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第50話 森の王と海の王

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 会議室での一件後、リチェルはダーリアン三世と連れ立って王の執務室に入室した。
 そこでリチェルは王に、白蘭邸でジルソンとオルワードにされた仕打ちを語った。

 王は涙ながらにリチェルに謝罪した。かつて告発があった時、王妃らに言い含められてジルソンとオルワードの言葉のみ信じてしまったことを、強く後悔しながら。

「ジルソンとオルワードには厳罰を科す。私の行動はあまりにも遅すぎた。息子よ本当にすまなかった」

「いいえ、父上。まるで夢のようです。私はお優しい父上の息子であることを誇りに思います」

 純真な笑顔でそう言う息子に、王は心身が浄化されるような思いがした。なぜ今まで、この息子を遠ざけて来たのだろう。

「リチェル、そなた王位に興味はあるか?」

 純粋過ぎる息子は、あるいは王位に拒否感を示すかもしれない、と思いながらもダーリアン三世は聞いた。どうしてもリチェルにあとを継がせたい、という気持ちが、にわかに湧き上がったのだ。

 父の予想に反して、リチェルはその瞳に強い意思の灯を点らせた。

「はい!私は王になりたいです。王になって、成し遂げたいことがあります」

「ほう。それはなんだ?」

「奴隷を解放したいのです。この国から奴隷制度を無くしたい。全ての民を自由民にしたいのです」

 ダーリアン三世は息を飲み、そして、合点した、というように目を細めた。

「そうか。奴隷解放は、そなたの母のたっての願いであったな」

 海の王よ、やはりそれが答えであったか。

『海の民、海の王の末裔たちを奴隷身分から解放すること。それこそが海の王に<改心>を示し、呪いを解く条件に違いありません』

 亡き妻ユリアーナは何度もそう言っていた。ユリアーナが正しかったのだ。

「リチェル、ユリアーナに海の王の呪いの物語を聞いたのか?」

 リチェルはきょとんとしたが、一瞬後に何かを思い出したような顔をした。

「もしかして、あの悲しいおとぎ話のことですか?」

「悲しい、おとぎ話?」

「はい。そうだあれは、母上が亡くなる前日でした。あの日の母上はとても色艶がよく、まさか翌日亡くなるとは想像もしていませんでした……」

 そしてリチェルは語った。病床の母に聞かされた物語を。

◇  ◇  ◇

 東方からやってきた赤眼の蛮族が森の国を焼いた。

 森の王は南方に、海の国に逃れた。

 海の王は森の王を友として暖かく迎えた。

 しかし森の王は、海の王を裏切った。

 ナバハイルの地を奪い、海の王を奴隷に貶めた。

 奴隷となった海の王は、森の王に告げる。かの有名な「呪いの言葉」を。

『友よ、君がこの仕打ちをいつか必ず後悔してくれることを待つ。私は君が過ちに気づくまで五百年待とう。しかし五百年待っても君の改心がなければ、この地は血の海に沈むだろう。そして君の最後の末裔、最後の王は、全ての咎を負い、奴隷より悲惨な人生を送り、非業の死を遂げる』

 ユリアーナは十二歳のリチェルに尋ねた。

「この物語を、どう思いますか」

「海の王は優しい人だと思いました。森の王は到底許されない、とてもひどい事をしたのに、五百年も待ってくれるなんて」

 母はその答えに驚いた顔をして、それから微笑した。

「海の王の望みはなんだと思います?森の民を殺して追い出し、海の民にこの地を返して欲しいのかしら」

「でも、五百年が経とうとする今、誰が誰を殺して、誰にこの地を返すのでしょう。もう混血が進み、王族以外は誰もが、森の民の子孫であると同時に海の民の子孫でもあります。自由民も奴隷も。とっくに両方の民は混ざり合ってしまって、ただ人の決めた制度として、王がいて奴隷がいる。五百年は長すぎる。もっと期限を短くしてくれれば、森の民は海の民にこの地を返し、出ていくことができたのに」

 その問いに、ユリアーナは冗談めかしてこう答えた。

「もしかしたら海の王は森の王を愛していたのかもしれません。裏切った森の王と、それでも共にいたいと……一つの国になりたいと、思ってしまったのではないかしら」

「奴隷にされても?」

「奴隷にされても。この『呪いの言葉』には、愛と怒りの狭間で苦しむ、海の王の悲しみが現れているように思います」

 それを聞いてリチェルは泣いた。

「海の王、かわいそう。森の王はひどい。僕が森の王だったら、奴隷になんかしないのに。僕が全ての とがを負うことで、海の王の怒りが鎮まるなら、僕はこの身を 人身御供ひとみごくうにしても構わない」

 母は、まあ、と感嘆するような声を出し、小さな体を抱きしめた。

「リチェル、あなたはとても優しい子ですね。リチェルはきっと立派な王になります」

◇  ◇  ◇

 語り終えたリチェルは興奮した様子だった。

「今まですっかり、忘れていました。どうして忘れていたのだろう。母上との最期の会話なのに」

 ダーリアン三世は放心したようにリチェルの語りを聞いていた。そして痛ましげにつぶやいた。

「余がただ恐れていた咎を、そなたは自ら背負ったというのか……」

「えっ?それは一体……」

 父王は首を横に振ると、リチェルの手をとった。

「奴隷解放したいというそなたの願い、余も協力しよう。これから二人で、この国を変えていこうではないか」

 リチェルは目を見張り、それから破顔した。

「はいっ!ありがとうございます、父上!」

 ダーリアン三世はその透き通る笑顔を見つめる。

 魂を砕くような陵辱を受け続けてなお、リチェルの清い善心は崩壊しなかった。

 その奇跡のような事実に、父王はただ嘆息するのみだった。

◇  ◇  ◇
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