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第21話 魂の傷跡 (2)
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「まさか、リチェル王子だったとはねえ」
翌朝。陽光の差し込む室内でリチェルの寝汗を布でぬぐいながら、ロワはしみじみとつぶやいた。アルキバはうなずく。
「内密に頼む」
「ああ。第三王子リチェル殿下……。隠し子王子達によって塔に幽閉されてるだの殺されてるだのの噂は、根も葉もないわけじゃなかったな。実際、兄達にしょっちゅう命を狙われてるんだろう」
「隠し子王子」というのは第一王子ジルソンと第二王子オルワードを揶揄する市井での呼び名である。
前王妃ユリアーナの人気は、国王に匹敵する程だった。ユリアーナは下位貴族出身だったが、美しく慈悲深く、精力的に孤児院の慰問活動など行う姿は、国民に感銘を与えた。
ユリアーナにはなかなか子が出来なかったが、輿入れから七年目にしてようやくリチェルが生まれたときは、国中が沸いた。
リチェルはその成長を国民に見守られ、国民は皆、リチェルこそ次期国王だと思っていた。
一方で、ユリアーナ亡き後に登場した元愛人の後妻ミランダスは、まったく人気がなかった。
位の高い貴族の出で顔は美しかったが、毎日城で贅沢三昧、慰問活動など一度もしたことはない。
しかも隠し子二人を第一王子、第二王子の地位に据えた。
法に従えば、生まれた時点で庶子だった王子二人は、リチェルより王位継承順位は下だ。たとえ妾が後から正妻におさまろうとも。
これは法律破りの蛮行だった。当然反対の声は大きかったが、国王はすっかり後妻の尻に敷かれて骨抜きにされており、王位継承順位の変更を許してしまった。
隠し子ジルソンを次期国王とする立太子式は、一週間に渡って贅を尽くし派手に催された。
そして王太子から第三王子に転落したリチェルは、まるで隠蔽されるかのように、公の舞台から姿を消した。
国民はこの状況に、大いに失望していた。だから揶揄するように、隠し子王子と呼んでいる。
アルキバは複雑な表情を浮かべる。
「リチェルは護衛騎士のことを唯一の味方と思っていたみたいだ」
「でもその唯一の味方にも裏切られた、か。厳しい状況だねえ」
「なんでそんな切羽詰った状況なのに、こっそり投資主やって剣闘士食いなんてしてんだこいつは」
「そりゃまあ、若いちんこだからさ」
ククっ、とロワが下卑た笑いを浮かべる。
「そんなことしてる場合じゃねえだろ。早く兄貴たちから権力を奪い返せばいいんだ。兄貴二人を返り討ちにしてぶっ殺せば済む話だ」
「それが出来ないから、刹那の快楽に溺れちまってんだろ。こいつはまだ青二才で、しかもひとりぼっちなんだろ?」
アルキバは口をつぐんだ。
投資主という立場を利用して剣闘士たちを閨に呼びつける行為は、到底許せるものではない。
しかしリチェルの複雑すぎる状況を知ったら、怒りは引っ込んでしまった。
怒りどころか反省が頭をもたげる。
体力も体格も大きな差のある相手に酷いことをした。
闘いを生業とする剣闘士として、最も恥ずべき行いではないか。
「リチェルはいつ目覚める?」
「もう目覚めてもいい頃なんだがなあ。俺様の完璧な治癒術で、損傷した内蔵の治療はもちろん、傷跡だって残さず消してやったぜ」
「そうか」
言って小さなため息をつく。ロワは口の端を上げた。
「後悔してんだろ?目覚めたらちゃんと、話すことだ」
「話すって何をだよ……」
「それくらい自分で考えろ、大人だろう」
アルキバは舌打ちをする。ロワは腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、らしくないな。お前は一体誰だ、ここにいるのは本当にアルキバなのか?恋ってのは人のネジを何本もぶっこ抜くもんだな」
「うるせえっ」
ひとしきり笑った後、ロワはふと真顔になった。
「そうだ一つ、言い忘れていた。妙なところがあったんだ、この王子の体のことだが」
「なんだ?」
