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第17話 決行(1)
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殺しにおあつらえ向きの空だな、とサギトは皮肉に考えた。
西の空には血のような赤い雲が散乱していた。
オルド橋の上、サギトは欄干にもたれ川を見下ろしていた。東岸寄りの端のあたりで。
ルービン川の水面には、橋の二つのアーチが眼鏡のように映し出されていた。
時折馬車が橋を渡っていった。街の中心部から外れているとはいえ、王都内なので人通りがないわけではない。
だが川岸に誘い出せば、と考えた。この橋の下ならば誰にも邪魔されず殺せるだろう。
愛想よく接し、大いに油断させて殺す。そしてそのままサギトは、ムジャヒールに向かう。
簡単なことだ。サギトが冷静ささえ失わなければ。
「サギト!」
大きな声に振り向く。川の東岸、橋の手前、馬を引いたグレアムがいた。
サギトを見て微笑む。
サギトも微笑み返した。愛想よく、愛想よく、と思いながら。
グレアムはサギトの愛想笑いに驚いたような顔をした。
そして目を細める。懐かしそうに、嬉しそうに。
なんだその表情は、とサギトは胸がざわついた。
「川辺で話さないか?きっと静かに話せる」
サギトはそう言いながらグレアムに近づきその脇を通りすぎ、川の堤の方へ曲がった。
「あ、ああ!」
サギトは草生す堤の斜面を川に向かって降りていき、グレアムは馬を堤の上の街路樹にくくりつけた。
目の前に夕焼け空を映し出す穏やかな川面。堤を降りてきただけで、通りの喧騒が遠ざかった。まるで別世界のような静かさ。
遅れて降りてきたグレアムが、サギトの隣に並んだ。
川の緩やかな流れを横目に、サギトは無言で暗い橋の下に歩み入った。
そして橋の下の湿った土に腰を落とした。
疑問に思われるだろうか?なぜ橋の下に、と。
緊張を隠しながらグレアムを見上げ、促すように隣を示した。
「座れよ」
グレアムは特に警戒の様子を見せなかった。ただ嬉しげに、サギトと同じように橋の下に入り、隣に腰掛けた。
グレアムのほうから口を開いた。
「ありがとな、誘ってくれて。もう俺、お前に口も聞いてもらえないんじゃないかと心配してたよ」
「よく言う。お前は国の英雄だろ、俺なんかにへりくだった物言いをするなよ」
つい皮肉な物言いになってしまった。駄目だ、気をつけねば。
今から大事な「仕事」をするんだ。苛立つな。へまをするな。
サギトの皮肉に、グレアムは複雑な顔をした。そしてこんなことを聞いてくる。
「この十年、何があったんだ?」
サギトは押し黙った。お前がそれを聞くのか、と。爆発してしまいそうだった。落ち着かなければ、早く殺さないとまたチャンスを逃す。
サギトは自分を抑えるためにぐっと手を握り締めて爪で手のひらを刺した。
「何も、別に。つまらない、辛気臭い話しかない。お前の十年を聞かせてくれよ。お前の栄光の物語のほうがずっと話として面白いさ」
グレアムは何か反論でもしたげな顔をして口を開いたが、閉じる。そしてため息をついた。
「俺の十年……。俺はとにかく護国騎士団長になりたくて。護国騎士団長になれたら、自由に団員を選べるから。そうしたらサギトを呼べると思って。またお前と一緒にいられると思って、その為に」
サギトの胸がどくんと鳴った。
「なんだそれ。俺を呼ぶ為とか一緒になる為とか。なんの冗談だ」
「冗談じゃない!一緒にいたいって思うのは当然だろ!だって俺達はこいっ……。いや、ええと、その……」
グレアムは何やら口ごもってうつむいた。
「やめてくれ、俺のことなんて十年忘れてたろうに。そういう嘘は」
――残酷だ。
グレアムは怒ったように顔を上げると、サギトの腕を掴んだ。
「嘘じゃない!俺がお前のこと忘れるわけないだろっ!俺はずっとお前に会いたくて会いたくて、気が狂いそうだった!十年お前を想い続けた!」
真っ直ぐな目で見据えられ、サギトの心が千々に乱れる。
嘘だ。嘘に決まってる。
だがたとえ嘘でも、そんなことを言われたら。
(お前はなんて残酷なんだろう)
(俺は今からお前を殺して帝国の宮廷魔道士になろうとしてるんだ)
(俺はお前を醜く妬んで、醜く殺して、醜く敵国の人間になるんだ)
(せめて気持ちよく、悪魔にならせてくれ)
楽に、狂わせてくれ。
「じゃあ、なぜ……」
なぜ、裏切った?
