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第四部 婚礼

第46話 ◆番外編おまけ◆ イルマ、子どもになる!①

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 それは何の前触れもなく起きた出来事だった。敬愛する女神は果たして、私に恩寵を授けられたのか、たまたま悪戯な御心をお示しになられたのか。人であるこの身にはわかるはずもないが、ただ一つだけ確かなことがある。

 ⋯⋯目覚めたばかりの私の隣にいるのは、五つになるかどうかという幼子だった。

 丸い瞳にふっくらした頬の子どもがすやすやと眠っている。髪は栗色で柔らかく、まるで子猫の毛のようだ。呆然と見守っていると、幼子は体をふるりと震わせた。小さな手で目をこすり、ふわあと一つあくびをする。その後、両手を頭上にぴんと伸ばした。
 子どもが身に纏っているのは、私の伴侶の寝衣だ。まるで上掛けのように体にゆるゆると巻き付き、その様が何とも愛らしい。
 目をこすっていた幼子が、むくりと起き上がった。

 ⋯⋯まさか。

 心が震え、ごくりとつばを飲み込む。
 幼子はぱちぱちと瞳を瞬きながら、くるりと辺りを見回す。起き上がっていた私を見て、目を見開いた。そして、不思議そうに聞いてくる。

「だあれ? かみのけ、きらきら」

 たどたどしい言葉も、何とも愛らしい。
 小さな手は、私の髪にそっと触れた。彼の瞳こそ、誰よりもきらきらと輝いている。世に二つとない黄金の瞳。食い入るように見つめる私に、幼子はにっこり笑った。

「めがみさまみたい」

 私が震えながら両手を広げると、幼子は、ぽすんと胸の中に入ってきた。まだ眠いのだろう。目をこすりながら私の胸に体を預けてくる。そっと抱きしめれば、頬をすり寄せる。

 ⋯⋯何という警戒心のなさだ。どれだけ愛されて育ったら、こうなるんだ?

 私は衝撃に言葉もなかった。

 コンコン、と扉を叩く音がする。
 はっとして、胸の中の幼き者をしっかりと抱きしめた。



「シェンバー殿下! どうぞ、その方をこちらにお渡しください!」
「嫌だ! 私が面倒を見る!」
「何を仰います! 主の世話をするのは臣下の役目です!」
「今回は特別だ。誓いを交わした相手の面倒を見ることこそ、伴侶の役目だろう!」

 部屋の中に入って朝の挨拶を告げた侍従は、私たちを見て目を丸くした。しかし、先日のこともあり、彼はすぐに状況を見てとった。
 腕の中にいる可愛らしい生き物を、例え伴侶の侍従であっても渡すものか。私は自分の膝に幼子を抱えたままだ。

 美貌の侍従にまなじりを吊り上げて睨みつけられたのは初めてだが、一歩も引く気はない。

「お言葉ですが、そのままでは、御着替えすらままならないではありませんか?」
「では、其方がよさげな服を用意してきてくれ。私はこの子と共に待っている」

 火花が放たれた気がした。
 ここで気圧けおされてなるものか、と思った時だ。じっと、侍従を見つめていた幼子が口を開いた。

「⋯⋯ルチア?」
「セツ、セツです! イルマ様ッ!」
「ルチアじゃないの? あれ、セツがいないよ。まだ起きてないのかな⋯⋯」

 きょろきょろと辺りを見回す幼子に、侍従は、うっ、と言葉を詰まらせた。
 年端もいかぬ子に、この状況がわかるはずもない。何しろ、自分たちでさえ、何故こうなっているのかわからないのだ。私は膝の上の子の体を、くるりと自分の方に向かせた。

「えっと、イルマ?」
「うん。ぼく、イルマだよ」
「私はシェンだ。その⋯⋯、イルマはいくつなんだ?」
「このあいだ、5さいになったよ!」

 嬉しそうに小さな手をぱっと広げて話す姿に、胸の奥がぎゅっと掴まれる。何だ、この愛おしさは。

「ッ! イルマ様!」

 泣きそうな声が聞こえる。目の前に、倒れそうになりながら胸を抑えている者がいる。私はなんとか言葉を絞り出した。

「⋯⋯そうか、5歳になったのか。大きくなったな」
「うん! ちちうえやあにうえたちもそういってた! あのね。みんながおくりものをくれたから、おかえしに、うたをうたったの」
「歌を⋯⋯」
「みんな、よろこんでくれたよ。えっと⋯⋯、シェンもききたい?」

 思わず強く頷くと、傍らのセツも何度も頷いている。

「じゃあ、うたうね!」

 コンコン、と扉がもう一度叩かれる。

 セツが大急ぎで出て行くと、顔を出したのはレイとイルマの騎士だった。中に入ってきたレイは、私と幼いイルマをかわるがわる見て、茫然としている。
 黒髪の騎士は、幼子だけを見つめて目を瞠っていた。

 腕の中の幼子が、するりと腕の中から抜け出した。まるでドレスのように寝衣を引きずりながら、騎士のところに、とことこと歩いていく。ぴたりと立ち止まると、騎士を見上げた。

「サフィーに、にてる」

 騎士は、さっと幼子の前に跪いた。

「殿下の知っている方に、ですか?」
「うん! サフィーはね、さいきんぼくのところにきてくれるの。いろんなことをしってるんだよ!」
「⋯⋯私も、サフィーと呼ばれております」
「おんなじ!」

 嬉しそうに笑う子に、騎士も微笑む。何と言うことだろう。幼い彼の中に全く存在感のない私では、勝ち目がないではないか。
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