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第13話 妖術使い(2)
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「俺に国を捨てろと言うのか」
「はて、未練がありますか?」
笑顔でさらりと言ってのけられ、サギトは押し黙る。
言われてみれば何も無い。
サギトはこの国に拒絶された。
社会の暗部で、暗殺という糞さらい以下の最底辺職を引き受けることでようやく、ここにいることを許されている存在だ。
「世界は広うございます。あなたはこの北方の田舎諸国しかご存じない。遠見の術はお使いになりますか?一度、帝都をその目でご覧ください。帝都の宮殿に比べれば、この国の城など、まるで古びた倉庫のよう。帝都の町並みに比べれば、この国の城下町など、まるで寂れた寒村のよう」
妖術使いの語り口調は熱を帯びる。言われずともサギトはすでに、ムジャヒールの帝都に生霊を飛ばして見たことはあった。ちょっとした好奇心で。
確かにとてつもない都だった。この世の物とは思えない、あるいは同じ時代の物とは思えない、まるで未来の都市のようなところ。
世界最高技術と言われるムジャヒール建築による、ドーム屋根や尖塔の美しい巨大宮殿は言わずもがな。黄金と純白に輝く、天上の建物のごとき大宮殿だった。
そして街並み。完璧に区画整備された石畳の広い道、堅牢かつ洒落た建物が立ち並び、緑の植栽や鮮やかな花々や清涼な水路が景観を整える。美しく整備されたそんな街並みが、宮殿周りだけではない、どこまでもどこまでも広がるのだ。どこまで行っても、都なのだ。国一つが都市の中に収まるのではとすら思われた。
そして一番驚いたのは、その人種の多様性。物であふれる豊かな市場には、様々な肌の色、目の色、形態をした人間がいた。ランバルトで忌人とされる者達も。彼らはムジャヒール人に差別される様子もなく、皆が同じように生きているように見えた。
ムジャヒールの統治は残虐を極めるという話だ。規律厳しいジャヒン教の経典に縛られ不自由な生活を強いられているとも。しかし実際に見てみれば、ムジャヒール帝国民たちの予想外に幸福そうな様子に戸惑ったものだ。
サギトの心を覗き見でもしているかのように、妖術使いは言葉を繋げた。
「唯一神ジャヒン様の代理たる皇帝陛下のご慈悲の下、様々な人種が行き交い、闊達に活動する帝国は、まさに人類統一の要となるべく運命づけられた、ユートピアなのでございます。その帝国の中枢こそが貴殿の活躍の舞台にふさわしい!」
サギトはごくりと喉を鳴らした。
既に相手の術中にはまっている自覚はあった。そして墓穴を掘るように、つい、その質問をしてしまう。
「帝国では、紫眼は差別されていないのか?」
妖術使いは笑い出す。とても朗らかに。
「されているわけがございません。一体なんですか、紫眼とは?そんな言葉すら我が国の辞書にはございません。肉体など器に過ぎませぬ。重要なのは魂の形。ジャヒン教徒であるか否か、人の正邪を決めるのはそれのみです」
「……」
その洗脳めいた物言いは、しかし確かにサギトの心を動かした。
ムジャヒールに行けば、サギトは紫眼という肉体の呪縛から解き放たれるのか。あの多様な人種に入り混じり、紫眼ではなく一人の人として扱ってもらえるのか。それだけで、サギトにとってはユートピアのように思われた。もともと聖教への信心などないサギトには改宗も簡単なこと。
さらに宮廷魔道士だと?帝国の?
俺が?
