魔道暗殺者と救国の騎士

空月 瞭明

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第5話 回想/魔人(1)

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 サギトが自分に魔力があることに気づいたのは、孤児院に来て一年ほど過ぎた、十一歳の時だった。

 その日食堂で、サギトの皿の中に誰かが青蛙をいれた。
 サラダの緑色の中に見事に溶け込んでいた、その可哀相な青蛙を、サギトはフォークで突き刺してしまった。
 一匹ならばたまたま紛れ込んだだけかもしれないが、サギトの皿からは十匹は下らないだろう青蛙が、溢れるように出てきた。誰かが仕込んだことは間違いなかった。
 女子達が悲鳴をあげ、食堂中の注目が集まった。

 サギトが何かされると、毎度グレアムが飛んできておせっかいを焼くのだが、この時もグレアムは隣のテーブルからずかずかと近づいてきた。
 サギトの皿いっぱいの蛙を確認すると、周囲に向かって大声を出した。

「おい誰だよサギトの皿に蛙入れたやつ!出て来い!」

 もちろん誰も名乗り出ない。男子達はみんな困ったような顔をして肩をすくめていた。絶対にその中に犯人がいるのだが、みんな見事なポーカーフェイスだった。
 グレアムがいつもサギトのがわに立つので、堂々といじめてくる者はいなくなった。ただこうやって、こっそりと「正体不明の誰か」がやる。

 いつもならグレアムにかばい立てされることが気恥ずかしくて、サギトがグレアムをいさめて終わるのだが、この時のサギトはショックでそれどころではなかった。
 別に蛙が嫌いだったわけではない。むしろ大抵の生き物を、サギトは好んだ。動物も虫も、蛙も。人間のことを嫌いな分。
 その時サギトは、自分が蛙を殺してしまったことがショックだった。子供の頃のサギトは生き物を殺すことに大きな抵抗があった。

 サギトは自分のフォークに突き刺さっている青蛙を呆然と眺めたまま、立ち上がった。蛙を串刺しにしたフォークを手に、そのままふらふらと食堂の扉に向かった。

「お、おいサギト?」

 グレアムがサギトの妙な挙動に慌てた声を出したが、答えず食堂を抜け出した。
 食堂は独立した建物になっていて、出るとすぐ外だ。サギトは草原のほうへと向かった。

「待てよサギト!」

 グレアムが追いかけてきた。サギトの横に並んで歩きながら、

「どこ行くんだ?」

「池の水を……かけてやる。青蛙は水が好きだから、水をかけたら生き返るかもしれない……」

「えっ……。いや、もう無理だろ」

「無理じゃない!」

 そう訴えたサギトに、グレアムはびっくりした顔で口をつぐんだ。
 サギトが泣いていたからだろう。

 今なら己の言動のおかしさを理解できるが、この時のサギトは、自分が生き物をあやめたという現実が、受け入れられなかった。
 受け入れられなかったからこそ、この後に魔術を発動できたのだろうが。
 グレアムは黙ってサギトに付き合った。

 二人は森のほとりの湧き水の池にやって来た。
 サギトは池のそばにしゃがみ、蛙の腹からフォークを抜いた。グレアムに、

「俺がやるよ」

 と言われたが、首を振った。

「俺が刺したんだ」

「お前は何も悪くないだろ」

「でも、俺が刺した」

 グレアムは困ったような顔をしていた。
 いやな感触に耐えながら引き抜いた蛙を、手のひらに乗せた。
 青蛙は、仰向けになって穴の空いた腹を見せだらしなく脚を投げ出し、悲しいくらい間抜けで無様で、どう見ても事切れていた。
 現実を受け入れられないサギトは、片手を池に入れて水をすくって、蛙の死体に何度もかけた。だがそれで生き返るわけもなく。
 それでもサギトはその無意味な行為を何度も繰り返した。心の中で生き返れ生き返れと念じ続けた。

