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第90話 夜明け前、愛を伝える
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アレスは自宅アパートの屋上にやって来た。
殺風景な屋上の風景の中、木箱の上に探し物を見つける。
木箱にポツンと腰掛ける、小さな羽を生やした天使。
「やっぱここか……。飛び立ってすぐ視界から消えたってことは死角すなわち屋上かもと思ってさ。結構ここ入るの大変だったんだぞ。管理人さん叩き起こして屋上の鍵を借りてさ、理由聞かれたから化け物が侵入してる可能性があるって嘘ついてさ、俺が騎士だから信じてもらえたけど。つーかそろそろこのアパート追い出されそうな気がするな。引っ越すか?」
「……」
レリエルは何も言わず、遠くの景色を眺めている。
アレスはため息交じりに笑うと、木箱の隣、ひんやりした屋上の床に腰を下ろした。
澄んだ青紫色の空を見上げる。東の空に明けの明星が輝いていた。帝都の喧騒はまだ、聞こえてこない。ほんのりとした肌寒さが、夜明け前の清涼さを際立たせていた。
「明るくなってきたな。一緒に日の出でも拝むか」
「……」
「何を怒ってる?」
「アレスは人間を救いたいんだよな」
レリエルは遠くを見たままで口を開いた。
「ああ、それが俺の使命だと思ってる」
「じゃあ、もし、僕を殺さないと人間が絶滅する、って状況になったら、どうする?」
アレスは一瞬言葉を失い、レリエルを見る。
レリエルは何も読み取れない無表情だった。
「なんだよそれ、やめてくれよ」
「答えろよ」
アレスは自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、苦笑いする。
「なに気ぃ立ってんだぁ?嫌な質問だなー。そういう状況になったら、そうだな」
アレスは自分の右の立膝に肘をついて、顎をのせる。静かにこう答えた。
「レリエルを殺さずに人間を助ける方法を見つけ出す」
レリエルが怒った顔でアレスを振り返った。
「はあ!?なんでそんな面倒な事するんだよ!僕を殺すだけでいいじゃないか!」
そんな言葉が返ってくるとは思わなかった。なんてことを言うのだろう。アレスの胸の内から切なく込み上げるものがあった。
「何言ってんだよ、俺がお前を殺せるわけないだろ」
「な、なんで僕くらい殺せないんだ!言っただろ、僕は誰からも忌み嫌われる、醜い出来損ないなんだ!」
「レリエルは醜い出来損ないなんかじゃない。お前は……」
「なんだよ……」
アレスは言い澱み、口元を手で覆ってためらった。
だが決心する。
今こそ言う時である気がした。
「お前は、誰よりも可愛いし、おっ、俺が、生涯愛するたった一人、だ……」
「……」
レリエルは呼吸を忘れたかのように、口をポカンと開けて放心している。
アレスはそんなレリエルの顔をまともに見ることができず、目を伏せながら必死に言葉をつなぐ。
「よ、嫁ってのはほんとは、一生一緒にいる相手のことなんだ。男は普通、女を嫁にするんだけど、でも俺は、レリエルがいいんだ。俺は、死ぬまでずっと、お前だけを愛して、お前のそばにいたい。レリエルに、一生俺の隣にいてほしい……」
言い切ったアレスは恥ずかしくてたまらなかった。顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。
でも、やっと言えた。
アレスは大きな幸福を感じていた。
ちゃんと愛を伝えることは、それだけで幸せなことなのだと初めて知る。
どんな答えが返ってこようと、愛を伝えられただけで幸せだと思う。
(ああ、俺は今、世界で一番幸せだ)
スッキリした気持ちで、レリエルの顔を見上げた。
レリエルは変わらず、口をポカンと開けて固まっている。
「僕は天使で……お前は人間だ……」
ポツリと零された言葉に、アレスは首を振る。
「そんなの関係ない。天使とか人間とか、そんなの関係なく、俺はレリエルを愛してる」
レリエルの大きな目の縁に涙がたまる。震える雫が、筋になって流れ落ちた。
もう何度も見たレリエルの涙。何度見ても、綺麗だと思う。
「馬鹿だ……。お前は本当に、馬鹿だ」
「そんなことねえよ」
アレスは笑う。ただ内側から幸せだけがこみ上げてくる。
レリエルは綺麗な涙をぽろぽろ流しながら、
