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第15話 レリエルの回復(1) 命の恩人
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レリエルは深い眠りに落ちていた。
あまりにも深すぎて、自分は死んでいるんじゃないかと思った。
でも死んでるはずの自分のそば、常に誰かがいるのを感じた。
体がべたついて不快感を覚えたら、気持ちのいい濡れた布で拭いてくれる。
寒いと感じたら、毛布を増やして暖かくしてくれる。
不意に蘇る嫌な記憶が苦しくて泣いたら、涙を拭ってきゅっと手を握ってくれる。
この不思議な誰かは、時折、自分の名前を呼ぶ。
——レリエル、レリエル!起きろ、目を覚ませ、死ぬなよ!
レリエルはそれが嬉しくて、死んでるはずなのに心が舞い上がる。
自分は嫌われ者の矮小羽だ。どうしてそんな風に名前を呼んでくれるんだろう。
ここはなんて居心地が良いんだろう。
もうずっと、このままでいたいとレリエルは思った。
このままずっと、目覚めたくない……。
※※※
帝都キリアのその地区には、石レンガを積み上げてできた、四階建ての集合住宅がひしめいていた。
集合住宅同士の隙間は狭く、迷路のような路地になっている。隣接する集合住宅の窓と窓に紐が渡され、どの路地の上でも洗濯物がはためいていた。
この迷路のような石畳の路地を、ぶつぶつひとりごとを言いながら足早に歩く一人の男がいた。
「あいつはなんでまだこんな下層街区に住んでるんだ?早く城の騎士寮に引っ越せばいいものを!」
明らかにこの地区には似つかわしくない人物である。
背が高く、目深なフードをかぶり、ブーツを履き、膨れた麻袋を肩に担いだ男。
宮廷魔術師長、ヒルデである。
路地に座ってコマで遊んでいた子ども達が、ヒルデを指差した。
「見ろよ、まほうつかいだぜ!」
「わあ、怖い!何しに来たんだ?」
ヒルデはぴたと立ち止まって、じろりと子ども達を見た。
「……ゴキブリにでも変えられたいか?ガキども」
子ども達はカタリ、とコマを取り落とした。
「ひゃあああああ!!おかあさああああああん!」
涙目になって逃げて行く。
ヒルデはむすっと口を曲げる。
「魔術師をなんだと思ってる?ゴキブリに変身なんてできるわけがないだろう、おとぎ話と現実は違うんだ!これだからガキは!」
ヒルデは手にした一枚の紙を見ながら路地を曲がると、ある集合住宅の前で足を止めた。
「ここか。まったく、この俺様を往診に呼びつけるなんて、なんて贅沢な奴なんだ!大した怪我じゃなかったらただじゃおかないからな」
狭い階段を上り、古びた扉の前で番号を確認した。うんとうなずくと、思い切り扉をノックする。
間髪いれず、扉が開いた。
ヒルデは後ろにのけぞった。
「あ、危ないじゃないか、いきなり開けるな!ぶつかりそうだったぞ!」
「わ、わりい!よく来てくれたヒルデ!」
焦燥に駆られた様子で、扉を開けたアレスが謝罪した。
ヒルデが怪訝そうに、出てきたアレスを上から下まで観察した。
「……おい、それのどこが『死にそう』なんだ?」
そして手にした紙をアレスの鼻先につきつけた。風魔法によってトラエスト城の宮廷魔術師邸に届けられた手紙である。
手紙には、アレスの自宅住所と『死にそうだから助けてくれ』とのメッセージが書かれていた。
アレスはばつが悪そうに目を逸らした。
「死にそうなのは俺じゃない」
「は!?」
「ま、まあ、入ってくれ」
アレスはヒルデを部屋の中にいれ、扉を閉めた。かっちりと鍵も閉める。ヒルデはゴミの散乱する部屋を一瞥し、顔をしかめた。
「ゴミ溜めのような不潔な部屋だな」
「あ、うん、俺もそう思う。けど、お前に見て欲しいのはこっちだ」
アレスはヒルデを奥の寝室に案内した。
扉を開けると狭い寝室をベッドが占領しており、そのベッドに、少年が眠っていた。首まで毛布をかけられている。
ヒルデが眉をひそめた。
「誰だこの少年は」
「名前はレリエル。彼に命を助けられた」
「なぜ天使がお前の命を助けたんだ?」
アレスは息を飲んでヒルデを見つめた。その、実に疑わしげな表情を。
