禍ツ天使の進化論

空月 瞭明

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第33話 買い物(1) お忍び中

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「まさか、大浴場見学に行ってたとはなぁ」

 城下の雑踏の中を歩きながらアレスは言った。隣には無地のローブを着たレリエルを伴っている。城内では目立たない宮廷魔術師用ローブだが、外では逆に目立ってしまうため今は無地のものを着ている。
 二人はトラエスト城を後にし、徒歩で帰路についていた。ついでに途中で露天市場に寄る予定である。

 シールラの報告を受けてキュディアスが頭を抱えしばらく無言になっていた。
 大事には至らなかったわけだが、まさか皇帝陛下と遭遇していたとは。水着姿の皇帝陛下の至近距離に天使がいたなんてバレたら、とんでもない騒ぎになっていただろう。
 ともかくその遭遇とシールラの咄嗟の言い訳により、レリエルには「ヒルデの弟子」という属性にプラスして「異国出身」というプロフィールを加えることになった。

「で、どうだった大浴場は。面白かったか?」

「水着という服を着ているのが妙だと思った。天界の浴場はみな裸だったから」

「街の公衆浴場なら裸だ。トラエスト城のあれは半分、娯楽施設みたいなものだからな。っていうか、天使の故郷にも公衆浴場があったのか?」

「それはそうだ、天使は綺麗好きだからよく風呂に入る」

「へえ……」

 アレスの中で「天使」の印象がどんどん揺らいでいく。
 学校で勉強して、公衆浴場に入って。天使ってのは随分と普通そうな連中じゃないか。

「まあ僕はいつも、浴場の施設の中に入れてもらえなかったが。だから、ああいう場所に入ったのは初めてだ」

 入れてもらえなかった、という言葉にアレスの心が痛む。きっと羽の小ささによる差別的扱いの一つなのだろう。

「そっか……。じゃあレリエルはどこで体洗ってたんだ?」

「川で一人で洗ってた。冬は水が冷たくて死にそうだった。山の中に温泉を見つけてからは、一人でそこまで飛んで行って入るようになったけど」

「ほー、山の隠し湯か。それはそれで趣きがあっていいんじゃないか?のびのび温泉を堪能出来そうだ」

 レリエルは肩をすくめた。

「ぜんぜん。仲間外れにされてみじめで寂しかった」

 悪気なく無神経なことを言ってしまったアレスは己を恥じる。手で自分の額を抑えた。

「……テキトーなこと言ってごめんなさい……」

「?なんで謝るんだ?まあだから、さっきのはちょっと……楽しかった」

 えっ、とアレスがレリエルの顔を見る。レリエルが狼狽する。

「な、なんだよ」

「いや、そっか、楽しかったか……」

「なにニヤニヤしてるんだよ」

「いや、つい、なんか嬉しくて」

 レリエルは照れたようにふいっと顔をそむけた。

「お前って、ほんと変な奴だ……」

 アレスは笑う。

「そうか?変なのかな俺は。でも本当に嬉しいんだ」

 レリエルはそんなアレスに、ますます困ったような顔をしていた。

※※※

 やがて二人は露天市場についた。
 アレスの住む下層街区と、城の中間点あたりにある市場だ。朝と夕に市が立つ。今は夕の市だ。
 たくさんの露天テントが並び、様々な商品が売られ、呼び込みの声や雑踏の音で賑わっている。

 レリエルはあまりの人の多さに目を瞬かせた。

「なんだここ、人間だらけだ!なんでこんなに沢山!?いったい今から何が起きるんだ」

「何も起きねえよ、ただみんな買い物しに来てるんだ」

「カイモノ……」

「俺達も買い物しに来たんだぞ。まずは服だよなあ。俺のだとお前には大きすぎるし。そこの古着屋見てみるか」

 アレスが古着屋のテントを物色し始めたかたわら、レリエルはきょろきょろと露天を眺めわたす。
 ふと視界に入った果物店に釘付けになった。
 目を輝かせて駆け寄る。

「これ、全部果物なのか!?こんなにたくさんの種類の果物があるのか」

 独り言で感嘆すると、端から端まで身をかがめて、じっくりと眺める。
 東西南北、様々な国から物資の集まる帝都の市場には、旬という概念がない。一年中、世界のあらゆる果実を手に入れることができた。
 店主の親爺がニコニコと手もみした。

「坊ちゃん、見ない顔だね!別嬪だなぁ、男にしとくのはもったいないな。買っていくかい?これなんてどうだ、さっき入荷したばっかりのとれたて葡萄だ」

 レリエルは差し出された、緑に輝く葡萄を受け取った。
 宙にかかげてまじまじと観察する。

「綺麗……。宝石みたいだ。これも食べられるのか?」

 問いかけられた店主はレリエルの妙な様子に戸惑いながら、

「お?おう、そりゃそうさ」

 レリエルは一粒つまんで、口に入れてみた。

「おいしい……」

 感心したように、手にした葡萄を見つめる。
 もぐもぐと咀嚼し、ゴクリと飲み込むと、微笑んだ。
 そして手に葡萄を持ったまま、スタスタと向こうに歩き出した。

 慌てたのは店主である。

「坊ちゃん、お金っ!お金払ってもらわんと!」

 追いかけてレリエルの腕を掴んだ。レリエルは不快そうに店主を見上げた。

「なんだ、離せ。僕は怖いぞ、お前のことなんて簡単に……」

「うわああっ!すみません!俺が払いますっ」

 その場にやっと飛び込んで来たのは、買い込んだ古着を袋に詰めて背負っているアレスである。店主はアレスを見て、拍子抜けしたような顔をした。

「なんだアレスの連れかい」

「すみません、世間知らずなやつで!あ、そうだ果物他にも買います。えっと、ここら辺に置いてあるやつ適当に見繕ってください」

「おっ、気前がいいや。さすが騎士様に転職すると違うねえ」

 店主は色鮮やかな果物を麻袋に詰め、アレスに渡した。アレスから代金を受け取りながら、耳打ちする。

「もしかしてこの坊ちゃん、どこぞの王国の王子様か?訳ありでお忍び中か?」

「ええっ!?いやいやただの……ただの……ええと、田舎者でっ!」

「ハハ、田舎にこんな、どえらい美少年がいるかってんだ。まあそういうことにしといてやるよ」

 店主は豪快に笑い、アレスは苦笑いを貼り付け「いやいやいや」と意味もなく連発しながら、レリエルの手を引いて逃げるように退散した。

※※※
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