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第61話 地下室 (1)
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その日の夜、リチェル邸に訪問者があった。
白髪の小柄な紳士、ダーリアン三世の側近、国王補佐官の男だった。
思いもよらぬ訪問者に驚くリチェルに、補佐官は人払いを願い出た。応接の間で二人きりになってから、補佐官は王からのことづけを伝えた。
「陛下が内密にリチェル殿下にだけお話したいことがあるそうです。今夜十時に、陛下の私室にまでお越しください。その際、どうかお一人でお越しくださいますようお願い申し上げます」
「護衛を伴ってはならぬのか?部屋の外で待機させるが」
「はい、陛下は情報が漏れることを非常に懸念されております。どうかお一人で、本宮殿までいらして下さい」
「……分かった」
きっと兄上たちに関することだろう、とリチェルは思った。ずっと気になっていた、父王の心を蝕む何か。明日の出兵を前にして、ついに父は自らリチェルに打ち明けてくれる気になったのだろう。
リチェルはほっとしていた。なんとか父の力になりたいと思った。
国王補佐官が去った後、アルキバに「どうした?」と尋ねられたが、なんでもないと首を振った。教えればきっとアルキバはついてくると言うだろうから。父王は今、非常に不安定な精神状態にある。リチェルが約束を違えれば、それだけでへそを曲げて大事な話を教えてくれなくなるかもしれない。
約束の時間の三十分前、リチェルはそっと寝床から起きだした。リチェルの体を抱いていたアルキバの腕がだらりと垂れた。そのすやすやとした寝息を確認し、リチェルは微笑する。
リチェルは身支度を整え寝室を抜け出し、屋敷の玄関を出た。馬車が止まっていて、馬車の前に従者らしき男が控えていた。男はうやうやしく礼をした。
「リチェル殿下、国王の命でお迎えにあがりました」
「わざわざ来てくれたのか」
「はい、どうぞお乗りください」
「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく」
リチェルは馬車に乗り込み、後から従者が続いた。
だが。
馬車が動き出してすぐ、方向が違うことにリチェルは気がついた。窓の外を見ながら、問いただす。
「待ってくれ、これは白蘭邸の方向ではないか?本宮殿は……」
突然、背後からはがいじめにされ、リチェルの鼻先に小瓶が押し付けられる。小瓶から立ち上る薬品臭がリチェルの鼻腔を覆い尽くす。
「っ!」
リチェルは暴れるが、急激な眠気に襲われる。やがて力が抜けていき、リチェルは意識を失った。
◇ ◇ ◇
頬に痛みが走り、はっと目を覚ました。
リチェルの感覚が最初に捕らえたのは、記憶にこびりついたかび臭い匂いと、見覚えのある天井。
――あの地下室。
ぞっとしながら身じろぎし、自分がマットだけの古びたベッドの上にいること、全裸であること、両手を頭上で縛られていることに気づく。
リチェルは震えながら、今しがた自分をぶったらしい男を見上げた。
顔の半分が焼け爛れたケロイド状で、二つの赤い瞳が肉食獣のように釣りあがり、爛々と光っている。
そのあまりに異様な風貌に、一瞬誰だか分からなかった。
「お帰り、リチェル。ずっとお前がこの部屋に帰ってくるのを待ってたよ」
その鼻にかけたような甘ったるい声で、やっと相手が第二王子オルワードだと分かった。
「なん……で……。塔の地下室に……火事で……」
オルワードはリチェルの髪をわしづかみにしてひっぱった。リチェルは痛みに顔をしかめる。
「燃えて死んだと思った?残念だったね。あの火事は偽装だ、僕らが逃げ出したことを隠すためのね。腰抜けイサイズめ、もっと早くしろ遅すぎる」
「近衛騎士団長があの火事を!?イサイズ・ペルーチェは父上を裏切ったのか!」
「ふん、今頃何を言ってる?この国の家臣のほとんどは既に、あのイカレジジイより兄さんに忠誠を誓ってるんだよ!」
「そんな……!」
「この七日間、僕と兄さんがお前のせいでどんな目に遭ったか分かる?見てよこの顔、火事のせいじゃないからね。ダーリアンに焼かれたんだ。あいつわざわざ治癒できないように呪具を使いやがった!それだけじゃない、色んなことされたよ!僕達の実の父はカマロ陛下だってちゃんと白状したのに、ますます怒って拷問してきた!お前の父親は頭がイカれてるよ!」
「カマロ……?メギオン国王の……」
リチェルはその時オルワードの頭髪の違和感に気づいた。よく見るとつむじのあたり、髪の付け根が金ではなく茶色い。まるで染髪した髪が伸びて地毛が出てきたかのように。
オルワードは突然、手を頭上で縛られているリチェルの二の腕の内側、その一番柔らかい部分に噛み付いた。灼熱の棒を押し当てられたような激痛が走る。
「っ、つあああああああっ!」
肉を噛み千切られた。オルワードは噛み千切った肉をにちゃにちゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。
「ああ汚いリチェルのこと食べちゃった。僕、一度君の事食べてみたかったんだ」
全身を電流のように悪寒が突き抜けた。リチェルは激痛に気を失いそうになりながら、過呼吸のように胸を上下させた。
