転・精・者/邪神の生贄 ~地獄みたいな異世界で、僕は憧れの彼に会う~

空月 瞭明

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59話 決戦(2)

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 レンは冷たい表情で腕を振るい、その少年を振り払った。少年は簡単に床に投げ出された
 だがめげることなく、少年は再び起き上がってレンにしがみついてきた。

「絶対にヨアヒム様を殺させない!」

 レンはちっと舌打ちをし、少年の首をつかんで宙にぶら下げた。レンは手に力を込める。
 少年は苦しがってジタバタもがいた。

「ヒカ……ル……」

 腹から大量に紫の血を流し続けるヨアヒムが、呆然とつぶやいた。
 その左腕が緩む。
 ヨアヒムの左腕から、ヨルの体が落下する。

 レンは視界の端でそれを捉え、はっとする。
 ヒカルから手を離し、ヨルの体に飛びついた。

 ヨアヒムから解放されたヨルの体を抱きとめ、レンはかたく胸に抱いた。

「ヨル、ヨル……!!」

 その唇に、レンは口づけをした。微動だにしない唇に。

「ごめんな、守るって言ったのに、誰にも指一本触れさせないって約束したのに……!守ってやれなくて、ごめん……!せめて仇を、仇を討つから、今からヨアヒムを殺してやるから!」

 人形のように動かないヨルを、レンはそれでも美しいと思った。愛おしいと思った。
 自分が無力だったせいで、ヨルをこんな体にしてしまった。

 腕と脚を切り落とされ、決壊させられ。
 想像を絶する陵辱と虐待が、ヨルの身に加えられたのだ。

 ――俺が無力だったせいで。

 目の前につきつけられた残酷すぎる現実に、気が狂いそうになる。だが懸命に堪えた。

 まだ、狂ってはならない。狂うのはヨアヒムを殺してから。
 
 レンはヨルの体をそっと床に横たえ、ヨアヒムに向き合った。

 血を流しながら床にうずくまるヨアヒムの体を、ヒカルと呼ばれた紫の髪の少年がかき抱いていた。

「どけ、転生者。邪魔するならお前から殺す」

「いやだ、どかない!殺したけりゃ殺せよ、僕は絶対にここをどかない!」

 レンは侮蔑するように、ふんと鼻を鳴らし剣を抜く。その首を切り落とすべく、剣を振り上げた。

「やめてくれ勇者っ……!」

 しわがれた掠れ声で、嘆願したのはヨアヒムだった。

「ヒカルを……殺さないでくれ……」

 レンはぴたと手を止める。
 ヒカルは息を飲んだ。信じられないという表情で、胸に抱いたヨアヒムを見つめる。
 苦しげに息をつく美しい邪神を。
 
 レンはくっと笑った。凶暴で凄惨な笑みだった。

「いいね、あんたでもそんな顔をするんだな、ヨアヒム!こいつをますます殺したくなった!」

 レンが再び剣を振りかぶった、その時。

 ヨアヒムは己の額の目に、自らの指を突き刺した。

「!」

 レンは目を見張った。ヒカルも。
 二人はあっけにとられて、その理解しがたい行動を見つめた。

 ヨアヒムの額から紫の血が吹き出す。
 三本の指がその邪眼の眼球を、引っ張り出して引きちぎった。

 ヒカルの絶叫が響く。

「ヨアヒム様あああっ!」

「お前、何を……」

 剣を振り上げたまま顔をしかめるレンに、額に穴を開けたヨアヒムはうっすらと微笑んだ。自らの眼球を手のひらに転がしながら。
 
「ヒカルを殺すなと……言っている……」

 レンは奥歯をギリと噛み締めた。
 ヨアヒムにすがりつきぼろぼろと泣く少年を見下ろし、振り上げた剣をふるふると震わせた。
 
 レンは、この場をこの少年の血で染めたかった。

 ヨアヒムの面前でこの少年を殺し、思う存分切り刻んでその死体すら辱め、その血肉を足の下に踏みにじり、ヨアヒムを嘲笑ってやりたかった。
 大切なものを壊される苦痛を、自分と同じ苦痛を、ヨアヒムに味あわせてやりたかった。

