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第四部 婚礼
第32話 幸い②
しおりを挟む「何か御用がおありですか?」
話があるなら、ここでさっさと済ませろと言わんばかりのセツに、セリムはイルマを見た。ハートゥーンの訴えかける瞳も同時に突き刺さる。イルマは、それぞれに何か言いたいことがあるのだと察した。
「えっと、セツ。少し話をしたらどうかな。折角、式の為にクァランから来てくれたのに、セツとはすれ違いで全然話していないだろう。普段はなかなか会えないんだし」
イルマにそう言われては、セツに断る理由はなかった。いいえ、こいつはしょっちゅう山のような手紙を送ってきて、全然久しい感じがしません!と叫ぶわけにもいかない。
「私はイルマ殿下とまだゆっくり話したい。二人は庭園でも眺めながら話してきては?」
砂漠の民のさりげない言葉が、ハートゥーンへの援軍となった。
渋々外に出たセツと緊張したままのハートゥーンは、木陰に並んで座っていた。
セツと二人きりになることに成功したものの、商人は非常に困っていた。すぐ隣に、あれほど恋焦がれた相手がいるのだ。今までのように美辞麗句を並べ立てて、さっさと手土産を渡せばいい。頭ではそうわかっているのに、すぐに行動に移せない。これではまるで、初めて恋をした子どものようではないか。
「あ、あの、セツ殿」
「はい?」
「⋯⋯砂漠で、珍しいものを手に入れました。よかったら、お側にと思って」
「折角ですが、装飾品には興味がありません」
「装飾品にもなりますが、どちらかといえばセツ殿の護りになるものです」
護り? セツは、南の商人から以前渡された石を思い出した。あれは全部割れてしまったけれど、確かに自分の身を守ってくれたのだ。
「護り、って」
ハートゥーンは、服の隠しの中から小さな革袋を取り出した。セツの手に渡されたそれには、確かな重みがある。
「壊れやすいので、そっと開けて」
「⋯⋯」
頷くと、セツは革袋の紐を解いた。中に入っていた柔らかな布を開けば、石の薔薇が咲いている。砂漠の砂と同じ薄い茶色の、触れたら崩れそうなほどに繊細な花びらだ。
「⋯⋯薔薇?」
「砂が長い時間をかけて石になり、花に形を変えることがあります。元は水があったところでしか出来ないので、クァランでは滅多に見ることがない。オアシスの近くでごくたまに見つかります」
「すごい。あの砂漠でこんなものができるなんて」
どこまでも続く灼熱の砂漠に、生き物の姿を見つけることは出来なかった。長い長い時間をかけて砂がこんなにも美しいものになるとは。セツは目を輝かせてハートゥーンを見た。
「これが護りになると?」
「この石は、不安を取り除き調和を呼ぶと言われているんです」
「⋯⋯へえ⋯⋯」
「宮廷暮らしの中では、色々気が張ることもあるでしょう。側に置くだけで自分の中の悪い気を遠ざけると言うから、セツ殿にぴったりだと思って」
⋯⋯自分のことを、商人がそんなにも心配してくれるなんて思わなかった。セツは驚きを隠せない。じっと見つめれば、ハートゥーンは赤い顔をして目を伏せた。
「あ、ありがとう。大事にする」
セツに手渡された薔薇は、白い手の平の上で穏やかに咲いている。
ハートゥーンは照れくさそうに、にっこり笑った。まるで少年のような笑顔が、セツの心に深く残った。
「あっ! セツ!! それは、砂漠の薔薇だね。すごいものを持ってるね」
「砂漠の薔薇? イルマ様、ご存知ですか?」
セツがハートゥーンにもらったと差し出すと、イルマは感嘆のため息を漏らした。
「前にガゥイの宝飾品市場で見たことがあるよ。⋯⋯そんなに綺麗なものはなかったけど。商人が滅多に手に入らない品だって言ってた。ハートゥーンは、本当にセツのことが好きなんだね」
「心配してくれたようです」
「セツ⋯⋯。その石の持つ言葉って、知ってる?」
首を傾げるセツに、イルマは眉を寄せた。自分が下手なことを言うわけにはいかない。セツに教えてほしいと頼まれたが、答えを渋った。
セツが砂漠の薔薇の意味を知ったのは、二人の男が旅立つ時だった。
空はどこまでも晴れていて、王都は婚姻の儀の名残を留めていた。街のあちこちに花が飾られ、華やいだ雰囲気が漂っている。
イルマたちは、王都を出る砂漠の民の為に、東の大門まで見送りに来ていた。旅支度の済んだ二人は、別れの挨拶を笑顔で交わす。
「ハートゥーン、セリム。はるばる来てくれてありがとう。どうか元気で」
「殿下方も、どうぞまたクァランにおいでください。心から歓迎致します」
セツは、はっと気がついた。馬に乗りこもうとするハートゥーンの服の袖を掴む。
「あ、あの! 砂漠の薔薇をありがとう。⋯⋯石には意味があると聞いたんだけど」
ハートゥーンは、ぐっと言葉に詰まり、セツを見た。自分を見る碧青の瞳は心を射抜くようだった。一瞬目を瞑り、息を整えて小さく告げる。
「⋯⋯枯れぬ愛、です。セツ殿、どうぞ貴方の日々がいつも幸いで満ちていますように」
砂漠の商人は、静かに微笑んだ。馬に跨り、一度も振り向かぬままに門を出る。セリムだけが振り返り、一度大きく手を振った。荷馬車が何台も続き、セツは何も見えなくなるまで、呆然としながら見送った。
砂漠の薔薇は、セツの自室の机の上に置かれた。イルマからもらった刺繍入りの手布に、砂漠の鷹を小さく縫ったものがある。それを敷布にすると、鷹と薔薇とが並ぶ。見るたびに、砂漠から乾いた風が吹き抜けるようだった。
一日の終わりに、セツはいつも机に向かう。それは、一日の中でも大切な時間だった。今日あったことを振り返り、必要なことをまとめ、問題点があれば洗い出す。時には感情が荒ぶって、机に突っ伏す日もある。
気が遠くなるほど長い時を重ねて、花の形をとった砂。確かに、その石を見つめていると心が凪いでいくような気がした。
「⋯⋯御礼の手紙を書こう」
セツは初めて、ハートゥーン宛てに手紙を綴った。
後日、砂漠の商人が感激のあまりに熱を出したのを、セリムは名誉を重んじて誰にも言わなかった。
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