「なんっ……でだよ!なんで僕なんか、なんで……!」
アレスはレリエルを穏やかに見つめた。
「レリエル、お前はきっと疲れてるんだ。明日は……いやもう今日か、今日は城サボってどっかピクニックでも行こう。いっぱい休もう。お前が好きなだけ。プロポーズの答えは、今度、聞くから……」
レリエルは涙をぬぐい、一呼吸置いた。そして、
「次元上昇」
「!?」
突然、レリエルの口から溢れた謎の言葉にアレスは目を丸くした。
泣いていたレリエルが、一切の表情を消していた。
無表情の唇から、淡々と次の言葉を紡ぐ。
「天使の目的は、地球を天界に次元上昇させることだ。天使は地球を新たな天界に作り変えようとしている。先の天界はもう滅んでしまったから」
「レ、レリエル……!」
「神域の形成は、天界開闢の第一段階に過ぎない。第六段階で地球は天界になり、地球は天使たちのものになり……人間は、滅びる」
アレスはごくりと喉を鳴らした。
「滅び……!だっ、第六段階で何が起きる!?」
「何百万という新生天使の誕生。彼らは地球を天界に次元上昇させる力を持っている。それは神様にも不可能なこと。新生天使だけが持つ能力。彼らは誕生して間も無く、この下界を次元上昇し天界へと生まれ変わらせる」
「次元上昇って何だよ!」
「プラーナがあまねく地を覆い、下界が天界になる……。つまり天使の活動可能領域に。地球の全ての場所が神域になると言えば分かりやすいか」
「……」
それが意味することに、アレスは戦慄する。
「そしたらもう、天使は霧の結界の中に閉じこもってはいない。何百万という天使が、赤い霧の中から出てくる」
「くっ……」
「天使はあらゆる場所に散らばって、人間や動物を全て殺して、地球を天使だけの楽園にする。第六段階が成されたら、誰も天使たちを止められない」
「でも、まだ第一段階なんだよな!?頼む教えてくれ、どうやってそれを阻止すればいいんだ!」
「第一段階、神域の形成。第二段階、神の再生。第三段階、神の成熟。秘儀とされている第四段階を経て、第五段階、神の産卵。第六段階、新生天使の誕生」
「神の……」
「天使はみな男性体、女性体は神様のみ……。新生天使を、新生天使の卵を生めるのは、神様だけ……」
「なに……?」
その瞬間、アレスの頭の中で人類滅亡とその回避のためのピースがかっちりと嵌まった。
新生天使だけが地球を「次元上昇」できる。人類を滅ぼすのは新生天使だ。
そして新生天使を産むのは、天使たちの「神」。
(「神」を殺せば新生天使の誕生を、滅びを阻止できる……!)
「もうおしまいだ。後は自分で考えろ」
言って、レリエルは木箱から降りてすくと立った。
アレスも立ち上がり、興奮して尋ねる。
「いや、心から礼を言いたい!ありがとう、そこまで話してくれて。なんで急に?」
「さあ、なんでかな。あ、あのムカつく上官に伝えておいてくれ。『お前に脅されたからアレスに全てを教えたわけじゃない』って。『お前の脅しは関係なく、僕がアレスに全部教えたくなっただけ』って」
「脅し!?」
「大丈夫、もうそれはいい。それより僕、やっと分かったよ。どうして自分が矮小羽なのか」
佇むレリエルの背後で、輝く黄金の太陽が昇ってきた。静寂を打ち砕くように、まるで轟音を立てて、その輝きは昇る。
「レリエルの羽が、小さい理由?」
朝日の逆光の中、レリエルは悲しそうに微笑んだ。
「僕はきっと、生まれながらの背信者なんだ」
レリエルは不意にアレスに近づくと、背伸びしてアレスの首の後ろに手を回し、引き寄せた。
目を瞑り、アレスの口元に唇を押し付ける。
アレスは息を飲む。心臓が痛いほど高鳴った。
レリエルが初めて、アレスにキスをしてくれた。
今この瞬間を、その柔らかな唇を、生涯忘れないだろうとアレスは思った。
唇を離したレリエルは、くしゃくしゃの笑顔になっているアレスを見ると、ぐっと涙を飲み込む仕草をした。
「僕なんかに、そんな風に笑うなよ馬鹿……」
そして照れ臭そうに微笑んだ。
小さな羽が朝日を浴びてキラキラと光る。
憧憬するようにアレスを見上げるレリエルは、とても綺麗だった。
レリエルがそのまま透き通って、朝の清涼な光の中に溶けて消えてしまうんじゃないかと、怖くなるくらい。
アレスは愛しさのままにレリエルを抱きしめた。
「レリエル……!愛してる、愛してる、お前に会えて本当によかった!」
レリエルはアレスの胸に顔をうずめ、身を震わせる。