 葛藤し、葛藤し、叫ぶ。

「くそったれ!!」

  レンは音を立てて剣を床に振り下ろした。剣を叩きつけられた床の石材が砕け散る。わななきながら、レンは剣を鞘に納めた。

 ヒカルは大粒の涙を流しながらヨアヒムの頭を抱きしめた。

「ヨアヒム様、僕なんかの為にっ……!愛してます、愛してます、あなたに会えて僕は本当に幸せです……っ!」

 目をつむりその腕に抱かれるヨアヒムは、幸福そうでもあった。

 レンはハッとため息をつき、その不愉快な光景に背を向ける。二人ともぐちゃぐちゃの肉片にしてやりたい衝動を懸命に抑えて。

 床に横たえていたヨルの体をそっと抱きあげた。

 その何も映さない瞳を見つめ、レンの目から涙がこぼれた。
 抱きしめて、耳に囁く。

「ずっとそばにいるからなヨル。俺はずっとお前のものだ……」

 もう決してヨルを離すまい。生涯そばにいると心に決めた。
 何も答えないヨルに、それでも毎日話しかけよう。毎日毎日抱きしめてキスをしよう。
 ヨルだけを愛し、生きていこう。

 不完全燃焼の心地ではあったが、復讐は果たした。

 額の邪眼が失われたので、ヨアヒムの邪神としての力は失われた。
 もはや肉体の再生能力もない、ただの人だ。
 レンの剣による腹の傷は塞がらず、血が流れ続けて、程なく死ぬ。

 邪神の力によりこじ開けられていた時空の穴も閉じるだろう。
 そして元の世界と繋がっていた帰還の門は……。

 レンの心に疑問がわく。
 そうだ、帰還の門は、どうなるのだ。

 ヨアヒムがかさかさの声を出す。

「戻るなら急いだ方がいいぞ、勇者……。私の邪眼が潰れたので、私の力により維持されてきた様々な術がこれから漸次、失われていく……。帰還の門の力もな……。私が生きていれば術はしばらく維持されるが、私が死ねば瞬時に、門は永久に閉ざされる……。元の世界に戻れば……ヨウの壊れた体も心も、回復する……」

 レンはヨアヒムを振り向いて固まる。
 
 なん、だって?
 ヨルが戻ってくる、だと?

 レンは息も絶え絶えな邪神を見据えた。

 レンは、元の世界に戻っても、肉体は回復しても壊れた魂はそのままなのかと思っていた。
 心まで復活するというのか、全てが元どおりに。

 レンは拳を握りしめる。
 クソッ、なんでこんなことをしなきゃいけないんだ、と思った。
 だが、しかし。

 レンはヨアヒムに手をかざした。

 ヒカルが警戒してレンを睨みつける。

「よ、ヨアヒム様に何をっ!」

 レンの手から、治癒魔法が放たれた。
 ヨアヒムの腹の傷が薄れていく。

 えっ、とヒカルが驚く目の前で、ヨアヒムの青ざめた顔色に色艶が戻っていく。

「こっちの時間稼ぎだ、首の皮繋がってよかったな、死に損ないが!回復してやったんだから、洞窟と扉の封印を解除しろ、それくらいまだできんだろ!」

 ヨアヒムは微笑した。

「分かった、解除する。さらばだ勇者よ。ヒカルを生かしてくれてありがとう。そして花嫁に、すまなかったと、伝えてくれ……」

 くそったれ。

 もう一度、悪態を囁き、レンはヨルの体を抱き、部屋を立ち去った。

 帰らねば。戻らねば。
 ミルドジャウ山へ、帰還の門へ、その先の日本へ。
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