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第四部 婚礼

第29話 ともに①

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 軽やかな足音が聞こえた。楽しそうな笑い声も。
 静かに扉が開いて、そっと近づいてくる気配がする。あと一歩、⋯⋯二歩。自分の上に屈みこんで、唇に柔らかいものが触れる。腕を伸ばしてぎゅっと捕まえれば、小さな叫び声が上がった。ふわりと柔らかな髪が鼻先をくすぐり、胸に温かな気持ちが湧く。

「おかえり、イルマ」
「⋯⋯ただいま、シェン。起きてたの?」
「ああ。さっき目が覚めた」

 朝食後、イルマがセツと共に乳母に会いに行くと聞いて、シェンバーは長椅子で仮寝を決めた。久々の再会は、水入らずがいいだろう。積もる話もあるはずだ。イルマの様子を見れば、よい時間を過ごせたことが伝わってくる。

「乳母殿とは、思う存分話せたようだ」
「うん! もっと話したいぐらいだけど、きりがないから」

 瞳は明るく輝き、頬は紅潮している。腕の中で一生懸命伝えてくれる姿が可愛らしい。

「それからね⋯⋯、サフィードに、謝ったんだ」

 シェンバーは、ゆっくりとイルマの髪を撫でる。

「ぼくの浅慮で、ひどいことを言ってしまった。すまなかった、って。サフィーは、ちゃんと聞いてくれた」
「⋯⋯偉かったな、イルマ」
「ううん。シェンも、ありがとう。背中を押してくれたおかげだよ」
「誰にでも間違いはある。非を認めて謝罪することができるのは、勇気ある者だ」
「ありがとう⋯⋯。また、一緒にいてくれるって」

 イルマの嬉しそうな様子に、シェンバーは心の奥に疼くものを感じた。見ないふりをしているけれど、時折それは顔を出す。イルマの視線を全部自分に向けておきたい。他の男の話をして嬉しそうな顔をされるのは嫌だった。だが、それを告げるのもまた、面白くはない。

「⋯⋯シェン?」
「いや。よかった」
「うん⋯⋯、ありがとう」

 イルマの笑顔は、咲き誇る花のように明るい。胸のつかえが下りたからだろう。自分の腕の中にもう一度抱きしめることで、シェンバーは無理やり気持ちを抑え込んだ。

 独占欲なんてものが自分にもあったことを、シェンバーは長く知らなかった。他人にそんなものを感じる必要などなかった。勝手に近づいてくる者はいくらでもいたし、それは庭園の花と変わらない。美しいが関心もなく、気がついたら入れ替わっている。

 記憶の中に咲く黄金の瞳は、シェンバーのことなど覚えてもいなかった。甘い言葉も贈り物も何の役にも立たず、容姿さえも意味がない。何もかもに飽きて諦めていたはずなのに、自分はイルマだけをずっと追い求めている。
 ⋯⋯唯一人の存在を狂おしく求める日が来るとは。
 自分の中の変化に改めて驚き、イルマは自分をなぜ好きになってくれたのだろうと、ふと思った。

「⋯⋯シェン?」
「ちょっと考えていたんだ。⋯⋯イルマのことを。どうして、自分を好きになってくれたんだろうと」

 イルマの目が丸くなって、あたふたしている。シェンバーは口元に笑みを浮かべた。口にしてみただけで、大事なのはイルマの現在の気持ちだけだ。この先も黄金の瞳の中にいることが出来るのかだけが気にかかる。

「うーん。⋯⋯えっと、何でって。とんでもない王子だと思ってたら、やっぱり散々な目に遭うし。うーん⋯⋯案外、いい人なのかなって思ったり、意外なところがあったり⋯⋯」
「⋯⋯もういい。聞かなかったことにしてくれ」
「えっ、あ、あのね。ルチアが言ってたよ。人は見かけによらない、って。自分の目は曇りやすいから、気をつけろって。本当にそうだった! シェンはね、最悪な印象からすごくよくなったんだ!!」
「ありがとう⋯⋯イルマ。もう、十分だ」

 しゅんとしたイルマを、シェンバーはしっかりと抱きしめた。身から出た錆、と言う言葉がある。先は長いはずで、挽回できる機会は常にあると信じたい。過去の自分を恥じて未来をより良いものに変えることを、シェンバーは己に強く課した。


 ──どうして自分を好きになってくれたんだろう。

 シェンバーの言葉が、ふわりとイルマの心に舞い降りる。はっきりとした理由があったかと問われれば、よくわからない。反目し遠ざけようとしながら、少しずつ少しずつ、存在が大きくなったのだ。シェンバーは誰よりも整った容姿をして、誰にも見せない心を持っていた。その心の中には、人に対する真摯さがあった。

「⋯⋯山」

 イルマが小さく呟くと、シェンバーは同じ言葉を聞き返した。

「うん。湖畔屋敷に行く前に、馬車が山賊たちに襲われたことがあったでしょう。あの時、シェンが助けに来てくれて、山賊たちのことを自分のせいだ、って言ってた。村の収穫祭の時には謝ってくれたよね。それがね、すごく印象に残ってる」
「⋯⋯あの時は、すまなかった」
「シェンがそうやって、騎士たちのことを自分のことのように話すのが意外だったんだ。あれで、シェンを見直したんだと思う。切っ掛けといえば、それかなあ」

 シェンバーは、イルマの髪に顔を埋めながら、ため息をついた。

「まったく、極悪人だと思われていたんだな⋯⋯」
「うん、思ってた」
「面目ない。今後に期待してくれ」

 イルマは、声をあげて笑った。シェンバーの背中に手を回せば、抱きしめた体の温かさが伝わってきた。
 
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