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第13話 妖術使い(1)
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サギトは寝室のベッドに横たわり、虚ろな目で天井を見つめていた。
自分が何もかも失ってしまったような心地だった。
(失った?何を?お前は最初から何も持ってなどいないじゃないか)
癖のように自問して自嘲して、虚しくなる。
涙がこめかみを伝い、耳が濡れた。
その時、サギトの目の前の空間に、小さな影が寄り集まり始めた。そして影の中から紫色に発光する蝶が出現する。
サギトの使い魔だ。影の目への依頼を持ってくる役目。マフィアの事務所とサギトの間を往復する蝶。
依頼人はマフィアに影の目への依頼をし、サギトはマフィアから依頼人の情報を得る。なおマフィアはいまだに「サギト」のことは知らない。影の目がサギトだと知る者はどこにもいない。
また殺人依頼。つくづく、うっとおしいと思った。影の目を続けて金を貯め、なけなしのプライドを保ってきた。虚無を満たしてきた。
でも、もう、全部がどうでもいい。
ベッドから体を起こした。紫の蝶を捻り潰してしまおうと手を伸ばした。
が、手を止めて眉をひそめる。
自分の使い魔に違和感を感じた。
いつもとどこか違う。よく見ると、羽に文字のような文様がついていた。紫一色のはずの蝶の羽に、ミミズがのたうつような文字。
それがムジャヒール文字だ、と気づいた時。
紫の蝶が紙のようにくしゃくしゃに潰れた。と思ったら、またそれは開かれた。紙くずを開くように。開いたそれは、蝶ではなくなっていた。
サギトの目の前に大きな楕円形の紙が浮かんでいた。
肖像画だった。
独特な四角い帽子を被り、長いあごひげを生やした皺だらけの老人の肖像。
それはどう見ても、ムジャヒールの妖術使いの姿だった。
肖像画の老人が、瞬きをした。その口が動く。
「お初にお目にかかります、影の目様。いえ、サギト様と申すべきでしょうか」
ムジャヒール語訛りの、聖教圏共通語。
サギトは衝撃を受ける。使い魔に細工をされ、自宅への侵入を許してしまった。「サギト」が影の目である事まで知られた。
ムジャヒールの妖術の凄さは聞いていたが、これ程なのか。サギトは恐怖と不安を気取られないように、努めて冷静に問う。
「なんの真似だ?邪教国の妖術使いが俺になんの用だ」
「もちろん、依頼でございます。殺しの」
サギトは目をすがめた。こいつは何を言っているんだ?言葉通り受け取ればいいのか、あるいは、罠か。だがサギトを罠にはめて、ムジャヒールに何かの得があるとも思えない。
言葉通りに受け取ることにした。
「誰を殺してほしいんだ?」
「ランバルト王国の英雄。聖教圏の守り主。我が皇帝陛下の聖戦を阻む、悪魔のごときあの男」
サギトの目がわずかに見開かれた。気取られてはならない。動揺を気取られては、足下を見られる。
「グレアムか」
「いかにも」
サギトは鼻で笑ってみた。
「ムジャヒール自慢の妖術を使って殺せばいいじゃないか」
「既になんども試みてますが、全て失敗しております。あの者は魔力が強すぎる」
「ならば俺にも無理だ。ムジャヒールの妖術で暗殺できない相手では、俺にも殺せないだろう」
「影の目様ともあろうお方が随分とご謙遜なさる」
「ただの合理的判断だ」
実際、難しいと思われた。グレアムはサギトの七割ほどの力を持っている。その力に騎士としての経験値を加えれば、勝敗は五分五分と言ったところか。金銭目的の殺しに見合う勝率ではない。
「しかし旧友であるサギト様にならば、あの男も気を許すのでは?」
流石に驚きを隠せなかった。サギトは苦笑を浮かべる。
「さすが帝国、そこまで調べがついているか。なるほど、つまり。サギトとしてあいつを殺せと?ナイフでも使ってグサリと、か?それも却下だ。俺は決して足がつくような殺しはしない」
妖術使いは口元に緩やかな笑みを浮かべた。
「ご心配無用でございます。万一、サギト様の正体が王国中、いえ聖教圏中に知れ渡ることになろうとも、問題ございません」
「どういう意味だ?」
「皇帝陛下は、あの男を殺してくださった暁には、サギト様を我が帝国の宮廷魔道士として召抱えたいとご所望です。その際は当然、ジャヒン教に帰依はしていただきますが」
サギトは息を飲む。また、動揺を隠すことができなかった。
妖術使いは口元の笑みをさらに深めた。
「サギト様ほどのお方が、いつまでそのような辺境の小国で暗殺者稼業などなさっているのです?我が帝国の中枢こそがあなたにふさわしい舞台では?」
「な、なにを言って」
「僭越ながらサギト様をお迎えするのに、我が国ほど完璧な国家はないと自負しております。世界最高の文明、世界最強の軍隊、世界最大の領土、世界最多の人口。我が国は既に、人類史上最大最強の世界帝国でございます」
「自画自賛、か」
