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番外編 王太子妃になり損ねたオメガ
6.惜別の日③
しおりを挟むその後も何度も王太子の元に通い、連れ立って過ごすことが多くなった。奥庭で食事をしたり、買い物に付き合ったりと日に日に距離が近くなる。いつでも共にいる相手など兄しかいなかったので不思議な気持ちだった。シセラの宮廷の作法はよくわからなかったが、いつの間にか他国で長年留学生活をした為に疎いことになっている。そんな余裕など、どこにもなかったのに。
王族の使者は度々僕の元に訪れて、細かな注文をつけるようになった。もっと気ままにふるまえ、王太子に接触しろと。言われるままにするほど、兄に送金される額が増えていく。兄からはもう十分だ、早く戻って来いと手紙が届いた。
僕は兄の言う通りにシセラを去ることにした。兄や王太子の瞳と同じ色だと選んだピアスをどうしようかと思った。そのまま捨てようと思ったが、ふと、美しい彼の元に送ってみたくなった。
あの時、僕の中には確かに悪意があったのだ。
何も知らず美しいままに生きている彼。苦労知らずで誰からも愛されている彼。そして、僕のことなど記憶の片隅にもない彼。
そんな彼の中に、一つの染みとなって残りたかった。ただ同時に、名前も書かずに送り付けたものが本当に彼の手に渡るとは思えずにいた。彼が手にする前に廃棄されてしまう可能性が高いだろう。
僕はピアスを送った後、兄にじきに戻ると手紙を書いた。自分が他人に書かれた物語の駒になっており、もう逃げ出すことなどできないのだと思いもせずに。そうして断罪の日を迎えたのだ。
過去を思い出すうちに足の痛みが激しくなり、今夜は熱が出るかもしれないと思う。この体はそう長くはもたないだろう。人知れず、ここで最期を迎えるのかと涙がにじむ。
「竜だ! 北の塔に竜が現れたぞ!」
誰かの叫び声が響き渡り、牢の中がにわかに騒がしくなった。多くの兵士が一斉に走り出す。
何が起きているのか、地下牢の結界が急に緩んだのが分かった。これはまたとない機会だ。今なら、この牢を抜け出せる。こんな機会はもう二度と巡ってこないだろう。
多くの兵士が走っていった後、一人遅れて歩いていく兵士がいる。真面目だがいつも他の兵士に仕事が遅いと怒られている若い男だった。
少しでも目を合わせることができれば、魅了魔法が使える。今しかない。牢の前を通り過ぎていく男を見て、大声を上げた。
「うわああ! 助けてぇ!」
若い兵士が驚いてこちらを振り返る。僕は床を這うようにして鉄柵にたどり着き、立ち上がって叫んだ。
「ひいっ! ま、魔物がっ」
兵士は一瞬とまどったものの、急いで戻ってきた。
「ここには結界が張られている。魔物なんて入れるわけが……」
すぐ目の前に来た兵士としっかり目を合わせた。彼の心は驚くほど澄んでいた。じっと見つめていると、焦げ茶の瞳がとろりと溶けて焦点が合わなくなる。僕の使える魅了はそう強くはないが、弱いわけでもない。彼に望むのはこの牢の鍵だ。鍵を開けて僕を外に出してくれ。そして、何をしたか全てを忘れろ。
ふらふらと兵士は鍵を取りに戻り、牢を開けた。僕は砕かれた左足を引きずって、小さな扉をくぐる。弱り切った体とこの足で、どこまで逃げられるかわからない。それでも、牢の中で朽ち果てるのは嫌だった。どうせ死ぬのなら、真っ青な空を見てから死にたい。……兄の澄んだ瞳のような。叶うならば、もう一度兄に会いたかった。
ふらつきながら歩き出した僕の体に、ばさりと長衣がかかる。顔を上げれば、兵士が黙って僕に肩を貸してきた。
魅了がどこまでこの男にきくのかわからないが、この地下牢を抜け出しさえできればいい。よほど大きなことが起こったのか、兵士たちは一人も残っていなかった。階段を上り、通用口の一つから外に出た。
頭上に真っ青な空が広がる。雲一つない青空に、天を塞ぐほどの大きな影がよぎった。
――竜。
光り輝く竜が空を飛ぶ。断罪された日と今日とで、竜を見たのは二度目だった。美しい竜は翼をひらめかせて大空を翔けていく。
――あの背に乗ることができるのは、身も心も美しい者だけだ。
ほんの少しだけ胸の奥が痛む。これは憧れか羨望なのか。
遠い日に自分の手を握ってくれた少年の姿が目に浮かぶ。断罪の日に竜の背に乗った彼には、天の高みを翔ける姿がふさわしかった。
竜の姿は瞬く間に一つの点になる。
空の彼方に消える姿を見つめながら、僕は土の上へと一歩を踏み出した。
★メイネの物語にお付き合いいただきありがとうございました!
次はレオン&フロル(+カイ)の番外編です。
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