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第四部 婚礼
第19話 心①
しおりを挟む神殿は、光に満ちていた。
礼服に身を固めた守護騎士の目には、眩しいほどの輝きだった。
⋯⋯金と銀の花が揺れるヴェールが、目の中で揺れる。
ヴェールに包まれた主の姿は、人であって人ではないようで、真っ直ぐに見つめることも憚られた。それでいながら目を離すこともできない。
唯一つの愛を誓う二人の姿を目の奥に焼き付けた。
幼い時からずっと見守ってきた主は、今日の日から新たな道を歩むのだ。自分もはっきりと心を決めるべきだろう。
拍手に包まれて神殿を出る主を追うサフィードは、視線を感じた。それは、長年培われた勘だった。ラウド王子とユーディトの後ろに立つ人物が、確かに騎士を見ている。一瞬だけ捉えた姿に気を取られたが、目の前の職務を優先した。
嵐のような歓声の中、馬車に乗り込むイルマが振り返った。目の中にサフィードをとらえると、にこりと微笑む。すぐに前を向いたが、その仕草は騎士の心を温めた。
幼い頃から変わらず、守護騎士の存在を確かめる姿。当たり前のようなそれが今、揺らぐ騎士の心を支えている。
婚姻の儀の後は、スターディア国王の設けた祝宴が盛大に開かれた。贅を尽くした料理と酒が来賓たちの元に次々に運ばれる。
イルマとシェンバーは座に着き、一言ずつ謝辞を告げた。国王が微笑みながら、賓客たちを見回す。
「今日の慶びを共に分かち合ってもらえたことを心から嬉しく思う。女神の大いなるご恩情と祝福が全ての国々を満たすように願っている」
イルマは目の前に並べられた料理を見るだけで胸が一杯だった。
「と、とても喉を通りそうにない」
「無理せずに、食べられるものだけつまむといい。イルマの好きな茶を運ばせる」
「ありがとう、シェン」
すぐに淹れられた茶の優しい香りに、イルマはほっと息を吐いた。口に含めば、人心地がつく。にこにこと微笑む姿にシェンバーは安堵した。
「此度はまことにおめでとうございます! 新たな門出に相応しい良き式でありましたな!」
「おめでとう存じます。両殿下の晴れのお姿を目にして眼福の極みでした」
「ハートゥーン! セリム!」
目の中に豪奢な赤と金が飛び込んできた。服も豪華なら、勢いもいい。赤毛の商人は黒髪の従兄弟と共にすぐに祝辞に訪れた。ひとしきり話した後に、にこやかな笑顔でイルマの手元にそっと小さな皮袋を渡す。
「お疲れが過ぎるようでしたらお飲みください。一日一粒。ラーナの泉の水を混ぜて作った万能薬です」
「しみついた商人根性といいましょうか。どうしても、泉の水を何か形にしたかったようです」
「何を言う! 滋養強壮若返りに加えて砂漠越えにもピッタリだと大評判の品なのだぞ!」
「滋養強壮⋯⋯」
イルマはしげしげと小さな皮袋を見つめた。ハートゥーンは微笑んだ後に小声になった。
「ご安心を。それには媚薬や効能の不確かなものは入っておりません。お望みならば、また別にご案内を⋯⋯」
そこまで言ったところで、セリムが首根っこをがっちりと掴んだ。ずるずると引きずられて見る間に遠ざかっていくが、笑顔で手を振っている。商人に反省はなさそうで、すぐに他国の王族と話し始めた。
ありがたいやら驚くやらで、イルマは目を瞬くばかりだった。隣で見守っていたシェンバーが、ぽつりと言った。
「今、二人が話している相手は、隣国ナヴァンの王子だ。砂漠の民は、いつも揺るぎない親愛と友情を示してくれる」
ナヴァンは以前、砂漠の民を自国に引き込もうとした国だ。いつでも砂漠は戦の危険を孕んでいる。砂漠の民の背には、獅子の足元で寛ぐ鷹の姿があった。目にも鮮やかな意匠は、誰の目にもすぐに飛び込んでくる。
「砂漠の民は、一度心深く親交を結んだ者を、決して裏切らない」
シェンバーの瞳がわずかに潤んでいる。二人の姿は、まるで砂漠の太陽そのもののように、強く明るく輝いていた。
物は試し、とイルマは小さな丸薬を一粒、口に入れた。爪の先程の小さな秘薬は、わずかに薬草の香りがした。するりと喉を通ってすぐには変化も感じられないが、今日一日を無事に乗り越えられるならば十分だ。貴人たちを迎えての宴は夜を徹して続く。
「イルマ、飲んだの?」
「うん、シェンもいる?」
革袋を手に、きょとんとした顔で見つめられて、シェンバーは戸惑った。口にするもので散々痛い目をみてきた身には、この素直さは驚愕に値する。今回はハートゥーンからの品で出自に間違いはないが、注意するに越したことはない。
「今は、大丈夫だ」
「じゃあ、いつでも声をかけてね」
イルマの微笑に、シェンバーは言葉もなかった。人を疑わない純粋さは危険と隣り合わせだ。だが、今日ぐらいはあれこれ言わなくてもいいのではないか。そんなことを思う自分も大概、骨抜きになっているのだろう。シェンバーは黙って、並々と注がれた祝い酒を飲み干した。
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