上 下
29 / 43
番外編 王太子妃になり損ねたオメガ

3.幼き日③

しおりを挟む
 
 たくさんの大人が、父の公爵と長兄の間に佇む一人の少年に礼をとる。それに彼が微笑んで何か答えるたびに、賑やかな笑い声が起こるのだ。兄に自分たちも挨拶に行こうと言われた時、僕は怖気おじけづいた。あんなに綺麗な生き物に何を言っていいのかわからない。兄がいるから、僕は何も言わなくてもいいのだろうか。

 自分たちが挨拶をする番になった時、僕は緊張してかちこちになっていた。兄が一通りの口上を述べる間、紫水晶の大きな瞳はきらきら輝いて僕を見ていた。思わず見とれてしまって、兄が僕に言葉を促しているのにも気づかない。目の前の少年が一歩踏み出して、安心させるように僕の手を握った。

「今日はありがとう。ゆっくりしていってね」

 僕はただ黙って頷くだけだった。顔がやたら熱くて仕方がない。
 挨拶がすんで兄や大人たちが話を始めると、僕は広間の隅に並べられた椅子に座って果実水を口にした。喉が潤って一息ついていると、目の前がさっと暗くなる。美しい身なりの少年たちがじっと僕を見ていた。

「ねえ、君はどこの家の子?」
「さっき、フロル様に何て言われたの?」
「手を握られてたでしょう。仲がいいの?」

 矢継やつばやに質問されて、僕は何度も瞬きをした。答えない僕にれた一人の少年が、僕の手を取って近くのバルコニーへ連れていく。バルコニーには大人は誰もいなかった。
 質問攻めは続き、僕がなんとか自分の名を答えると、一番背の高い少年がふんと鼻を鳴らした。

「ヘルマン? あの落ちぶれ伯爵の?」
「そういえば、身に着けている物も何だか古くさい」

 自分の家や服を馬鹿にされた言葉に、かっと頭に血が上った。初めて会ったばかりの彼らに、なんでこんなことを言われなくてはならないのか。
 兄を探そうと走り出すと、背の高い少年が僕の前にさっと足を伸ばした。あっと思う間もなく、その足に引っかかってバルコニーの床に転がる。たちまち笑い声が起こり、痛みと恥ずかしさで目の奥が熱くなった。ぽろりと涙がこぼれた時、駆け寄った少年に体を抱き起こされた。

「大丈夫?」

 銀色の髪が揺れて、紫水晶の瞳が心配そうに僕を覗き込んでいる。僕は大丈夫と答えるのが精一杯だった。彼はほっと息をつくと、近くの使用人を手招いた。小声で一言囁くと、すぐに使用人が走っていく。

「医師に診てもらおう。隣の部屋に控えているから」
「お医者様? そんな……」
「でも、どこか打っているかもしれない」

 こんなことで、と言いかけた言葉が喉の奥でつかえた。母に医師を呼ぶたびに、いつも大変なお金がかかる。だから、僕の家ではそう簡単に医師を呼ぶことができない。薬草に詳しい乳母が作る薬で怪我も病気もしのいできた。

 僕に足を出して転ばせた少年が、震えながら声をかけてくる。

「フロル様、あの、その子が勝手に……」
「君は彼に謝罪するべきだ。卑怯な真似をしたんだから」
「えっ」

 バルコニーには緊迫した空気が流れ、すくみ上がった少年が僕に謝罪の言葉を告げた。
 ちょうど僕を探していた兄が、バルコニーまでやってきた。僕の手を握っている相手を見て兄は動揺し、何があったのかと聞いた。僕はすぐに兄の腕の中に飛びこんだ。

「……もう帰りたい」

 そう言った途端に涙が出た。兄の腕の中で、ただ帰りたいと繰り返した。心配してかけられる声も少年たちの泣き声も、もうどうでもよかった。兄はうろたえつつ頭を下げ、僕を抱えてその場を退出した。
 何があったのかと何度も兄に聞かれたけれど、僕は何も言わなかった。その日僕が受けた痛みはその後も長く続いた。それは初めて知った痛みだった。

 あの美しい少年と僕は違う。着飾った少年たちとも違う。
 一人の人間の価値は決して同じではない。それは家格や財産によって勝手に決められてしまうのだ、と。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭

マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

本当に悪役なんですか?

メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。 状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて… ムーンライトノベルズ にも掲載中です。

婚約破棄?しませんよ、そんなもの

おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。 アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。 けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり…… 「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」 それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。 <嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>

回帰したシリルの見る夢は

riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。 しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。 嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。 執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語! 執着アルファ×回帰オメガ 本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます。 物語お楽しみいただけたら幸いです。 *** 2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました! 応援してくれた皆様のお陰です。 ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!! ☆☆☆ 2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!! 応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。

処理中です...