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第3話 栄光の通路 (1)
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円形闘技場の控え室。
その暗い部屋から栄光の通路は延びる。
通路の出口では、めまいがする程広い舞台と、目のくらむ陽光と、大歓声が待っている。
そして敵が。
剣闘士は敵を倒し、生き残らねばならない。
そうすればつかむことができる。
富を、名声を、女達を。
夢のような人生を。
だがその夢の足元には、死という落とし穴が大きく口を開けている。
◇ ◇ ◇
アルキバはたまたま、新人剣闘士が円形闘技場の控え室に入っていくのを見かけた。
試合まで一時間もあるのに。
放っておいても問題はないが、なんとなくお節介を焼いてみる気になった。
追って控え室の入り口をくぐると、新人は長椅子に腰をかけ、何度も深呼吸をしていた。
赤毛に白くも黒くもない中間色の肌。アルキバと同じ剣闘士の格好をしている。
すなわち褌を締め、腰布を巻き、腕と膝に防御布を巻き付けていた。上半身は裸だ。
新人の全身は小刻みに震えていた。おそらく、今日が初陣。
怖くないわけはないだろう。
試合中の死の七割が初戦と言われている。つまり初陣は最も死にやすい。
「よう、カチコチだな」
アルキバが声を掛けると、びくりと肩を揺らして顔を上げた。
「アアア、アルキバさんっ!?」
新人は弾かれたように立ち上がった。
「あ、あの、そのっ!ええと、俺はっ」
びしりと背筋を伸ばしたものの、緊張のあまり声のうわずる青年の肩を、アルキバはぽんと叩いた。
「見りゃ分かる、第一試合に出る新人だろ。名前は?」
「コルベルと言います!」
「コルベル君ね。試合は今日が初めてってとこか」
つばきを飲み込み、コルベルは大きくうなずいた。
「やっぱりな。今日は俺も出るぜ。もちろん最終試合にな。人気者だからさ」
試合に出る順番は、人気の逆順だった。一番人気の剣闘士は最終試合に、一番不人気の剣闘士は第一試合に。おどけて言ったつもりだったが、返ってきたのは生真面目な言葉だった。
「は、はい、知っています!同じ日に闘技場に出られるなんて光栄です!」
アルキバは苦笑を浮かべる。
「ありがとな、俺も光栄だ。でもお前の出番も一時間先だろ?この部屋に入るのはまだ早いんじゃないの」
「はい、でも、いてもたってもいられなくて……」
コルベルは視線を落とした。そのあどけなさを残す表情に、アルキバは口の端を上げる。長椅子に腰かけた。コルベルにもうながす。
「座れよ」
「えっ。は、はい!」
コルベルはおずおずと座り直した。
「俺も最初の試合の時はそうだったぜ。怖くて怖くて全身汗びっしょりで震えてたもんさ」
コルベルは驚いてアルキバの顔をまじまじと見つめた。人気剣闘士は居心地悪そうに頭をかいた。
「そう見るなよ、俺だって人間だよ、お前と同じ。いや奴隷と言うべきかな。お前と同じ、奴隷だ」
「そんな!あなたはもはや国の英雄です。自由民はもちろん、貴族だってあなたを賞賛します。あなたのことを奴隷だなんて、誰が感じているでしょう」
そう言われてアルキバは、どこか自嘲的な笑みを浮かべた。腕を組み、仰ぐように天井を見上げた。
「もはや奴隷ではない、ねえ。つまりコルベル君は一旗上げたくてこの世界に入って来たんだな」
「はい。俺、もとは田舎の農奴だったんです。でもひどい地主で……。夜逃げしました」
その暗い部屋から栄光の通路は延びる。
通路の出口では、めまいがする程広い舞台と、目のくらむ陽光と、大歓声が待っている。
そして敵が。
剣闘士は敵を倒し、生き残らねばならない。
そうすればつかむことができる。
富を、名声を、女達を。
夢のような人生を。
だがその夢の足元には、死という落とし穴が大きく口を開けている。
◇ ◇ ◇
アルキバはたまたま、新人剣闘士が円形闘技場の控え室に入っていくのを見かけた。
試合まで一時間もあるのに。
放っておいても問題はないが、なんとなくお節介を焼いてみる気になった。
追って控え室の入り口をくぐると、新人は長椅子に腰をかけ、何度も深呼吸をしていた。
赤毛に白くも黒くもない中間色の肌。アルキバと同じ剣闘士の格好をしている。
すなわち褌を締め、腰布を巻き、腕と膝に防御布を巻き付けていた。上半身は裸だ。
新人の全身は小刻みに震えていた。おそらく、今日が初陣。
怖くないわけはないだろう。
試合中の死の七割が初戦と言われている。つまり初陣は最も死にやすい。
「よう、カチコチだな」
アルキバが声を掛けると、びくりと肩を揺らして顔を上げた。
「アアア、アルキバさんっ!?」
新人は弾かれたように立ち上がった。
「あ、あの、そのっ!ええと、俺はっ」
びしりと背筋を伸ばしたものの、緊張のあまり声のうわずる青年の肩を、アルキバはぽんと叩いた。
「見りゃ分かる、第一試合に出る新人だろ。名前は?」
「コルベルと言います!」
「コルベル君ね。試合は今日が初めてってとこか」
つばきを飲み込み、コルベルは大きくうなずいた。
「やっぱりな。今日は俺も出るぜ。もちろん最終試合にな。人気者だからさ」
試合に出る順番は、人気の逆順だった。一番人気の剣闘士は最終試合に、一番不人気の剣闘士は第一試合に。おどけて言ったつもりだったが、返ってきたのは生真面目な言葉だった。
「は、はい、知っています!同じ日に闘技場に出られるなんて光栄です!」
アルキバは苦笑を浮かべる。
「ありがとな、俺も光栄だ。でもお前の出番も一時間先だろ?この部屋に入るのはまだ早いんじゃないの」
「はい、でも、いてもたってもいられなくて……」
コルベルは視線を落とした。そのあどけなさを残す表情に、アルキバは口の端を上げる。長椅子に腰かけた。コルベルにもうながす。
「座れよ」
「えっ。は、はい!」
コルベルはおずおずと座り直した。
「俺も最初の試合の時はそうだったぜ。怖くて怖くて全身汗びっしょりで震えてたもんさ」
コルベルは驚いてアルキバの顔をまじまじと見つめた。人気剣闘士は居心地悪そうに頭をかいた。
「そう見るなよ、俺だって人間だよ、お前と同じ。いや奴隷と言うべきかな。お前と同じ、奴隷だ」
「そんな!あなたはもはや国の英雄です。自由民はもちろん、貴族だってあなたを賞賛します。あなたのことを奴隷だなんて、誰が感じているでしょう」
そう言われてアルキバは、どこか自嘲的な笑みを浮かべた。腕を組み、仰ぐように天井を見上げた。
「もはや奴隷ではない、ねえ。つまりコルベル君は一旗上げたくてこの世界に入って来たんだな」
「はい。俺、もとは田舎の農奴だったんです。でもひどい地主で……。夜逃げしました」
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