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[番外編] 最後の仕事(12)
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尖り耳の集落に戻って来た。
調合部屋に使っていいと言われた小屋に入ると、住民が貸してくれた鍋が大量に積まれていた。
さらに猿の使い魔たちが集めた原料も。どの原料も丁寧に壺に入れられている。
「壺、綺麗に仕分けされて原料の名前まで書いてある!このきっちり感がサギトにそっくりというかなんというか……」
「何が言いたいんだ」
「有能な猿たち」
「それはどうも。じゃあ早速、取り掛かろう」
「おう!」
この小屋に来る前に、患者たちの状態も確認して来た。水疱がかなり膨らんでしまっている者が数名いた。その者たちの猶予はあと半日か、悪ければ十時間ほどと思われた。
水疱が破れる前に、薔薇が爛れる前に、特効薬を完成させねば。
「……全員、救いたい」
ささやき声のサギトの独り言を、グレアムは聞き漏らさなかった。気合を入れるように笑みを浮かべた。
「そうだな」
※※※
時間は夜の八時を回っていた。調合を始めて既に九時間が経過していた。
倉庫だったはずの場所は今、熱気と冷気と、異臭と異音と、光と闇の入り乱れる、異様な空間と化していた。
「蒸留水をあと30、頼む!」
汗だくのサギトが、鍋の中の青緑色の液体をかき混ぜながら焦燥に駆られた声を出す。
かまどなどない場所だ、全て魔法で温度調節している。
「これだ!」
グレアムから追加の水を受け取り、鍋に差し入れながら、サギトは別の鍋に視線を走らせた。
「瑠璃カビの培養速度はもう少し早まらないか?」
「ど、どうすれば……」
「温度を一度上げてくれ。あと成長促進魔法を通常の四倍の強さで二回かけてくれ。それから濾過した培養液にまた背脂を加えておいてくれ」
「了解!」
患者はおよそ五十人。それに潜伏期間中の隠れ感染者を加えれば、その三倍以上分の特効薬が必要だろう。できれば住人全員分を作りたい。
グレアムに任せているのは、特効薬の土台となる瑠璃カビの抽出液だ。瑠璃カビの抽出液は他にも多くの特効薬の土台となっている。いわば基本の下ごしらえだ。下ごしらえ分はいくらあっても足りないくらいだ。
ともあれ先ずは、一人分を完成させなければ。
サギトはなかなかうまくいかない、目の前の鍋の中身を見てかつてない焦りを感じていた。
(だめだ、また失敗だ……)
一人分どころか、最初の一滴がまだ出来ない。
その一滴さえできれば、あとはそれを量産するだけなのに。
花爛病の特効薬の色は、紫色。
それは多くの書物に共通して書かれていることで、絵も残されている。
だからそれは、間違いない情報だろう。
特効薬は紫色でなければならない。
なのになぜ、目の前の液体は青緑色なのだ。
既に何度も作り直している。でも何度やっても失敗する。
医術書の記載の調合法は完璧に暗記していた。その通りに調合したはずなのに、モノが出来上がらない。
サギトは当初、自分のやり方がまずいのだと思っていた。だから何度もやり直した。加える熱、与える冷気、かざす光、攪拌の強さ、分離のバランス、結合のタイミング。少しづつ微修正を繰り返した。でもうまくいかない。
そして事ここに至りようやく、恐るべき可能性に思い当たった。
調合法の記述が、間違っているのだ。
三百年も前の記録だ。転写魔法が開発される以前の書物は、手書きで写すことによって次代に伝えられた。その書き写しの過程で誤記が生じたのだろう。
(なんてことだ)
刻一刻と期限は迫っていた。
グレンデルを狩る前にグレアムに緩和魔法をかけられた、「手遅れ」の患者は既に死んでしまった。
脳裏に、亡き人の恐ろしいうめき声と、おぞましく爛れた薔薇が思い浮かぶ。
他の患者の水疱も、今、どんどん大きく膨らみつつある。
(……救えないのか)
(全員、死なせるのか)
「クソっ!」
サギトは吐き捨てるように悪態をつくと、鍋をかき混ぜる棒を床に叩きつけた。
そのまま床にうずくまり、頭をかかえる。
「サギト!」
グレアムが飛んできてサギトの肩に腕を回した。そして大きな手でサギトの頭を撫でる。
「疲れたか?そうだよな、ずっと根を詰めてるからな、少し休め」
