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36.ダンスと令嬢

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「スフェン、今日はよろしくお願いします」

 緊張しすぎて体中カチコチだったが、深々と頭を下げた。久々に会ったスフェンは、緩やかに金髪をなびかせ気品に溢れていた。上着には豪華な金の刺繍だけでなく細かな宝石が縫い込まれ、宝石はスフェンの瞳と同じ色だ。易々と着こなす様は正に貴族。公爵令息は優雅に首を傾げた。

「……前から一度聞きたかったが、それは君の国の挨拶なんだな」
「えっ?」
「ヨロシク…と、ユウがよく言うだろう。その度に真剣な顔をするから、大事な挨拶なんだと思って」
「うん。俺の国ではよく使うんだ」
「では、こちらも。今夜はヨロシク、ユウ」


 スフェンの笑顔と差し出された大きな手は、緊張を和らげてくれた。
 夜会の行われるのは専用の大広間だと聞いて、自分がこの王宮のことをろくに知らないのだと実感する。王宮内を移動するだけなのに、歩くと結構な距離があった。

 二人で廊下を進む間も、あちこちから頭を下げられる。スフェンが言うには身分の低い者から高い者へと声をかけることは出来ない。公爵令息であるスフェンが伴っている以上、俺に気軽に声をかけられる者はいなかった。

「ユウ、ここからは手を」
「えっ」
「入室時には相手がわかるように、手を握るか腕を組むんだ」

 大きな扉の前で深く頭を下げた人々の前を通る。スフェンが優しく手を取ってくれなければ、緊張でつまずいてしまいそうだった。

 大広間の中に入ると、部屋の壁には燦然と輝くシャンデリアのように魔石が煌めいている。もう夕暮れだというのに、隅々まで真昼のように明るかった。

 天井には女神と精霊たちが美しく描かれ、はるか奥には一段と高くなった場所に玉座があった。色とりどりのドレスに身を包んだ女性たちはまるで花か蝶のように美しくて、自分がその中にいることが不思議だった。今までも夢みたいだと思うことは多かったけれど、まるで映画の世界に入ったようだ。

 広間の中に進むと、あっという間にスフェンの周りには人が集まって来る。次々に紹介されて、よくわからず愛想笑いをしていると、大きくファンファーレが鳴り響いた。人々の間に大きな拍手が沸き起こる。

 王族の入室だった。国王に王妃、王子たちが席に着く。あっという間に飲み物が配られ、俺も勧められるままに細長いグラスを受け取った。宰相の挨拶と共に皆がグラスを掲げ、夜会が始まる。
 スフェンと一緒にいると、いよいよ質問攻めに遭いそうだったので、俺は目立たない壁際へとそっと移動した。

 音楽が変わり、中央ではダンスが始まった。流れるように美しい人々を見ながら、ため息をつく。

「踊らないんですか?」

 声をかけられて、自分にだとは気づかなかった。えっと顔を上げると、吸い込まれるように美しい藍色の瞳があった。肩までの銀色の髪がさらさらと揺れる。美しい顔立ちに思わず見惚れてから、男性だと気がついた。

「……えっと。踊れないので」

 正直に答えると、相手の口元に笑みが浮かぶ。

「少しも?」
「はい。こんな……ダンスはしたことがないんです」
「それは珍しい」
「俺の知っているダンスとは違うから」

 確かにこの国の夜会に出席するような身分の者でダンスも踊れない人はいないのだろう。でも、俺の踊れるダンスは、こういうのじゃないんだよね。

「お酒も苦手なようですね。少し待って」

 手にした酒が少しも減らないのを、彼はすぐに見て取った。片手を上げると、さっと人がやって来る。

「こちらの方に飲み物を。酒は苦手なご様子だ」

 あっという間に、飲み物が並んだ盆が運ばれてきた。どれもアルコールが入っていないと聞いて、手近なオレンジ色のグラスを受けとると爽やかな甘みがあってほっとする。

「美味しい」
「よかった。……それはオーラの果実を絞ったものです。この国は果実が豊富なのですよ」
「ああ、そうですよね。市場にもたくさんの果物があった」
「……そういえば、あの素晴らしい品は市場で見つけた果実からお作りになったのでしたね。ご活躍は耳にしておりますよ、客人殿」

 思わず相手を見上げると、にこやかに微笑んでいる。

「あの、あなたは……」

 思わず話しかけようとした時だった。大広間がわっと賑わった。
 中央で踊っている令嬢を見て、どこかで見たと思った。一緒の男性とぴたりと息が合ったダンスは、見惚れるほど綺麗だった。

「おや、あれはソノワ伯爵家の兄妹。相変わらず見事だ」

 ──ソノワ伯爵令嬢。

 ドクン。
 大きく心臓が鳴った。その名前は聞いたことがある。
 市場でジードが令嬢を庇っていた姿が鮮やかに浮かび上がった。

 そうだ。彼女は……ジードの許嫁だ。
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