「この体、何度も『大怪我』をして何度も治癒魔術を施された跡がある」
「は?」
「肉体を治癒しても、精神的苦痛が強い傷は魂に記憶として残る。大病や大怪我、それから……虐待や陵辱による傷はな」
「魂の記憶?」
「ああ、そこから傷病歴をたどることができるわけだが、ひどいぜこれは。魂に刻まれるレベルの傷の履歴だらけだ。こんな傷だらけの魂は、初めて見た」
アルキバの顔が強張る。
「どういうことだそれは」
ロワは肩をすくめる。
「さあねえ。どこもかしこも多重の外傷歴があるが、特にひどいのは肛門だ。とにかく、一人の人間に耐えられる量の傷じゃないぜ、普通は。廃人になってないのが奇跡だ」
アルキバは二の句が継げなかった。
腹の底をぞわぞわと虫が這いずるような胸糞悪さがせり上がって来た。
ロワが考え込みながら呟く。
「まあここまで異常なのは大抵、祖先の 業絡み……」
その時、リチェルが身動きをした。
二人は、はっとしてリチェルを見下ろす。
小さなうめき声を上げながら、その美しい眉間にしわがよる。瞼がうっすらと開かれる。
ロワはぽん、とアルキバの肩に手を置いた。
「じゃ、俺は外すから」
「おい!お前医者だろ、ちゃんと最後まで面倒みろ!」
「もう治療は終わった、あとはお二人でごゆるりと」
「まっ……」
にやけた顔を置き土産に、ロワはドアの向こうに去ってしまった。
「クソっ!」
アルキバがそのドアに悪態をついたとき。
「アル……キバ?」
背後から当惑した声が降ってきて、アルキバは硬直する。
恐る恐る振り向くと、リチェルがベッドの上で上体を起こし、こちらを見ていた。
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(ざっくり解説)
ナバハイル王国で第●王子といえば、王の直系男子の中で王位継承順●位という意味です。
第一王子は普通、12歳で立太子し正式に次期国王として扱われるようになります。
リチェルはアルキバ初優勝の御前試合の時はすでに王太子でした。
しかし母の死と父の再婚を経て、13歳で王太子の地位を剥奪され王位継承第三位となり、18歳のジルソンが王太子=次期国王と決定されました。
翌朝。陽光の差し込む室内でリチェルの寝汗を布でぬぐいながら、ロワはしみじみとつぶやいた。アルキバはうなずく。
「内密に頼む」
「ああ。第三王子リチェル殿下……。隠し子王子達によって塔に幽閉されてるだの殺されてるだのの噂は、根も葉もないわけじゃなかったな。実際、兄達にしょっちゅう命を狙われてるんだろう」
「隠し子王子」というのは第一王子ジルソンと第二王子オルワードを揶揄する市井での呼び名である。
前王妃ユリアーナの人気は、国王に匹敵する程だった。ユリアーナは下位貴族出身だったが、美しく慈悲深く、精力的に孤児院の慰問活動など行う姿は、国民に感銘を与えた。
ユリアーナにはなかなか子が出来なかったが、輿入れから七年目にしてようやくリチェルが生まれたときは、国中が沸いた。
リチェルはその成長を国民に見守られ、国民は皆、リチェルこそ次期国王だと思っていた。
一方で、ユリアーナ亡き後に登場した元愛人の後妻ミランダスは、まったく人気がなかった。
位の高い貴族の出で顔は美しかったが、毎日城で贅沢三昧、慰問活動など一度もしたことはない。
しかも隠し子二人を第一王子、第二王子の地位に据えた。
法に従えば、生まれた時点で庶子だった王子二人は、リチェルより王位継承順位は下だ。たとえ妾が後から正妻におさまろうとも。
これは法律破りの蛮行だった。当然反対の声は大きかったが、国王はすっかり後妻の尻に敷かれて骨抜きにされており、王位継承順位の変更を許してしまった。
隠し子ジルソンを次期国王とする立太子式は、一週間に渡って贅を尽くし派手に催された。
そして王太子から第三王子に転落したリチェルは、まるで隠蔽されるかのように、公の舞台から姿を消した。
国民はこの状況に、大いに失望していた。だから揶揄するように、隠し子王子と呼んでいる。
アルキバは複雑な表情を浮かべる。
「リチェルは護衛騎士のことを唯一の味方と思っていたみたいだ」