「もうばれたのか……羽は見えてないのに……」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってる!これはどういうことだ?死の霧内部への偵察に向かってから三日も城に連絡を寄こさず、俺を呼びつけたと思えば、部屋で天使が寝てるだと!?」
「頼む、レリエルを助けてやってくれ。もうずっと寝てる。三日間、目を覚まさないんだ。どうしたら意識が回復するんだ?」
「天使を助けるだって?正気か!」
「俺の命を助けてくれたんだ!」
「五十万の人間を殺しもしたがな!」
ヒルデが冷たく言い捨てた。
「っ……」
アレスは苦しげに口を固く結んだ。
「どうしたアレス、天使は全人類の敵だ!この少年だって、あの地獄の六日間に、数多の民を殺したに違いない!俺達の同胞を!俺達の故郷を!こいつらが奪ったんだ!」
詰問されたアレスはドン、と拳で壁を叩いた。
「そんなこと分かってる!!」
アレスの大声が、狭い部屋の中で反響した。
ヒルデが眉を跳ね上げる。アレスは気まずそうに口を抑えた。
しばしの間。
やがて静まった寝室の中、ぼそりぼそりとアレスが言葉を発した。
「魂の十の光……魂構成子……レリエルの魂構成子六つを破壊したのは俺なんだ。手加減なしで三つ同時破壊とか、すげえ痛かったはずだ……。その後、レリエルは別の天使にも痛めつけられて……。もうボロボロの体だったのに、最後の力で俺を助けてくれたんだ。俺が傷つけたのに、俺に殺されそうになったのに」
ヒルデが大きなため息をついた。
被っていたフードを外し、長い黒髪を紐で一つに縛る。ついでぽきぽきと首を鳴らす。
「もういい、助けてやる」
アレスがはっとヒルデを見た。
「本当か!」
「人類初の天使の捕獲だ。むしろ死なすわけにはいかんだろうな」
アレスは唇を噛んだ。
「捕獲、やっぱそうなるか……」
ヒルデがニヤリと舌なめずりをする。
「尋問して天使の情報を引き出し、検体となり我が研究の糧になってもらおう」
「そ、そんなこと!」
ヒルデは追い払うようにアレスの体を押しのけた。
「助けたいんだろう?邪魔だから向こうに行っていろ。ああ、水と布と鍋とコップを用意しろ」
「うっ……わ、わかった」
あまりにも深すぎて、自分は死んでいるんじゃないかと思った。
でも死んでるはずの自分のそば、常に誰かがいるのを感じた。
体がべたついて不快感を覚えたら、気持ちのいい濡れた布で拭いてくれる。
寒いと感じたら、毛布を増やして暖かくしてくれる。
不意に蘇る嫌な記憶が苦しくて泣いたら、涙を拭ってきゅっと手を握ってくれる。
この不思議な誰かは、時折、自分の名前を呼ぶ。
——レリエル、レリエル!起きろ、目を覚ませ、死ぬなよ!
レリエルはそれが嬉しくて、死んでるはずなのに心が舞い上がる。
自分は嫌われ者の矮小羽だ。どうしてそんな風に名前を呼んでくれるんだろう。
ここはなんて居心地が良いんだろう。
もうずっと、このままでいたいとレリエルは思った。
このままずっと、目覚めたくない……。
※※※
帝都キリアのその地区には、石レンガを積み上げてできた、四階建ての集合住宅がひしめいていた。
集合住宅同士の隙間は狭く、迷路のような路地になっている。隣接する集合住宅の窓と窓に紐が渡され、どの路地の上でも洗濯物がはためいていた。
この迷路のような石畳の路地を、ぶつぶつひとりごとを言いながら足早に歩く一人の男がいた。
「あいつはなんでまだこんな下層街区に住んでるんだ?早く城の騎士寮に引っ越せばいいものを!」
明らかにこの地区には似つかわしくない人物である。
背が高く、目深なフードをかぶり、ブーツを履き、膨れた麻袋を肩に担いだ男。
宮廷魔術師長、ヒルデである。
路地に座ってコマで遊んでいた子ども達が、ヒルデを指差した。
「見ろよ、まほうつかいだぜ!」
「わあ、怖い!何しに来たんだ?」
ヒルデはぴたと立ち止まって、じろりと子ども達を見た。
「……ゴキブリにでも変えられたいか?ガキども」
子ども達はカタリ、とコマを取り落とした。
「ひゃあああああ!!おかあさああああああん!」
涙目になって逃げて行く。