グレアムを殺す。考えたこともなかったが、サギトの暗い精神の片隅が、そんな方法があったのか、などと思っていた。
この十年、片時もグレアムのことを忘れたことはなかった。
憎んだ。恨んだ。妬んだ。
でも思い出はあまりにまぶしく、優しく、愛おしく。
身を焦がすほどに、恋しく。
愛しさと憎しみ。二つに引き裂かれる葛藤が、いつもサギトを追い詰めてきた。
そうか、殺せばいいのか。
殺してしまえばよかったんだ。
「……本当、なのか?本当に俺を、帝国の宮廷魔道士にするのか?」
「勿論でございます。貴方にはそれだけの価値がある」
サギトは目を瞑る。
「いいだろう。その仕事、承ろう」
肖像画の中の妖術使いは、恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。皇帝陛下もさぞお喜びになられるでしょう。吉報を確信しております」
そして肖像画はくしゃりと自ら潰れ、小さく丸まり消失した。跡形も残さず、妖術使いは消えた。
承諾してしまった。
後悔はなかった。後悔どころか、サギトはこみ上げる暗い興奮に打ち震えていた。
これでやっと解放される、と。
グレアムを殺す。それはいままでのサギト自身を殺すことに他ならない気がした。
サギトはグレアムを殺すことで自身を殺し、新たな自分になる。
そして別人となって本当の人生を始める。
希望だ、と思った。夜明けだ。
やっと俺の長い長い夜が明けるんだ。
「はて、未練がありますか?」
笑顔でさらりと言ってのけられ、サギトは押し黙る。
言われてみれば何も無い。
サギトはこの国に拒絶された。
社会の暗部で、暗殺という糞さらい以下の最底辺職を引き受けることでようやく、ここにいることを許されている存在だ。
「世界は広うございます。あなたはこの北方の田舎諸国しかご存じない。遠見の術はお使いになりますか?一度、帝都をその目でご覧ください。帝都の宮殿に比べれば、この国の城など、まるで古びた倉庫のよう。帝都の町並みに比べれば、この国の城下町など、まるで寂れた寒村のよう」
妖術使いの語り口調は熱を帯びる。言われずともサギトはすでに、ムジャヒールの帝都に生霊を飛ばして見たことはあった。ちょっとした好奇心で。
確かにとてつもない都だった。この世の物とは思えない、あるいは同じ時代の物とは思えない、まるで未来の都市のようなところ。
世界最高技術と言われるムジャヒール建築による、ドーム屋根や尖塔の美しい巨大宮殿は言わずもがな。黄金と純白に輝く、天上の建物のごとき大宮殿だった。
そして街並み。完璧に区画整備された石畳の広い道、堅牢かつ洒落た建物が立ち並び、緑の植栽や鮮やかな花々や清涼な水路が景観を整える。美しく整備されたそんな街並みが、宮殿周りだけではない、どこまでもどこまでも広がるのだ。どこまで行っても、都なのだ。国一つが都市の中に収まるのではとすら思われた。
そして一番驚いたのは、その人種の多様性。物であふれる豊かな市場には、様々な肌の色、目の色、形態をした人間がいた。ランバルトで忌人とされる者達も。彼らはムジャヒール人に差別される様子もなく、皆が同じように生きているように見えた。
ムジャヒールの統治は残虐を極めるという話だ。規律厳しいジャヒン教の経典に縛られ不自由な生活を強いられているとも。しかし実際に見てみれば、ムジャヒール帝国民たちの予想外に幸福そうな様子に戸惑ったものだ。
サギトの心を覗き見でもしているかのように、妖術使いは言葉を繋げた。
「唯一神ジャヒン様の代理たる皇帝陛下のご慈悲の下、様々な人種が行き交い、闊達に活動する帝国は、まさに人類統一の要となるべく運命づけられた、ユートピアなのでございます。その帝国の中枢こそが貴殿の活躍の舞台にふさわしい!」
サギトはごくりと喉を鳴らした。
既に相手の術中にはまっている自覚はあった。そして墓穴を掘るように、つい、その質問をしてしまう。
「帝国では、紫眼は差別されていないのか?」
妖術使いは笑い出す。とても朗らかに。
「されているわけがございません。一体なんですか、紫眼とは?そんな言葉すら我が国の辞書にはございません。肉体など器に過ぎませぬ。重要なのは魂の形。ジャヒン教徒であるか否か、人の正邪を決めるのはそれのみです」
「……」
その洗脳めいた物言いは、しかし確かにサギトの心を動かした。
ムジャヒールに行けば、サギトは紫眼という肉体の呪縛から解き放たれるのか。あの多様な人種に入り混じり、紫眼ではなく一人の人として扱ってもらえるのか。それだけで、サギトにとってはユートピアのように思われた。もともと聖教への信心などないサギトには改宗も簡単なこと。
さらに宮廷魔道士だと?帝国の?
俺が?
グレアムを殺す。考えたこともなかったが、サギトの暗い精神の片隅が、そんな方法があったのか、などと思っていた。
この十年、片時もグレアムのことを忘れたことはなかった。
憎んだ。恨んだ。妬んだ。
でも思い出はあまりにまぶしく、優しく、愛おしく。
身を焦がすほどに、恋しく。
愛しさと憎しみ。二つに引き裂かれる葛藤が、いつもサギトを追い詰めてきた。
そうか、殺せばいいのか。
殺してしまえばよかったんだ。
「……本当、なのか?本当に俺を、帝国の宮廷魔道士にするのか?」
「勿論でございます。貴方にはそれだけの価値がある」
サギトは目を瞑る。
「いいだろう。その仕事、承ろう」
肖像画の中の妖術使いは、恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。皇帝陛下もさぞお喜びになられるでしょう。吉報を確信しております」
そして肖像画はくしゃりと自ら潰れ、小さく丸まり消失した。跡形も残さず、妖術使いは消えた。
承諾してしまった。
後悔はなかった。後悔どころか、サギトはこみ上げる暗い興奮に打ち震えていた。
これでやっと解放される、と。
グレアムを殺す。それはいままでのサギト自身を殺すことに他ならない気がした。
サギトはグレアムを殺すことで自身を殺し、新たな自分になる。
そして別人となって本当の人生を始める。
希望だ、と思った。夜明けだ。
やっと俺の長い長い夜が明けるんだ。
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