「でもその唯一の味方にも裏切られた、か。厳しい状況だねえ」
「なんでそんな切羽詰った状況なのに、こっそり投資主やって剣闘士食いなんてしてんだこいつは」
「そりゃまあ、若いちんこだからさ」
ククっ、とロワが下卑た笑いを浮かべる。
「そんなことしてる場合じゃねえだろ。早く兄貴たちから権力を奪い返せばいいんだ。兄貴二人を返り討ちにしてぶっ殺せば済む話だ」
「それが出来ないから、刹那の快楽に溺れちまってんだろ。こいつはまだ青二才で、しかもひとりぼっちなんだろ?」
アルキバは口をつぐんだ。
投資主という立場を利用して剣闘士たちを閨に呼びつける行為は、到底許せるものではない。
しかしリチェルの複雑すぎる状況を知ったら、怒りは引っ込んでしまった。
怒りどころか反省が頭をもたげる。
体力も体格も大きな差のある相手に酷いことをした。
闘いを生業とする剣闘士として、最も恥ずべき行いではないか。
「リチェルはいつ目覚める?」
「もう目覚めてもいい頃なんだがなあ。俺様の完璧な治癒術で、損傷した内蔵の治療はもちろん、傷跡だって残さず消してやったぜ」
「そうか」
言って小さなため息をつく。ロワは口の端を上げた。
「後悔してんだろ?目覚めたらちゃんと、話すことだ」
「話すって何をだよ……」
「それくらい自分で考えろ、大人だろう」
アルキバは舌打ちをする。ロワは腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、らしくないな。お前は一体誰だ、ここにいるのは本当にアルキバなのか?恋ってのは人のネジを何本もぶっこ抜くもんだな」
「うるせえっ」
ひとしきり笑った後、ロワはふと真顔になった。
「そうだ一つ、言い忘れていた。妙なところがあったんだ、この王子の体のことだが」
「なんだ?」
「この体、何度も『大怪我』をして何度も治癒魔術を施された跡がある」
「は?」
「肉体を治癒しても、精神的苦痛が強い傷は魂に記憶として残る。大病や大怪我、それから……虐待や陵辱による傷はな」
「魂の記憶?」
「ああ、そこから傷病歴をたどることができるわけだが、ひどいぜこれは。魂に刻まれるレベルの傷の履歴だらけだ。こんな傷だらけの魂は、初めて見た」
アルキバの顔が強張る。
「どういうことだそれは」
ロワは肩をすくめる。
「さあねえ。どこもかしこも多重の外傷歴があるが、特にひどいのは肛門だ。とにかく、一人の人間に耐えられる量の傷じゃないぜ、普通は。廃人になってないのが奇跡だ」
アルキバは二の句が継げなかった。
腹の底をぞわぞわと虫が這いずるような胸糞悪さがせり上がって来た。
ロワが考え込みながら呟く。
「まあここまで異常なのは大抵、祖先の 業絡み……」
その時、リチェルが身動きをした。
二人は、はっとしてリチェルを見下ろす。
小さなうめき声を上げながら、その美しい眉間にしわがよる。瞼がうっすらと開かれる。
ロワはぽん、とアルキバの肩に手を置いた。
「じゃ、俺は外すから」
「おい!お前医者だろ、ちゃんと最後まで面倒みろ!」
「もう治療は終わった、あとはお二人でごゆるりと」
「まっ……」
にやけた顔を置き土産に、ロワはドアの向こうに去ってしまった。
「クソっ!」
アルキバがそのドアに悪態をついたとき。
「アル……キバ?」
背後から当惑した声が降ってきて、アルキバは硬直する。
恐る恐る振り向くと、リチェルがベッドの上で上体を起こし、こちらを見ていた。
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(ざっくり解説)
ナバハイル王国で第●王子といえば、王の直系男子の中で王位継承順●位という意味です。
第一王子は普通、12歳で立太子し正式に次期国王として扱われるようになります。
リチェルはアルキバ初優勝の御前試合の時はすでに王太子でした。
しかし母の死と父の再婚を経て、13歳で王太子の地位を剥奪され王位継承第三位となり、18歳のジルソンが王太子=次期国王と決定されました。
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