ヒルデはむすっと口を曲げる。
「魔術師をなんだと思ってる?ゴキブリに変身なんてできるわけがないだろう、おとぎ話と現実は違うんだ!これだからガキは!」
ヒルデは手にした一枚の紙を見ながら路地を曲がると、ある集合住宅の前で足を止めた。
「ここか。まったく、この俺様を往診に呼びつけるなんて、なんて贅沢な奴なんだ!大した怪我じゃなかったらただじゃおかないからな」
狭い階段を上り、古びた扉の前で番号を確認した。うんとうなずくと、思い切り扉をノックする。
間髪いれず、扉が開いた。
ヒルデは後ろにのけぞった。
「あ、危ないじゃないか、いきなり開けるな!ぶつかりそうだったぞ!」
「わ、わりい!よく来てくれたヒルデ!」
焦燥に駆られた様子で、扉を開けたアレスが謝罪した。
ヒルデが怪訝そうに、出てきたアレスを上から下まで観察した。
「……おい、それのどこが『死にそう』なんだ?」
そして手にした紙をアレスの鼻先につきつけた。風魔法によってトラエスト城の宮廷魔術師邸に届けられた手紙である。
手紙には、アレスの自宅住所と『死にそうだから助けてくれ』とのメッセージが書かれていた。
アレスはばつが悪そうに目を逸らした。
「死にそうなのは俺じゃない」
「は!?」
「ま、まあ、入ってくれ」
アレスはヒルデを部屋の中にいれ、扉を閉めた。かっちりと鍵も閉める。ヒルデはゴミの散乱する部屋を一瞥し、顔をしかめた。
「ゴミ溜めのような不潔な部屋だな」
「あ、うん、俺もそう思う。けど、お前に見て欲しいのはこっちだ」
アレスはヒルデを奥の寝室に案内した。
扉を開けると狭い寝室をベッドが占領しており、そのベッドに、少年が眠っていた。首まで毛布をかけられている。
ヒルデが眉をひそめた。
「誰だこの少年は」
「名前はレリエル。彼に命を助けられた」
「なぜ天使がお前の命を助けたんだ?」
アレスは息を飲んでヒルデを見つめた。その、実に疑わしげな表情を。
「もうばれたのか……羽は見えてないのに……」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってる!これはどういうことだ?死の霧内部への偵察に向かってから三日も城に連絡を寄こさず、俺を呼びつけたと思えば、部屋で天使が寝てるだと!?」
「頼む、レリエルを助けてやってくれ。もうずっと寝てる。三日間、目を覚まさないんだ。どうしたら意識が回復するんだ?」
「天使を助けるだって?正気か!」
「俺の命を助けてくれたんだ!」
「五十万の人間を殺しもしたがな!」
ヒルデが冷たく言い捨てた。
「っ……」
アレスは苦しげに口を固く結んだ。
「どうしたアレス、天使は全人類の敵だ!この少年だって、あの地獄の六日間に、数多の民を殺したに違いない!俺達の同胞を!俺達の故郷を!こいつらが奪ったんだ!」
詰問されたアレスはドン、と拳で壁を叩いた。
「そんなこと分かってる!!」
アレスの大声が、狭い部屋の中で反響した。
ヒルデが眉を跳ね上げる。アレスは気まずそうに口を抑えた。
しばしの間。
やがて静まった寝室の中、ぼそりぼそりとアレスが言葉を発した。
「魂の十の光……魂構成子……レリエルの魂構成子六つを破壊したのは俺なんだ。手加減なしで三つ同時破壊とか、すげえ痛かったはずだ……。その後、レリエルは別の天使にも痛めつけられて……。もうボロボロの体だったのに、最後の力で俺を助けてくれたんだ。俺が傷つけたのに、俺に殺されそうになったのに」
ヒルデが大きなため息をついた。
被っていたフードを外し、長い黒髪を紐で一つに縛る。ついでぽきぽきと首を鳴らす。
「もういい、助けてやる」
アレスがはっとヒルデを見た。
「本当か!」
「人類初の天使の捕獲だ。むしろ死なすわけにはいかんだろうな」
アレスは唇を噛んだ。
「捕獲、やっぱそうなるか……」
ヒルデがニヤリと舌なめずりをする。
「尋問して天使の情報を引き出し、検体となり我が研究の糧になってもらおう」
「そ、そんなこと!」
ヒルデは追い払うようにアレスの体を押しのけた。
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