「……っ。アレス、アレス、アレ……ス……っ」
アレスの名を呼ぶ声は、途中で嗚咽へと変わっていった。
※※※
殺風景な屋上の風景の中、木箱の上に探し物を見つける。
木箱にポツンと腰掛ける、小さな羽を生やした天使。
「やっぱここか……。飛び立ってすぐ視界から消えたってことは死角すなわち屋上かもと思ってさ。結構ここ入るの大変だったんだぞ。管理人さん叩き起こして屋上の鍵を借りてさ、理由聞かれたから化け物が侵入してる可能性があるって嘘ついてさ、俺が騎士だから信じてもらえたけど。つーかそろそろこのアパート追い出されそうな気がするな。引っ越すか?」
「……」
レリエルは何も言わず、遠くの景色を眺めている。
アレスはため息交じりに笑うと、木箱の隣、ひんやりした屋上の床に腰を下ろした。
澄んだ青紫色の空を見上げる。東の空に明けの明星が輝いていた。帝都の喧騒はまだ、聞こえてこない。ほんのりとした肌寒さが、夜明け前の清涼さを際立たせていた。
「明るくなってきたな。一緒に日の出でも拝むか」
「……」
「何を怒ってる?」
「アレスは人間を救いたいんだよな」
レリエルは遠くを見たままで口を開いた。
「ああ、それが俺の使命だと思ってる」
「じゃあ、もし、僕を殺さないと人間が絶滅する、って状況になったら、どうする?」
アレスは一瞬言葉を失い、レリエルを見る。
レリエルは何も読み取れない無表情だった。
「なんだよそれ、やめてくれよ」
「答えろよ」
アレスは自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、苦笑いする。
「なに気ぃ立ってんだぁ?嫌な質問だなー。そういう状況になったら、そうだな」
アレスは自分の右の立膝に肘をついて、顎をのせる。静かにこう答えた。
「レリエルを殺さずに人間を助ける方法を見つけ出す」
レリエルが怒った顔でアレスを振り返った。
「はあ!?なんでそんな面倒な事するんだよ!僕を殺すだけでいいじゃないか!」
そんな言葉が返ってくるとは思わなかった。なんてことを言うのだろう。アレスの胸の内から切なく込み上げるものがあった。
「何言ってんだよ、俺がお前を殺せるわけないだろ」
「な、なんで僕くらい殺せないんだ!言っただろ、僕は誰からも忌み嫌われる、醜い出来損ないなんだ!」
「レリエルは醜い出来損ないなんかじゃない。お前は……」
「なんだよ……」
アレスは言い澱み、口元を手で覆ってためらった。
だが決心する。
今こそ言う時である気がした。
「お前は、誰よりも可愛いし、おっ、俺が、生涯愛するたった一人、だ……」
「……」
レリエルは呼吸を忘れたかのように、口をポカンと開けて放心している。
アレスはそんなレリエルの顔をまともに見ることができず、目を伏せながら必死に言葉をつなぐ。
「よ、嫁ってのはほんとは、一生一緒にいる相手のことなんだ。男は普通、女を嫁にするんだけど、でも俺は、レリエルがいいんだ。俺は、死ぬまでずっと、お前だけを愛して、お前のそばにいたい。レリエルに、一生俺の隣にいてほしい……」
言い切ったアレスは恥ずかしくてたまらなかった。顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。
でも、やっと言えた。
アレスは大きな幸福を感じていた。
ちゃんと愛を伝えることは、それだけで幸せなことなのだと初めて知る。
どんな答えが返ってこようと、愛を伝えられただけで幸せだと思う。
(ああ、俺は今、世界で一番幸せだ)
スッキリした気持ちで、レリエルの顔を見上げた。
レリエルは変わらず、口をポカンと開けて固まっている。
「僕は天使で……お前は人間だ……」
ポツリと零された言葉に、アレスは首を振る。
「そんなの関係ない。天使とか人間とか、そんなの関係なく、俺はレリエルを愛してる」
レリエルの大きな目の縁に涙がたまる。震える雫が、筋になって流れ落ちた。
もう何度も見たレリエルの涙。何度見ても、綺麗だと思う。
「馬鹿だ……。お前は本当に、馬鹿だ」
「そんなことねえよ」
アレスは笑う。ただ内側から幸せだけがこみ上げてくる。
レリエルは綺麗な涙をぽろぽろ流しながら、
「なんっ……でだよ!なんで僕なんか、なんで……!」
アレスはレリエルを穏やかに見つめた。
「レリエル、お前はきっと疲れてるんだ。明日は……いやもう今日か、今日は城サボってどっかピクニックでも行こう。いっぱい休もう。お前が好きなだけ。プロポーズの答えは、今度、聞くから……」
