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第3話 御山
しおりを挟む「あいにく東国には知り合いがいない。ここに泊めてくれないか?」
「うちはご覧の通りの狭さだぞ。体の大きなお前には気の毒だろう」
「うむ。では、庭を借りよう」
穀神が指を鳴らすと、即座に見事な御殿が建った。子どもたちが歓声を上げ、目をきらきらと輝かせている。
「宮に来たい者はおいで」
肩や背中に子どもたちを乗せて、穀神は機嫌よく家を出た。そう言えば、幼馴染みは昔から子ども好きだったと思い出す。竈神の側に残ったのは、二番目の焔と末子の燠だけだった。
「何だか⋯⋯、寂しいなあ」
二人の子を自分の布団に入れて抱きしめた。酒の酔いが回っていたのかもしれない。いつの間にか、竈神は夢を見ていた。大神の末子に生まれて、宮でかしずかれていた頃の。
年に一度、あらゆる神々が集まる神在月に、東国からやってきた若い神がいた。賑やかな宴の途中で抜け出せば、ぽつんと中庭に立っている。
「東国も西国も、月の姿は変わらないな」
涼やかな笑顔から目が離せない。一月の間、いつも彼の姿を追っていた。どうしても離れたくなくて、無理やり東国までついて来た。
想いを交わして、次々に子どもが生まれて⋯⋯。
「⋯⋯会いたい」
ひっそりと呟く竈神の声は、誰にも届かない。
翌日は、見事な晴天だった。
穀神は子どもたちと輪になって遊んでいる。肩や背に乗ったまま離れない子もいて、子どもたちはすっかり懐いていた。
「お前の料理は、どれも美味い」
「こんな粗食ではなく、郷里でたんと美味いものを食べているだろうに」
そう言いながら、何を食べてもにこにこと微笑む姿に、竈神は励まされていた。朝食の後に畑に出ると、穀神が地に向かって、静かに祈りを唱える。
「春になったらたくさんの芽が出るように、大地に恵みを授けておこう」
「ありがとう。助かるよ」
東国には、西国に比べて神が少ない。穀神が恵みを与えてくれれば、大地の実りは増す。穀神は、竈神の家の周りだけでなく、山裾の村にも足を延ばした。普段は竈神から離れない末子の燠が、穀神の背中にぺたりと張り付いている。
荒れた土も穀神がとん、と足先で触れれば、見る間に養分を含んだ土に変わる。背中に幼子をおぶったまま、穀神は楽しそうに村中の畑を巡った。
「家々に恵みが増えれば、お前のところに供え物も増えるだろう」
幼馴染みの優しい言葉に、竈神は胸をつかれた。
あっと言う間に日が暮れる。庭の御殿にもう一日泊まるという穀神に、子どもたちは大喜びだ。昨夜と同様、二人の子を抱きしめて、竈神は小さく息をついた。
「何だかもう、郷里に帰ってもいいような気がしてきた⋯⋯」
いや、待て待てと竈神は頭を振る。
自分がこの地を留守にしたら、人々はどうなる。
初めて東国の地を踏んだ時、家々の竈の火は弱かった。老いた火の神は消える寸前。思わず神力を使って竈の火をおこせば、あちこちから人の喜ぶ声が聞こえた。消えた神の代わりに、それからずっと、自分は竈神の務めを担っている。
竈神が、うとうとした時だった。
どん!と家が揺れた。
「かあさま!」
「燠?」
「かあさま! とうさまが⋯⋯」
「父様がどうした!」
叫ぶ子を抱えて飛び起きれば、竈から小さな声が聞こえた。
火の粉がちりちりと叫ぶ。
『主よ、主。御山が揺れています』
御山には、あいつがいる。俺の──迦具が。
「焔!」
まどろむ息子を揺り起こして、竈神は言った。
「いいか、今から俺は父様の元へ行く。何があっても竈の火を絶やすな。皆で力を合わせて竈を守るんだ」
竈神は、末子の燠を焔に渡した。台所に走り、竈に大きく息を吹きかける。はじけるように火の勢いが強くなり、台所が真昼のような光に満ちた。
「決して火を絶やすな! 俺が戻るまで」
『⋯⋯承知』
火の粉がはじけて、ぱちぱちと応える。
竈神の瞳に炎が揺らめき、髪が赤金に色を変える。見る間に全身が炎に包まれて消えた。
「か、母様は、どこへ」
「おやまのそこのそこ。とうさまがいるところ」
「燠⋯⋯」
「あにさま、いこう! みんなにしらせなきゃ」
末子は兄の腕の中からぴょんと飛び降りて、ぐいぐいと手を引いた。
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