サギトは震えながら、あの事を聞こうとする。でも言葉は喉元で止まる。
聞けなかった。恐ろしかった。
もういい、殺してしまおう。
サギトは気を取り直すように、言いかけた全てを飲み込んだ。
「……ありがとうグレアム。そう言ってもらえて嬉しい」
からからの喉でサギトはそんな言葉を搾り出した。グレアムはほっとしたように微笑んで、サギトの腕から手を離した。
「本当に辛かったんだ、お前がそばにいないことが」
そして髪を撫でられる。あの頃のように。
サギトの胸は馬鹿みたいに高鳴って、喉を締め付けられるような心地がした。
ああ本当になんて、残酷な奴だお前は。
西の空には血のような赤い雲が散乱していた。
オルド橋の上、サギトは欄干にもたれ川を見下ろしていた。東岸寄りの端のあたりで。
ルービン川の水面には、橋の二つのアーチが眼鏡のように映し出されていた。
時折馬車が橋を渡っていった。街の中心部から外れているとはいえ、王都内なので人通りがないわけではない。
だが川岸に誘い出せば、と考えた。この橋の下ならば誰にも邪魔されず殺せるだろう。
愛想よく接し、大いに油断させて殺す。そしてそのままサギトは、ムジャヒールに向かう。
簡単なことだ。サギトが冷静ささえ失わなければ。
「サギト!」
大きな声に振り向く。川の東岸、橋の手前、馬を引いたグレアムがいた。
サギトを見て微笑む。
サギトも微笑み返した。愛想よく、愛想よく、と思いながら。
グレアムはサギトの愛想笑いに驚いたような顔をした。
そして目を細める。懐かしそうに、嬉しそうに。
なんだその表情は、とサギトは胸がざわついた。
「川辺で話さないか?きっと静かに話せる」
サギトはそう言いながらグレアムに近づきその脇を通りすぎ、川の堤の方へ曲がった。
「あ、ああ!」
サギトは草生す堤の斜面を川に向かって降りていき、グレアムは馬を堤の上の街路樹にくくりつけた。
目の前に夕焼け空を映し出す穏やかな川面。堤を降りてきただけで、通りの喧騒が遠ざかった。まるで別世界のような静かさ。
遅れて降りてきたグレアムが、サギトの隣に並んだ。
川の緩やかな流れを横目に、サギトは無言で暗い橋の下に歩み入った。
そして橋の下の湿った土に腰を落とした。
疑問に思われるだろうか?なぜ橋の下に、と。
緊張を隠しながらグレアムを見上げ、促すように隣を示した。
「座れよ」
グレアムは特に警戒の様子を見せなかった。ただ嬉しげに、サギトと同じように橋の下に入り、隣に腰掛けた。
グレアムのほうから口を開いた。
「ありがとな、誘ってくれて。もう俺、お前に口も聞いてもらえないんじゃないかと心配してたよ」
「よく言う。お前は国の英雄だろ、俺なんかにへりくだった物言いをするなよ」
つい皮肉な物言いになってしまった。駄目だ、気をつけねば。
今から大事な「仕事」をするんだ。苛立つな。へまをするな。
サギトの皮肉に、グレアムは複雑な顔をした。そしてこんなことを聞いてくる。
「この十年、何があったんだ?」
サギトは押し黙った。お前がそれを聞くのか、と。爆発してしまいそうだった。落ち着かなければ、早く殺さないとまたチャンスを逃す。
サギトは自分を抑えるためにぐっと手を握り締めて爪で手のひらを刺した。
「何も、別に。つまらない、辛気臭い話しかない。お前の十年を聞かせてくれよ。お前の栄光の物語のほうがずっと話として面白いさ」
グレアムは何か反論でもしたげな顔をして口を開いたが、閉じる。そしてため息をついた。
「俺の十年……。俺はとにかく護国騎士団長になりたくて。護国騎士団長になれたら、自由に団員を選べるから。そうしたらサギトを呼べると思って。またお前と一緒にいられると思って、その為に」
サギトの胸がどくんと鳴った。
「なんだそれ。俺を呼ぶ為とか一緒になる為とか。なんの冗談だ」
「冗談じゃない!一緒にいたいって思うのは当然だろ!だって俺達はこいっ……。いや、ええと、その……」
グレアムは何やら口ごもってうつむいた。
「やめてくれ、俺のことなんて十年忘れてたろうに。そういう嘘は」
――残酷だ。
グレアムは怒ったように顔を上げると、サギトの腕を掴んだ。
「嘘じゃない!俺がお前のこと忘れるわけないだろっ!俺はずっとお前に会いたくて会いたくて、気が狂いそうだった!十年お前を想い続けた!」
真っ直ぐな目で見据えられ、サギトの心が千々に乱れる。
嘘だ。嘘に決まってる。
だがたとえ嘘でも、そんなことを言われたら。
(お前はなんて残酷なんだろう)
(俺は今からお前を殺して帝国の宮廷魔道士になろうとしてるんだ)
(俺はお前を醜く妬んで、醜く殺して、醜く敵国の人間になるんだ)
(せめて気持ちよく、悪魔にならせてくれ)
楽に、狂わせてくれ。
「じゃあ、なぜ……」
なぜ、裏切った?
サギトは震えながら、あの事を聞こうとする。でも言葉は喉元で止まる。
聞けなかった。恐ろしかった。
もういい、殺してしまおう。
サギトは気を取り直すように、言いかけた全てを飲み込んだ。
「……ありがとうグレアム。そう言ってもらえて嬉しい」
からからの喉でサギトはそんな言葉を搾り出した。グレアムはほっとしたように微笑んで、サギトの腕から手を離した。
「本当に辛かったんだ、お前がそばにいないことが」
そして髪を撫でられる。あの頃のように。
サギトの胸は馬鹿みたいに高鳴って、喉を締め付けられるような心地がした。
ああ本当になんて、残酷な奴だお前は。
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