 サギトのその一念は、やがて、極めて奇怪な形で「叶った」。
 ある瞬間、青蛙の死体から、黒い糸のような煙のようなものが立ち上り始めた。
 サギトはどきりとした。グレアムも気づいて、

「え?燃えてるのか?」

 と言った。サギトは首を振った。手が熱くはなかったし、煙に似てるが煙ではないという直感があった。
 サギトの直感は正しく、それは魔術的な「影」だった。
 糸のように細い影が青蛙の体から何本も立ち上る。黒い影はどんどん増えて、やがて青蛙の体を雲のように覆い尽くした。
 手の平の上に小さな影の塊。影の塊は、サギトの手の平を離れて宙に浮かんだ。

 サギト達は震えながらあとずさった。ただ呆然と、その異様な光景を見守った。
 宙に浮かんだ影は、むくむくと巨大化していった。巨大な影の塊は、膨らみながらなんらかの形を成し始めた。

 それが蛙のシルエットだと気づいた時、影が実体化した。大きな緑色の、蛙のような何かが現れた。
 蛙のような何かは、げっぷのような音を出した。

「うっ……」

「なんだよこれっ!」

 どう見てもそれは、化け物だった。
 サギトと同じくらいの上背。横幅はでっぷりと太り、サギトよりずっと大きい。こんな巨大な蛙がいるわけがない。そして大きいだけではなく、姿形も異様だった。
 顔には真っ赤な目玉が三つついていた。てかてかした緑の皮膚は蛙らしいが、その全身から何故か無数のフォークが突き出していた。三本の鋭い先端を外側に向けて。まるでハリネズミのようだ。
 大きな口をくわと開けると、中から三本の長い舌がのぞいた。一本の舌がひゅんと飛び出したと思うと、ひらひらと飛んでいた蝶を捕まえて食べた。

 おののくサギト達の前で、化け物が言葉を発した。

「ドウゾ、ゴ命令ヲ、ゴ主人様」

 蛙らしい潰れた声で、そいつはそんなことを言った。沈黙が下りた。一刻の間を置いて、

「ご、ご主……」

 サギトはどもり、グレアムがあっと声を出した。

「もしかしてこいつ、使い魔か!?」

「えっ」

 使い魔という言葉は知っていた。魔道士が使役する、召使のようなものだと理解していた。でも今、この場所のどこに魔道士がいるというのだ。

「ゴ命令ヲ、サギト様」

 名指しされ、サギトは面食らった。ただ恐ろしかった。恐ろしくて、こう言った。

「消えろ!」

「承知ツカマツリマシタ。御用ノ際ハ、イツデモオ呼ビ下サイマセ」

 サギトの言葉は恐怖から出た悲鳴のようなものだったが、巨大蛙は命令と勘違いしたようだった。
 蛙の化け物は、影となって消失した。サギトの命令に従って。

 サギトはその場にへたり込んだ。全身が震えていた。
 化け物にご主人様と呼ばれたことも、化け物がサギトの言うことを聞いたことも、全部気味が悪かった。

「なんだこれ、一体どういう……」

  だがグレアムはサギトの両肩に手を置き興奮した声で、

「すごいじゃないか、お前!使い魔を召還したんだ!」

 サギトとは対照的に、嬉しそうに目を輝かせていた。

「そんなの嫌だ、気味が悪い。俺は魔道士じゃないのに」

「きっとお前には秘めた力があるんだ。そうだ調べよう。サギト、本好きだろ?きっと何かヒントが見つかるさ」

「本で……」

 それは良いアイディアであるように思われた。サギトはうなずいた。わけのわからないままでいるほうが怖かった。
 それにもしかしたら、実は「よくあること」なのかもしれない、と思った。サギトが知らなかっただけで、このような事象は世界中で起きている、ありふれた事象なのかもしれない、と。

 サギトたちはすぐ、孤児院の図書室に向かった。
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