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32.一歩、前へ
しおりを挟む――興奮に覚醒。
レトとゼノは黙りこくっているし、俺は言葉もない。
……あまりにも、この身に覚えがありすぎる。ポンと浮かんだジードの顔を慌てて打ち消した。
「ああ、そういえば、客人殿は第三騎士団の騎士にピールをお渡しになったとお聞きしました。魔獣と戦う前にはかなり効果的だと思われます」
「それって、戦う前に食べるといいってこと?」
「はい。魔力が一気に増大しますから、勝負に出たい時に口にすれば、大変役立つはずです」
……ジードの役に立つ?
そうだったら、どんなにいいだろう。
俺は膝の上に揃えた手を、ぎゅっと握った。
ジードたちは南部の最前線に着いたらしいが、その後の連絡はない。俺は起きた時と寝る前に、部屋で一人、ジードの無事を祈っている。
「今回は結果だけをお知らせしようと思ったわけではありません。客人殿にお願いがあります」
ラダが身を乗り出してくる。
「ぜひ、件の食べ物……ピール作りをこちらで行ってはいただけませんか? 必要な物も場所も、全てご用意させていただきます」
「俺に、ピールを?」
「ええ、実際に作っていただいた物を、ここでもっと詳しく研究したいのです」
――うまく増産出来れば、魔獣との戦いに劇的な効果があるかもしれない。
俺は、それを聞いてしばらく考え込んでいた。
「もし、俺の作ったピールに魔力を上げる効果があるなら。……協力するための、条件があります」
ラダの瞳が丸くなった。
「ユウ様、本気なんですね」
王宮に戻ると、レトがじっと俺の目を見る。
「うん、元々、スフェンに公爵家のレシピを借りたのも自立するためだったし」
「異世界人が王宮を出るには後見人が必要です。後見人が決まれば、いくらでもユウ様の自立を援助するはず。もちろん、ユウ様の後見には何人もの有力な貴族が手を挙げております」
レトやスフェンの話では、異世界人の後見人になることは、貴族たちにとっては一種のステータスらしい。後見人になれる者は人柄・家柄・財産の三つが申し分ないことが必須条件だという。希少な異世界人を王から預かることが出来るのは信頼の証。さらに異世界人がなにがしかの発見や技術をもたらせば、それは格好の話題になり、後見人にも利益を与える。
「後見は心強いけど、俺はこの世界でごく普通に生活できるようになりたいんだ」
だから、ラダに言った。
――研究所で働く時間分の報酬が欲しいと。
元の世界に戻れるのかわからないなら、一人で生きていかなきゃならない。先立つものは、どこにいても必要だ。
「ピールは作るし、ここまでやってきた作り方も教える。出来たものが役に立つのなら、騎士たちや国の為に使ってほしい。俺は、実際に自分がピールを作って働いた分だけ、報酬をもらおうと思う」
「……ユウ様」
「変かな。レトにもたくさん協力してもらってるし、王宮で世話になってるのに」
「何も、おかしくはないですよ。研究所は国の管轄ですが、あそこでユウ様が働く必要はありません。労働には対価が必要でしょう。……ユウ様は、本当に一歩一歩、前に進もうとしてらっしゃるんですね」
「レトが色々教えてくれたおかげで、何とかやっていけそうな気がするんだ」
この世界での生き方を教え、いつも明るく励ましてくれたのはレトだ。レトは顔をくしゃくしゃにして、下を向いてしまった。
「ジード、俺、この世界に来て初めて、働くことになったんだ」
俺は、テーブルの上の花に話しかけた。本当は、ジードの無事を女神に祈るための花なんだけど、ついつい話しかけてしまう。
花を飾るようになったのは最近だ。ジードが魔獣との戦いに行ってしまってから。
ジードが無事かどうかが気になって、ずっと落ち着かない俺を見かねて、レトが声を掛けてくれた。
「大事な人の無事は皆、女神に祈ります。私たちの世界では、全ての生き物は海から生まれたと言われています。ですから、人々は海の女神トリアーテへの祈りを欠かしません」
レトにそう聞いてから、俺はこの世界の女神様に祈ることにした。女神様は花が好きだと聞いたから、王宮の庭の花をこっそり頂戴して、小さなグラスに挿している。
そこに朝晩、ジードが元気でいますようにと祈る。祈り方もよくわからないから、両手を合わせるだけだ。元の世界では正月と入試の時しか神社に行かなかった俺だけど、最近は毎日真面目に祈ってる。
異世界人の祈りでも聞いてくれるのかな? と思った時に、じいちゃんの言葉が浮かんだ。
「神様ってのは、人間の細かい気持ちなんか気にしないもんだ。だから神様なんだからな。じっくり自分の心と向き合って祈るんだ」
そうだよな、じいちゃん。魔力のない俺でも、祈ることは出来る。
――女神様、俺の大事な人を守ってください。俺も、この世界の役に立つように頑張るから。
窓から入った風で花が揺れる。
ひらりと揺れた花が、頷いてくれたような気がした。
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