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第四部 婚礼

第39話 シェンバー、子どもになる②

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「そ⋯⋯う、なんだ。今回は頼まれごとがあって、二人でガゥイに赴く約束だった」

 しかし、これでは無理だ、と言おうとした時だった。

「ガゥイ! 市場のある町だろう? 行きたい!」
「え? 行ったことがない?」
「治安が悪いからと許されなかった」

 そういえば、近年シェンが出向くようになるまで、交易の町の治安はよくなかった。王子たちには危険だとされたのか。
「今回は、やめようかと思うんだ⋯⋯」
「ガゥイに私たちを待つ者がいるのではないのか?」
「⋯⋯うん」
「約束をたがえる者は、賢哲にあらず。民の上に立つ王子が、人の期待を裏切るのか?」

 思わず呻いてしまった。何だって、こんなに口が回るんだ⋯⋯。
 眉を吊り上げてぼくを見る瞳は、きらりと輝いている。幼いとはいえ、目を奪われた。

「⋯⋯確かに、約束は守らないといけない」
「そうだろう! ならば、まずは腹ごしらえだ!」

 ぼくの後ろで呆然としているセツに、少年は堂々と朝食を要求した。





 他の誰をごまかすことが出来ても、彼だけは騙せない。
 シェンがレイの持ち帰った服に着替えている間に、ぼくは外に出た。幼いシェンが彼に会う前に話をつけておかなくては。
 ちなみにレイは、ぼくの話を聞いてまじまじとシェンを見た途端「おいたわしい!」と床に伏せて号泣した。仕方なくセツが、シェンの着替えを手伝っている。

「サフィー!」
「イルマ様、いつでも出発できます」

 朗らかな笑顔に何と話したものかと悩む時間は一瞬だった。ぱたぱたと軽い足音がして、はきはきとした声が背にかかる。

「イルマ王子、一人で先に行ってしまうなんてひどいじゃないか!」
「ひっ!」

 早すぎるだろう! と振り返ると、丁度いい大きさの服を着た少年は、一目で貴人だとわかるほどの気品を備えていた。
 サフィードが息を呑む。ああ、間に合わなかった。

「この方は、まさか」

 見る間に瞳が細められ、騎士の背に青白い炎が見える気がした。あれは殺気だ。なぜ?

「シェンバー王子の⋯⋯?」
「へ?」
「まさかそんなことはと思っていましたが、過去の所業を考えれば、可能性がないとは言い切れません。それに、あまりにもよく似ておられる⋯⋯」

 サフィードの体が小刻みに震え、腰の剣に触れた手が白くなる。

「イルマ様がおられると言うのに、わざわざ離宮にお連れするとは! いや、王宮で紹介するよりはましとのお考えなのか⋯⋯」

 一瞬の間の後に、ぼくはサフィードが何を言いたいかを理解した。思わずふらりと眩暈を起こしそうになる。悪事身に返る、という言葉を思い出すが、それを言いたい相手は幼いままだ。
 瑠璃色の瞳が、真っ直ぐにサフィードを見た。

「其方、名は何と?」
「⋯⋯サフィード・ヴァルツにございます」
「さぞかし、腕がたつのであろう? 出発前に、少しでいい。私の剣の相手をしてはくれぬか?」
「⋯⋯は?」
「我が名はシェンバー・ラゥ・スティオン。今日はまだ稽古をしておらぬ。一日鍛えねば三日遅れをとると、私の師が言う。半刻で構わないのだが」

 サフィードが、目を大きく見開いたまま、ぼくに視線を向けた。ぼくはもう、力なく頷くことしか出来なかった。
 


「よろしいですか、殿下。どんな時も焦ってはなりません。剣を使う者は剣に使われてはならない。⋯⋯肩に力が入りすぎておられるようです。少し休んで呼吸を整えましょう」

 サフィードの静かな声が響く。二人が稽古を始めて、もうすぐ一刻になる。少年は頷いて、額に浮かんだ汗を拭った。騎士に教えを乞う姿はとても真剣で礼儀正しく、まるで息の合った師弟のようだ。
 シェンが初めて剣を持ったのは6歳の時で、サフィードは5歳だ。彼らにとっては、剣も鍛錬も、とても大切なものなのだろう。

「まさか、お二人のこんな姿を見るとは思いませんでした」
「⋯⋯ぼくもだ。二人とも普段は剣を交えることなんてないしね」

 ぼくとセツは木陰で座りこみ、二人を見物していた。事情はわからずとも、ぼくの顔を見て剣の指南役を引き受けてくれたサフィードには感謝しかない。
 二人はいくらでも稽古を続けそうだったが、出発の時間は着々と近づいている。声を掛けるかどうか迷っていると、少年がこちらを振り返った。

「イルマ王子!」
「え? あ、はいっ!」
「もう時間だろう? すまない、待たせてしまって」
「もういいの?」

 にこりと笑った晴れやかな顔に、はっとする。姿は幼くなってしまったけれど、あの笑顔は確かにシェンだ。ぼくは胸を突かれて黙り込んだ。



 ◆◆◆

『イルマ、ガゥイの孤児院がもうすぐ完成する。婚姻の儀が終わったら、様子を見に行かないか?』

 春の訪れが間近な頃、ガゥイの町の長から王宮に一通の手紙が届いた。町の人々の協力もあって、孤児院は着々と建設が進んでいる。完成の暁には、ささやかな宴を催したいので、ぜひ殿下方にもご列席願いたい、そんな内容だった。

 シェンの言葉に、ぼくは二つ返事でうんと答えた。ずっと気になっていたのだ。

『子どもたちが育って、ガゥイの町に自分の居場所を作れるようになるといいな』

 ぼくはシェンがぽつりと言った言葉が嬉しかった。今まで、捨てられた子どもたちの未来は決して明るいものではなかった。孤児院のすぐ隣の神殿では、神官たちが週末に読み書きを教えてくれる。教育は希望だ。子どもたちがガゥイですくすくと育ち、町の中で仕事につけたらどれほどいいだろう。

 ◆◆◆
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