「事実は事実、誰にも否定はできますまい。そしてムジャヒール帝国はいずれ、聖教圏のごとき周辺の蛮族国家全てを平定し、世界の全てを支配下に置きましょう。そう、史上初の世界統一国家の誕生です。その世紀の瞬間、その中心に、サギト様にいていただきたいのでございます!」
自分が何もかも失ってしまったような心地だった。
(失った?何を?お前は最初から何も持ってなどいないじゃないか)
癖のように自問して自嘲して、虚しくなる。
涙がこめかみを伝い、耳が濡れた。
その時、サギトの目の前の空間に、小さな影が寄り集まり始めた。そして影の中から紫色に発光する蝶が出現する。
サギトの使い魔だ。影の目への依頼を持ってくる役目。マフィアの事務所とサギトの間を往復する蝶。
依頼人はマフィアに影の目への依頼をし、サギトはマフィアから依頼人の情報を得る。なおマフィアはいまだに「サギト」のことは知らない。影の目がサギトだと知る者はどこにもいない。
また殺人依頼。つくづく、うっとおしいと思った。影の目を続けて金を貯め、なけなしのプライドを保ってきた。虚無を満たしてきた。
でも、もう、全部がどうでもいい。
ベッドから体を起こした。紫の蝶を捻り潰してしまおうと手を伸ばした。
が、手を止めて眉をひそめる。
自分の使い魔に違和感を感じた。
いつもとどこか違う。よく見ると、羽に文字のような文様がついていた。紫一色のはずの蝶の羽に、ミミズがのたうつような文字。
それがムジャヒール文字だ、と気づいた時。
紫の蝶が紙のようにくしゃくしゃに潰れた。と思ったら、またそれは開かれた。紙くずを開くように。開いたそれは、蝶ではなくなっていた。
サギトの目の前に大きな楕円形の紙が浮かんでいた。
肖像画だった。
独特な四角い帽子を被り、長いあごひげを生やした皺だらけの老人の肖像。
それはどう見ても、ムジャヒールの妖術使いの姿だった。
肖像画の老人が、瞬きをした。その口が動く。
「お初にお目にかかります、影の目様。いえ、サギト様と申すべきでしょうか」
ムジャヒール語訛りの、聖教圏共通語。
サギトは衝撃を受ける。使い魔に細工をされ、自宅への侵入を許してしまった。「サギト」が影の目である事まで知られた。
ムジャヒールの妖術の凄さは聞いていたが、これ程なのか。サギトは恐怖と不安を気取られないように、努めて冷静に問う。
「なんの真似だ?邪教国の妖術使いが俺になんの用だ」
「もちろん、依頼でございます。殺しの」
サギトは目をすがめた。こいつは何を言っているんだ?言葉通り受け取ればいいのか、あるいは、罠か。だがサギトを罠にはめて、ムジャヒールに何かの得があるとも思えない。
言葉通りに受け取ることにした。
「誰を殺してほしいんだ?」
「ランバルト王国の英雄。聖教圏の守り主。我が皇帝陛下の聖戦を阻む、悪魔のごときあの男」
サギトの目がわずかに見開かれた。気取られてはならない。動揺を気取られては、足下を見られる。
「グレアムか」
「いかにも」
サギトは鼻で笑ってみた。
「ムジャヒール自慢の妖術を使って殺せばいいじゃないか」
「既になんども試みてますが、全て失敗しております。あの者は魔力が強すぎる」
「ならば俺にも無理だ。ムジャヒールの妖術で暗殺できない相手では、俺にも殺せないだろう」
「影の目様ともあろうお方が随分とご謙遜なさる」
「ただの合理的判断だ」
実際、難しいと思われた。グレアムはサギトの七割ほどの力を持っている。その力に騎士としての経験値を加えれば、勝敗は五分五分と言ったところか。金銭目的の殺しに見合う勝率ではない。
「しかし旧友であるサギト様にならば、あの男も気を許すのでは?」
流石に驚きを隠せなかった。サギトは苦笑を浮かべる。
「さすが帝国、そこまで調べがついているか。なるほど、つまり。サギトとしてあいつを殺せと?ナイフでも使ってグサリと、か?それも却下だ。俺は決して足がつくような殺しはしない」
妖術使いは口元に緩やかな笑みを浮かべた。
「ご心配無用でございます。万一、サギト様の正体が王国中、いえ聖教圏中に知れ渡ることになろうとも、問題ございません」
「どういう意味だ?」
「皇帝陛下は、あの男を殺してくださった暁には、サギト様を我が帝国の宮廷魔道士として召抱えたいとご所望です。その際は当然、ジャヒン教に帰依はしていただきますが」
サギトは息を飲む。また、動揺を隠すことができなかった。
妖術使いは口元の笑みをさらに深めた。
「サギト様ほどのお方が、いつまでそのような辺境の小国で暗殺者稼業などなさっているのです?我が帝国の中枢こそがあなたにふさわしい舞台では?」
「な、なにを言って」
「僭越ながらサギト様をお迎えするのに、我が国ほど完璧な国家はないと自負しております。世界最高の文明、世界最強の軍隊、世界最大の領土、世界最多の人口。我が国は既に、人類史上最大最強の世界帝国でございます」
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