」

「なに?」

 サタンは再び口を開けゼリアルを上に掲げると、くしゃりと潰した。サタンの口の中に蜜がどろりと滴る。ルシフェルが目を見張る。

「サタンっ!!駄目だ、すぐ吐き出せ、サタン!!」

 サタンはそんなルシフェルを無視して、神の顔を両手で挟んだ。
 そして覆いかぶさるように唇を重ねた。神は自然に口を開き、サタンは自らの口内から、神の口内に蜜を注ぎ込む。

「サタン!?し、信じられぬ、か……神にくちづけするなど……っ!!」

 ルシフェルは手で口を覆った。その恐ろしく背徳的な光景に身を震わせながら。
 神は至福の表情で、懸命にサタンの舌を貪る。小さな口でサタンの舌に懸命にしゃぶりつく。

「んんっ……ふあぁ……」

 まだ未成熟な少女姿の神が、淫靡さすら感じさせる吐息をつきながら貪欲に男の口に吸い付いている。
 とても見てはいられなかった。自分の目が信じられなかった。
 サタンは満足そうに、

「ほら、喜んでるじゃないか。なんと穢れなき笑顔だろう」

 ルシフェルは慄きながら首を振る。

「無垢な神になんてことを……!こんな不敬を下々の者たちに知られたらどうする気だ!?それにゼリアルの蜜を天使が口にして、無事でいられると思うか?たとえ微量でも、お前の体に何が起こるか分からぬ!」

「大袈裟な、何も起きていない」

 サタンは実を潰した時に指に付着した蜜を、神の口に含ませた。神は必死にサタンの指をしゃぶり、舐めとり、よだれを垂らしながら吸う。
 そんな光景に眩暈を覚えながら、ルシフェルは言葉を続けた。

「だが、猛毒なのだそれは!たとえ少量ですぐに影響が出なくとも、そんなことを何度も行えば、お前の肉体は耐え切れなくなって破滅する!」

「破滅?それは面白い」

「本当の事だ!天使がその実を口にすることが許されるのは、神が御隠れになった時だけ!それも無色天使だけだ!熾天使や大天使のような色づいた羽を持たない、無色透明の羽の天使、無色天使のみが次の神候補となる!」

「そんなことは分かっている」

「神が御隠れになった時、全ての無色天使の体は一時的に、その実を受け入れることが出来る体に変化する。我々熾天使が次の神にふさわしい無色天使を選び、その実を与える。そうすることで、その無色天使は神に生まれ変わる……。だが、それだって全てイレギュラーな話だ。神が存命中の通常の状態では、全ての天使が決して口にしてはならない実だ!」

「最初の天界……」

 サタンはおもむろにそんな言葉を発した。

「は……?」

 ルシフェルは眉間にしわを寄せる。

「はるかはるか、遠い昔。我々がかりそめの天界を転々とする以前のことを、お前はどれだけ知っている?」

「突然、なんの話だ?」

「我々の真の故郷の話だ」

「天使の原初の母星のことか?そんな遠い祖先のこと」

「原初の母星では天使は健全なる肉体を持っていた……。こんな欠落した体ではなかった……。『ドゥムジ』などいなかった……」

「昔の話だ。その時代から既に何億世代もたち、我々の体は進化を遂げている」

「進化だと?果たして我々は進化してきたのか?退化ではなく?」

「サタンお前、何を考えている?」

 サタンは何も答えず、ただ戯れのように、神に己の指をしゃぶらせていた。そして囁く。

「我が神……なんと美しい……。成熟後のみならず、その途上の今もまた、全ての瞬間が美しい……」

「サタ……ン……」

 サタンの瞳の奥に、底知れぬ情念を見て取り、ルシフェルの背筋に冷たいものが走った。
 完璧だったはずの天界開闢の摂理に、突然小さな亀裂が走ったような。
 ルシフェルは底知れぬ不吉さを感じ取り、物も言えず弟の横顔を見つめていた。
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