狂ってる。目の前にいる男は、もはや人としてのたがを完全に外れている。
白髪の小柄な紳士、ダーリアン三世の側近、国王補佐官の男だった。
思いもよらぬ訪問者に驚くリチェルに、補佐官は人払いを願い出た。応接の間で二人きりになってから、補佐官は王からのことづけを伝えた。
「陛下が内密にリチェル殿下にだけお話したいことがあるそうです。今夜十時に、陛下の私室にまでお越しください。その際、どうかお一人でお越しくださいますようお願い申し上げます」
「護衛を伴ってはならぬのか?部屋の外で待機させるが」
「はい、陛下は情報が漏れることを非常に懸念されております。どうかお一人で、本宮殿までいらして下さい」
「……分かった」
きっと兄上たちに関することだろう、とリチェルは思った。ずっと気になっていた、父王の心を蝕む何か。明日の出兵を前にして、ついに父は自らリチェルに打ち明けてくれる気になったのだろう。
リチェルはほっとしていた。なんとか父の力になりたいと思った。
国王補佐官が去った後、アルキバに「どうした?」と尋ねられたが、なんでもないと首を振った。教えればきっとアルキバはついてくると言うだろうから。父王は今、非常に不安定な精神状態にある。リチェルが約束を違えれば、それだけでへそを曲げて大事な話を教えてくれなくなるかもしれない。
約束の時間の三十分前、リチェルはそっと寝床から起きだした。リチェルの体を抱いていたアルキバの腕がだらりと垂れた。そのすやすやとした寝息を確認し、リチェルは微笑する。
リチェルは身支度を整え寝室を抜け出し、屋敷の玄関を出た。馬車が止まっていて、馬車の前に従者らしき男が控えていた。男はうやうやしく礼をした。
「リチェル殿下、国王の命でお迎えにあがりました」
「わざわざ来てくれたのか」
「はい、どうぞお乗りください」
「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく」
リチェルは馬車に乗り込み、後から従者が続いた。
だが。
馬車が動き出してすぐ、方向が違うことにリチェルは気がついた。窓の外を見ながら、問いただす。
「待ってくれ、これは白蘭邸の方向ではないか?本宮殿は……」
突然、背後からはがいじめにされ、リチェルの鼻先に小瓶が押し付けられる。小瓶から立ち上る薬品臭がリチェルの鼻腔を覆い尽くす。
「っ!」
リチェルは暴れるが、急激な眠気に襲われる。やがて力が抜けていき、リチェルは意識を失った。
◇ ◇ ◇
頬に痛みが走り、はっと目を覚ました。
リチェルの感覚が最初に捕らえたのは、記憶にこびりついたかび臭い匂いと、見覚えのある天井。
――あの地下室。
ぞっとしながら身じろぎし、自分がマットだけの古びたベッドの上にいること、全裸であること、両手を頭上で縛られていることに気づく。
リチェルは震えながら、今しがた自分をぶったらしい男を見上げた。
顔の半分が焼け爛れたケロイド状で、二つの赤い瞳が肉食獣のように釣りあがり、爛々と光っている。
そのあまりに異様な風貌に、一瞬誰だか分からなかった。
「お帰り、リチェル。ずっとお前がこの部屋に帰ってくるのを待ってたよ」
その鼻にかけたような甘ったるい声で、やっと相手が第二王子オルワードだと分かった。
「なん……で……。塔の地下室に……火事で……」
オルワードはリチェルの髪をわしづかみにしてひっぱった。リチェルは痛みに顔をしかめる。
「燃えて死んだと思った?残念だったね。あの火事は偽装だ、僕らが逃げ出したことを隠すためのね。腰抜けイサイズめ、もっと早くしろ遅すぎる」
「近衛騎士団長があの火事を!?イサイズ・ペルーチェは父上を裏切ったのか!」
「ふん、今頃何を言ってる?この国の家臣のほとんどは既に、あのイカレジジイより兄さんに忠誠を誓ってるんだよ!」
「そんな……!」
「この七日間、僕と兄さんがお前のせいでどんな目に遭ったか分かる?見てよこの顔、火事のせいじゃないからね。ダーリアンに焼かれたんだ。あいつわざわざ治癒できないように呪具を使いやがった!それだけじゃない、色んなことされたよ!僕達の実の父はカマロ陛下だってちゃんと白状したのに、ますます怒って拷問してきた!お前の父親は頭がイカれてるよ!」
「カマロ……?メギオン国王の……」
リチェルはその時オルワードの頭髪の違和感に気づいた。よく見るとつむじのあたり、髪の付け根が金ではなく茶色い。まるで染髪した髪が伸びて地毛が出てきたかのように。
オルワードは突然、手を頭上で縛られているリチェルの二の腕の内側、その一番柔らかい部分に噛み付いた。灼熱の棒を押し当てられたような激痛が走る。
「っ、つあああああああっ!」
肉を噛み千切られた。オルワードは噛み千切った肉をにちゃにちゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。
「ああ汚いリチェルのこと食べちゃった。僕、一度君の事食べてみたかったんだ」
全身を電流のように悪寒が突き抜けた。リチェルは激痛に気を失いそうになりながら、過呼吸のように胸を上下させた。
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