最初の一滴が出来ないのだ、ということを知っているグレアムは、しかしそのことには触れない。ただ、いたわりの言葉をかけてくれる。
調合部屋に使っていいと言われた小屋に入ると、住民が貸してくれた鍋が大量に積まれていた。
さらに猿の使い魔たちが集めた原料も。どの原料も丁寧に壺に入れられている。
「壺、綺麗に仕分けされて原料の名前まで書いてある!このきっちり感がサギトにそっくりというかなんというか……」
「何が言いたいんだ」
「有能な猿たち」
「それはどうも。じゃあ早速、取り掛かろう」
「おう!」
この小屋に来る前に、患者たちの状態も確認して来た。水疱がかなり膨らんでしまっている者が数名いた。その者たちの猶予はあと半日か、悪ければ十時間ほどと思われた。
水疱が破れる前に、薔薇が爛れる前に、特効薬を完成させねば。
「……全員、救いたい」
ささやき声のサギトの独り言を、グレアムは聞き漏らさなかった。気合を入れるように笑みを浮かべた。
「そうだな」
※※※
時間は夜の八時を回っていた。調合を始めて既に九時間が経過していた。
倉庫だったはずの場所は今、熱気と冷気と、異臭と異音と、光と闇の入り乱れる、異様な空間と化していた。
「蒸留水をあと30、頼む!」
汗だくのサギトが、鍋の中の青緑色の液体をかき混ぜながら焦燥に駆られた声を出す。
かまどなどない場所だ、全て魔法で温度調節している。
「これだ!」
グレアムから追加の水を受け取り、鍋に差し入れながら、サギトは別の鍋に視線を走らせた。
「瑠璃カビの培養速度はもう少し早まらないか?」
「ど、どうすれば……」
「温度を一度上げてくれ。あと成長促進魔法を通常の四倍の強さで二回かけてくれ。それから濾過した培養液にまた背脂を加えておいてくれ」
「了解!」
患者はおよそ五十人。それに潜伏期間中の隠れ感染者を加えれば、その三倍以上分の特効薬が必要だろう。できれば住人全員分を作りたい。
グレアムに任せているのは、特効薬の土台となる瑠璃カビの抽出液だ。瑠璃カビの抽出液は他にも多くの特効薬の土台となっている。いわば基本の下ごしらえだ。下ごしらえ分はいくらあっても足りないくらいだ。
ともあれ先ずは、一人分を完成させなければ。
サギトはなかなかうまくいかない、目の前の鍋の中身を見てかつてない焦りを感じていた。
(だめだ、また失敗だ……)
一人分どころか、最初の一滴がまだ出来ない。
その一滴さえできれば、あとはそれを量産するだけなのに。
花爛病の特効薬の色は、紫色。
それは多くの書物に共通して書かれていることで、絵も残されている。
だからそれは、間違いない情報だろう。
特効薬は紫色でなければならない。
なのになぜ、目の前の液体は青緑色なのだ。
既に何度も作り直している。でも何度やっても失敗する。
医術書の記載の調合法は完璧に暗記していた。その通りに調合したはずなのに、モノが出来上がらない。
サギトは当初、自分のやり方がまずいのだと思っていた。だから何度もやり直した。加える熱、与える冷気、かざす光、攪拌の強さ、分離のバランス、結合のタイミング。少しづつ微修正を繰り返した。でもうまくいかない。
そして事ここに至りようやく、恐るべき可能性に思い当たった。
調合法の記述が、間違っているのだ。
三百年も前の記録だ。転写魔法が開発される以前の書物は、手書きで写すことによって次代に伝えられた。その書き写しの過程で誤記が生じたのだろう。
(なんてことだ)
刻一刻と期限は迫っていた。
グレンデルを狩る前にグレアムに緩和魔法をかけられた、「手遅れ」の患者は既に死んでしまった。
脳裏に、亡き人の恐ろしいうめき声と、おぞましく爛れた薔薇が思い浮かぶ。
他の患者の水疱も、今、どんどん大きく膨らみつつある。
(……救えないのか)
(全員、死なせるのか)
「クソっ!」
サギトは吐き捨てるように悪態をつくと、鍋をかき混ぜる棒を床に叩きつけた。
そのまま床にうずくまり、頭をかかえる。
「サギト!」
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「疲れたか?そうだよな、ずっと根を詰めてるからな、少し休め」
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