レリエルは涙をぬぐい、一呼吸置いた。そして、
「次元上昇」
「!?」
突然、レリエルの口から溢れた謎の言葉にアレスは目を丸くした。
泣いていたレリエルが、一切の表情を消していた。
無表情の唇から、淡々と次の言葉を紡ぐ。
「天使の目的は、地球を天界に次元上昇させることだ。天使は地球を新たな天界に作り変えようとしている。先の天界はもう滅んでしまったから」
「レ、レリエル……!」
「神域の形成は、天界開闢の第一段階に過ぎない。第六段階で地球は天界になり、地球は天使たちのものになり……人間は、滅びる」
アレスはごくりと喉を鳴らした。
「滅び……!だっ、第六段階で何が起きる!?」
「何百万という新生天使の誕生。彼らは地球を天界に次元上昇させる力を持っている。それは神様にも不可能なこと。新生天使だけが持つ能力。彼らは誕生して間も無く、この下界を次元上昇し天界へと生まれ変わらせる」
「次元上昇って何だよ!」
「プラーナがあまねく地を覆い、下界が天界になる……。つまり天使の活動可能領域に。地球の全ての場所が神域になると言えば分かりやすいか」
「……」
それが意味することに、アレスは戦慄する。
「そしたらもう、天使は霧の結界の中に閉じこもってはいない。何百万という天使が、赤い霧の中から出てくる」
「くっ……」
「天使はあらゆる場所に散らばって、人間や動物を全て殺して、地球を天使だけの楽園にする。第六段階が成されたら、誰も天使たちを止められない」
「でも、まだ第一段階なんだよな!?頼む教えてくれ、どうやってそれを阻止すればいいんだ!」
「第一段階、神域の形成。第二段階、神の再生。第三段階、神の成熟。秘儀とされている第四段階を経て、第五段階、神の産卵。第六段階、新生天使の誕生」
「神の……」
「天使はみな男性体、女性体は神様のみ……。新生天使を、新生天使の卵を生めるのは、神様だけ……」
「なに……?」
その瞬間、アレスの頭の中で人類滅亡とその回避のためのピースがかっちりと嵌まった。
新生天使だけが地球を「次元上昇」できる。人類を滅ぼすのは新生天使だ。
そして新生天使を産むのは、天使たちの「神」。
(「神」を殺せば新生天使の誕生を、滅びを阻止できる……!)
「もうおしまいだ。後は自分で考えろ」
言って、レリエルは木箱から降りてすくと立った。
アレスも立ち上がり、興奮して尋ねる。
「いや、心から礼を言いたい!ありがとう、そこまで話してくれて。なんで急に?」
「さあ、なんでかな。あ、あのムカつく上官に伝えておいてくれ。『お前に脅されたからアレスに全てを教えたわけじゃない』って。『お前の脅しは関係なく、僕がアレスに全部教えたくなっただけ』って」
「脅し!?」
「大丈夫、もうそれはいい。それより僕、やっと分かったよ。どうして自分が矮小羽なのか」
佇むレリエルの背後で、輝く黄金の太陽が昇ってきた。静寂を打ち砕くように、まるで轟音を立てて、その輝きは昇る。
「レリエルの羽が、小さい理由?」
朝日の逆光の中、レリエルは悲しそうに微笑んだ。
「僕はきっと、生まれながらの背信者なんだ」
レリエルは不意にアレスに近づくと、背伸びしてアレスの首の後ろに手を回し、引き寄せた。
目を瞑り、アレスの口元に唇を押し付ける。
アレスは息を飲む。心臓が痛いほど高鳴った。
レリエルが初めて、アレスにキスをしてくれた。
今この瞬間を、その柔らかな唇を、生涯忘れないだろうとアレスは思った。
唇を離したレリエルは、くしゃくしゃの笑顔になっているアレスを見ると、ぐっと涙を飲み込む仕草をした。
「僕なんかに、そんな風に笑うなよ馬鹿……」
そして照れ臭そうに微笑んだ。
小さな羽が朝日を浴びてキラキラと光る。
憧憬するようにアレスを見上げるレリエルは、とても綺麗だった。
レリエルがそのまま透き通って、朝の清涼な光の中に溶けて消えてしまうんじゃないかと、怖くなるくらい。
アレスは愛しさのままにレリエルを抱きしめた。
「レリエル……!愛してる、愛してる、お前に会えて本当によかった!」
レリエルはアレスの胸に顔をうずめ、身を震わせる。
「……っ。アレス、アレス、アレ……ス……っ」
アレスの名を呼ぶ声は、途中で嗚咽へと変わっていった。
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